あとがき
この『肖像』という作品は『哀とコナンと阿笠をそれぞれがどういう風に思っているのか』というところから書き始めました。コミックス26巻〜34巻くらい、映画『天国へのカウントダウン』の少し距離が近くなり始めた時期を舞台にしています。
冒頭から言い訳というのも申し訳ないのですが、コミックス及び映画の引用部分については若干の相違があるかもしれません。そこは流して頂けると幸いです(←おいおい)
それでは一作ごとにコメントしていきたいと思います。
1.彼女の思考―コナンと博士―
最初はコナンと博士に灰原哀という人間について語ってもらいました。
これはバスジャック事件と映画『天国へのカウントダウン』の話を元にしています。この二つの話を含め哀は何度か自ら死を選ぼうとします。そしてコナンはその行動に対して『逃げるな』と言いますが、私は哀のああいう行動は『逃げ』なのかなあと思います。少なくとも哀本人には『死=逃げ』という意識はないでしょう。ジョディ先生に言った『逃げたくない』は組織と戦う事からという意味であり、彼女にとってはまだまだ誰かを守るために死ぬ事は選択肢の一つなのだと思います。しかし、当然コナンにとってそれは納得できる考え方ではないでしょう。その辺りの二人の考え方の違いを第三者として見ている博士というのがこの作品のテーマです。
それでも博士とコナンが言うようにいつか彼女が自分を大切にできるようになればいいと灰原贔屓の私は願ってやみません。
2.大事な人―哀とコナン―
次に哀とコナンに博士について語ってもらったのですが、ほとんど哀と博士の親子愛の話になってしまいました。私はこの擬似親子が好きで博士と哀のほのぼのエピソードを書きたくて仕方がないのです。私の書くコナンがよく博士に嫉妬しているのはそのせいです。
コナンと博士の関係も不思議です。親戚よりも近いし、ご近所というよりも遠慮がない。親子というよりは友達みたいですし、年の離れた親友というのも違うような気がします。コナンはお人好しなところがありますし、まず人を信用しようとしますが、これは両親よりも阿笠博士の薫陶でしょう。そういう意味でコナンにとっても博士は大事な人なんだと思います。
今回はコミックス26巻の『命がけの復活』シリーズのネタが入っています。病院でのあのシーンはいろいろと想像の膨らむシーンですね。灰原ファンには複雑なシリーズではありましたが。
3.視線の先―哀と博士―
最後は哀と博士です。
コナンと哀の関係は作中少しずつ変わって行きますが、それを博士はどういう風に見ているのかという事を書きました。
それからこの話は映画『天国へのカウントダウン』についてもいろいろ書きました。私はコナンの映画の中でこの作品はかなり好きです。それでも疑問なシーンがいくつかあって、それを今回自分なりに補完してみました。以下は少し映画の話になります。
・10年後の顔が出る機械がエラーになった理由
・哀が一人で映画を観に行くシーン
・哀が原のマンションに行く理由
・原と組織の関わり
といったところが私の疑問点だったので少し強引に理由を付けてみました。
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