Best Friend


 「あ〜、お腹減った!」
 4時限目が終了し、担当教師が姿を消すや否や大きな伸びをする歩美に後ろの席から「歩美〜、あんた寝てたでしょ?」とクラスメイト、坂木郁のからかうような声が聞こえた。
 「アハッ、バレたかv」
 「ザビエルのヤツ、歩美の事睨んでたよ?」
 「勝手に睨ませておけば?眠たくなるような授業しかできないヤツが悪いんだよ」
 悪びれもなく言う歩美に郁が苦笑いを浮かべると「はい、これ」とノートを差し出して来る。
 「どうせノートも取ってなかったんでしょ?ザビエルが『今日の所は今度のテストに出すからな』って言ってたよ」
 「郁ちゃんありがと!恩に着る!」
 「お礼は駅前のクレープ屋さんのチョコモンブランでヨロシク♪」
 ウインクとともに教室を出て行く郁に「ハハ……」と乾いた笑いを浮かべると歩美は机にぶら下げてあったトートバッグを手に隣のクラスへ向かった。
 扉から中を伺うと親友の灰原哀は窓際の席でぼんやりと外を眺めている。成績優秀、容姿端麗な彼女は『帝丹高校のクールビューティー』と呼ばれ、生徒だけでなく教師からも一目置かれる存在だった。
 「哀!」
 弁当が入ったトートバッグを軽く上げると哀が頷いて席を立つ。
 「今日は暖かいから中庭で食べない?」 
 「そうね」
 自分の方へ歩いて来る哀の肩越しに不機嫌そうな視線を送る眼鏡の青年の姿が見えた。青年の名は江戸川コナン、哀と同じく歩美の幼馴染だが、目が合った瞬間何故かプイッと顔を背けられてしまう。
 (あれ?私、コナン君を怒らせるような事何か言ったっけ……?)
 ここ数日、登下校は別々で特に思い当たる節はないのだが……
 首を傾げ、思わずその場に立ち尽くす歩美だったが、「歩美?」という親友の声に慌ててその背中を追い掛けた。


 落ち着いた印象で日本人離れした美貌の哀と対照的に明るく快活で『可愛い』という形容詞がぴったりな顔立ちの歩美。いつの頃からか彼女達は帝丹のクイーンとプリンセスの再来と称され、男子生徒の人気を二分する存在として帝丹高校では知らぬ者はいない有名人となっていた。それが原因で周囲の女子生徒から反感を買ったりあらぬ噂を立てられた事もあったが、男子がいくら騒ごうが全く無関心な哀と誰に対しても真っ直ぐに接する歩美の性格が幸いしたのだろう、二年生に進級する頃にはそういった面倒に煩わされる事もなくなっていた。
 少し先を歩く哀に続き落ち葉が風に舞う中庭へと足を踏み出すと思っていた以上に気温は温かかった。が、心地良さに立ち止まり、どこで食べようかとキョロキョロ周囲を見回す自分に気付く様子もなく哀はどんどん庭の奥の方へと進んで行ってしまう。
 (哀ってば……やっぱりコナン君と喧嘩したんだ)
 哀がこんな風に前を見据えて足早に歩くのは機嫌が悪い証拠である。元太や光彦にとって哀はいつもクールで感情を表に出さない存在らしいが、歩美に言わせれば彼女の感情の起伏は結構分かりやすい。
 (男子ってホント、鈍感だからなあ〜)
 苦笑いを零しながらもそんな親友の些細な変化に気付くのはごく限られた人間だけで、歩美はその事実に軽い優越感を抱いてもいた。
 (でも……たまには哀も自分から愚痴ってくれてもいいのになぁ……)
 哀の辛い過去とAPTXの秘密を打ち明けられた時から誰かに頼る事を良しとしない彼女の性格を理解しているつもりではあったが、一方で一抹の寂しさも感じていた。
 「どうしたの?難しい顔して……」
 いつの間にか哀が歩美の傍までやって来ると心配そうに顔を覗き込んでいる。
 「う、ううん、何でもない」
 歩美は慌てて首を横に振ると「あそこでお昼にしない?午前中に体育があったせいかなあ?私、もうお腹ペコペコ」と舌を出した。


 「――それでね、元太君が『昼飯にしよーぜ!』って言うから時計を見たんだけどまだ11時だったんだよ。本当、食いしん坊なんだから!」
 「小嶋君らしいじゃない」
 「そうだけど……あ、その玉子焼き美味しそう!一個ちょうだいv」
 「いいけど……歩美、あなた人の事言えないわよ?」
 「『全部寄越せ』が決まり文句の元太君と一緒にしないでよ」
 食事をしながら他愛もない会話に花を咲かせる二人だったが、歩美が弁当箱を片付けるとタイミングを計ったように哀が小さな袋を取り出した。中にはチェック柄の小ぶりなクッキーが入っている。
 「わぁ、美味しそう!」
 一つ摘んで口に入れるとさっくりと軽い食感ながらココアとバターの風味がしっとりと口の中に広がった。
 「やっぱ哀が作るスイーツって最高♪」
 「ありがと」
 「さて、お腹も一杯になった事だし……そろそろ聞かせてもらおうかな?」
 「え…?」
 「哀、昨日はコナン君とデートの約束してたはずだよね?アイスボックスクッキーなんて焼ける時間はなかったはずだけど?」
 「あら、ホームズも顔負けの推理ね。でも……お生憎様。確かに昨日は彼と出掛ける予定だったけど、例のごとく事件が起きてキャンセルになっただけの話よ」 
 「へえ……じゃあ朝から機嫌が悪いのはどうして?コナン君が事件に飛び出して行くのはいつもの事だし、哀だってキャンセルくらい普段は何とも思わないじゃない」
 チチチと可愛らしく指を振る歩美に哀が観念したように肩をすくめる。
 「全く……歩美に隠し事はできないわね」

 
 馴染みの警部から応援要請を受けたコナンが工藤邸を飛び出して行ったのは、遅めの昼食を済ませ映画館へ出掛けようとしていた矢先の事だった。珍しく二人揃って興味を抱いた映画で、前売り券を購入してから観に行ける日をずっと楽しみにしていただけに一人残された哀は出掛ける気にもなれなかった。数日前から阿笠が留守だった事もあり、ここのところ工藤邸で過ごしていた哀は気晴らしにクッキーを焼こうと思い立った。菓子作りは嫌いではないが、普段ダイエットを義務付けている養父の手前、阿笠邸のキッチンで作る事は極力避けていた。
 バターに砂糖、卵、薄力粉と順に混ぜて行くと生地をラップに包み冷蔵庫に入れて寝かせる。待っている間、リビングのソファに腰を下ろし雑誌を捲っていると家を出て行った際のコナンとの会話を思い出した。
 「悪ぃな、映画行けなくなっちまって」
 「気にしないで。歩美も興味あるって言ってたし明日にでも誘ってみるから」
 「そう言うなよ。来週にでも一緒に行こーぜ?」
 「……期待しないでおくわ」
 肩をすくめて送り出す哀にコナンは拗ねたような視線を向けると迎えに来たパトカーに乗り込んで行った。


 ふと時計を見ると時刻は間もなく午後六時になろうとしていた。念のため携帯をチェックしてみるもコナンからは何の連絡もない。 哀は夕食の支度を始めようとソファから立ち上がりキッチンへ向かった。メニューはコナンが何時に帰って来てもいいように作り置きのできるグラタンに決めた。
 夕食の支度が一段落したところで昼間作っておいたアイスボックスクッキーの生地を確認すると程よい固さになっている。哀は冷蔵庫から生地を取り出すと器用に白黒の格子模様を組み上げていった。完成したクッキー生地を再び冷蔵庫に入れようとしたその時、携帯が小さく震えメールの着信を告げる。予想通り差出人はコナンだった。
 『悪ぃ、まだ掛かりそうだ。晩飯はいらない』
 捜査が長引いているのだろうか、簡潔な用件だけのメールに哀は小さく溜息をつくとコナンの分のグラタンを弁当用に小分けにし、冷凍庫に入れると一人で夕食を済ませた。
 冷蔵庫を覗くときっかり一時間寝かせたクッキー生地がカッチリと固まっていた。取り出してスライスしながら手際よく天板に並べオーブンで焼いていく。一人持て余した隙間を埋めるように甘い香りが工藤邸の中に広がった頃、「灰原、帰ったぞ」と玄関から疲れた様子の声が聞こえて来た。時計を見るといつの間にか午後十時を回っている。
 「お帰りなさい」
 「悪かったな、今日は」
 「いつもの事だし……慣れてるわ」
 自分の言葉にコナンが一瞬眉根を寄せたような気がしたが、哀はそれを無視すると「ご飯は食べて来たんでしょ?」と彼の方に振り返った。
 「ああ、オメーは?」
 「さっき済ませたところ」
 「そっか……ん?何だ、この匂い……ああ、クッキー焼いてたのか、珍しいな」
 「前から歩美に一度作ってあげる約束してたから……」
 歩美の名前が出たその時、突然コナンが面白くなさそうにテーブルの上に広げてあったまだ温かいクッキーを手に取ると口に放り込んだ。
 「ちょっ……工藤君、何するのよ!?それは歩美の……!」
 「うっせーな、歩美、歩美ってよ!だったら映画も最初から歩美と行けば良かったじゃねーか!しかもクッキーは歩美のだからオレには食うなって……オメーはオレの彼女じゃねーのかよ!?」
 「工藤君、あなた……何をそんなに怒ってるの?」
 コナンは哀の冷静な問いかけに一瞬ひるんだ顔をしたが、「べ、別に……怒ってなんかねーよ!」と吐き捨てるように呟くと目の前のクッキーを鷲掴みにして口一杯に頬張り、足早に自室へ向かってしまった。


 「え〜!何!?コナン君ったらその態度……!」
 「彼の部屋へ行っても中から鍵が掛かってるし、ドア越しに何が気に入らないのか尋ねても『怒ってねーって言ってるだろ!?』って部屋から出て来ないし……結局、そのまま博士の家へ帰ったんだけど……本当、訳が分からなくて。それで私もついつい虫の居所が悪くなっちゃってね、八つ当たりしてごめんなさい」
 「ううん、そんな事……哀が怒るのももっともだよ」
 眉根を寄せてうんうんと頷きながらクッキーをかじる歩美に哀がクスッと小さく笑う。
 「ま、しばらく放っておけばそのうちバツが悪そうに『灰原、コーヒー淹れてくれねーか?』とでも言って来るでしょ?」
 大した事ではないと言いたげにさっさと話を切り上げる哀に歩美は「ダメだよ、哀」と詰め寄った。
 「『言いたい事はきちんと口に出して言うんだよ』っていつも言ってるでしょ?コナン君、鈍感だから伝わらないよ?」
 「べ、別に言いたい事なんて……大体怒っているのは彼の方だし……」
 「あのね、哀」
 旗色の悪さを悟って逃げを打とうとする哀の肩に歩美は両手を置いてがっちりと固定した。
 「哀はいつもそうやって曖昧に終わらせようとするけどさ、それじゃ何も解決できてないんだよ?今回怒るべきはコナン君じゃなくて哀だもん。哀がちゃんと怒ってあげないとコナン君だって謝れないよ?」
 「でも今更……」
 「何言ってるの!コナン君が何に拗ねているのか知らないけどやっていい事と悪い事があるんだから!そうやって自分の気持ちを抑え込んでばかりいるとストレス溜まっちゃうよ!」
 「……」
 「ねえ、哀?」
 俯く哀の額に自分の額を合わせ、前髪の下から覗き込むと困ったように小さく頷く。こんな親友の表情を見る度、歩美は哀には亡くなった姉がいる事を思い出した。
 (一人っ子の私には分からないけど……『妹気質』ってこういうものなのかな……?)
 そんな事を考えるといつもは冷静で自分に色々教えてくれる哀が可愛く見えて仕方ない。
 「哀、今言った事、コナン君にちゃんと話すんだよ?」
 そんな言葉とともに哀の身体をクルリと反転させる。そこにはバツの悪そうな顔で立っているコナンの姿があった。
 「コナン君、あんまり哀を困らせるような事しないでよね?」
 「……わーってるよ。ったく、オメーはいつも灰原の味方だからな」
 「当たり前でしょ。フフッ、私と哀があんまり仲良しだから妬いてるんだ?」
 「うっせーな……」
 拗ねたように頬を膨らませるコナンの方へ哀の身体を押し出すと歩美は向日葵のような笑顔を向けた。
 「哀にもそれくらい素直に言ってあげればいいのに……」
 それだけ言うとトートバッグを手に校舎の方へ歩き出す。横を通った時、コナンが小さく「ありがとな」と呟いたのが聞こえた。


 午後からの暖かい日差しと満ちたお腹が程よい眠気を呼び込み、歩美は小さな欠伸をした。
 「積の導関数公式は{f(x)g(x)}' = f'(x)g(x) + f(x)g'……」
 黒板に書かれた複雑な数式が午前中に引き続いて歩美を眠りの世界へと誘惑し始めた時、ポケットの中で携帯が小さく震えた。教科書で巧妙に隠してメールを開くと送信者は哀だった。
 『ありがと』
 一言それだけが書かれた画面に歩美の表情が綻む。
 (本当、似たもの夫婦なんだから……) 
 大切な親友とその恋人の不器用さがじれったくて愛おしい。そしてその事がまた嬉しくて堪らない。
 「コラッ!吉田!!何を笑っている!?」
 教師の鋭い声に歩美は「すいません!」と首をすくめるとシャープペンを持ってノートを取り始めた。



あとがき



 サイト8周年記念リクエストから『哀ちゃんと歩美ちゃんが仲良しすぎて嫉妬する江戸川さん』を書かせて頂きました。実は私にとって初めての高校生コ哀です。
 高校生になった哀ちゃんと歩美ちゃんのガールズトークが書いてみたかったのですが、一緒に成長していく中で対等な、本当の意味での親友となった二人が仲良くしている様子を書けて満足しています。リクエストありがとうございました。