森絢女様サイトでクイズに参加させて頂き、リクエストで書いて頂いた作品です。


我のみや あはれと思はん きりぎりす 鳴く夕かげの 大和撫子


追跡眼鏡の電池が切れたので、コナンは暗くなる前に博士の家に向かった。暗くなってからだと、小学生のコナンを蘭が心配するからだ。
とはいっても、既に太陽はビルの谷間に沈んでしまっている。
西の空は茜色に染まり、夏の陽の名残を留めていはいるけれど、東の空から夜が空を覆いはじめていた。
歩きなれた、日中の暑さを溜め込んだままのアスファルトの道。
本来の自宅へ向かう道なのだから、17年間数えきれないほど通った道。
だからこそ、久しぶりに歩くのだということに、コナンは自分で驚いた。
夏休みに入ってからというもの、毛利家の家族旅行だの、蘭のショッピングだの、それにほぼ漏れなく付いてくる事件だのにつきあって、ろくに博士の家に顔も出していないのだということに、コナンは改めて気が付く。
連絡を取っていないわけではない。
事件に関連した情報を収集してもらえるのは、相変わらず博士か哀しかいないのだ。
だが、実際に逢うのは、ほぼ2週間ぶり。
情報収集の礼でも……と思って、コナンは哀が前においしいのだと言っていた和菓子店の引き戸を、お使いで来ましたという表情を作って開いた。
店内は、外の暑さとは無縁なように、涼しかった。
京葛きりと、河原撫子の形を模した練切、涼しげな清流を模した錦玉、それに冷たい水に沈めてある竹入の水羊羹を引き上げてもらう。
そして包んでもらっている間に、ショーウィンドウをしげしげと眺めていると、本店が京都にあるというだけあり、五山送り火をテーマにした薯蕷が売られているのを見つけた。「大文字」「船形」「妙法」「鳥居」「左大文字」それぞれ一つずつチョイスして、包みに加えてもらう。
情報収集をしてもらうことに感謝しているというのとは、ちょっとだけ違う。そのことについては、どちらかといえば当然のように思っている自分がいるという自覚が、コナンにもある。いいか悪いかは別として……。
ただ、そんな風に当然だと思っていること自体が、偽りの姿で多くを欺いている自分の、唯一日常的に本来の自分を曝け出すことのできる相手に対する、甘えなのだろうというような想像くらいできる程度には、自分を冷静に見ることができる様にはなっていた。
だから、子供が楽しむには、洋菓子に比べれば華やかさという面では少しだけ落ち着いていて、味も乳脂肪分がふんだんに使われている洋菓子独特の重たさのない、軽やかな和菓子が、子供であり続けられない自分と、そして哀にはちょうどいいのだという気がしている。



玄関を開けた哀を見て、一瞬声が出なかった。
黒地に色鮮やかな唐紅の撫子を散らした紅梅織浴衣。帯は刺し子風の白の小袋帯。髪もいつもと違いアップにまとめているせいか、元々大人びて見えるのに、更に……。とても7歳には見えない。
「工藤君、どうしたの? 口、ポカンと開けちゃって?」
クスクス笑いながら哀がそう訊ねたので、ようやく我にかえる。
「あ、あの、追跡眼鏡の電池が切れたから……」
ようようそう答えて、玄関をくぐると、コナンは「浴衣なんか着て、どっか行くのか?」と問う。
「どこも行かないわよ。お風呂上がりだから着ただけ。最近はずっとよ。あ、博士なら今お風呂なの。もうすぐ夕飯できるし、この時間に来るってことは、あなたも食べるでしょ?」
その問いにコナンが無言で頷くのを確認すると、哀はキッチンの入り口にかけておいた紐で、袖が邪魔にならないよう襷掛けにした。
その動作がやけに自然で、哀がイギリスの血を引いているとか、幼い頃から海外で育っているので日本の文化自体にそれ程馴染みがないということすら、忘れてしまいそうになる。最近ずっとと言っていたことからも、そういう動作が自然であると思えるほどに、浴衣を毎日着ているのだろう。
コナンはリビングのソファに座ると、手にしていた和菓子の包みを思い出した。
手に、明らかに土産と分かる包みを持っているのに、何も言い出さなかったコナンを、哀はどう思っただろうかなどと、少しだけばつの悪い思いを抱く。
浴衣姿の哀に見とれていたなどとは、哀自身は思ってもいないだろうとは思うが……と、コナンは考えて小さくため息が出る。そんな風に思ってくれるような女の子なら、もう少しいろんなことが簡単なのに……と、思うからだ。でも、もしそんな女の子であったなら、それ以外の複雑な事情は、どこまでいっても解決しないのかもしれないという思いもある。だから……自制する。
立ち上がりキッチンにいる哀の傍に寄ると、哀が小首を傾げて疑問の表情を浮かべる。その瞬間哀から涼やかな香りが立ち上る。
「これ、和菓子買ってきたんだ、あとで食べようぜ」
包みを手渡すと、哀はにっこり笑って「ありがとう」と答えた。その表情が、コナンがこれまで見たどんな笑顔よりも自然だったせいか、コナンの鼓動が早くなる。
(なんだよ、いきなり笑うなよぉ。でもちゃんと笑うと可愛いんだよなぁ、こいつ……)
心の中でそんなことを思ったのは、もちろん哀には告げない。言った瞬間、いつも以上の冷たい視線を浴びせられるのは、目に見えていた。
「なんじゃ、新一、来ておったのか?」
博士が湯気をたてながら、リビングに戻ってきた。
「あぁ、追跡眼鏡の電池が切れたんだ。交換頼む」
コナンは眼鏡を外し、博士に手渡しながらそう答えた。
「そうか、構わんぞ。外は暑かったじゃろう、新一もお風呂に入ってきなさい。そのくらいの時間はまだあるじゃろ?」
最後はキッチンに立っている哀に問いかける。哀は視線だけで大丈夫だと告げると、胡麻をすり鉢ですり始めた。
「じゃぁそうさせてもらうよ、結構汗かいちまったからな」
そう言うとコナンはふろ場に向かう。
「着替えは出しておくから、ゆっくり浸かってきなさい」
そう言う博士に、コナンは右手を挙げて答えた。



「おい、博士〜! なんだよこれ」
脱衣場からコナンの声が聞こえてきて、博士は「よいしょ」という風情でソファから立ち上がると、「なんじゃ、新一」と問いかけた。
「なんじゃじゃなくて、これなんだよ」
「ん? この前哀君の浴衣を買った時に一緒に買ったんじゃ。なかなかいいじゃろ? 見立ては哀君じゃから、哀君にお礼を言っておきなさい」
こともなげにそういと、博士はリビングに戻ってきた。
「工藤君驚いてたんじゃないの?」
哀は面白そうに笑うと、仕上げ直前で置いてあった夕飯を仕上げるためにキッチンに立った。
暫くして、おずおずという感じでコナンがキッチンにやってくる。
若草色の市松模様に、鮎と団扇が配された紅梅織浴衣。錆鼠の正絹兵児帯。
「えっと、見立ててくれたんだって? ありがとうな」
それだけいうと、ちょっと肩をすくめてみせた。
その様子を見て、哀は「気に入らなかった?」と訊ねる。
コナンは慌てて「いや、そんなことない。この浴衣結構いいよ。ただ、男児用浴衣って、角帯がないのが、ちょっと悔しいっていうか……ま、仕方がないんだけどさ……」と言い訳した。
確かに、女児の浴衣用帯は、単衣も小袋も兵児も各種取り揃っているというのに、男児用は兵児帯しかなかったと、哀は呉服屋の商品を思い出しながら改めて気が付く。
とはいえ、大人でも角帯をきちんと締めていることは少ないのだから、仕方がないのかもしれないと、考えなくもない。
「あ、これ運べばいいのか?」
調理台の上に盛り付けのすんだお皿が置いてあるのを見て、コナンがそう声をかける。
「え? えぇ、そう。ありがとう」
コナンはさっさと3人分の皿をトレーに乗せて運びはじめた。



四万十川産の鮎の塩焼きに、宍道湖産の蜆のお汁、ほうれんそうのごま和えに賀茂茄子の皮のきんぴらと、賀茂茄子の煮浸し。そして香の物各種という純和風の献立は、浴衣にはよく似合っているが、ダイニングテーブルで食べているというのが、今ひとつしっくりこない。とはいえ、いきなり来て自分の分の鮎があったのがコナンは不思議で、思わず「俺が来るって分かってたのか?」と鮎を指しながら訊ねた。
「いいえ、分かってなかったわよ。ただ、一盛り3匹だったんですもの……。だから、明日、鮎ご飯でも作ろうかと思っていたんだけど、鮮度が落ちる前に食べることができて丁度良かったんじゃない?」
なるほどと納得したような顔で、コナンは頷いた。
確かに、哀がいつも行く鮮魚店は一盛り3匹、3切れという単位が好きなようだ。
もちろん大抵の場合、頼めば2匹なり2切れなり売ってくれるのだろううが、やはり鮎は季節ものであるし、四万十川産で鮮度のいいものは大抵料亭に卸されてしまうから、そうそう一般の鮮魚店に入荷するわけではないので、仕方がなかったのだろう。
「新一、今晩は泊まっていくじゃろ?」
「あぁ、できれば2〜3日いいかなぁ? 夏休みで一日中、工藤新一を知ってるおっちゃんや蘭といると、気が抜けないからさ」
「それは構わんぞ。じゃが蘭君には言ってきたのか?」
「あとで電話しとくよ」
コナンは久しぶりに、子供を意識しない料理を、心行くまで堪能した。
鮎の絶妙な塩加減も、そのはらわたの香り高さも、泥臭さのない宍道湖産特有の蜆も、本当に子供であったなら分からないものばかりだ。
料理は化学の実験に似ていると言って憚らない哀だが、そんな無味乾燥な意見は、おそらく博士に気を使っての台詞なのだろうと思わせるほどに、料理の腕はなかなかのものなのだ。
食後、コナンは哀の洗い物を手伝おうとしたが、自分ではうまく襷掛けができないので、結局皿を拭いてしまうだけ。
そのあとで、煎茶を入れると、コナンの買ってきた和菓子を3人でいただく。
健康管理のために、甘いものを控えるようにと、哀に言われている博士だが、洋菓子よりはカロリーも低いということもあって、哀も珍しく何もいわなかった。
「あら、これ、浴衣の柄と同じね」
哀が練切を指してそう言うと、「あぁ、撫子な」とコナンは答えた。
「そう、撫子の花なのね、本物とは違うから気が付かなかったわ」
「知らなかったのか?」
「えぇ、博士がこの柄がいいと言うから、赤とピンクと黄色と青と黒の浴衣の中から、黒を選んだってだけなの。ほかに買った浴衣は蘇芳地に金茶の矢羽根柄と、白と藍色の大きな市松模様なの」
哀がそう答えると、コナンは「ふ〜ん」といいつつ、博士の方を見遣る。博士が照れたような表情を見せて視線を泳がすと、「じゃ、わしは調べものがあるから、あとは二人で食べなさい」と言って、湯のみと菓子皿を持って、そそくさと書斎の方へ行ってしまった。
「どうしたのかしら?」
哀が不思議そうに博士の背中を見送る。
「図星だったみてぇだ」
おかしそうにコナンがそう言うと、哀はますます分からないという表情で「いったい何?」とコナンに問うた。
「撫子が照れくさかったんだろ」
コナンがそう言うと、哀の不審そうな表情が濃くなる。
「撫子の意味、もしかして知らないとか?」
「撫子科ナデシコ属。多年草で秋の七草の一つ。淡紅色で希に白色。花弁は5枚で上端が細かく細裂。種は黒く利尿作用がある」
「いや、まぁ、そうだけど、そういう撫子の学術的な説明じゃなくて……」
コナンは苦笑を浮かべると、ちょっと肩をすくめるようにして「かわいい子とか愛おしい子とかって意味があるんだよ。大体撫子の語源そのものが、かわいいわが子を撫でるような花だからさ。つまり『撫でし子』ってこと」と言う。
「そんな……、私、かわいい子なんかじゃ……」
「博士も灰原がそう言うと思って、黙ってたんだろ。でも、子供好きの割に結婚もしてねぇ博士にとっては、我が子同然なんだろうさ」
コナンは撫子の練切の最後の一欠片を口に放り込みながら、戸惑った表情の哀を見る。それが珍しくて、コナンは思わずもっと困らせてみたいような気持ちに駆られた。
「毎日浴衣なのってさ、博士の希望なんじゃねぇの?」
そうコナンが問うと、戸惑いの表情をまだ頬に貼付けたまま、「えぇ、そうだけど、なんで?」と哀が問い返した。
「ん? そりゃ、かわいい我が子って意味の浴衣をまとった灰原のこと、どうせなら夏祭りだの縁日だの花火大会だのの、ここ一番だけじゃなくて、日常的に見てたかったんだろうさ」
哀がコナンのこの言葉で、恥ずかしげに顔を伏せた。
喜びと、戸惑いと、博士に対する遠慮……。
そういった諸々がないまぜになったような表情。
コナンは思わず、それに便乗して、少しだけ自分の想いを吐露する。
「まぁ、でも、時代が下がると、単純に愛おしい子って意味をチョイスして、恋歌に使われるようになったみたいだけどさ。単純にかわいい子って意味もあるんだぜ」
哀はちょっとだけ肩をすくめてみせると青い錦玉を口に運ぶ。
「そういう意味でのかわいいは、私には関係ないわよ。こんなに可愛げもないんだから」
哀がこういう話題でこんな風に自嘲気味になるのは、いつものことだと思う反面、コナンは苛立ちも感じる。それこそ……、手みやげを渡したときの笑顔を、もっと自然に出せば……と思うからだ。
「そんなこと、自分で思ってると本当にそうなるぞ。せっかく可愛いんだから、いつも笑ってろよ」
苛立ちのあまり、そう言ってしまってから、コナンは(やべっ)と心の中で思って、恐る恐る哀の表情を伺う。
ブリザード並の冷ややかな視線を予測していた。
が、そこにいたのは、頬を真っ赤に染めて目を見開いてる哀だった。
その表情が、あまりに可愛くて、コナンは思わず見つめ返してしまう。
哀の唇が何か言いたそうに2・3度ふるえ、その後で、振り切るかのように数度まばたきをした。
「く、工藤君、あなたってひどい人ね。そんなことはあの髪の長い彼女以外の女になんか、言わないでよ!!」
そう言うと、哀は席を立って自室に行ってしまった。
コナンは手を頭の後ろに組んで、ソファの背にもたれると、「だから、そういう顔してりゃ、可愛いってんだよ」とつぶやく。
哀は不誠実だとか、八方美人だとか、そういうことを言いたかったのだろうと分かるけど、コナン自身には、それは不誠実な台詞ではないのだという思いもある。
それはまだ、あからさまにはできないことだけど……とは思うが。
「撫子なんだよ。だから、撫子買ってきたんだろ。博士も……オレも」
その意味する想いは、似て非なるものだけど……と小さく付け加えて、コナンは小さく息をつく。
暫くすれば、またいつものクールな表情を張り付かせて部屋から出てくるのだろうと思い、ここでゆっくり待つのも悪くないなと考えて、コナンはぬるくなってしまった煎茶を一口飲んだ。



                完


著者様あとがき(抜粋)


ほたるさんには「狂気の雫」のクイズでリクエストを受けておりまして、当初もらっていたリクエストが新志シリーズのコ哀でした。
ほかのリクエストを消化している間に、ほたるさんとチャットでお話しする機会がありまして(といっても毎晩話しているのですが)、ほたるさんが書いている浴衣モノで使おうと思っている浴衣の柄が分からないという話題が出ました。
結局それは『撫子』だったのですが、それが分かった時に私が、「撫子といえば可愛い子だね」と言ったんですが、たまたまその場に撫子の意味が可愛い子ということを知ってる方がいませんで、説明がてらこんなこと哀や博士に言わせたら面白いなぁって、チャラチャラと書いてたのが運の尽き。(爆笑)
結局ほたるさんと同じように撫子柄の浴衣をテーマにしたお話を書くことになっていました(つまりいわゆる同じお題での競作って奴?)。
でも、さすがにこれはリクエストに振り替えてもらったわけです。
ちなみに、SSの題名は「古今和歌集 巻第四 秋歌上」におさめられている素性法師の和歌です。
意味は調べてみてね。
ちなみにこの時代のキリギリスは、コオロギのことを言います(コオロギがキリギリスと呼ばれていました)
あと、夏の話なのに、なんで秋の歌やねん!!っていうのは、スルーの方向で……よろしくお願いします。(苦笑)



サイト管理人より


森絢女様サイト「緋色の雪」で連載されていた作品、「狂気の雫」の犯人及び動機あてクイズに参加させて頂いたのですが、犯人については正解したものの動機まであてる事は出来ませんでした。「おまけ」という事でリクエストを受けるとおっしゃって下さったのですが、無謀にも同じお題での競作を申し入れてしまったという@核爆
でも、その結果こんな素敵なお話を残す事が出来たので、絢女さんファンの方々、お許し下さいませ〜^^;)