おめでとう



「おめでとう博士、フサエさん!」
「おめでとう」

 所狭しと料理の皿が並んだ阿笠邸のテーブルの前では、新一と哀の言葉に博士は照れ隠しに自慢の口ひげをさわりながら、フサエは顔を赤くして少しうつむき加減で、うれしそうに笑っていた。


 博士とフサエが公孫樹のシャワーの下で四十年ぶりの再会を果した数週間後、インターネットを駆使した哀の橋渡しで二人は無事に連絡先を交換することができた。その後、遠距離恋愛を経て、今日めでたく二人は結婚することになったのである。
親しい人達が参列した式の後、当初は有紀子達がパーティーを計画していたのだが、博士のたっての希望でそれは翌日ということになり、その夜は博士とフサエ、そして哀と新一だけの祝宴となったのだ。

「ほんとに良かったな。オレはガキの頃から博士はもしかしたら一生独身じゃねえかと心配してたんだぜ?それがこんな綺麗な人と結婚するんだもんな」
新一が笑いながら博士をからかう、「博士にはもったいねーな」などと。博士も「大きなお世話じゃ!」と真っ赤になりながら笑っていたが、ふと意地悪そうな顔をすると
「さては新一、わしが結婚するから哀君と暮らせると楽しみしていたものじゃから拗ねておるんじゃろ?」
「なっ、そんなんじゃねーよ。オレはそんなこと思ってなかったとは言わねーけどっ。そうじゃなくて…」
博士の思わぬ反撃に反対に新一が真っ赤になっている。

博士から結婚の話を聞かされた時、哀は阿笠邸を出て行こうとした。しかし、博士がこのまま阿笠邸に留まるように説得し、最初自分の家に住めば良いと言っていた新一も哀が本当は博士の家を出たくないと思っていることを知ると、(同棲は泣く泣く諦めて)博士とともに哀を説得したのだった。


「フサエさん、あの……これからよろしくお願いします」
 博士と新一のやりとりを笑いながら見ていたフサエに哀が言う。
「こちらこそよろしくね。阿笠君の健康のために一緒に頑張りましょう」
「おいおい、二人にそんなことをされたらワシは痩せ細ってしまうわい。今までだって結構きついんじゃから……」
「博士はそれぐらいしてもらった方がいいって。灰原に隠れてポワロでケーキセット食べたりしてんだから」
「やっぱり博士、私が学校へ行ってる間にそういうことしてたのね。計画通りに体重が落ちないはずだわ」
「しっ、新一!内緒にしてやると言ったじゃないか!!」

そんな和やかな食事を続けながらも哀は時折フサエに何かを言おうと躊躇していたが、そんな哀の様子にフサエは勿論、新一も博士も気付いていなかった。

「あの……」
「なあに?哀ちゃん」
「その……フサエさんは嫌いなものとかないんですか?」
「ええ、特にはないわ。外国暮らしが長かったからたいていのものは食べれるわよ」

やっぱり言えない……

しかし、何度目かの逡巡の後。
「フサエさん、私は博士の好意でここに居させてもらっています。結婚するなら本当はどこか別の場所に住んだ方がいいって言ったんですけど、博士が『ここにいなさい』って言ってくれて……それについ甘えてしまって……中身はともかく身体は子供なんだからって……だから一緒に暮らしてても私のことは気にしないでください」
言った。最後は消え入るような声で……

(きっとこんなことを言ったら博士は怒るんだろうな。でも博士の奥さんになる人なんだから……博士の家族になる人には私のこと、きちんと言っておかないと……)

今まで得たことのない生活を博士のおかげで送ることができた。
ずっと博士の笑顔に守られてきた気がする。
あの日、二度と得ることができないと思った温もりを博士は与えてくれた。

そして今度もまた博士の優しさから離れたくなくてつい甘えてしまった。

でも博士を幸せにしてくれる人の邪魔にはなりたくなかった。
博士の幸せの重荷にはなりたくなかった。


「……灰原、今日は何の日だ?」
 暫く続いた静寂を破ったのは新一だった。
「今日は博士とフサエさんの結婚式でしょう?」
不思議そうに答える哀に新一が真剣な表情で続ける。
「そうじゃなくて。ちょうど一年前の今日だ」

一年前……そう言われて哀は記憶を辿った。

一年前の今日は確か……雨が一日中降っていた。
その雨の中、私は走って…逃げて……
工藤君の家の前で倒れて……
そして……
 
「私が博士に拾われた日……」
「そうだ。お前が博士と初めて会って家族になった日だよ」
新一の言いたいことがよく分からず、不思議そうに新一を見返す。新一が哀の勘の悪さに苛立ちを覚え、口を開こうとした時、フサエが静かに言った。
「だからね、哀ちゃん。私達は今日、結婚したのよ」
フサエの言葉に哀は戸惑ったように博士を見た。
「フサエさんが哀君と暮らしたいと言ってくれたんじゃ。ワシと哀君と暮らすために結婚したいと。じゃから哀君のおかげで結婚できたようなもんなんじゃよ」
博士はいつもの優しい笑顔で言った。
「今日はワシと哀君が家族になった記念日じゃ。哀君はワシにとってもう娘同然じゃとフサエさんに言ったら家族が増える記念日は同じ日がいいという話になってのう」
「哀ちゃん、私達は家族になるのよ。阿笠君とその娘の哀ちゃんとその奥さんの私で三人家族。新一君も阿笠君には息子みたいなものだから3.5人家族かしら?」


哀は大きく目を見開いたまま動くこともできず二人を見つめた。
その唇からようやく出た声は震えていた。
「娘って…博士……」
「あ、哀君っ、ワシの娘というのはそんなに泣くほど嫌じゃろうか?」
そんな哀の様子に博士がおろおろしながらその小さな肩を抱く。
「……違う…の……嫌じゃなくて…嬉しいの……私のこと娘って…家族って……」

その後は言葉にならなかった。涙が止まらない。そんな哀の頭を博士は何度も優しく撫でた。
「つい一年前までワシは一人じゃったのに今は三人もいるんじゃ。ワシは幸せ者じゃよ。これからもよろしくの、哀君」
何か言わなければいけないのに何も言えない。ただ何度も頷くのが精一杯だった。


「じゃ、改めて乾杯しますか」
新一がみんなのグラスに新しいワインを注ぎ、「新しい家族に」とグラスを掲げた。
そしてみんなで乾杯した。
「おめでとう博士、フサエさん」
「灰原、おめでとう。よかったな」
「……ありがとう」
哀が泣き笑いの表情で言った。


今日は記念日だ。
 
博士とフサエさんの結婚記念日で。
灰原と博士が親子になった日で。
灰原とフサエさんが家族になった日。

オレと灰原が家族になる日もきっと同じ日だ。


「新一、哀君はこの家からは出さんぞ。ワシの娘に手を出すなよ」
ボーっと三人を眺めていた新一に博士が真面目な顔で言う。真っ赤な顔で俯く哀とそれをみて微笑んでいるフサエ。
そして新一は
(オレ、この父親を乗り越えなきゃならねえのか…?)
未来の苦労にちょっとくじけそうになりながらも苦笑していた。



あとがき



当サイト一周年記念時の企画で書いた作品です。お題が「アニバーサリー」ということだったので博士と哀の記念日の話です。当時のメモを見るとコンセプトは「博士と哀は親子だ」ということと「哀が幸せに」ということだったみたいです。そのまんまですね。
この頃から私の書く新一(コナン)はちょっとあまりかっこよくないです(笑)