陽光麗日


 新年最初の連休。太陽の柔らかな光が窓から降り注ぐ阿笠邸のリビングで志保と阿笠は穏やかな休日の朝を満喫していた。
 年末ギリギリまで多忙を極めていた志保と入れ替わるように阿笠がフサエと温泉旅行へ出かけたため、二人揃って家族団欒の時間を持てたのは一月も十日が過ぎていた。


 「志保君はどんな振袖が着たいんじゃ?」
 明日が成人の日だからだろう、テレビ番組で紹介されている今年流行の晴れ着を眺めながら「こんな色かのう?それともあんな柄じゃろうか…?」と笑顔を見せる阿笠に志保は肩をすくめた。
 「成人式なんて……まだ一年も先じゃない」
 「一年なんてすぐじゃよ。先日、フサエさんも志保君の成人式の振袖は是非一緒に選びたいと言っておったしの」
 「せっかく二人きりの温泉旅行だったのに……何かもっと洒落た話題は思い付かなかったの?」
 「正月から娘の成人式の話題ができるなんて最高の贅沢だとわしは思うんじゃが……」
 当然のように言われては苦笑するしかない。志保のクールな態度が照れ隠しである事を先刻承知の阿笠はテレビ画面に視線を戻し、再び振袖の論評を始めた。その様子に今度は志保も阿笠との会話に相槌を打ちつつ、黙ってテーブルに置かれた珈琲カップを口に運んだ。


 阿笠邸のゆったりとした時間を遮ったのは「ピンポーン♪」という玄関のチャイムの音だった。立ち上がろうとする阿笠を制し、志保が玄関へ向かう。ここ数日と違い、機嫌良さそうなその後姿に阿笠は満足げに微笑んだ。どうやら仕事始めから面倒な実験を立て続けに押し付けれたらしく、この一週間、疲労と苛立ちを募らせる志保の後姿を阿笠は黙って見守っていたのだ。この休日が少しでも志保の気分転換になればいい――心の中で呟いた阿笠の耳によく知る賑やかな関西弁が響いた。
 「おはようさん。正月以来やから久し振りっていう訳でもないな。でも、姉ちゃんが元気そうで安心したで。ほなお邪魔します」
 反射的に扉を閉めようとする志保に隙を与えず、平次は早口で喋りながらスルリと入って来た。
 「ちょっと、服部君」
 勝手知ったるとばかりにさっさと靴を脱ぎ、玄関を上がって行く平次の後を「どうして誰も彼も自分の家のようにこの家へ上がりこむのかしら…?」と、心の中で疑問符を浮かべながら志保は慌てて追いかける。
 「阿笠のじいさん、あけましておめでとうさん」
 「あけましておめでとう、服部君。元旦にも来てくれたそうじゃな。志保君を残して外出したもんじゃから少々気を揉んだんじゃが、どうやら余計な心配だったようじゃの」
 「まあこの服部平次様に敵う奴はなかなかおらへんからなあ」
 リビングでにこやかに会話する阿笠と平次の姿に先ほどまでの自分の疑問がバカバカしくなり、志保はこめかみを押さえて小さく息をついた。


 「それで?今日は一体何?」
 平次の前に少々乱暴にカップを置くと、志保は半ば睨むような視線を向けた。志保のこの反応に既に慣れっ子になってしまっているのだろう、平次は「冷たいなー」と笑いながら、それでも自分のために淹れてくれた珈琲カップに手を伸ばす。
 「……やっぱ姉ちゃんの淹れてくれる珈琲は最高やな」
 ニッコリ微笑まれると反論する気力を根こそぎ奪われるが、何とか踏みとどまって更に冷静な口調で再び問いかける。
 「だ・か・ら。10日前に来たばかりのあなたがどうしてここにいるのか聞いてるのよ」
 「あの時はおせち料理を持って来たんやん。もう忘れたんか?」
 いつもながら噛み合わない会話に志保は軽く溜息を落とすと、「覚えてるわよ」と返した。その答えに一転して平次が嬉しそうな表情を見せる。
 この漫才のような会話にもコロコロと変わる表情の変化にも、そしていつの間にか休日に突然現れる事にも馴染んで来ている自分が少し口惜しい。
 そんな志保の内心を全く気にする様子もなく、平次は「今日はこれを持って来たんや」と大きな鞄の中から物を取り出してはテーブルの上に並べ始めた。
 「こっちは阿笠のじいさんにや」
 平次が阿笠に手渡したのは一メートルくらいの長さに色々な飾りが付けられた笹だった。鯛や小判、打ち出の小槌、七福神の『えびす』やふくよかな女性の顔、福袋といった派手な飾りが付いている。同じ飾りでも七夕飾りとは随分違うようだ。
 「で、こっちは姉ちゃんにな」
 そう言って志保には金太郎飴のような絵が描かれた袋入りの色とりどりの飴をドサリと音が聞こえそうなほど差し出して来る。絵柄は笹に付いている飾りと同じにこやかな顔をしたえびすや干支といった見るからに縁起の良さそうなものばかりだ。
 「一月の九、十、十一日は関西では『戎さん』って言うてな、七福神の一人の戎さんに商売繁盛をお願いする祭りやねん。大阪の今宮戎神社とか兵庫の西宮神社とかそれはすごい賑わいやねんで」
 土産を手渡されてもキョトンとするばかりの志保と阿笠に平次はそう言って説明を始めた。
 商売が昔から盛んだった関西地方では七福神の中でもえびす神社に対する信仰が盛んで、特に毎年一月十日の『十日戎』とその前後一日の計三日を『戎さん』と呼び大きな祭りが開かれる。その中でも特に大阪市浪速区の今宮戎神社と兵庫県西宮市の西宮神社が有名で毎年沢山の人が訪れているとの事だった。
 どうやら平次は大阪の今宮戎神社でこの土産を買い、その足で難波から夜行バスに乗って東京へやって来たらしい。
 「『商売繁盛笹持って来い♪』って言うてこの笹は売ってるんやで。じいさんの発明品の成功と大ヒットはもう祈願してあるからな」
 「ふむ、これで今回の実験の成功は間違いなしじゃな」
 嬉しそうに平次に教わって笹を飾る阿笠とは対称的に志保は両手で持ち切れない程の飴に困惑の表情を浮かべた。
 「それで?この飴は何?」
 「これは『福飴』って言うて戎さんで売ってる縁起物の飴やねん。こうやって袋に並んで入ってるヤツは上等やから結構美味しいねんで」
 「私は飴で喜ぶような子供じゃないんだけど」
 「こういうもんは縁起物やから。それに疲れている時に甘い物は嬉しいやろ?正月の時はちょっと疲れた顔しとったからな」
 「今もあんまり顔色ようないけどなー」と、労わるような視線を向ける平次に志保はさすが西の高校生探偵と呼ばれるだけの事はあり、鋭い観察眼だと舌を巻いた。その一方、平次の小さな気遣いに自分の中の頑なさが融かされそうで拗ねたような言葉を零してしまう。
 「それはそうと……私は商売繁盛の笹を頂けないのかしら?」
 「あかんよ、姉ちゃんに笹は」
 「どうして?」 
 はっきりした拒絶に志保は思わず平次の顔を覗き込んだ。
 「姉ちゃん、今でさえ忙しいのにこれ以上商売繁盛してどうすんねん。無理して身体壊したら元も子もないねんで」
 少し叱るような口調で予想外の台詞を言われ、志保は言葉を返す事もできず、平次の瞳の奥にある優しい光を静かに見つめ返した。そして小さく頷くと平次が彼女の頭を優しく撫で、いつもの人懐っこい笑顔を浮かべる。
 「笹はアカンけど姉ちゃんの幸福はオレがお願いして来たから心配せんでええで。ちゃんと裏にも回って銅鑼叩いといたから戎さんにも聞こえてるはずや」
 「神社に裏口ってあるの?」
 「銅鑼って一体何なんじゃ?」
 不思議そうに問い返す二人に平次はよくぞ聞いてくれましたとばかりに得意げに答える。
 「お参りの人があんまり多いと賑やか過ぎてお願い事が戎さんに聞こえへんやろ?せやからちゃんと聞いてもらえるように裏口に回ってドラを鳴らすんや」
 それを聞いて志保と阿笠は堪らず噴出した。
 「なんや?何で笑うんや?」
 「だって…神様なのに人が多いと聞き取れないって……おかしいわよ」
 「随分人間臭い神様なんじゃのう」
 「何でやんねん!オレはその話聞いて滅茶苦茶納得したのに…!」
 いつの間にか穏やかな朝は賑やかな午後に変わり、志保は暖かな太陽が差し込む窓に顔を向けた。飴の袋を開けて一つ口に放り込むと優しい甘さが口の中に広がる。身体の中に染み込んでいく温もりに志保は肩の力を抜いてソファにゆったりと身を沈めた。
 「でも……戎さまってご利益あるのかもね」
 「あん?」
 「だってこういう休日を過ごせるのって幸せじゃない?」
 軽くウインクする志保に平次と阿笠も嬉しそうに頷いた。



あとがき



平志の第三弾です。前作『春風駘蕩』のすぐ後の設定になっています。少しずつですが二人の距離が近くなっていると自分では思っているのですが。
志保さんの頑なさは手強いでしょうが、そこは平次の根気と包容力でゆっくりと融かしていく事でしょう(他人事のようにw) 一気に春とはいきませんがいつか志保さんには炬燵の中のような休日を過ごしてもらいたいです。
最後の銅鑼の話ですが今宮戎神社に実際にあります。お参りにいった人は最後に裏に回って「えびっさん頼むで〜」と言って叩くんです。いかにも関西らしい発想だと思います。