沙柏様から頂いた作品です。





滞りなく卒業式は終わった。
校歌斉唱の後に続いた在校生挨拶は感動を呼んだし、最後の蛍の光合唱も体育館中響いた。
出席者の中には声を押さえきれず涙を零す者もいたし、教員の中にも声を出す者もいた。
感動的だったと、皆が言う。
実際隣にいた同級生も声を抑えていたし、合唱の際は音程も取れず、それどこか歌うことも困難であったようだ。
式が終わった後の担任の挨拶、クラス同士の最後の挨拶。
『学校が別々になっても友達だよ』
そうか別れても友達なのかと、哀は正直に感心した。信じる信じない、ではなくそういう言葉が聞けるほどの学生生活を送ってきたのかという現実に。
そういう3年間だったのかと思えば、今更ながらに寂しさを覚えてしまうのもしょうがない。この場に留まっていると寂寥感で一杯になってしまった胸の内を誰かに悟られそうな気がして校舎に背を向けた。涙はでなかったけれど。





今朝の出来事を思い出せば照れくささで暴れながら走って逃げ出したくもなったけれどここで逃げたら一生後悔することもわかっていた。色々考えすぎて一歩がゆっくりとなってしまったのに自分自身情けなくなる始末だ。意気地なし。
それでも前に進んできたのでマンションの前に着いてしまう。
かすかにうずく心臓を落ち着かせるために一息意識して吸ってから鍵を差し込み、息を吐く勢いで扉を開ける。意識していなかったのだけれど目を瞑っていたようで、目を開けて飛び込んできたのは、体育座りをした平次だった。

「おかえり」

道中さまざまなケースを想定し想像してきたのだけれど、まさかこんな。
体育座りだとは。意外にもほどがあるだろう。せめて正座なら、いやどっちでも一緒か。
ドアを開けたまま固まった哀に、おかえりと一言告げた平次はゆったりと腰を上げて、ノブを握ったままだった右の手首を掴んでひっぱった。
ガシャンと閉まる。
「くつ」
「え?」
「靴、脱ぎ」
はい、と答える前に靴を脱いだ。右と左の踵がもつれて玄関に茶のローファーが飛び散る。玄関マットに左の靴がこぼれたことも気にせず平次は手首を掴んだまま 、ちょっとという言葉を無視して部屋の中へ引っ張っていく。







セーラー服を脱ぎました







「なッ……!」

痛いほどに握られた手首を引っ張られたのは、電気をきちんと消さないと外に出ない神経質を形にした平次の部屋。電気だけはこだわるくせに散らかっていても全然平気というのは一体どういうこだわりなのだろうといつも不思議だった。
少しだけ開いているらしい窓から流れる風がふわりとカーテンレースを揺らめかせた。
見慣れた部屋なのだけれど今日ばかりは、このときばかりは初めて訪れるような感覚。
昨日だって、夜だとはいえここで寝たはずなのに。
困惑している哀をよそに、平次はそのまま部屋の中にひっぱりこんでベッドの上に投げた。文字通り放り投げた。
ぶわんと、ベッドの上で跳ね返った体にそのまま乗り上げる重さはいままで感じたことのないほど重い。
動けない。
着ていたダークグレーのジャケットを平次は投げ捨てる。
下半身にその重さを感じながら、反射的に瞑った眼を開くのには少し勇気が必要だった。
「覚悟、できてんねやろ?」
開いた瞬間、低い声。
覚悟とか、そんなの。
「ちゃんと言うたやんな?」
公 言どおり午前中で仕事を終わらせてきたらしい平次は、哀の眼を睨みつけるような視線を流して、自分のネクタイを解いた。哀が好きだと思っていたチャコール グレー地のストライブが細く入ったウインザーノットが勢いよく解かれる様がスローモーションで送られる。ワイシャツの第3ボタンまで乱暴に広げる行為が耐 え切れなくて目線を横にそらせてしまった。
「……どういうこと?」
「なにが?」
「理解できないわ」
「どこが?」
「この状況が、よ」
「全部わかってるんやん」
「ぜん、ぶ……全部わからないわよ……ッ!」
「どこから言えばええ?」
「最初からよ! どうして今更なの?!」
そうだ今朝の出来事からずっと考えていた。
どこから? どこから合っていた? ずれていた?
合っていたことすらなかった? すれ違いすら希望? 妄想?

期待なんてそれこそしていた。

同居を言い出したのは自分なのだから最初っからありすぎるほどにあった。期待できない未来すら思い描いてきたのだ。
叶わないと思っていたからこそ思い描いたのだ、ありえない望みどおりの未来を。なのにどうして今。
信じられるわけがない。少しもそんなこと。
「今更て、自分こそそーなんちゃう?」
「だからってそれが理由にはならないわ」
「理由?」
「昨日の夜、私がここにいなければ、この展開はなかったんじゃない?」
「それはないで」
「ど、して」
ベッドの上で押さえつけていた哀の右腕を離した平次の左手はゆっくりと離れて、頬に移った。
深爪めいた中指で体温の上がった頬をなぞる。そこはかすかに汗ばんでいてすらっとはいかなかったが、つまった感じがさらにゆったりと平次の指を運ばせた。顎まで伝りつつある感触を息を詰めてしか声を殺せない。せめてもの抵抗として、そらした目線を戻した。
自分を見下ろす平次の顔が降りてくる。
眼を閉じ、と覚えある声がして、覚える誰のより大きい手のひらを哀の瞼にのせてきた。昼間だというのに世界は一瞬にして真っ暗闇だ。
闇の中で聞こえた声は知ってる。感情が最大限に押さえられ、静かな。心底怒っているか辛さを我慢しているときの声色だ。

「3年前から自分と結婚すること許してもらってん」

「は?」
「同居の時点で結婚許してもらってん」
「誰に?」
「博士に」
「なんで?」
「最初からそのつもりやってん、俺」

眼はふさがれたままで耳元に囁かれた言葉を飲み込めない。
何それ、いったいこれはどういうこと。
結構な力で押さえられていた手のひらを無理矢理剥がして上半身を起こした。

「どういうこと?!」
「そのまんま」
「だからっ……!」

全てに抵抗しようとする腕を掴んで平次は哀の口を塞いだ。起こしたばかりの上半身はあっけなくベッドに落ちる。
開いた唇を好都合とばかりに舌が無遠慮にねじ込まれた。生々しい感触に怯える間もなく侵入してくるのを阻止する時間も覚悟も、本能に従えば、混乱の中でさえ拒む理由が哀にはなかった。
上顎を舌先でなぞられる。
のけぞった首に唾液が流れる感触を忘れることはないと思う。
いままでさんざん我慢してきました、だからもう。という声が聞こえた気がしたけれどはっきりとは覚えていない。それは哀が期待した言葉だったのかもしれない。
唇の両端から唾液が零れるのすら厭わず口付けられる。
「きょ、きょか、って」
「やか、、ら、さんね、まえに」
会話もおぼつかない2人の間で、吐息と唾液と絶え絶えに零れる言葉だけが合間にあった。
一息でも一瞬でも逃しがたい相手の呼吸の中で真実を得ろうと哀は眉間に皺をよせ、耐えた。いろんなものが押し寄せてくる。

「……ッ、あッ……、い、き、」

息ができないと訴えようとしても、言葉が出せないほど2人は離れられなかった。
舌先同士が触れ合った瞬間、反射的に左ひざがビクッと跳ね上がる。
3年間はき続けてきた紺のプリーツスカートが太ももぎりぎりまでずれた、気にする余裕はない。

「哀、眼ぇ開け」

手のひらで両頬を包み込まれる感触は感じていたが、酸素を取り込もうと必死の状態では言葉どおりにするには少し待って欲しい。それよりさっきは眼を閉じろといった矢先に開けろなんて、どれだけ自分勝手なんだろうと、霞がかる頭の中で相手を詰った。
ようやく落ち着いてうっすらと瞼を上げれば平次の眼とぶつかる。
そんな眼、反則だ。
哀をまっすぐに、哀だけを見ている。平次の意思で、自分だけをずっと。


そうやって、ずっとずっと見られたかった。


自覚したとたんに涙腺が緩み、開けた視界は瞬く間にぼやけるのだけれど、悟られるのも何だか納得がいかなくて我慢したのは最後の最後まで残ったかすかな意地のせい。

「同居の話でたとき、覚えとる?」
「……私が言ったのよ」
「そうやったな」
「なの……に、ど、して……」

会話の最後の一音と同時に頬同志を摺り寄せられる。
愛しい、そういう仕草だった。

「あの後な、博士と話してん」

――哀のこと、ずっと好きやってん。それでも同居してええ?

指を噛んだり汗を拭ったり落ち着かない様子で博士は下を向いて黙ったままだったけれど、10分くらい経った後だろうか、深い息を吐いてから顔を上げて告げた。
『大事な娘のことを、わしより大事にできるんじゃろうな?』


「そん時挙げられた条件が、高校生のときは絶対に何もしない、思いも告げない。そして」
「……そして」
「哀のことを誰よりも最優先に。無理強いもしない、強制もしない、他に誰か好きな人ができたらそれを拒まない」

――逆に聞くがのう。それでも同居して、君は耐えられるじゃろうか?



結果は哀自身が知っている。
耐えたのだ、誰にも悟られずに。


「これでも頑張ってんで。無防備にソファで寝たりしよるし着替え見てしもーたりもしたし」
「……全然慌ててなかったじゃない」
「やから、結構必死やってん。博士との約束破ったりしてもーたら同居もなしになったしな」

大きな手のひらで前髪を掻きあげられる動作はどこまでも優しくて、哀の涙腺はもう本当に限界だった。
今喋ったら声が震えることは判っていた。知られるのはよくないと意地を張りたいのだけれど、どうしても聞きたいことがあった。

「もし、私、が……あなたのこと好きじゃなけ、ば、どうして、た……?」

自分ではそれなりに力を入れたつもりだったけれど、飛び飛びで震える声はどうにもならなかったようだ。
もう涙は眦から零れる寸前。瞬きはどうしたって耐えなければいけない。
眉間に皺を寄せて堪えてみても、やっぱり相手には隠し切れず、哀の目じりに平次は口付けて溜まった水を吸い取って、しょっぱいと笑った。
何それ、耐えた意味ないじゃないと、哀も少しだけ笑った。
目じりの次はオデコに、鼻先、右頬、左頬、喉仏、鎖骨。セーラー服の上から左肩。赤のスカーフを解いて、服の上から左胸。
だんだんとキスは下に下りてきた。
服の下に手が入ってくる。薄いキャミソールの上をゆっくりなぶり撫でられる。
シルク生地のキャミソールは平次の手の動きを滑らかにした。

はい、ばんざい。

そうやって、セーラー服をキャミソールと一緒に脱がされた。
露になった肌に数々の口付けは降ってきた、跡が残るほど強くはなかった。それどころか唇でなぞる程度の軽さ、まるで唇で哀の体全体を覚えこもうとするように余すことなく触れていった。
口付けの最中にスカートのホックに手をかける。抵抗する気はなかったがいざとなると竦んでしまう弱気さの正体を自分自身でも計りかねて動揺する。怖いとは違うのだけれど限りなくそれに近い。
哀の躊躇いを無視して慣れた手つきでホックを外されひらひらのスカートはベッドの下に落ちる。そのシーンを目の端で追っていたら、今日で学生生活が終わったのだと、何となく思った。

下着もいつの間にかなくなっていた。
平次のワイシャツやスラックスは哀が外した。我ながらぎこちない手だったと思う。

体中に降り積もる口付けの中で、無意識に溢れる喘ぎも塞ぐがごとく、深く深くキスを交わした。
乳首をきつく吸われたとき、哀の脚の間に挟まれた平次の膝がぐいっと押し付けられる。濡れた音がする。意図的に大げさな音を立てられた。
「ッ……、」
腰を掴む手が強すぎて痛い、きっと跡が残るに違いない。それすら嬉しかった。
「あ、い」
返事をしようとはしたのだ。けれど途切れ途切れで呼ばれる名前に、意味のない言葉が出てくるだけで答えにもなっておらず、だというのに相手はそれで満足したようにまた舌を入れてくるのだからもう返事どころじゃない。
平次の頬から汗が一滴落ちてきて哀のへそ辺りに落ちる。水滴の冷たさもこの時では手のひらくらいの威力があった。
両足の間に顔が埋められた。
「まっ……、! へ、い……!」
時間をかけて舐められて穴の中にも侵入された感覚はさすがにわかったのだけれど、もうここからは意識が曖昧でよく覚えていない。
ただ、平次の先端が突きつけられたとき、この体温が今は自分だけのものなのだと、独占欲に胸が押しつぶされそうだった。






***






「ちょ、自分何してんねん!! 眼ぇほんま痛い!! 今度は何したん?!」

もう昼間という時間に平次はリビングに怒鳴りながら飛び込んできた。顔がベタベタのまま。
新聞の3面を読んでいた哀は、やけに余裕のある時間をかけて新聞を畳む。
春にしては薄着でキャミソールと薄いコットンパンツで、珈琲を一口飲んで、微笑んだ。

「一体どーゆーことやねん!」
「やられっぱなしは趣味じゃないのよ」

テーブルの上には、呑みかけの珈琲カップと、昨日の帰りに薬局で買ってきたムヒが置いてあった。



「おはよう、よく眠れたかしらダーリン?」



組んでいた脚を解いて平次の正面まで進み、ゆっくりと平次の首に腕を絡めて、そっとキスをする。
ここまできたら開き直るしかない。悩むことはもうないのだし好きなことをしようと、今朝シャワーを浴びながら自分自身に見切りをつけた。

「昨日の答えをまだ聞いてないのだけれど」
「答え?」
『もし私があなたのことをすきじゃなければ、どうしてた?』

怒りはまだ収まっていないようだったけれど、大人しく哀の腰を抱いた平次は眼を瞑って、開いた。



「星空仰いで涙するくらいの乙女心なめてもろーたら困るで」



いたずらっ子のような、しってやったりという笑顔。
想像していた答えとは全然かけ離れていて、ぱちくりと瞬きをした哀に、平次は笑いながらキスを返した。

「おはようハニー。よー眠れた?」
「……気持ち悪い」
「自分のネタにのっただけやん」
「そんな返しいらないのよ」

言いながら哀はもう一度キスをしようと目を閉じて、そしたら平次は哀の片頬を包んで顎を上げさせた。こういう朝もあるのかと他人事のように思いながら合わせるために背伸びをした瞬間、玄関のインターホンが軽やかに鳴る。
至近距離で眼を合わせた2人は同時に玄関の方を向いた。
誰? や、知らん。約束とかしとったん? 歩美たちとは今日はしてないわ。仕事関係? やったら先に携帯に連絡入るやろ?
もう一度インターホンが鳴った。
それでも何だか動けない2人のすぐ傍で音楽が唐突に流れた。哀の携帯だ。
「この音、博士だわ……」
着メロとか個別に設定してはいないが、内蔵された音の中でいくつか設定は変えていた。博士は一番わかりやく着音一番で固定だ。
「そーいや、昨日の卒業パーティ断ったんやったな……」
「……着替えなきゃ」
「10秒で」
そう急かすよう頭をぽんと軽く叩かれた。
着替えのため部屋に戻ろうと背中を向けたとき、平次は言ったのだ。

「結婚の挨拶はやっぱスーツじゃないとあかんやんな?」




別に何でもいいんじゃない? 今更。
と、哀は答えた。








著者様あとがき



アンソロ参加者の皆様へ
本当にありがとうございました。皆様のおかげでマイナーまっしぐらのカップリングで合同誌という大きな一冊の本を作ることができました。
夢が叶った……本当に嬉しい限りです。



覚蓮常より



平志・平哀アンソロジーに参加させて頂いた記念品という事で「森の中の海」管理人、沙柏様から頂きました。
飄々としているようで強引な平次と強がりな哀ちゃんのこれからが楽しみです。きっと幸せに暮らすんでしょうね。