3.


  意識を取り戻したものの、ぼんやりとする頭を覚醒させるべく瞬きを数回繰り返す。瞳に映ったのは白い天井、そして泣き笑いの少年探偵団の顔だった。
 「哀ちゃん!!良かった!!」
 「灰原、大丈夫か!?」
 「灰原さん、どこか痛い所はありませんか?」
 大きな目に涙を貯めている歩美、心配そうに太い眉毛を下げている元太、気遣わしげな表情の光彦、三人が口々に言うのを
 「オメーら……そんなに一遍に言われても灰原が困るだろーが」
 苦笑交じりに宥める声が聞こえた方向へ視線を向けると新一が覗き込んでいた。
 「工藤君が助けてくれたの?」
 「結構ギリギリだったけどな。怖い思いさせちまって悪かった」
 自嘲を含んだ言葉に哀はゆっくりと首を横に振った。
 「逃げてって言ったのに……」
 「バーロー、約束しただろ?『ヤバくなったらオレがなんとかしてやる』ってさ」
 「そうだったわね」
 優しく頬を撫でる新一の手が心地良くて哀は静かに目を閉じた。
 「それはそうと……ボク、新一さんにお聞きしたい事があるんですけど……」
 新一と哀の間に流れる空気に光彦が遠慮がちに口を開く。
 「どうして新一さんは爆弾魔に情報を流しているのが冬原刑事だと分かったんですか?」
 「灰原がヒントをくれたからさ。『ロクな奴じゃない』ってな」
 「確かに灰原さんらしくない言葉ですけど……それのどこがヒントなんですか?」
 「歩美も分からない。どうしてそれが冬原刑事になるの?」
 「爆弾魔の仲間なんてロクな奴じゃないのは当たり前だろ?」
 「そうですよね。教えて下さいよ、新一さん」
 不満の声を上げる三人に新一は「四、五年前だったか?警察官が連続で殺された事件があっただろ?」と子供たちに記憶を手繰るよう促した。
 「ひょっとして……蘭お姉さんが記憶喪失になった時の事?」
 「ああ。その最初の事件が起きた時の事を覚えてるか?」
 「電話ボックスで刑事さんが撃たれた時の事ですよね?確かボク達が道路を渡ろうとした時、刑事さんに怒られて……」
 「コナンにクイズを出しに行く途中だったんだよな。アイツをギャフンと言わせてやりたくてよ」
 新一の言葉に『ああでもない、こうでもない』と考え始めた三人を眺めながら哀も当時の記憶を呼び起こしていた。
 「そうだ!クイズですよ!歩美ちゃん、あの時ボク達がコナン君に出したクイズを覚えてますか?」
 「えっと……確か哀ちゃんがコナン君の事を月を見ながら『夏じゃない』って言ったのはどういう意味かっていうクイズだっけ?」
 「そうです。夏は『六月・七月・八月』、そこから月をとると『ろく・な・やつ』となる。つまり『夏じゃない』は『ロクな奴じゃない』って訳です」
 「そうだそうだ、オレ達が博士の家で悩んでたら灰原が考えてくれたんだったな」
 「そっか、夏じゃない刑事さんだから冬原刑事なんだね!」
 「そういう事。捜査一課に名前に季節の漢字が入る人間は夏木刑事と冬原刑事しかいないからな」
 「咄嗟にそんなヒントを考え付くなんて……さすが灰原さんですね」
 「たまたま工藤君と電話で彼らの話をしてたから。でもお陰で命拾いしたわ」
 「けどよ、オレ達がコナンに出したクイズをなんで新一兄ちゃんが知ってたんだ?」
 「言われてみれば変ですね。どうしてですか?」
 「そもそもどうしてあのクイズを考えたのが哀ちゃんだって知ってたの?」
 「え?あ、それは……どうしてかっつーと……」 
 ぎこちない笑顔で誤魔化そうとする新一だったが、それで収まる三人ではない。額に汗を掻きながらしどろもどろに言い訳する名探偵の姿に哀はやれやれと肩をすくめた。
 「実はあの後、江戸川君が私の所へ抗議に来たの。『アイツらに余計な入れ知恵しやがって!』って……それをたまたま博士の発明品のメンテナンスに来ていた工藤君が聞いてたって訳」
 チラリと新一に目配せすると「ああ、そうだったな」と適当に話を合わせて来る。
 「そうだったんだ」
 「コナンのヤツ、ガキっぽい所あったからな」
 「灰原さんに一本取られて相当口惜しかったんでしょう」
 口々に過去の自分を貶す三人に新一が頬を引きつらせたその時、病室に高木刑事夫妻がやって来た。いつの間にか話題は高木夫婦の新婚生活が中心となり、新一と哀は視線を交わすとホッとしたように微笑んだ。


 「そろそろ子供は帰る時間よ。パトカーで家まで送ってあげるわ」
 来客達が帰り、病室が二人きりになると新一はベッドの傍らにある椅子に腰を下ろした。
 「明日の事情聴取にはオレも同席するからさ」
 「一人で大丈夫よ。あなたも疲れてるでしょ?」
 「あのなぁ、こういう時くらい素直に甘えろよ」
 拗ねたような表情で新一が哀の瞳を覗き込む。二つの視線は絡み合ったままゆっくりと近付いていった。
 「そういえば……あなた、あの時も相当拗ねてたわよね」
 「あの時?」
 「『いくらなんでもロクな奴じゃないは酷えんじゃねーの?』って随分絡まれた記憶があるんだけど?」
 「す、拗ねてねーよ!ただ……相棒だと思ってたオメーにあんな事言われたら文句の一つも言いたくなるだろーが!」
 あの時と同様に口を尖らせる新一に哀は笑いを零しながら
 「私ね、あの当時はあなたに嫌われてると思ってたの。組織の裏切り者だったしね。そんな意趣返しもあって彼らにあんなクイズを教えたわ。きっと私が言ったんだってあなたは気付くと思ったから」
 「まあ小学一年生が考える内容じゃねーからな」
 「だからあなたが私の所へ来て『あんなクイズ出しやがって……オメー、オレの事本当はどう思ってるんだ?』って聞いて来た時……凄く困ったの」
 哀は新一の胸にコトンと頭を凭れさせた。
 「だって……私はずっとあなたを意識してたから」
 「灰原……」
 哀なりの精一杯の甘えを受け止めるように新一はゆっくりと彼女の身体を抱き締めた。互いの体温を感じられる幸せを噛み締める。
 「なあ、今でもオレは『夏じゃない』のか?」
 「え?」
 「だ・か・ら。今でもオレは『ロクな奴』じゃねーの?」
 「今のあなたは……そうね『常夏』かしら?」
 微笑む哀に新一は思わず破顔した。
 「オレもオメーにはずっと『あきがこない』だろーぜ」
 耳元にかかる新一の息に哀はくすぐったげに首をすくめると目を閉じて彼の唇が降りて来るのを待った。



あとがき



 八周年記念リクエスト「『瞳の中の暗殺者』で探偵団がコナンを参らせるために出題したあのクイズ、実は灰原さんが知恵を貸していた」というお題からこういう話になりました。大変遅くなりましたが、リクエストを下さった方には深くお礼申し上げます。
 『瞳の中の暗殺者』といえば青山原画の切ない哀ちゃんの表情が印象的ですが、クイズもなかなか詩的で、恒例となっている博士のダジャレクイズとは一味違うハイセンスなものでした。せっかくだからクイズをそのまま使うには……と考えているうちに気が付けば初めて事件ものを書くという無謀な挑戦に。
 そして大変な目に遭わせた哀ちゃんへのお詫びにいつもより甘めのラストにしてみました。私が普段書くものとは色々異なる事づくめの作品となりましたが、楽しんで頂けると幸いです。