「……じゃあ博士、頼むな」
 通話を切って携帯をポケットに放り込むとコナンは襖を隔てた向こう側から聞こえて来る毛利探偵のデタラメな推理に小さく肩をすくめた。
 いつものように外出先で偶然知り合い、招かれた山奥の一軒家で起きた殺人事件。警察の捜査は想像通り難航していた。被害者を取り囲む人間関係から容疑者は多く、更に服毒の経緯が推理の道筋を妨げていた。毒キノコによる殺害という事ははっきりしているが、それを食した時間と有り得べき死亡推定時刻のズレがどうにも埋まらない。
 (これは専門家じゃねえと分からねーな……)
 だからこそ阿笠に連絡し、哀に助っ人を頼んだのだが。
 (今回はフサエのポーチじゃ済まねえぞ……)
 不機嫌な顔でデータベースの入ったモバイルを用意している哀を想像するのは簡単で、コナンは「タハハ……」と乾いた笑いを浮かべた。とはいえ彼女が来ないという事は全く考えられなかった。辛辣な言葉を口にしながらも常に適切なサポートをしてくれる彼女への絶大の信頼は既に揺るぎないものとなっている。
 「さて、こっちも何か掴まねえと……)
 自分に言い聞かせるようにそう呟くとコナンは新たな手がかりを求めて家の中を歩き始めた。被害者の部屋に足を踏み入れた瞬間、机の上に飾られた何枚かの写真に思わず歩を止める。
 「これは……」
 そういえば被害者の娘はキノコ専門の写真家だったと思い出す。写真に映る色とりどりのキノコの中には毒キノコもあったが、愛らしかったり美しかったりとその個性で目を楽しませてくれる物だった。見るとはなしにその写真を眺めていたコナンはいつだったか松茸狩りに行った山の中での出来事を思い出した。


 殺人事件だけでなく熊の親子にも遭遇するというとんでもない行楽となってしまったが、無事に米花町へ帰り着き、阿笠邸のリビングにどっしりと腰を下ろすとコナンは大きく息を吐いた。
 「やれやれ、とんだ松茸狩りだったな」
 「いつもの事とはいえキノコを探しに行くはずが犯人を見付けるなんて……とんだ嗅覚ね」
 「オレは犬かよ……」
 憎まれ口を叩きながらもどうやら哀もかなり疲れているようで、ジト目で睨むコナンを完全にスルーするとソファに深く身を沈めてしまった。
 「ま、オメーも光彦も無事で良かったよ」
 「でもまさか小熊を保護してるつもりが母熊を刺激してたなんて……」
 「小熊なりに母熊の姿は見えなくても何とか自分の気配を伝えようとしてたんだろうな。おっかない名前が付いて人間にどれだけ怖がられてもやっぱり母親なんだろうぜ」
 仲良く山に消えて行った二頭を思い出すように笑うコナンに「……そうね」と哀は視線を外すように俯いた。
 「そういやオメー、よくあんな暗号作ったな」
 「貴方が『くっだらねー』って投げ捨てたあのキノコの暗号の事かしら?」
 冷たい視線を向けられて冷や汗が頬を伝う。
 「バ、バーロー、あれは容疑者にオメーらの存在を知られないようにするためで……」
 「まあそういう事にしておきましょうか?それで?あの暗号がどうしたの?」
 「いや、オメーが食用キノコと毒キノコの見分けができると思ってなくてさ。まさか組織でサバイバルの訓練してたっつー事は……ねーよな」
 くだらない思い付きとばかりに哀はコナンにジロリと冷たい視線を向けると、
 「昨日その図鑑で勉強したのよ。子供達をキノコ狩りに連れて行く以上当然でしょ?」
 とテーブルの端に乗っていた数冊の分厚い本を指さした。その中の一冊をパラパラと捲ってみるとかなり難解な内容も含まれており、たった一晩でこれだけのキノコの特徴を記憶し、その知識を使いこなす哀の頭脳にコナンは舌を巻いた。知識を活用するという事は簡単そうで実は難しいとコナン自身も推理する上で何度も体験している。
 (コイツが組織の中で重要視されてたのが分かる気がするぜ……)
 感嘆の思いにコナンは我知らず哀をしげしげと見つめてしまった。そんなコナンの不思議そうな視線に気付いたのか、哀が怪訝そうにコナンを見つめ返す。思いがけず正面から見つめ合う形になってしまい、コナンの心臓が一気に跳ね上がった。
 (どうして灰原と目が合っただけでドキドキしなきゃいけねーんだよ……!)
 誤魔化すようにページを捲ると毒キノコのページが現れた。カエンダケやドクツルタケなど毒だと分かっていてもその美しさにページを捲る手が止まる。そんなコナンの様子に哀が図鑑を覗き込んで来た。
 「『毒キノコ』って人間からは忌避されるのに自らの存在を主張するなんて……何だか滑稽よね」
 「こういうキノコが毒を持ってるのは生き残るためだろ?嫌うのは人間の勝手じゃねーか」
 「だけどそれは生き残るために毒を利用してるって事じゃない?」
 「灰原、オメー……」
 「ごめんなさい、疲れたから先に休ませてもらうわね」
 哀はコナンの言葉を遮るように立ち上がると部屋から出て行ってしまった。


 無事に事件を解決した後、コナンは被害者の娘に頼んで数枚のキノコの写真を譲り受けた。
 「坊やが選んだ写真、ほとんどが毒キノコじゃない。こっちにシメジとか松茸とか食べられるキノコのあるけど?」
 「ありがとう。でもボク、この可愛いヤツが良いんだ」
 精一杯の子供のフリで目当ての写真を懐へ入れるとコナンは阿笠と哀が待つビートルの方へ駆け出した。
 (毒があろうと何だろうと可愛いものは可愛いんだぜ)
 その思いが少しでも哀に伝わる事を願いながら。



あとがき



 pixiv先行公開だった作品でテーマは『秋のコ哀』、キノコが絡むお話です(サイト公開の現在は既に真冬ですけど)
 キノコといえば27巻の『キノコと熊と探偵団』ですが、その時に哀ちゃんがキノコの暗号を考えてるところからキノコにも詳しいんだろうなと。
 今回はサイト公開のオマケとしてコナン君サイドを用意しました。こんな経緯で彼はキノコの写真を持っていたという裏事情です。