Be Happy!



その店は、いわゆる『知る人ぞ知る』という存在だった。決して大きくもなければ、立地条件がいい訳でもなく、それに加え店主が派手な広告を嫌う人物だったからである。しかし、オーソドックスなデザインの良品を、適正な価格で販売している事は、その筋の人間にはよく知られていた。
工藤優作が息子の新一を連れてその店を訪れたのは、結婚十周年を記念して妻、有希子へのプレゼントを選ぶためだった。
ショーケースの中をしばらく見つめていた優作だったが、やがて一本のネックレスを指差すと「これを頂こうかな」と店主に告げた。
「……さすがですね」
「有希子ほどではありませんが」
店主の言葉に優作が苦笑する。
「……新一?」
真剣に品定めをしていた優作は、その時まで息子がショーケースの中の、とある商品に見入っている事に気付かなかった。
「どうしたんだ?」
「父さん、この指輪……」
シンプルなデザインのプラチナリングだった。
「ほう……」
優作は思わず言葉を呑んだ。いつの間にか小さな息子にもいい物を見極める目が出来ていたようだ。
「綺麗だね」
「ああ。でも母さんにはもうマリッジリングは必要ないし……少々可愛らしすぎるかな?」
こんな台詞を本人の前で言ったら袋叩きにあうだろうな、と思いつつ正直な感想を述べる。
「……そうだ」
ふいに優作は思いついたように新一にウインクしてみせると店主に話しかけた。
「まことに図々しいお願いですが、このリング……コイツの二十歳の誕生日まで残しておいて頂けませんか?」
「他のお客様ならお断りですが……工藤先生の頼みじゃ仕方ありませんね」
店主が苦笑すると「じゃ、出してはおけないな」と言ってショーケースからそのリングを取り出し、プライス表示の裏に『売約済』と記載する。
「良かったな。後は君の努力次第だよ、新一君」
優作は悪戯っ子のような笑みを浮かべると、「その代わりさっきの台詞、母さんには内緒だぞ」と付け加えた。



四時限目の授業はグラマーという事もあり真面目に出席する気にはなれなかった。元々、生活の中で英語を覚えてしまった身にはリーダーはともかく、グラマーは辛いものがある。勿論、受験生にとって大切な事は百も承知だが、高校二年生程度のものまでは過去に一度習っているし、今の成績を維持していればおそらく推薦を受けられるだろうという確信もあった。
「……やっぱりここだったのね」
溜息混じりにかけられた声に読みかけの推理小説から視線を上げると哀が立っていた。
「……おめえが来たって事は昼休みになったんだな」
「チャイムが鳴ったのも気付かないなんて……ミステリーグルメは仕方ないわね」
「うっせーな……」
顔をしかめるコナンに哀がクスッと微笑む。
「……何か大切な話があるんでしょう?」
「あん?」
「あなたが授業をさぼるのは私と二人だけで話したい事がある時だから」
「……やっぱり気付いていたか」
「何年一緒に暮らしていると思っているの?」
「そう……だな」
小学校二年生の二月から同居して早九年と少し。賑やかな三人組とともに年月を重ねて来たが、その三人もコナンが授業をさぼっている時、屋上の片隅で時間を潰している事は知らない。すなわち哀と二人きりになりたい時はコナンが授業をさぼるのが一番手っ取り早い伝達方法になっていた。
「話が長くなるかもしれないと思ってお弁当持って来たけど……」
「長くなるかどうかはおめえ次第だな」
「え?」
コナンの意図が読めず哀は目を丸くした。
「もうすぐ……オレの誕生日だろ」
「……なるほど?何かプレゼントの要求って訳ね」
「ま、そんなところだ」
「でも、それならあの子達が一緒の時でも構わないんじゃなくて?」
「あのなあ、いくらオレでもそんな無粋な事するかよ」
コナンは一瞬拗ねたような表情を見せたが「今日、部活が終わったら付き合って欲しい所があるんだ」と、ポケットから茶色に変色した小さな紙を取り出した。
「日本の法律じゃ男は18歳で結婚出来るからな。5月4日に仕上がるようにオーダーしようと思ってさ」
達筆な字で『プラチナ、マリッジリング、一点』と記載されている。
「博士にはもう言ってある。18歳の誕生日におめえをもらうってな」
コナンは哀を真っ直ぐ見つめた。
「あなたにプロポーズされた記憶ないけど?」
「そりゃねえだろ、今してんだから」
「普通順番逆じゃない?」
「細かい事気にすんなよ」
「……私が断るとは思わなかったの?」
「バーロー、オレだって成長くらいするぜ?少なくともおめえの気持ちは把握出来るようになったつもりだ」
哀は一瞬言葉を失ったようだったが、フッと皮肉めいた笑みを浮かべると「……それにしても随分違うのね」と呟いた。
「あん?」
「あの娘の時は『アルセーヌ』なんてお洒落な米花センタービルの展望レストランだったのに」
「妬いてんのか?」
「別に。途中で事件が起きて置き去りにされるよりはマシだわ」
「……」
きつい一言に絶句するコナンに哀はクスッと笑うと彼に背を向け、フェンス越しに広がる米花の街を眺めている。
「……で?放課後付き合ってくれる訳?」
おずおずと切り出したが哀の返事はない。
「おい、灰原?」
イライラして哀の肩に手をかけ、強引に自分の方にその身体を向けようとしたコナンの腕に何かが零れ落ちた。哀の瞳に涙が溢れている。
「おめえ……何泣いてんだよ?」
「バカね……あなたのせいでしょ?一人で勝手にどんどん決めて……」
「そ、そりゃ……いきなりだったのは悪かったけどよ、その……」
コナンはフッと息をついた。
「……放課後、いいだろ?」
哀が黙って頷く。コナンはその細い身体をそっと抱き締めた。



「こんにちは」
久しぶりに立ち寄ったその店は相変わらず静かな空気が流れている。
「例の件、お願いに来ました」
コナンはポケットからすっかり変色してしまった預り証を取り出すと店主に差し出した。
「裏に刻む文字は『C to A』でお願いします。サイズは本人を連れて来ましたので」
コナンに促され哀は店主の前に進み出た。
「ちょっと指を見せて頂けますか?」
「あ……はい」
店主は哀の左手薬指を見るとリングゲージの中から一つのサイズを差し出した。
「これを一度はめてみて下さい」
差し出されたサイズは哀の指にぴったりで、さすがに長い間この道を極めて来た人物だけの事はあるとコナンを感心させる。
「……どうやらサイズ変更の必要はないようですね」
「え…?」
「預かっていた指輪と同じサイズですから」
店主の思わぬ言葉にコナンは驚きを隠せなかった。
「……運命みてえだな。ガキの頃気になった一点物の指輪のサイズがぴったりなんてよ」
「……」
「さて、じゃ今度はおめえに選んでもらう番だな」
「え…?」
「この指輪、本当は新一兄ちゃんの二十歳の誕生日まで取り置きしておくっていう約束だったんだ。新一兄ちゃんが失踪して優作おじさんに権利を譲ってもらったのはいいが、十年くらいオーバーしちまっただろ?だからこの指輪を贈る相手からのプレゼントもここで買うって約束で延長してもらってたって訳さ」
「担保みたいなものね」
「そういう事」
哀はクスッと笑うとショーケースに見入った。やがて一個のネクタイピンを選び出す。
「指輪よりいいでしょ?」
「そうだな」
「このプラチナのネクタイピン、お願いします。文字は『A to C』で……」
「……どうやらあなたも有希子さんに負けない目をお持ちのようだ」
店主が微笑むとショーケースから哀が選んだネクタイピンを取り出しコナンに差し出した。
「……ちょっと地味か?」
「あら、目立ちたがり屋のあなたにはそれぐらいがちょうどいいと思うけど?」
「うっせーな……」
こぼれた台詞とは裏腹にコナンの顔は笑っている。
「じゃ、支払いはこれで」
工藤優作名義のカードを差し出すが店主は何も言わない。客のプライバシーに立ち入らないその態度はプロのものだった。
「では5月4日のお引渡しで」
店主から新しい預り証を受け取ると二人は店を後にした。



「……ゴールデンウィーク明けは大騒ぎになりそうね」
阿笠邸への帰り道、哀は溜息とともに呟いた。付き合っている事は周知の事実だが、さすがに結婚となると話は別だ。
「あいつらの驚く顔が目に浮かぶぜ」
一方のコナンは予想される状況を楽しんでいるようだ。
「私、あなたと違って注目されるの苦手なんだけど?」
「分かってるさ。けどオレが探偵始める前の方が注目度は低いと思うぜ?」
「……」
もっともな意見に反論出来ない。
「実はさ、学生時代に結婚しておけって父さんのアドバイスなんだ」
「えっ?」
「母さんと結婚した時、色々あったみてえだからな」
有望な若手小説家と人気女優の結婚に当時のマスコミが大騒ぎだった事は簡単に想像出来る。優作なりの哀への配慮なのだろう。
「でも……それなら大学卒業の時でも良かったじゃない?」
「まあな。けど大学入ったら探偵業本格化させるつもりだし……何より虫除けになるだろ?」
「虫除け?」
「おめえに言い寄るヤツが現れても結婚してて相手がオレだと分かれば諦めるだろうからな」
「……随分自信がある言い方ね」
「自信がある男は嫌か?」
「ま、あなたの場合自信がなくなる方が不気味だけど?」
「……ったく」
コナンは苦笑すると哀の手をそっと握った。
「……幸せになろうな」
「ええ……」
『幸せになろう』……運命共同体の自分達らしいコナンの台詞に哀は静かに微笑んだ。



あとがき



一周年記念投稿企画に参加して下さった方に進呈させて頂いた「アニバーサリー」のお題で、コ×哀のプロポーズものです。沙子様サイト「la biblioteca」、瑠璃蝶々様サイト「朔に舞う」で先行公開されていました。実は前半の優作とチビ新一の部分はリサイクルだったりします。ちょっと没にしてしまうのは勿体なかったので@をい
よく男性の言葉として『幸せにする』、女性の言葉として『幸せにして』という台詞が使われますが、この二人には『幸せになろう』の方が合っているような気がします。
仮タイトルも『幸せになろう』だったのですが、プロポーズが漫才化している事もあり@自爆、軽い感じの『Be Happy!』にしてみました。