アフタヌーンティーはいかが?



梅雨の中休みの清々しい土曜日の午後。
その日は朝食が遅かったせいか午後一時を回っても昼食をとる気になれなかった。
「……そうだわ」
冷蔵庫の中身を見るとわざわざ買い出しに出なくても何とかなりそうだ。
「ちょうど博士も帰って来る時間だし……久し振りにいいかもね」
灰原哀はクスッと笑うと早速準備に取り掛かった。



三段トレイの一番上にパンプキンプリン、洋梨のムース、フルーツ、真ん中にプレーンとレーズンのスコーン、横にストロベリージャムとオレンジマーマレード、一番下にサーモンとレタス、ボイルドエッグとレタスのサンドイッチ。
食器はありあわせだが英国式アフタヌーンティーが完成した。
「紅茶は……やっぱりダージリンかしら?」
ポットに葉を入れ、適温に保った湯を注ぐとティーコージーを被せる。
コンピューターに向かっているはずの同居人にセッティングを手伝ってもらおうと声をかけようとした瞬間「いい匂いじゃのう」という声がすぐ後ろから聞こえ、哀は思わず手に持っていたナイフとフォークを落としてしまった。
「博士……驚かさないでくれる?」
「すまんすまん、紅茶の香りに釣られてしまってのう」
阿笠は照れたように笑うと、「これ運んでくれる?」という哀の言葉に、三段トレイをダイニングへ持って行った。
落とした食器を洗い、小皿二枚にティーカップ二個、ポットをトレイに載せ、テーブルに運ぼうとした時「博士、いるか?」という聞きなれた声が玄関から聞こえる。
「……本当、タイミングがいいんだから」
招かれざる客の登場に苦笑すると哀はトレイの上の食器を一つずつ追加した。



「……何だかタイミングが良すぎたみてえだな」
テーブルの上のセッティングに、さすがのコナンも察したらしい。遠慮するかのように「あ……オレは本でも読んでるから気にしないでくれ」とだけ言うとさっさとリビングへ向かおうとする。
「サンドイッチもスコーンも余分に作ったし……あなたも食べる?」
「いいのか?」
「その代わりお腹壊しても責任取らないからね」
「ラッキー!実は蘭のヤツが空手の練習行っちまっててさ、昼食、満足に食ってなかったんだ」
「……」
「……どうした?」
「……別に」
「相変わらず鈍いわね」と哀は心の中で溜息をついた。
「コーヒーが飲めねえのが残念だけど……やっぱ英国式アフタヌーンティーには紅茶が似合うよな」
「そういえば前から不思議だったんだけど……あなた、紅茶よりコーヒーよね?」
「あん?」
「シャーロキアンのあなただったら紅茶に拘りそうなのに」
「言われてみればそうじゃのう」
阿笠が顎に手をかけ首を傾げる。
「ああ、理由は単純さ。ガキの頃から本読んでて夜更かしするのは当たり前だったけど、どうしても眠くなるだろ?自然と父さんが飲んでたコーヒーを飲むようになっちまって……」
「あら、カフェインは紅茶の方が強いんじゃなくて?」
「……バーロー、カフェインが強いって事はそれだけ何回も行きたくなっちまうだろ?」
全部言わせるなと言いたげにコナンが哀から視線を外す。
「……なるほど?コーヒーならアメリカンに出来るけど紅茶じゃ無理ね。放っておいたら濃くなっちゃうし」
(彼女だったら思わず顔を赤くして絶句するかしら……?)
納得したように涼しい顔で呟く一方、そんな事を考える自分に哀は思わず苦笑した。



さすがに阿笠邸で事件が起こる事はなく穏やかな時間が流れていった。
「……たまにはこんな午後もいいよな」
それまで阿笠と他愛無い会話をしていたコナンが哀に向かって言う。
「……え?」
「おっちゃん達やあいつらと一緒だとガキでいなくちゃいけねえだろ?博士やおめえとなら読みたい本も読めるし、こうやってアフタヌーンティーなんて年相応の事も楽しめるからよ」
「……さっさと解毒剤を作れ、って言いたいの?」
「解毒剤か……欲しくないって言ったら嘘になるが……」
「……」
「おめえに無茶はして欲しくねえな」
「……え?」
「ベルモットとやり合った時、死ぬ気だっただろ?」
「否定はしないわ」
コナンは苦笑すると「……ったく、これじゃAPTX4869のデータが目の前にあったら何すっか分かんねえな」と呟いた。
「カッとなったら後先構わず行動するあなたに言われたくないわね」
「……うっせーな」
「ふむ……新一君と哀君は案外似た物同士かもしれんのう」
何気なく言った阿笠の言葉にサンドイッチを食べようとしていたコナンとスコーンにジャムを塗っていた哀の手が止まる。
「おい、博士、さすがにコイツとは一緒にされたくねえ…!」
「博士、悪いけどこのミステリーグルメさんと一緒にしないで……」
今度は否定の言葉が重なり、二人は思わず途中で言葉を飲み込んだ。
「どうしたんじゃ、二人そろって?」
「博士が妙な事言うからだろ?」
コナンが阿笠を睨む。
「それより、そろそろ片付けたいからさっさと空にしてくれないかしら?」
哀はその場の会話を断ち切るように言うとカップに一口残っていた紅茶を口に運んだ。



6月の天気は気まぐれである。さっきまで清々しく晴れていたのに急に雲行きがあやしくなって来た。
「……これじゃ明日洗濯は無理ね」
キッチンで洗い上げを済ませ窓の外に視線を送ると哀は呟いた。
「灰原」
まったく無防備な状態だった哀はいきなり名前を呼ばれてギョッとした。振り向くといつの間にかコナンが立っている。
「工藤君……どうしたの?」
「さっきは悪かったな」
「え?」
「解毒剤が完成しない事、責めてるみたいに言っちまったから……」
「気にしてないから」
自分でも可愛げがないとは思うもののそんな台詞が口から出る。
「チェッ、人が素直に謝ってるのに……なあ、それよりコーヒー淹れてくれねえか?アフタヌーンティーに似合うのは紅茶だけどさ、やっぱオレ、コーヒーの方が好きだ」
「探偵事務所じゃなかなか飲めないものね。分かったわ」
「サンキュ」
コナンは嬉しそうに笑顔を向けるとさっさとリビングへ行ってしまった。
(コーヒーの方が好き……か)
コナンの言葉に哀は複雑な思いだった。今まで『お似合い』という言葉のせいにして彼を好きだという自分の想いから逃げていたのではないだろうか?彼に似合うのは長い髪の彼女で、所詮自分は……そう言い訳して……
『逃げてばっかじゃ勝てないもん!』
小さな親友の言葉が頭をよぎる。
哀はフッと微笑むと何かを決意したようにコーヒー豆を戸棚から取り出した。



コーヒーカップが三つ載ったトレイを手に哀はコナンと阿笠が待つリビングへ入って行った。
「お待たせ」
「すまんの、哀君」
阿笠が二つ受け取ると一つを読書中のコナンに渡す。
「……やっぱ美味いよな」
久しぶりのコーヒーに舌鼓を打つコナンに哀は思わず微笑んだ。
「……ねえ、今度はコーヒーでアフタヌーンティーしない?」
「え…?」
「いいでしょ?似合わなくても……好きなものは好きなんだから」
哀の突然の発案にコナンは首を傾げていたが「それもいいな。今度はレモンパイ追加だと最高だけど」と言うとニヤッと笑った。
「博士がいるから砂糖は控えめになるわよ」
「ま、博士の健康のためには仕方ねえな」
鈍感な名探偵が自分の心の変化に気づいているはずはないと分かってはいたものの哀は少しだけ幸せな気分になった。



あとがき



いつもコナンを読んでいて思うのですが、どうしてあれだけホームズオタクの彼が紅茶党ではないのでしょうか?そんな疑問をお話にしてみました。あとは私がそろそろアフタヌーン・ティーを楽しみたいという個人的希望です@苦笑