Girls Just Want To Have Fun


 組織が壊滅し、手に入れたデータを元に作り上げた解毒剤で新一が元の身体を取り戻して三ヶ月。諸々の検査を経てようやくその効果に自信が持てるようになり、哀は帰国していた工藤夫妻も同席する隣家を訪れた。
 「……以上の結果から工藤君はもう大丈夫だと思われます」
 「御苦労様だったね、哀君」
 「良かったわね!新ちゃん」
 「オメーが作った解毒剤だから信用してたけど……きちんと言ってもらえると安心するもんだな。サンキュ、灰原」
 「あなたにお礼を言われる筋合じゃないわ。APTXを作ったのはこの私。その責任を果たしただけだから」
 「バーロ、んな事もういいって言っただろ?」
 新一の言葉を無視するように哀は「ただしこれから先何か異常を感じたらすぐに言って頂戴ね」と言うと検査データを彼に差し出した。
 「あとしばらくの間、月に一度は検査を続けたいの。面倒かもしれないけれど付き合ってもらうわよ」
 「ああ」
 「それから……」
 「『くれぐれも無理はするな』……だろ?心配すんなって。んじゃオレ、出かけっからさ」
 そう言って立ち上がる新一に有希子がヒラヒラと手を振ってみせる。
 「あ、新ちゃん、私達もこの後出掛ける予定だからヨロシクねv」
 「……?あ、ああ」
 さっさと出て行く新一を黙って見送ると哀も腰を浮かせた。
 「それじゃあ私もこれで失礼しま……」
 「さて、と。それじゃ哀ちゃん、早速行きましょうか?」
 「え…?」
 「今日は一日私達夫婦に付き合ってねv」
 驚いて顔を上げる哀の目に有希子の悪戯っ子のような笑顔が映った。


 有無を言わせず乗せられたアストンマーティンヴィラージュが到着したのは哀も何度か来た事がある都心の大型書店だった。多方面の専門書を取り扱っている事で定評があるこの書店について「内外の有望な若手ミステリー作家の作品をいち早く発掘して来る事でミステリーファンの間では知る人ぞ知る店なんだぜ?」と嬉しそうに話す眼鏡の少年を思い出し、血は争えないものだと心の中で苦笑する。
 優作に促され、店に入ると大きな違和感に歩を止めた。店内に人が一人もいないのである。客だけでなく普段であれば必ず店員がいる入口近くのレジカウンターすら無人だった。驚く自分を尻目にどんどん奥へ進んで行く工藤夫婦を慌てて追いかけながら周囲を見渡すものの、やはり誰の気配も感じられない。
 「フフ、驚いたでしょ?今日はこのお店、臨時休業って事になっているの」
 「インターネットで通販できるといっても実際にページを捲らないと必要性を判断できない本も多いだろう?君のその姿では専門書は探しにくいだろうと思ってね。今日はこの店の中は私達だけだから気にせず好きなだけ選ぶといい」
 「……もしかして私のために書店ごと借切ったんですか?」
 「ゆっくり本を選ぶには一番良い方法なんだ。私もよくやるんだよ」
 「それに借切ったという表現はちょっと違うわね。だってここのオーナーは優作なんだからv」
 「新一には内緒だよ」と笑う優作にこの事実を知った時の彼の口惜しげな顔を思い描き、哀は小さく噴き出した。 
 実際、優作が指摘する通り解毒剤の研究中も子供の姿では書店で専門書を立ち読みする訳にもいかず、困った事も一再ではなかった。最新の研究結果なら学会誌やインターネットで手に入るが、古い研究資料の入手のために本を買う際、中身が確認できなかったせいで無駄な買い物をした事も多々あった。大学図書館でも利用できれば随分違うのに……と、隣に住む怪しげな自称大学院生に資料の入手を頼もうと思った事すらあった程である。
 そんな事を思い返しながらページを捲っていた哀だったが、いつしか活字の海に没頭していた。ふと気が付いて時計を確認すると2時間以上経っている。自分の頭より高く積み上げた本の間から優作と有希子を探すとそれぞれミステリーとロマンス小説を読んでいた。
 「すみません、お待たせしてしまって……」
 「哀君はもういいのかい?」
 「はい、充分です。ありがとうございました」
 「あら、もういいの?優作なんて半日くらい当たり前なのよ?」
 立ち上がって二人の方へ一歩進んだ瞬間だった。優作がジト目で睨む有希子を軽く受け流すと彼女が握っていたメモをスルリと抜き取り、出口へ向かって歩き始めた。 
 「……!?」
 「これが欲しい本のリストだね?博士の家へ送るよう手配しておくよ」
 「そ、それはあくまで私の控えで……」
 「全部購入したところで大した金額じゃないさ。君のおかげで今日は私も有希子に文句を言われずゆっくり本を選べたからね。そのお礼だよ」
 「そうそう、気にしないで。どうせこの人は哀ちゃんの何倍も買い込むつもりなんだし。さて、と。お腹もすいたしご飯にしましょv」
 それだけ言うと有希子は哀の返答も聞かずに彼女の手を取り、さっさと歩き出した。


 有希子に連れられて来たのは港を見下ろすカフェダイニングだった。窓の向こうには穏やかな波が午後の日を受け煌めいている。昼食の時間が過ぎているせいか店内は落ち着いた雰囲気だった。有紀子お薦めのパスタを堪能した後、しばらく他愛ない会話を楽しんでいたが、不意に優作が真剣な面持ちで哀に尋ねた。
 「君は本当に解毒剤を飲まないつもりかい?」
 「はい。私には待っている人もいませんし……」
 「そうか……だったらここへ連絡してみなさい」
 そう言って優作が差し出したのは日本でも有数の研究者達のアドレスだった。
 「君がどこの研究室でも自由に使えるよう話がしてある」
 驚いて凝視する哀に優作が静かな声で続ける。
 「君の研究は博士の家の設備では限界があるだろうし……かといって日本には飛び級制度が無いからね。大学に入るまで利用させてもらうといい」
 「あの……どうして私にここまでして下さるんですか……?」
 「博士から君が研究を止めると聞いたからだよ」
 キッパリとそう言い切った優作を見つめる哀の表情が訝しげに変わる。
 「先程お伝えしたように解毒剤は成功しました。勿論、検査は続けますが完成品と思って頂いて結構です。私の研究を気にして頂く必要は……」
 「そうじゃないの。私達は哀ちゃんにこれからも研究を続けて欲しいと思っているのよ」
 有希子の言葉にますます哀は困惑してしまう。その様子に優作が続けた。
 「『毒なんか作ってるつもりじゃなかった』……そう君は新一に言ったそうだね。APTXを未完成のままにして君は化学者として後悔はないのかい?」
 「それは……」
 確かに哀にとってそれは大きな心残りだった。『灰原哀』として生きるという事は『宮野志保』の全てを捨てる事であり、それは両親から引き継いだ唯一の遺産ともいえるAPTX開発を断念する事でもあった。化学者としてAPTXのもつ膨大な可能性に対する未練もある。しかし、それを捨てる事こそ組織の一員だった自分の罰だと思う事で納得しようとしていたのだ。
 「『灰原哀』としてやり直すという君の選択はそれはそれでいいと思う。ただ私達は君の『宮野志保』としての人生も諦めてほしくないんだよ。私は作家だから書く事が全てだ。姿や名前が変わってもきっとそれは変わらない。化学者である君とってそれは研究だろう。『宮野志保』であっても『灰原哀』であっても君という存在は何も変わらないさ。そのための手助けを私達はしたいんだよ」 
 哀は優作と有希子の柔らかな視線を受け止めきれず、思わず視線を逸らせた。今までの自分は何かを得るためには何かを捨てて来た。捨てるか守るかの二者択一。それが当然だと思っていた彼女にとって初めて示された第三の道はあまりにも眩し過ぎた。
 「『待っている人はいない』……そう言ったね。確かに『宮野志保』を待っている人はいないかもしれない。だが君を見守っている人は沢山いるんだよ。それは『宮野志保としてのパーソナリティを持った灰原哀』を皆が愛しているからさ。だからこそ君には誰に遠慮する事なく自由に君らしく生きて欲しいんだ」
 「そんな事……私には許されません。私のせいで工藤君だって……」
 「新ちゃん、哀ちゃんが研究を止めるって聞いて随分心配してたのよ。わざわざ『灰原に余計な事言うんじゃねーぞ』なんて釘まで刺しに来たんだから」
 「工藤君がそんな事……」
 「どうやらアイツは君のナイトのつもりらし……と、これ以上は本人に言わせてやらないと可哀想だな」
 「哀ちゃん、これからは自分がやりたい事をやりなさい。最初から諦める必要なんてないの。女の子はね、欲張りなくらいでちょうどいいんだから」
 有希子の明るい笑顔に哀は小さく頷くのがやっとだった。
 「うんうんv」
 「さて、それじゃそろそろ行くとするか」
 「新ちゃん、今頃ヤキモキして待ってるんじゃない?」
 「ああ、あんまり遅くなるとここまで乗り込んで来るかもしれないな」
 「え?工藤君は出掛けたはずじゃ……」
 「まあその予定だったとは思うが……」
 「突然、私達が出掛けるなんて言ったから心配でついて来てると思うわよ。今頃博士のワーゲンの中からこちらの様子を伺ってイライラしてるんじゃない?」
 面白そうに呟く有希子の視線の先に黄色いワーゲンを発見し、思わず「あ……」と声が出てしまう。
 「フフ、やっぱりね〜」
 「この店の張り込み地点はあそこしかないからね。上手く誘い込まれているのに気が付かないとは……アイツもまだまだだな」
 こちらの視線に気付いたのか、観念したように新一と博士が車から降りて来る。不貞腐れたような新一とは対照的に苦笑いを浮かべながら手を振る阿笠に哀も小さく手を振り返した。新一と博士、優作そして有希子、こんなにも優しい人達に囲まれ、自分はもう少し貪欲になっていいのかもしれない……ふとそんな気がして哀は優作に貰ったメモを大切にバッグにしまった。
 「ね、せっかくだからこのままみんなでどこかへ行きましょうかv」
 楽しげに店を出る工藤夫妻を哀は慌てて追いかけた。



 あとがき



 サイト8周年記念フリリクテキストです。お題は「優有で灰原猫可愛がり」でしたが、書いてみると優有というか工藤夫婦でひたすら哀ちゃんを可愛がっている話になりました。新一が少し情けなくなってしまいましたが、この両親相手では未熟者扱いは仕方ないですね。哀ちゃんのためにも優作さんと有希子さんにはもっと息子をいい男に鍛えて頂きたいものです。
 タイトルはシンディー・ローパーの代表曲から。なんとなく有希子さんのテーマソングなイメージです。
 リクエストありがとうございました。