僕らの未来色



「キャンプ?」
夕食の席、ふいに阿笠の口から洩れた言葉にコナンは首を傾げた。
「なんでもオープンしたばかりのキャンプ場らしくてのう。久しぶりに歩美君達も誘ってどうじゃ?特に予定もないじゃろ?」
「そりゃ、まあ……」
さすがに小学校三年生の姿では流行りのスポットへ自分達だけで行く事も躊躇われ、週末は部屋でのんびり読書を楽しむか、三人組に付き合わされ米花町近辺をウロウロするか、そのどちらかだった。
「けどよお……博士、明日から出掛けるとか言ってなかったか?」
「そ、それは……」
「フラれたのよ、フサエさんに」
言いよどむ阿笠に代わり哀が口を開く。
「ニューヨークコレクションを終えて日本へ立ち寄る予定が急遽、パリコレ出展が決まったみたいでね。『申し訳ないけど直行便で帰国する』って内容のメールがさっき届いたばかりなの」
「……ま、まあそういう訳じゃ」
照れたように笑う阿笠にコナンは思わず苦笑した。
「……で?アイツらは大丈夫なのか?」
「吉田さんと円谷君からはOKの返事が来てるわ」
「ったく、相変わらず元太はのんびりしてるな」
「噂をすれば……みたいね」
哀がポケットから携帯を取り出すとメールを開く。
「……小嶋君も大丈夫ですって」
「そうか、それは良かった。では夕食が終わったら早速準備といこうかのう。もっとも今からではそうは出来んが」
嬉しそうに鼻歌を歌い出す阿笠にコナンは思わず「随分余裕だな、せっかくのデートがダメになったっていうのに」と呆れたように呟いた。
「パリコレ出展といえばデザイナーにとっては夢じゃろうし……なあに、これで一生会えないという訳でもないからのう」
「そりゃ……」
「工藤君、博士もフサエさんも大人なのよ。自分と同じレベルで考えるのは間違ってると思うけど?」
「……」
哀の言葉にコナンはそれ以上何も言えなくなってしまった。



「『大人』…か」
就寝前、歯を磨きながらコナンは思わず呟いた。
「どうしたんじゃ?新一君」
隣で歯を磨く阿笠が首を傾げる。
「いや……そろそろ言わねえとな、って思ってさ」
「ん?」
「灰原にオレの気持ちはっきり言ってねえからな。今のままじゃ蘭に自分の気持ちを言えなかった工藤新一と全然変わらねえだろ?それに……」
「それに?」
「いや……何でもねえ」
コナンの頭に哀の姉、宮野明美の姿が過ぎる。組織を滅ぼし、平和な生活を取り戻したというのに、『いつ一生会えなくなるか分からない』という危機感は拭い去る事が出来ずにいた。
そんなコナンの思いを知ってか知らずか阿笠は「そんなに焦る必要もないんではないかの?人間なんて身体の成長は止まっても心の成長は死ぬまで続くもんじゃ」と呟くと、洗面所を出て行ってしまう。
「確かに……アイツらは身体はでかくなっても相変わらずだけどな」
歩美、元太、光彦の三人を思い浮かべ、コナンは思わず苦笑した。



「コナン君、哀ちゃん、おはよう!」
翌朝。阿笠邸に一番にやって来たのは歩美だった。
「よお」
「随分早いのね」
「何か手伝える事あるかなと思って。どうせ食事の準備は哀ちゃん任せになってるんでしょ?」
「まあね。もっとも、博士や江戸川君に手を出されるとかえって時間かかるけど」
「……」
ごもっともな意見にコナンとしては反論出来ない。
「じゃあ、キッチンにある材料を車に運んでくれる?」
「うん!」
ニッコリ微笑み、玄関を上がっていく歩美と入れ替わるように今度は光彦がやって来た。後ろには元太の姿も見える。
「おめえらまで……早いじゃねえか」
「突然決まったキャンプですから準備が大変だと思いまして。それに力仕事は元太君の得意分野ですからね、叩き起こして連れて来ました」
「オレは『まだ早い』って言ったんだけどよお……」
「キャンプに出掛けるっていうのに遅くまでゲームしてた元太君が悪いんです。眠いなら道中眠っていったらどうですか?」
「チェッ」
情け容赦なく言う光彦に口を尖らせた元太だったが、「……で?コナン、何運べばいいんだ?」と呟くと、欠伸を噛み殺した。
「そうだな、博士が倉庫からテントを出す準備してるはずだから手伝ってやってくれねえか?」
「じゃ、ボクもそっちを手伝いますね」
「サンキュ」
「なあ、倉庫ってどこだ?」
「こっちですよ、元太君」
光彦が呆れたように呟くと元太を引っ張っていく。その様子を見送る哀の手が止まっている事をコナンは見逃さなかった。
「……灰原、どうした?」
「え…あ、何でもないわ」
こういう時、何を聞いても無駄である事は約半年の同居生活で充分すぎるほど分かっている。「人手も増えた事だし、さっさと済ませて出発しようぜ」とだけ呟くとコナンは再び準備に取り掛かった。



阿笠邸を出発して約3時間。目的のキャンプ場に到着した。
紅葉の季節にはまだ早い事もあり、そんなに混んでいないようだ。
「哀君、わしらは早速テントを設営するから、歩美君とチェックインして来なさい」
「チェックイン?」
「……相変わらずこういう事には鈍いのね」
「あん?」
呆れたように自分を見つめる哀にコナンは眉をしかめた。
「本当はフサエさんと二人でここへ来る予定だったのよ。キャンプじゃなくて旅行としてね」
「ロッジをキャンセルしようにも前日ではキャンセル料もバカにならんからのう。子供達も身体が大きくなってきて一つのテントでは狭くなってきたし、それならロッジを哀君と歩美君に使ってもらおうという事になったんじゃ」
「なるほど」
「本当は年寄りの博士にロッジを使ってもらうべきなんでしょうけどね。だけど……」
ふいに哀が口を閉ざす。
「だけど……何だ?」
「……何でもないわ。それじゃ博士、チェックインして荷物を置いたらすぐ戻るから」
「慌てんでいいぞ、夕食までにはたっぷり時間もあるしのう」
阿笠の笑顔に黙って頷くと哀は歩美を促し、ロッジの方へ歩いて行った。



夕食時の阿笠の提案で翌日は早朝からトレッキングを楽しむ事となり、早目の就寝となった。
「コナン君、おやすみ!」
「それじゃ」
哀と歩美が後片付けを終えるとロッジへ戻って行く。
キャンプ場敷地内にある露天風呂でゆっくり寛いだせいか、元太と光彦の目はもうウトウトしていた。
「寝るか?」
「そうですね、明日は5時起きですし」
運転手を務めた阿笠の事も考え、コナンは懐中電灯を消すと寝袋に潜り込んだ。5分も経たずに阿笠、元太の寝息が聞こえて来る。
「……博士と元太君、もう寝ちゃったみたいですね」
「ああ」
「まあ、元太君の場合、昨夜あまり眠っていないから仕方ないかもしれませんが……」
「そういえばおめーら、今朝は随分早かったな」
「反省したんです。今まで博士やコナン君に任せっぱなしでしたからね」
「あん?」
「キャンプの準備ですよ。テントを出したり調理器具を運んだり……考えてみれば出掛けるまでの方が大変なのに、ボク達、ほとんど何もしていませんでしたから」
「光彦……」
「じゃ、ボクもそろそろ寝ます。おやすみなさい」
「あ、ああ……おやすみ」
(いつの間にかコイツらも成長してるんだな)
コナンはフッと微笑むとメガネを外し、目を閉じた。



普段、推理小説を読んで夜更かしが当たり前なのに、今夜に限って早く眠れるはずもない。
(……あ〜、クソッ)
しばし、気持ち良さそうに寝息をたてる三人を恨めしげに眺めていたコナンだったが、溜息をつくとテントを出た。
(こんな事なら本でも持って来るんだったぜ)
後悔先に立たずとはよく言ったもんだよな、などと呟きながら歩いていたコナンの目に、森の中、ベンチで一人空を仰ぐ哀の姿が映った。
「……ったく、いくらキャンプ場の中だからって女一人で出歩くなよな」
「工藤君……」
一瞬、驚いたように目を丸くした哀だったが、「そうね、あなたと違ってお腹をすかせた狼もいるだろうし」とクスッと笑う。
「おめえな……オレの事、完全に安全パイだと思ってねえか?」
「え?」
「その…オレだって男だからよ……身体だって成長して段々元に戻ってるし……」
コナンは意を決するように言葉を続けた。
「ましてやオレ、おめえの事……」
「……本当、いつの間にか成長してるのよね」
「へ…?」
ふいに話の矛先を変えられ、一人どきまぎしていたコナンは肩透かしをくらってしまった。
「今朝、吉田さん、やけに早く来たでしょ?『ワクワクして待ちきれなかった?』って聞いたら『ううん、歩美もキャンプのお料理、ちゃんと準備出来るようになりたいから』ですって」
「……そっか、歩美もか」
「え…?」
コナンは哀の横に腰を下ろすと先ほどの光彦とのやりとりを話した。
「そう、やっぱり円谷君達も……いつも一緒にいるから気付かなかったけど彼らも確実に成長してるのね」
「みたいだな」
「……博士が言う『大人のアドバイス』もまんざらでもなかったって事かしら?」
「あん?」
「『女の子が男のわしらと同じテントというのもそろそろまずいじゃろう』なんて言い出すのよ。大方、フサエさんに言われたんでしょうけど」
「確かに……博士がそんな事に気が回るとは思えねえしな」
コナンは思わず苦笑した。
「けどよ、成長するのはアイツらだけじゃねえぜ」
「え…?」
「オレだっていつまでもガキじゃねえ。後になって後悔しないように自分の気持ちくらいはっきり言えるようになったつもりだ」
「工藤君…?」
「灰原…オレ、おめえが……」
哀の瞳を見つめ、彼女の肩に手をかけようとした時だった。
「あ…!」
「……!?」
「流れ星……」
思わず哀の指差す方向に振り返ったコナンだったが、時既に遅く視界には秋の星座しか映らなかった。
「……ったく、現実は映画みたいに上手くいかねえな」
「え…?」
「こっちの話。それより……流れ星に願い事を3回唱えると願いが叶うって言うよな?」
「そんなの無理に決まってるでしょ?一秒で20キロから70キロの速さで流れるのよ」
「……相変わらず夢ねえな」
「あら、名探偵さんは意外とロマンチストだったのね」
クスッと笑う哀にコナンは思わず微笑んだ。
「冷えてきたな。そろそろ戻るか?ロッジまで送るぜ」
「ええ」
東京では見られない満天の星空の下、二人はゆっくりと歩き出した。



「……おかしいな」
翌日。トレッキングコースの出発点でコナンは腕時計を見て呟いた。待ち合わせ時間を15分も過ぎているのに哀と歩美が現れないのである。
「女の子は支度に時間がかかると言うからのう」
阿笠は相変わらずのんびり構えている。
「そりゃそうだけどよ、灰原まで遅刻っていうのがちょっと……な」
「昨日食いすぎて腹でも壊したんじゃねえか?」
「元太君じゃあるまいし……それはないと思いますよ」
光彦が苦笑した時だった。「ごめんねー!」という元気な声が聞こえたかと思うと、ロッジの方から歩美が走って来る。
「あれ?歩美ちゃん、灰原さんはどうしたんですか?」
「それが……哀ちゃん、とっても幸せそうな顔して寝てたから起こせなくて……」
「歩美……」
「ごめんね、みんなでトレッキングしようって約束だったのに」
「いや…構わねえさ」
「そうじゃの、無理に起こす事もあるまい」
阿笠がニッコリ微笑むと「それでは出発じゃ!」と音頭をとった。
「オーッ!」
森の中に三人の元気な声が響く。子供以外の何物でもないその姿にコナンはフッと微笑んだ。



あとがき



コナン世界はすっかり「サザエさん」状態ですが、少しずつ成長する少年探偵団とそれに触発されるコナン、哀というテーマで書いてみました。もっとも、ネタが降りてきたきっかけは「天国へのカウントダウン」を見て「この子達、いつまで一つのテントで寝るのかな?」と単純に思った事だったりします。
それにしても二度も告白しそこねた江戸川君の想いは哀嬢に伝ったのでしょうか?微妙ですね@笑