森絢女様から頂いた作品です。


Between the sheets


組織は壊滅した。
壊滅させたのは、FBIを主体とした各国の警察組織などだった。
新一も、志保も、それに関わることなどできなかった。それだけ、組織は巨大で強大で、一介の、それも幼児化しているような探偵風情に手の出せるものではなかったのだ。
優作の情報網に組織殲滅計画が引っかからなければ、新一たちは組織の壊滅すら知らずにいたかもしれないし、APTX4869のデータも永遠に失われ、元の身体を取り戻すことはできなかっただろう。
結局のところ新一と志保にできたのは、組織が混乱に陥っている間隙を突いての、APTX4869データの持ち出しと消去、そして、志保……いやシェリーの情報の消去だけだった。おかげで誰にも情報が漏れることなく、データは手に入り抹消された。もしかしたらあの赤井秀一には、お見通しだったのかもしれないが。
その証拠といえるのかもしれないが、データから作られた解毒剤を服用して、副作用のないことも確認されてしばらくして、志保はアメリカに行くことになった。
もちろん、志保の研究分野は、日本よりもアメリカで進んでいる。なによりも、アメリカでは志保はスキップして大学院まで卒業しているが、日本でなら高校編入という状態から始めなくてはならない。志保にとって意味があることではなかった。
それに、ジョディを通して、内々に志保への打診。
証人保護プログラムの適用はできないが、身の安全を確保するためにも、目の届き難い日本よりもアメリカへ……と。
日本の警察組織、公安には、その身を託すことはできないから……と。

もう櫻が咲いていた。
工藤家の庭に咲く櫻の古木を見上げて、アメリカへ行くことを志保は簡単に新一に告げる。
新一は、ただ「そうか」とだけ答え、同じように見上げる。
まだ八分咲きの櫻。
葉櫻に変わる頃、志保は旅立つ。
「行き来は自由なんだろ?」
「えぇ、自由は保障されているわ」
「そうか……」
「そうよ……」
「たまには帰ってこい。……博士が寂しがる」
「えぇ」
元々二人の間に多くの言葉があった訳ではない。
ただ、少ない言葉だけで、多くが、ほぼ正確に伝わる。
そんな言葉を二人は共有していた。

一瞬、志保の視界に影が差し、唇を熱がかすめる……。
志保は目を閉じ、そして、「行ってくるわ……」と言った。


アメリカに渡った志保からは、忘れた頃に二言三言のメールが届く。
「L.A.には梅雨がないのがいいわ」とか、「夏の暑さ、日差しは格別だけど、ムシムシしないのがいいわね」とか、「気がついたら秋だったわ。でも、コートを着てる人もいれば、タンクトップ姿の人もいる。そんなアバウトなところだと思い出した」とか、「去年はハロウィンにお菓子を貰う側だったわね」とか、「クリスマスには、久しぶりに教会のミサに行くわ」とか、「上司に花とプレゼントをもらったの。チョコを渡す日じゃないことを思い出したわ」とか……。
志保は研究のことなど一切書いてこなかった。素っ気ないほどの、ただ零れ落ちたかのような言葉だけ。
日本とL.A.の17時間の時差を超えて、届けられるメール。
新一はそれに返事を出すこともあれば出さないこともあった。自分の方からも同じように二言三言のメールを送ることも……。
「久々に晴れてた。毎日雨で滅入る」とか、「服部達と海へ行った」とか、「学祭で実行委員にされてこき使われた」とか、「博士の家にいったら、探偵団がクリスマスパーティを開いていた」とか、「豆まきで鬼にさせられた」とか……、そして、「櫻の蕾が膨らんできた」とか……。
新一も、関わっている事件のことは書かなかった。

やっと事件が片付いて、陽が落ちてからの帰宅。
門扉を開いて迷わず庭に向かった。
予感みたいなものだったのかもしれない。
そこにあるべき筈のない、けれど、そこにあるのが必然の姿。
色素の薄い透き通るような肌と、赤茶色の髪。
いい陽気が続いて一気に開いた櫻を見上げるその姿。
新一は無言で、けれど気配を隠すこともしないで、志保の傍に立ち、同じように櫻を見上げた。
「櫻を見たくて……。櫻はここが一番ね」
「……そうか」
ひらひらと、降る花びらが髪を飾っていた。
新一はその花びらに手を伸ばし、そしてそのまま、その細くて柔らかい髪を絡めとる。一年前より少しだけ伸びたその髪は、はんなりと艶かしかった。
自然に引き合うように、影が重なる。
触れ合い、互いに移るその熱だけが、互いを刻み付けた。

重なった時と同じように、自然に静かに、ゆっくりと影が離れる。
「行くわ……」
志保はそういうと、新一の傍を離れた。
「いつまでこっちに?」
その問いに、志保は一瞬考えるような表情を見せ、「……葉櫻になる前に……」とだけ答え、そして、ふうわり笑った。

翌日、大きな事件が起こり、新一が慌ただしく日々を過ごし、再び帰宅できたのは、既に葉櫻になってしまったあとだった。
新一は、17時間の時差の向こうに戻っていった志保を思い、櫻の木の上にかかる月を見つめる。


また、同じ刻が戻ってくる。
忘れた頃に届くメール。
思いついたように二言三言だけ、送るメール。
季節が巡る……。


「櫻の蕾が膨らんできた」
今年も、新一から志保へ……。
そのメールの意味。
おそらくほぼ正確に飲み込んで、その姿は再びここにあるのだろう。
新一は櫻にも目もくれず、まっすぐにその姿に向かう。
志保が振り向く。
その笑みの妖艶さに、新一は軽い目眩を覚え、そしてその身体に腕を回す。
少しだけその腕に力を込めて腰を引き寄せると、志保は自身の腕を新一の首に回した。
一年前よりも、強く求める唇。
身体の中でくすぶっていた火種を自覚した。


縺れるように沈み込んだベッド。
互いの名だけを呼ぶ。
どこまでが自分で、どこからが相手なのかもわからないほど絡み付き、溶け合う。
ただ、ただ、熱だけが……、明らかに自分のものではない熱だけが……、自分の存在を証明しているかのようだった。

新一が目覚めたとき、傍にある筈の温もりは既になく、白いシーツに薄紅の花びらだけが三枚。
新一はそれを指先でつまみ上げ、片膝をたてると、額を膝に押し当て小さくため息をつく。
鮮やかすぎるほどの、志保の身の処し方に、昨夜の熱が幻だったのではないかという錯覚を覚えた。
けれど、新一の手の中に収まる三枚の花びら……。
それだけが、昨夜のことが真実であったと、雄弁に物語る。
おそらく、隣を訪ねたとしても、既に志保はいないのだろう。
そして……おとずれる、また同じ刻……。
知ってしまった熱を、持て余しながら、また巡る季節を過ごしていくのかと、新一は諦めともつかない思いを、曖昧な表情を浮かべ、ため息と共に吐き出した。


毎年、風が和らいでくると送られる短いメール。
「櫻の蕾が膨らんできた」
そしてしばらくすると、その姿は櫻の下にある。
熱に浮かされるように互いに奪い合う、その行為の後、やはり、いつも数枚の薄紅をシーツに散り残して……、その姿は消えてしまう。
それをつらいとか、もどかしいとか、悲しいとか……。
だんだんそんな思いも薄らいでいく。
その刻を重ねることが、重ね続けていくことが、生きていくという事なのだと、わかったから……。

そして、また、今年も……、二枚の薄紅の花びらがシーツに散っていた。


サイト管理人より


森絢女様より素晴らしい作品を頂いてしまいました。(ちなみに同サイトにあった新志シリーズとは切り離された作品です) せつなさや儚さが行間から滲み出るような文章、私にはどう頑張っても書けません。春というとどうしてもウキウキした雰囲気を浮かべがちですが、こんな作品もいいですね。絢女さん、どうもありがとうございました。