茜空



 太陽の強い光に空が赤く染まり始めている。迫る夕暮れに家路を急いでいた哀はフワリと視線を遮る黄金色に足を止めた。その正体に柔らかな表情になるとハラハラと落ちて来たそれを両手で受け止める。気が付けば銀杏並木は先日までの錦秋の衣装を脱ぎ去ろうとしていた。
 季節の移り変わりを告げる黄金色の葉の中から一番形が整った一枚を選ぶと哀は大切に手帳へ挟み込んだ。
 阿笠博士とその幼馴染が40年ぶりに再会したのはここ、帝丹小学校裏にある銀杏色のトンネルだった。気が付けばあれから一年と少しが経とうとしている。この一年、メールが中心ではあったが阿笠とフサエは順調に交際を重ねていた。哀にとっては海を隔てた距離、かつ阿笠の性格もあってその進展はじれったくなるようなスピードではあったが、離れていた40年間を赤い糸に縒り合せていくためには必要な時間なのかもしれない。
 銀杏並木を歩きながら哀はあの時、自分と共に二人の再会を見守っていた眼鏡の少年を思い出した。あの少年はもういない。何十年経とうと阿笠とフサエのように自分とあの少年が再会する事も決してない。
 (もし彼が解毒剤を飲んでいなかったら……)
 埒もない想像に哀は「バカね、そんな事あるはずがないわ」と自嘲めいた笑みを浮かべると、つまらない感傷を振り払うように再び歩き出した。


 路地へ曲がった所で数人の高校生とすれ違った。明るい紺色のブレザーは帝丹高校の制服である。無意識に『彼』の姿を求め、視線を向けたものの見知らぬ顔ばかりだった。
 (事件事件で飛び回っている彼がこんな所にいるはずないわよね……)
 先日ポアロで出会った毛利蘭が「新一のヤツ、自分が受験生だって自覚全然ないんだから……!」と園子に零していた事を思い出す。曲がりなりにも進展している阿笠とフサエに対し、彼らはあまり進展がない様子だった。気にならない事もないが、自分の関知する所でもあるまいとこの話題からは意図的に距離を置くようにしている。
 気を取り直すように足を速めようとしたその時、夕焼けが銀杏の絨毯で敷き詰められた道を鮮やかに照らし出した。
 「綺麗……」
 『太陽の断末魔』などと嘯いてみた事もあった光景を暖かさの具現のように思えるようになったのはいつ頃の事だっただろうか。組織が壊滅して一年。裏切り者と執拗に追われ、次々と起こる不安な出来事に向き合い、夜も眠れなかった頃が嘘のように穏やかな日々だった。そんな環境の中、次第に変わって行く自分を阿笠や周囲の人達が暖かく見守ってくれていたのだと哀は改めて感じていた。


 銀杏並木の出口で赤とクリーム色が作り出すコントラストをぼんやり眺めていると「何やってんだよ?」という声が聞こえた。振り向くと新一が「やっぱここだったな」と満足そうな笑みを浮かべている。
 「へえ、あなたでも事件に無縁な日があるのね」
 「家の前で博士に呼び止められたんだ。『新一、哀君が帰って来ないんじゃ!』ってオロオロした顔で……放っておく訳にも行かねーだろーが」
 ゆっくりとこちらへ歩いて来る新一の表情は逆光でよく見えなかったが、呆れているような声音から阿笠が余程心配していた事が察せられる。メールでも入れておけば良かったと反省したその時、強い力で手を掴まれた。
 「16時48分、被疑者確保っと」 
 「誰が被疑者よ」
 繋がれた手を振りほどこうとしたが、元の身体に戻った新一が相手ではビクともせず、「ほら、帰るぞ」という声と共に手を引っ張られた。
 「それにしても良く分かったわね。ここ、通学路とは離れてるのに」
 「ちょうど一年前のこの時期だっただろ?博士とフサエさんが再会したのは……だから何となく、な」
 フサエが阿笠を待っていた木を懐かし気に見やる新一に哀は「フーン……」とからかうような視線を投げた。 
 「ちゃんとどの木だったか覚えてるのね」
 「バーロー、オレを誰だと思ってるんだよ」
 「ここからオメーも見てただろ?」と新一が指差した場所はまさに江戸川コナンと灰原哀が並んで立っていた辺りで。
 「名探偵も案外ロマンティストなのね」
 哀の憎まれ口に新一は「勝手に言ってろ」と面白くなさそうに頬を膨らませた。
 「ところで……来週の事、先生には言ったのか?」
 「当然でしょ。小林先生には『保護者の結婚式でアメリカへ行くから十日間休みます』って伝えてあるわ。それよりあなたこそ大丈夫なの?当日『事件だ!』ってすっ飛んで行く事はないでしょうね?」
 「それは……」
 「まああなたがいなくても私と博士は予定通り行動するだけの話だけど?」
 「オメーな……」
 苦々しげに呟く新一の姿に哀が堪らず吹き出す。
 「明日もいい天気になりそうね」
 繋がれた手を太陽が赤く照らし出し、銀杏並木に長い影を落としていた。



あとがき



原作終了後の何気ない日常を書きたかったんです。
原作では哀ちゃんとは別の所で新編が色々と騒がしくなっていますが、全てが終わった後は穏やかな日々を楽しんで欲しいと思っています。博士やフサエさん達に見守られながら少しずつ幸せになってくれたらそれだけで満足、そんな私の願望を形にしました。