クリーム色の安息



「……何してるの?」
 キッチンのカウンターテーブルに並べられた数種類の果物と牛乳。その向こうに南国柄のエプロンが妙に似合う色黒の男がニコニコして立っている。帰宅して真っ先に目に入ったその光景に志保はこめかみを押さえながらそう問いかけていた。
 
 APTX4869の解毒剤を完成させ元の体を取り戻して数ヶ月。今まで組織によって秘匿されていた才能と実績を公に知られることとなった志保はある研究所で働き始め、多忙な日々を過ごしていた。そんな志保のところへ服部平次が大阪から何かと理由をつけてやって来てはあれこれと手料理を振舞うようになったのは最近のことだ。とはいえ、それは志保にしてみたら理由になっていないことがほとんどで、志保はこの状況に少なからず困惑していた。
 
 「今日はミックスジュースを作ってんねん」
 嬉々としてリンゴを剥きながら平次が答える。
 「どうして大阪に居るはずのあなたがここでそんなものを作っているのかって聞いてるのよ」
 志保は辛抱強く今度はゆっくりと尋ねる。
 「東京にはミックスジュースが無いって聞いてな。そしたら飲ましたらなアカンやん」
 「そこで『アカン』っていう発想が出るのが良く分からないんだけど……」
 「ミックスジュースを知らんっていうことは人生確実に損してるんやで。それを見過ごすことはオレの正義の心が許さん」
 噛み合っていない会話と志保の冷たい視線を全く気にすることの無い平次の返答に諦めのこもった息を吐くと、志保はキッチンの椅子に腰を下ろした。
 「で、ミックスジュースって何?」
 「やっぱりこっちの人はミックスジュースを知らんねんなあ。ミックスジュースっていうのはな…」
 何故か得意げに始めた平次の説明によると、ミックスジュースとは大阪では一般的な飲み物で、モモ・リンゴ・バナナ等といった数種類の果物を牛乳と一緒にミキサーにかけて作るジュースということだった。
 「今は缶入りのもあるけど、やっぱり生の方が美味しいからな」
 言いながら平次がほのかに甘い香りのする白く泡立ったジュースを小さなグラスに入れて志保の前に置く。促されるままにストローで一口飲むと、口の中にどこと無く酸味の残るあっさりとした甘みが広がり、帰ってきたばかりの志保の喉を優しく潤してくれた。
 「へえ、いけるじゃない」
 思わずそう感想を述べると、平次はニッと笑って、次は先ほどよりも少し黄色がかったジュースを差し出した。問いかけるような視線を向ける志保に自信ありげにジュースの入ったコップを少しだけ押し出す。志保が一口飲むと今度のものは先ほどよりも甘さは濃いが後味はあっさりとして美味しかった。
 「これもミックスジュースなの?」
 「そうやで。で、最後はこれや」
 そう言って平次が出してきたのは見るからに先ほどまでよりも濃厚そうなクリーム色のジュースだった。今までよりも硬くなった口当たりと共に甘みが口いっぱいに広がる。少し疲れた体に濃い甘みが心地よかった。
 「美味しかったわ。ご馳走さま」
 にっこりと笑ってそういう志保に平次も満足そうな顔で答える。
 「面白いわね。それぞれ組成を変えていろんな味を作っているのね?」
 「せやねん。一杯目はオレンジを多めに入れて牛乳を少なくしてん。で、二杯目はオレンジを減らしてモモを増やした。最後のは牛乳とバナナを多めにしたんや。店で飲むのは二杯目と三杯目の間くらいの味が多いかな」
 「お店によって味が違うの?」
 「客の好みによって変えてくれるところもあるで。季節によって中身を変える店もあるしな」
 「ふーん」
 「姉ちゃんはこういうバリエーションの幅のあるん、好きやろ?」
 「そうね。嫌いじゃないわ」
 「だから言うたやろ?知らんと損やでって」
 素直に感心している志保に嬉しそうにそう言ってウインクする平次を見て、志保はハッとしたように顔を赤らめ、視線を外した。

 「別に私は人生で得しようなんて考えてないわよ」
 しばらく視線を彷徨わせていた志保がボソッと呟いた言葉に、
 「目の前で損してるの見てたらオレが精神衛生上良くないねん」 
 と平次は笑う。
 「それに毎日忙しく頑張ってんねんから、たまには美味いもん食うてもらいたいやん」
 「別にそんなに頑張ってるわけじゃないわよ」
 「解毒剤作ってた時よりはマシかもしれんけど、じいさんが心配するぐらいには休んでないみたいやな」
 「そんなことあなたには関係ないじゃない。私のことは構わないでちょうだい」
 平次の言葉にムッとしたような口調で返しながら志保は平次の顔を睨んだ。
 「そやけど、こんだけ喜んでもらったオレも作り甲斐があるしなあ。姉ちゃんに美味いもん食わすんはオレの趣味やから」
 不機嫌になった志保の様子を気にせず、のんびりそう答える平次の笑顔を見て志保はなんとも言えない脱力感に襲われた。しかし、そんな志保にお構いなくさらに平次は続ける。
 「オレは姉ちゃんの喜んでる顔を見に大阪から来てるんやし、できたら付き合うてくれたら嬉しいんやけどな」
 ニコニコと勝手極まりない発言をする平次に志保は
 (それじゃ私が餌付けされてるみたいじゃない)
 と内心呟くと、平次に強がることすらばかばかしくなってきた。
 大きく溜息を吐き、
 「服部くん、おかわり。今度は喫茶店の味でお願い」
 と、グラスを差し出す志保に平次は嬉しそうに笑うと、鼻歌を歌いながらミキサーを回し始めた。



あとがき



当サイトでは初めての平志ですが、雰囲気としては平+志です。
志保(哀)の相手を考えたときに彼女を癒せるのは新一でも快斗でもなく平次じゃないかな、と思います。いろいろと強がったり無理をする志保がふっと肩の力を抜ける相手が平次じゃないかなと。私の書く志保にとっての平次は支えるわけでも優しくしてくれるわけでもなくただ癒してくれる、そんな存在です。とはいえ、それが恋愛感情になるのかと言われると少々疑問を感じますが。そういう意味では最も前途多難なカップルかもしれません。
最後に平次の鼻歌は名曲「ぼくのミックスジュース」です(笑)。