蒼の世界



六月上旬。庭に咲く紫陽花が色を帯び始め、初夏を感じさせる。天気予報でも盛んに予想合戦が繰り広げられているが、梅雨入りが近いのだろう。ここのところ天候が安定しない。
学校帰りに近所の公園でコナンにサッカーを教えてもらう約束をしていた少年探偵団だったが、気まぐれな通り雨のせいで、昨日に続き阿笠邸に押しかけていた。折も折り、阿笠が新作ゲームを開発したらしく、三人は早速リビングでゲームに熱中している。
「……ったく、飽きもせずによくやるよな」
三人に強引に引っ張ってこられた形となったコナンは、ダイニングで推理小説を読みつつ、思わず呟いた。
「あら、あなたこそよく飽きもせずに血なまぐさい小説ばかり読むものだと感心するけど?」
嫌味な言葉に顔を上げると、自分と共にリビングから避難して来た哀がアイスコーヒーを差し出してくる。
「……悪かったな」
「ま、あの子達が来てリビングを占領されるより害はないけど、ね」
言葉とは裏腹に哀の顔は笑っていた。
「あ……元太君、ダメです!」
光彦のアドバイスは一瞬遅かったようだ。『GAME OVER』の文字とともに、阿笠の勝ち誇ったような表情のアニメーションがパソコンの画面を占領している。
「くっそー!もう一回だ!!」
「元太君、今度は歩美の番だよ!」
「歩美ちゃんの次はボクです!ちゃんと順番守って下さい!」
「……これこれ、今夜はそろそろお開きじゃ」
口論する三人をなだめるように言うと、阿笠はさっさとパソコンをシャットダウンしてしまった。
「えーっ!?」
「博士、ケチケチすんなよな!」
「ボク、まだ二回しかやってないんですけど……」
「もう7時半じゃ。そろそろ帰らんと家の人に怒られるんではないかの?」
家主の阿笠にこう言われてしまってはどうしようもない。三人はしばらく顔を見合わせていたが、「続きはまた今度という事でどうかの?」という台詞に渋々頷いた。
「今夜はわしが家まで送るとしよう。コナン君と哀君も行くぞ」
思わぬ阿笠の言葉にコナンと哀は驚いた。
「オレは別に一人で帰れるから……」
「博士が吉田さん達を送ってくる間に夕食の準備をしたいんだけど……」
「二人ともそうつれない事を言うでない」
阿笠の笑顔に、コナンは「ははーん、何か企んでやがるな」と突っ込んだ。
「べ、別にわしは……」
「その顔は図星かよ?」
「……ったく、君には敵わんのう」
「……ま、たまには博士の企みにのってみるのも一興かもな。灰原、おめえもどうだ?」
「そうね」
哀がクスッと笑う。コナンは読みかけの本に栞を挟むと、ランドセルにしまった。



黄色のビートルが停車したのは、誰の家の前でもなく、住宅街の一角にある神社の前だった。時刻が遅い事もあり、すっかり灯りは落ちている。
「到着じゃ」
阿笠の声に五人は車を降りた。
「……ここどこだ?」
「帝丹小学校の近くのようですが……通学路とは違う方向だから分かりませんね」
「ここは月夢神社といっての、米花神社ほど有名ではないが、最近テレビで紹介されてのう。何でも願い事が叶うお守りを売っているそうじゃ」
「わあ、欲しい!」
歩美が目を輝かせる。
「世界中のうな重が食えますように、って願いも叶えてくれるのか?だったらオレも欲しいな」
「ボ、ボクも……」
小さい声で言う光彦に「おめえ、非科学的な信じないんじゃねえのか?」とコナンは思わず突っ込んだ。
「い、いいじゃないですか、たまには」
お守りが欲しいというよりは歩美とお揃いの物が欲しいのだろう。顔を赤らめ、言葉を飲み込む光彦の様子にコナンは苦笑した。
「それでは行くかの」
阿笠に促され、五人は境内へ入って行った。



「……えっ?ウソ」
本殿でお参りを終え、待望のお守りを手に入れようと社務所へやって来た瞬間、歩美が思わず声を上げた。
「博士、閉まってるぜ?」
「これじゃお守り買えないじゃないですか」
「変じゃのう、この前は開いておったんじゃが……」
いわゆる世間一般常識に疎い阿笠にコナンは溜息をついた。
「博士、社務所がこんな時間まで開いている訳ねえだろ?」
「しかし……一週間前には開いておったじゃろ?君も一緒だったはずじゃ」
「あれは……事件現場が近いって事で警察の取り調べ室代わりに開けてくれてただけだよ。そこに書いてあるだろ?いつもは午後6時に閉まるみたいだぜ」
「なんと……」
絶句する阿笠に探偵団はガクッと肩を落とした。
「目的の物が買えないんじゃ仕方ないわね。帰りましょうか?」
さっさと背中を向ける哀に、「いや、目的はもう一つあるんじゃ」と阿笠が声をかける。
「もう一つ…?」
「博士、それって何?」
「今度は食いモンか!?」
パッと目を輝かせる三人にウインクしてみせると、「まあついて来なさい」と言い残し、阿笠はさっさと歩き出してしまう。その方向にコナンは「まさか……」と呟いた。



長い参道の果てに現れたのは僅かな電灯で灯し出された池だった。しかし、阿笠の目的が池ではない事はすぐに分かった。池の周りを無数の蛍が乱舞していたのである。
「うわー!きれい!!」
歩美が思わず歓声を上げる。
「東京にもこんな所が残っているんですね」
光彦の表情は複雑だ。昨年の夏、蛍を取りにわざわざ群馬まで出かけたのだから無理もあるまい。
「チェッ、食いモンじゃねえのか」
元太の基準はあくまで食べ物のようだ。
「偶然、コナン君と見つけての」
阿笠が苦笑する。それもそのはず、一週間前に起こった事件の現場がこの池の対岸だったのだ。
その時、高校生らしきカップルが前方から歩いて来た。
「……?」
すれ違った瞬間、哀が驚いたように二人の方に振り返る。
「どうした?灰原」
「今の高校生、あなたによく似てたような気がしたから……」
「オレに?」
「……ま、気のせいね」
哀は肩をすくめると歩美の方へ歩いて行ってしまう。自分に似ているという高校生の事が気になり、二人が去った方向を見つめていたコナンだったが、「コナン君、何してるの?」と歩美に呼ばれ慌てて哀の後を追った。



「さて、そろそろ帰るとするかのう」
しばし初夏の風物詩に時間を忘れ、ただずんでいた少年探偵団だったが、阿笠の言葉にハッと現実に引き戻された。
「そうですね、そろそろ……」
「あれ?哀ちゃんは?」
歩美の言葉にコナンは初めて哀の姿が見えない事に気付いた。
「変じゃのう、さっきまでわしの傍におったんじゃが……」
「博士は元太達と先に車へ戻ってくれ。オレは灰原を探して来る」
組織に連れ去られたとは思えなかったが、時刻が時刻だけに少女一人の状態は危険である。
コナンは哀の姿を求め駆け出した。



哀は一人、阿笠達から離れた池の側に腰を下ろしていた。さきほどすれ違った高校生カップルの姿が頭に焼き付いて離れない。
(本当だったら……工藤君もあの人と……)
コナンには「APTX4869のデータがないと解毒剤は作れない」と言い切ったものの、この情報社会においてその気になれば出来るのではないかという思いが最近哀を苦しめていた。本気で取り組もうとしないのは彼が毛利蘭の元へ戻ってしまう事が明らかだからに他ならない。
(……イヤな女)
哀は思わず心の中で呟いた。
しかし、彼から『工藤新一』を奪った張本人である以上、その責任は取らねばならない。それに、彼を想うならたとえ自分が傷付く結果になったとしてもその幸せを願うのが筋だろう。
(やらなきゃダメよね……お姉ちゃん)
湖面に映る月に姉の姿を重ね、フッと微笑んだ時だった。人の気配を感じ、振り向くとコナンが立っている。
「……工藤君?」
「あ…そろそろ帰らないか、って博士が……」
「そう……」
「……何考えてたんだ?」
「別に……あなたが心配するような事じゃないわ」
自分の決意を悟られまいと素っ気無く言うと、哀は立ち上がり、さっさと歩き出した。



(オレ、一体…?)
一歩先を行く哀の後ろ姿から目が離せない。そんな自分にコナンは動揺を隠せなかった。
あの時……草むらの影で哀を見つけ、声をかけようとした時、蛍の蒼い幻想的な光に包まれた彼女の美しさに思わず絶句してしまった。美人に縁のない生活をしていた訳でもないのに、こんな経験は初めてだった。
(まさか…オレ、コイツの事……?)
ハッと心に引っかかった想いを慌てて否定する。自分には蘭がいるのだ。
それに万一、哀が自分の事をそういう対象として見ていたとしても、蘭の工藤新一への想いを嫌というほど知っている彼女が、蘭への想いをあやふやにしたまま自分をそういう対象と見る事は許さないだろう。
「……どうかしたの?」
哀が訝しげな表情で見つめている。いつの間にか足が止まっていたようだ。
「いや……」
コナンは苦笑すると幻想的に照らし出された道を再び歩き出した。



あとがき



以前書いた「思い出の場所」のコナン×哀ヴァージョンです。快斗×青子が幸せな話しだったのに対しこちらは少々痛い話しになってしまいました。でも、両思い状態ではないので仕方ないかな?