アイのシナリオ



「……気が付いた?」
頭上から掛けられた冷涼な声に江戸川コナンの意識ははっきりと覚醒した。
「灰原…!?」
途端に身体中に激痛が走り顔をしかめる。その様子に「大人しくしてないと傷口が広がるわよ?」と他人事のように呟くと、灰原哀は読んでいたファッション雑誌に視線を戻してしまった。
「事件は……無事に解決したのか?」
「今はそんな事気にしてる場合じゃないと思うけど?」
「それは……」
重傷者個室で管理されている上、身体中に管が入っている現状をようやく認識し、コナンはその先の言葉を飲み込んだ。そんなコナンの反応に哀が小さく肩をすくめる。
「高木警部があなたの推理通りだったって言ってたわよ。犯人は逮捕されたし、人質になっていた男の子も無事に保護されたって」
「そっか……」
ホッとしたような表情になるコナンに哀が何か言おうとしたその時、外から静かにカーテンが開けられたかと思うと吉田歩美が姿を現わした。
「あ、コナン君、意識戻ったんだ」
「ええ、たった今。憎らしい程スッキリした顔してるでしょ?」
「哀ったら……ついさっきまでコナン君の眼鏡握りしめてたくせに」
「べ、別に握りしめてた訳じゃ……」
「ハイハイ、眼鏡を取ったコナン君はスーパーマン、心配ナッシングだもんねv」
ニヤッと笑う歩美に頬を膨らませる哀だったが、観念したように手にしていたファッション雑誌をベッドサイドのテーブルへ置くと椅子から立ち上がった。
「歩美、少しの間江戸川君の事お願いしていいかしら?さすがに丸2日博士や家の事放りっぱなしだから一旦帰らないと……」
「少しの間なんて言ってないで夕方まで仮眠して来たら?コナン君もやっと集中治療室から解放された事だし、もうすぐ元太君と光彦君も来てくれるはずだからさ」
親友の申し出に哀はしばし考え込むような表情を見せたが、「ね!」という笑顔に「……せっかくだからお言葉に甘えさせてもらおうかしら?」と背中を押されたように頷いた。
「江戸川君、夕方には戻るから事件の事なんか考えてないでゆっくり眠りなさいよ?くれぐれも歩美に迷惑だけはかけないようにね」
悪戯っ子を諭す母親のような口調に何か言ってやりたくてもその気力もなく、コナンは苦々しい表情で哀の後ろ姿を見送る事しか出来なかった。



「ま〜ったく……コナン君も成長しないというか何というか」
哀の姿が消えるや否やジトっとした目で自分を睨む歩美にコナンは黙って首を傾げた。
「哀は『言っても無駄よ』っていつも笑ってるけどね、あの子の親友と言わせてもらうけど……コナン君分かってるの?コナン君の事、一番心配してるのは哀なんだよ?」
「ああ、だろうな」
「『だろうな』って……他人事みたいに言ってる場合?」
ストレートに怒りをぶつけて来る歩美にコナンは「アイツもオレも諦めてんだよ……」と呟くと瞳を閉じた。
「諦めてるってどういう意味?今回ばかりはきちんと説明してくれないと許さな……!」
ベッドに横たわるコナンに詰め寄った瞬間、静かな寝息が聞こえて来て歩美の言葉は行き場を失ってしまった。
「もうっ!勝手なんだから…!!」
「コナン君のゴーイングマイウェイは今に始まった話じゃないと思いますけど?」
歩美の怒りを収めるように顔を見せたのは円谷光彦だった。その後ろには小嶋元太の姿もある。
「それは……」
「大体歩美だって分かってんだろ?コナンが言うところの『諦めてる』って意味」
黙って俯く歩美に元太が宥めるようにその肩をポンっと叩く。
「分かってるよ。分かってるけど……あの眼鏡を持って『大丈夫だ』って自分に言い聞かせてる哀を見ると黙ってられなくて……」
歩美は独り言のようにそう呟くとベッドサイドに置かれたコナンのトレードマークである黒ぶち眼鏡を苦々しげに見つめた。



「眼鏡を取った彼はスーパーマン。心配するだけ損だわ」
それは幼い頃からコナンが事件に巻き込まれ、その消息が不明になる度に哀の口から聞かされて来た言葉だった。コナンの身を案ずる少年探偵団や阿笠の傍らでも彼女は常に冷静で、そんな親友を大人だと思った。そして同時にコナンをそこまで信用出来る哀に自分はとても敵わないと思わされた。
しかし何年か前、偶然歩美は哀のその言葉がただの強がりだと気付いてしまったのである。
いつの話か忘れてしまったが、例によって探偵団が危機一髪の状況に陥り、コナンの機転で何とか生還を果たした時の事だった。確かコナンは崖から転落して重体、歩美自身も左腕の骨を折り、哀に雷を落とされた記憶がある。
足を骨折した元太を見舞いに行った時、いつの間にか病室から哀の姿が消えていた。しばらくはベッド上安静という状況にも関わらず退院したらどこへ遊びに行こうかと盛り上がる元太と光彦に呆れ果て、どこかで時間を潰しているのだろう。大して気に留める事もなく病室に残っていた歩美だったが、そろそろ帰ろうと言い出す阿笠に自然彼女が哀を呼びに行く展開となった。
病棟各階にあるデイルームで雑誌でも読んでいるのかと顔を出すが哀の姿はない。
(もしかしてコナン君の所かな……?)
ちょうど集中治療室の面会時間だと思い出し、コナンのベッドサイドへこっそり忍び込んだ歩美は彼が眠るベッドの傍らから聞こえて来た声に思わず足を止めた。
「……あの時の貴方はスーパーマンだったんでしょ?だったら……さっさと目を覚ましなさいよ……!」
コナンの眼鏡を手に今にも泣きそうな表情でベッドサイドに座る姿は普段の哀とは別人で、歩美は思わずその場に立ちすくんでしまった。無鉄砲な探偵の事が心配で仕方がないのに自分達や阿笠にはそんな気配など全く見せず、逆に「心配しなくても彼なら大丈夫」と諭していた事を知り胸が熱くなる。
(哀ちゃんのバカ……)
どうしていいのか分からず、オロオロとその場を離れようとしたその時、背後から優しく肩を叩かれた。振り向くと阿笠が困ったような笑顔で立っている。
「博士……」
「どうやら帰るのはもう少し後にした方が良さそうじゃの」
「ひょっとして……博士は気付いてたの?」
「何の事じゃ?」
「コナン君の事、一番心配してるのは哀ちゃんだって」
「それは……まあ君達より随分長く生きておるからのう」
照れたように笑う阿笠に歩美は「そっか、そうだよね……」と俯いた。
「信頼しているから心配しないという事にはならんからの。哀君も自分の感情をもっと素直に出せる子じゃったらもう少し楽に生きられると思うんじゃが……」
「ねえ博士、哀ちゃんが素直になれないのは私達三人が頼りないから?私達がもっとしっかりしてたら哀ちゃんだって……」
「何を言っとる、君達三人と過ごして来た事で哀君のシナリオは少しずつじゃが変わって来ておるんじゃぞ?」
「哀ちゃんのシナリオ?」
「シナリオという言い方が適切かどうかは分からんが……人は誰しも生きていく上で『こういう事が起こったらこうしよう』とか『こういう場合はこうした方がいい』といったシナリオを作っていくもんじゃ。歩美君にも経験あるじゃろう?」
「うん……でもそれ、哀ちゃんの事とどう関係あるの?」
「まあ最後まで聞きなさい。それよりコナン君の事じゃが……彼が一度事件に遭遇すれば自分の気が済むまで調べ上げ、真相を暴かんと気が済まん男じゃという事は君達も承知しておるじゃろう?」
「うん、正直時々引いちゃうくらい……」
歩美の素直な答えに阿笠は愉快そうに笑うと「最初は哀君もそうだったんじゃ」と思い出すように呟いた。
「二言目には『探偵なんて人種、とても理解出来ないわ』とぼやいておったからの。しかし、一緒にいる時間が長くなるにつれ哀君は気付いてしまったんじゃ。それがコナン君らしさだという事に。そして『らしさ』を失ったらコナン君はコナン君ではなくなってしまうという事にもの」
「確かに……コナン君が事件に興味持たなくなったら変かも」
「じゃから哀君は諦めたんじゃよ。コナン君の傍にいる以上、事件を追う彼の面倒をみたり彼の身を案じる事になるのは仕方ないんじゃとな。そしてコナン君に何かあった時はワシや君達に余計な心配をかけないようにする事が自分の役割じゃと……それが哀君が自分で自分に課したシナリオという訳じゃ。じゃが……どうやらそのシナリオはここ最近少しずつ変わって来ておるように思うんじゃよ」
「どういう事?」
「少し前までコナン君に何かあれば哀君は一人で不安を抱え込み、どんなに心配でも周囲の人間にそれを悟られまいとしておった。言ってみれば自己完結させておったんじゃ。じゃが昨日、コナン君の手術が終わって家に帰る途中、あの子の余りに疲れた様子にお節介だとは思ったんじゃが『明日は見舞いを控え家でゆっくりしたらどうじゃ?』と提案してみたんじゃが……」
「昨日の手術、かなり時間掛かったもんね」
「今までの哀君じゃったら自分は大丈夫だとけんもほろろな反応を返して来たじゃろう。それが驚いた事に『あんな厄介な人の面倒を代わってもらえるなんてラッキーだわ』と言ったんじゃよ。おまけに『事件が起きて以来、江戸川君に散々心配掛けられて限界だったの。明日のお見舞いは吉田さん達に任せるわ』と笑っておったぞ」
「それって……」
「そうじゃ、哀君のシナリオにわしや君達もキャスティングされるようになったんじゃよ。わしはそれが嬉しくてのう……」
涙目で語る阿笠に「もう……哀ちゃんが絡むと博士は泣き虫になっちゃうんだから」と苦笑すると、歩美はコナンと哀がいる病室の方向を優しい眼差しで見つめた。



「確かに哀はコナン君に関して色々諦めてるけど……だったら逆にコナン君は哀の何を諦めてるっていうのよ?」
気持ち良さそうに眠るコナンの様子に歩美はイライラした口調で元太に詰め寄った。
「そ、それは……だな……」
返答に困り、口をモゴモゴさせる元太に代わって口を開いたのは光彦だった。
「歩美ちゃん、灰原さんが数年前から博士と連名で化学論文を発表している事はご存知ですよね?」
「うん、『結構凄い研究なんだぜ』ってコナン君が絶賛してたから……」
「歩美ちゃんも充分承知しているとは思いますけど……灰原さんってストイックといいますか、納得するまでトコトン突き詰めないと気が済まないタイプじゃないですか?」
「それは認めるけど……」
「論文の締め切りが近付くと連日徹夜する事も当たり前のようなんですが、かといって灰原さんはサッカー部のマネージャーの仕事や家事の手を抜く訳でもないらしくて……コナン君としてはもっと自分を大事にしろと言いたくなる事もあるそうですよ」
「もっとも灰原もかなり頑固だからな。コナンのヤツ、『オレの言う事なんか聞く耳持たねえよ』ってすっかり諦めモードらしいぜ?」
「そのくせ『あんな面倒な女、オレ以外の誰が傍で見守ってやるんだよ』なんて惚気てくれますけどね」
「そうだったんだ……」
いつの間にか哀と自分の女の友情に負けず劣らず育まれていた男三人の友情に歩美は「根っからの探偵に根っからの化学者……結局、あの二人は似た者同士って事ね」と肩をすくめた。
「そんな不器用な二人をフォローするのがボク達の役目って訳です」
「仕方ねえよな。オレ達、アイツらとは小学生からの腐れ縁だからよ」
口から出た言葉とは裏腹に嬉しそうに笑う元太と光彦に歩美は「だね」と極上の笑顔を浮かべた。



「哀ったら……律儀に戻って来なくても良かったのに」
夕飯に合わせて病室へ戻った哀を親友の苦笑いが出迎えた。
「そうはいかないわよ、歩美にだって都合があるだろうし。小嶋君と円谷君は?」
「『何か食い物買って来る』って売店行ったきり。本当、食いしん坊なんだから…!」
「小腹がすいてもおかしくない時間だもの。歩美も行けば良かったじゃない」
「私は別に……あ、コナン君と二人っきりになりたいって言うなら遠慮するけど?」
「ご冗談」
哀は歩美の意地悪な突っ込みをあっさりかわすとベッドサイドに置かれたままになっていたコナンの眼鏡を手に取った。
「そういえば哀に一度聞きたかったんだけど……」
「何?」
「コナン君の事だよ。どうして眼鏡を取るとスーパーマンなの?」
歩美の問いに哀はしばし考え込むように視線を宙に泳がせたが、「さあ、なぜかしら?」と意味ありげに微笑んだ。
「え〜!?」
「A secret makes a woman woman……ってね。気になるなら直接彼に聞いてみれば?」
「コナン君に?」
「そもそも『クラーク・ケントもびっくりの優れ物』って言ってたのは彼なんだし」
「その眼鏡が?……確かに追跡機能とか盗聴機能とか普通の眼鏡とは違うけど……」
そんな言葉とともにしげしげと眼鏡ケースを見つめる歩美だったが、「気にならないと言えば嘘になるけど……遠慮しとく」と肩をすくめた。
「何かとてつもない厄介事が絡んでそうなんだもん」
歩美の言葉に哀は「それが賢明かもね」と呟くと眼鏡をケースへしまった。



あとがき



サイト8周年記念フリリクから「ケガを負った江戸川とそれを看病する哀ちゃん」(リク内容はもっと細かかったのですが割愛)&灰原さんに言わせてみたい台詞「A secret makes a woman woman」……ズバリ二つのリクを一つの作品で済ませてしまったという暴挙です@爆
個人的に手負いというキーワードには全く萌えないのですが、24巻の名シーンからネタを思い付きました。実質主役は歩美ちゃんになっていますけど、所詮江戸川(工藤)がイイ思いをする事は出来ないサイトなのでそこはご勘弁下さい(果たしてこれでリクに沿っているのか我ながら甚だ疑問ではあります@核爆)