好きな理由



 小さな身体になり学校へ通うようになったため、毎朝天気予報を見るのが日課になった。降水確率を見て傘がいるのかどうかを確認して家を出る。もう曜日ごとに違う天気予報のレポーターの顔と名前は覚えてしまった。厳密に梅雨に入った日と終わった日が宣言されるということを知ったのも実は最近だったりする。
 アメリカにいた頃は梅雨というものはなかったし、日本に帰ってきてからはその日の天気を知らないこともざらだった。多くの薬品や電子機器を扱うために温度と湿度が常に一定に保たれた室内で一日のほとんどを過ごしていたのだから、天気予報など見ることもなかった。季節というものはTVや雑誌に出て来る人々のファッションを通して知るものだった。
 小さな身体になって、季節は自分の目で、身体で感じるものになった。ただそれをどう受け取ればいいのかはまだ分からないけれど。
 

 「あーあ、早く梅雨終わらねーかなー」
 「こう雨ばっかりじゃ外で遊べませんからね」
 「今日も放課後は博士の家に行くしかないね」
 「そうだな。今日は博士のところ、おやつ何かな?」
 「また、元太君は本当に食べることばっかりですね…」
 「でも博士の家のゲーム、ちょっと飽きてきたよねー」
 帝丹小学校1−Bの教室。今日も少年探偵団の面々は放課後の活動方針について話し合っていた。勿論、博士の都合は彼らの中では全く無視されている。
 「おめーら、たまには博士の家じゃなくて他の所へ行ってやれよ」
 興味なさ気に彼らの話を聞いていたコナンもさすがにこの一週間、ずっと彼らに入り浸られている阿笠が気の毒になって思わず口を挟んだ。
 「じゃあ、今日はコナン君のところで遊ぶ?」
 「まあ…でも、博士も賑やかな方が嬉しいかな?」
 嬉しそうな歩美の言葉に速攻で世話になっている隣人を売る。雨が続いてサッカーができないこの時期を『推理小説強化月間』と決めて毎日放課後は読書三昧の日々を過ごしているのに、雨で元気を持て余している彼らが毛利探偵事務所に来ては当然静かに読書などは不可能だ。「博士、わりーな」と内心思いながらも、コナンは今日のささやかな静寂を守ろうとしたのだが。 
 「じゃあコナン君も一緒に行こうよ」
 「え?」
 「だって賑やかな方がいいならみんなで行かないと寂しいじゃない」
 「へっ?」
 全く思ってもみなかった展開に思わず固まってしまうコナン。
 「だって最近のコナン君、サッカーができないから、ってすぐ家に帰っちゃうんだもん。今日はみんなで博士の家で賑やかに遊ぼうね!」
 予鈴が鳴ったのを合図に嬉しそうに手を振りながら自席に戻る歩美を力なく見送りながらコナンは肩を落とした。
 「あー、今日は左文字シリーズを読もうと思っていたのに……」
 「博士を売ろうとするからこういうことになるのよ」
 それまで我関せずとばかりに本を読んでいた哀にしれっと突っ込まれては乾いた笑いで応えるのが精一杯だ。

 「大体、おめーだってこう毎日あいつらが家に来てたら大変だろ。おめー、うるさいの嫌いじゃねーか」
 あまり賑やかなことを好まない哀が毎日少年探偵団の面々が阿笠邸で騒いでいるのに何も言わずに付き合っていることを疑問に思っていたのだ。
 「別に。彼らに何を言ってもしょうがないじゃない。博士も喜んでるしね」
 「ふーん…まあ、博士が喜んでるならたまにはオレも付き合うか」
 「売ろうとしたくせに」
 「うるせー」
 綺麗な赤茶色の髪の向こうに視線を向けると、当分雨のやむ気配が無い灰色の空が見えた。

 「あなたも…」
 「え?」
 ふと気が付くと哀も同じように窓越しに空を眺めていた。
 「あなたも梅雨は嫌いなのかしら」
 「そりゃあ毎日ジメジメうっとうしいし、サッカーできねーから早く明ければ良いと思うぜ?」
 「あの子達も毎日、梅雨が明ければ良いのに、って言ってるわね。でも…」
 でも、私は嫌いじゃない……
 呟くようにそう言った哀の声には何の感情も感じられなかった。ただ事実を口にしただけとでもいうような。

 哀は時々こういう言い方をする。それを聞くとコナンはたまらなくなる。勿論、同じものを見ても人それぞれ感じることが違うことは理解しているし、当然だと思う。だが哀を見ていると人間の感情がひどく孤独なものに感じられるのだ。
 自分の心は自分だけのものだと、哀に突き付けられているような気になる。そしてその哀の潔さに思わず眼を奪われる。

 廊下側の自分の席からは哀の表情を窺うことはできないが、その瞳が写しているものは自分と同じものではないであろうことにコナンは小さな胸の疼きを感じた。
頬杖を突いて空を眺める彼女の眼は雲の彼方でも見ているのだろうか?

 「梅雨が好きなのか?」
 思わずそう問いかけていた。哀が何を思っているのか知りたかったのかもしれない。
 「そうね。嫌いじゃないわ」
 「雨が好きなのか?」
 「嫌いじゃないわね」
 「晴れてるの嫌いか?」
 「いいえ、嫌いじゃない」
 「じゃあ曇ってるのが嫌なのか?」
 「別にそれも嫌いじゃないのよ」
 「それじゃどんな天気でもいいのかよ?」
 訳が分からなくてコナンの声が少し不機嫌になる。
 「天気の好き嫌いなんて考えたことがなかったもの」
 哀はゆっくりと視線をコナンの方に戻しながら答えた。
 「ずっと一日中、建物の中にいるような生活だったから、天気なんて気にする必要なかったのよ」
 少し自嘲するような言い方。
 「だからどんな天気も嫌いじゃないのよ。嫌いな理由がないから」
 勿論、好きな理由も無いけどね、哀はさらにそう言葉を続けようとしたのだが。
 「チェッ、それならオレも毎日、博士の家に行けばよかったな」
 コナンの悔しいそうな声がそれを遮った。
 「え?」
 キョトンとして聞き返す哀の大きな眼に自分の顔が映っているのを見て嬉しくなる。
 今は自分にも彼女の瞳が写しているものも感じていることも分かる。
 「このままおめーが梅雨を好きになったらその理由はあいつらだろ。その中にはオレがいねーじゃねーか」
 「莫迦ね。嫌いになるかもしれないじゃない」
 「なるならとっくに嫌いになってるだろ。もう一週間は続いてるぜ、雨」
 「だから別に好きじゃない、って言ってるでしょ?」
 少し顔を赤くした哀に顔を近付けてにやりと笑う。
 「多分、おめえ、梅雨が好きになるぜ。今日はオレも博士の家へ行くからな」
 「バカ、何言ってるのよ」
 哀が慌てて赤くなった顔を窓の方へ逸らしたので、それを追うようにコナンももう一度空を見る。
しばらく雨が続いてもいいな、などと思いながら眺めた梅雨空はいつもより綺麗に見えた。


 毎日天気予報を見ること。雨の日にみんなで集まること。束の間の日光を浴びること。体で感じる季節をどう受け取ればいいのかはまだ分からないけれど、季節が変わるのは好きになった。そこにはいつも新しい理由があるから。



あとがき



当サイト2周年記念企画の時の作品。お題は「梅雨」でした。博士の家に来た時も雨でしたし、そんなに哀は雨が嫌いじゃないんじゃないかと、言うことから考えたものです。雛祭りのように彼女はいろんな行事が初体験なんだろうと思いますが、やはりそこは楽しんで欲しいと贔屓目で見てしまいます。
私の考える話にはほとんど甘さはありませんが、この作品は全くの糖度0ですね。