僕らの課外授業



『女心と秋の空』とはよく言ったもので、昼過ぎから米花町に雨を降らせていた雨雲は午後3時過ぎにはすっかり姿を消していた。
「チェッ、今頃晴れて来やがって…!」
下校途中、小嶋元太は頭上に広がる青空に向かって憎々しそうに呟くと、「なあ、公園でサッカーやって行こうぜ!」と、目の前に見えて来た米花公園を指差した。
「やろうやろう!コナン君、教えてくれるよね?」
楽しみにしていた午後の体育の授業が読書会に変わってしまった事もあり、無邪気に賛同する吉田歩美に江戸川コナンは困ったような表情になると、「悪ぃけどパス」と返した。
「何だよコナン、付き合い悪ぃな」
「仕方ねえだろ?だって今日は……」
「三ヶ月前から楽しみにしていた『探偵左門寺シリーズ 消せないダイイング・メッセージ』下巻の発売日……違う?」
悪戯っ子のようにクスッと笑ってコナンの台詞を取り上げたのは言うまでもない、灰原哀だ。
「文句あっかよ?」
「別に。ただ、あなたみたいなミステリー・グルメさんが話題作の発売延期を知らないなんて……どうりで天気予報がはずれた訳ね」
「まじかよ!?」
哀の口から出た信じられない情報にコナンは慌てて携帯電話を取り出すと、ブックマークしてある出版社のサイトを呼び出した。それによると作者、新名香保里たっての希望で書籍化にあたり数箇所再校正される事となり、急遽発売日が10日ほどずれたらしい。
「嘘だろ!?金曜の夜に見た時にはこんな情報、載ってなかったぜ!」
「今朝の更新でしょ?あなたならとっくにチェックしてると思ったんだけど」
「この土日はおっちゃんの仕事の関係で遠出してたんだよ。そしたらまた事件が起きてよぉ……」
「出掛ける度に事件に巻き込まれるなんて……平成のホームズも辛いわね」
「……」
あからさまな皮肉にコナンはムスッと顔をしかめると、「……わーったよ、サッカーでも何でも付き合えばいいんだろ?」と、溜息とともに呟いた。その言葉に歩美と元太がパッと顔を輝かせる一方、ためらいがちに「あの…すみません、ボク、今日は……」と切り出したのは円谷光彦だった。
「え…?」
「嘘だろ?光彦、お前までコナンみたいな事言うなよな」
「いえ、本当に用事があるんです」
光彦の真剣な口調に元太もどうやら冗談ではないと察したようで、「オレ達より大事な用って何なんだよ?」と食ってかかる。
「実は前々から両親に姉が通っている学習塾へボクもそろそろ通ったらどうだと言われてまして……今日が無料体験日だというので行ってみる事にしたんです」
「学習塾ねぇ……」
そういえば光彦の両親は揃って学校の教師だった事を思い出し、コナンはさすが教育熱心だな、と内心感嘆した。
「そんな訳で申し訳ないんですが、今日はちょっと……」
光彦のきっぱりとした態度に元太も諦めたのか、「……五人揃わなきゃ意味ねえしな。今日は大人しく帰るか?」と歩美を見る。が、当の歩美の視線は全く別の方向を見つめていた。
「おい、歩美!」
「え?」
「どうしたんだよ?ボーっとして」
「ボーっとなんかしてないもん」
歩美はプウと頬を膨らませると、「あのポスターを見てたら昨日の夜、お母さんが言ってた事を思い出して……」と、美容院のドアに貼られたバレエスタジオの広告を指差した。
「ひょっとして歩美ちゃん、あのバレエスタジオに通うんですか?」
「ううん、『興味あるなら習いに行く?』って誘われただけなんだけど……」
ふいに歩美は言葉を切ると、「ねえ、哀ちゃんも一緒に行かない?」と、哀の顔を覗き込んだ。
「え…?」
「だって一人で習うより哀ちゃんと一緒の方がきっと楽しいもん」
ニコニコ笑って自分を見つめる歩美にしばし困った様子の哀だったが、「……悪いけど出来ない相談ね」と肩をすくめた。
「私、バレエに興味ないから」
「哀ちゃん……」
珍しくつっけんどんな態度で接する哀に歩美の目には薄っすらと涙が浮かんでいる。険悪な雰囲気にコナンは慌てて「そういえば元太、おめえはどうなんだよ?」と、慌てて会話に加わった。
「オレ?父ちゃんはスイミングスクールにでも通って痩せろって言うけどよ……」
「けど…何だよ?」
「『そんな所に金払って通わなくても店の手伝いをすれば嫌でも痩せる』って母ちゃんが言うからさ」
「さすが元太の母さん、しっかりしてるな」
「元太君の家はかかあ天下ですからね」
「光彦君、『かかあ天下』って何?」
「『かかあ天下』って言うのは家族の中でお母さんがお父さんよりも強い家の事ですよ」
「ふーん……歩美の家はそうでもないなあ……」
そんなこんな会話が進むうちにいつの間にか5人はいつも二手に別れる交差点へと辿り着いていた。
「それでは、また明日」
「明日こそはサッカーやろうぜ!」
「コナン君、哀ちゃん、バイバイ!」
口々に別れを告げる三人にコナンは「おう」と答えると、沈黙を守ったままの哀とともに再び歩き出した。



「……何かあったのか?」
三人組と別れ、しばし会話もなく家路を歩いていたコナンは、阿笠邸が視界に入って来たのを合図に哀に声を掛けた。
「どういう意味?」
「おめえが歩美にまで辛くあたるなんて何かあったとしか思えねえだろ?」
「別に。言ったでしょ?バレエに興味はない、って」
「そりゃ……おめえがああいうものに興味があるとは思えねえけどよ、言い方ってもんが……」
「相変らずフェミニストなのね、名探偵さん」
「あのなぁ……」
コナンの反論は「今更何かを習うなんて……興味ないわよ」という哀の台詞に遮られた。
「幼い頃から組織の命令で常に何かを習わされていたわ。一番古い記憶でも英語、ドイツ語、日本で言うところの算数や理科、そして……射撃」
「……!?」
通常、幼い子供には縁がない射撃という言葉にコナンは思わず足を止めた。それにつられるかのように哀もその場に立ち止まる。
「全部が全部役に立たなかったとまでは言わないわ。でも、そんな組織の英才教育の積み重ねが私にAPTX4869を作らせた……ジンに『神秘的な毒薬』とまで言われたあの薬をね」
「けどよぉ、おめえ、毒なんか作ってるつもりなかったって……」
「勿論、APTX4869の本来の目的は決して殺人なんかじゃないわ。でも、あの薬が多くの人の命を奪ってしまった事に変わりはないでしょう?」
「……」
一瞬、哀の表情に陰が差し、内心しまったと後悔したのも束の間、「第一、居候の私がこれ以上博士の迷惑になる訳にはいかないでしょ?」と睨まれ、コナンは「そりゃ……」と慌てて会話を続けた。
「けどよぉ、おめえがもし何か習いたいって言ったら喜んで通わせてくれると思うぜ?バレエに興味ないならピアノでも習ったらどうだ?オレん家にグランドピアノあるしよ」
「あなたが歌でも習いに行くって言うなら考えてみてもいいけど?」
「それは……」
勝ち誇ったような哀の表情にどうやら習い事の話はこれ以上続けない方が無難だと判断し、コナンが別の話題に切り替えようとしたその時、哀が思い出したように「……お姉ちゃんが昔言ってた事ってこういう意味だったのね」と呟いた。
「あん?」
「円谷君は学習塾、吉田さんはバレエ教室、小嶋君は家のお手伝い……今までずっと一緒に遊んでた子達が段々別行動するようになるじゃない?」
「あ、ああ……」
「小さい頃、お姉ちゃんが電話で言ってたの。『志保が一緒に暮らしてれば毎日学校帰りに一緒に遊べるのに』って。組織の車で送り迎えされてた私と違ってお姉ちゃんは友達と一緒に下校してるはずなのにどうしてそんな事言うのかずっと疑問だったんだけど……」
「確かに……仲の良い友達でも段々一緒に帰らなくなったな。オレは習い事とは縁がなかったけどよ、蘭が空手を習い始めてからは一人で帰る事が多かったし……」
しみじみと呟くコナンに哀が「名探偵さんも寂しくなるわね」と、悪戯っ子のような視線を投げる。
「あん?」
「あの子達が習い事を始めたら探偵ごっこに付き合ってくれる仲間がいなくなっちゃうじゃない?」
「バーロー。事件が起こる度、ウロチョロされて迷惑してたんだ。清々するぜ」
憎まれ口とは裏腹に寂しさを感じる事も否定出来ず、コナンは哀に「んじゃな」とだけ言うと、居候している毛利家へと歩き出した。



翌朝。
蘭とともに登校しようと毛利探偵事務所を出たコナンを思いがけない人物が出迎えた。
「よぉ」
「元太!?どうしたんだよ、いつも遅刻スレスレのおめえが……」
「……」
一緒にいた蘭も元太のノンビリ屋ぶりを知っているだけに何かあった事を悟ったのだろう。「コナン君、私、先に行くね」と言い残すと、一人先に歩いて行った。
「光彦の事か?」
ずばり指摘するコナンに元太は「あ、ああ……」と頷くと、「コナン、お前のところに光彦から電話あったか?」と、探るような視線を向けた。
「いや、別に」
「そっか……」
コナンの答えに元太が深々と溜息をつくと、「実はよぉ、昨日の夜10時くらいだったかな?アイツから電話があってさ……」と切り出す。
「なんかすっげー興奮しててさ。学校の授業より遥かに面白かったとか、レベルが段違いだとか……」
あの常識の塊の光彦が夜の10時過ぎに電話を掛ける事からして、その興奮ぶりが尋常でなかった事は簡単に想像がつく。
「あんまり嬉しそうに話すからよ、オレ、『そんなに楽しい塾なら勝手に通えばいいじゃねえか!』って…その……途中で電話切っちまって……」
「で?光彦と顔を合わせにくくてオレと先に合流したって訳か?」
「あ、ああ……」
相変らず図体の大きい小心者の親友にコナンが苦笑したその時、「あら、今朝は珍しい人が一緒なのね」という台詞とともに哀が姿を見せた。
「ああ、また雨が降らないといいけどな」
元太のどこかよそよそしい態度に哀も何かを感じたのだろう。「せっかく力持ちの小嶋君がいる事だし…これ、お願いね」と、持っていた布のトートバッグを元太に押し付けると、何事もなかったかのようにコナン、元太とともに歩き出した。



「コナン君、哀ちゃん、おはよー!」
毎朝、三人組と落ち合う交差点まで辿り着くと、歩美が大きく手を振ってコナン、哀、元太を迎えた。
「よお」
「おはよう、吉田さん」
「あれ?元太君、コナン君達と一緒だったの?」
「あ、ああ、ちょっとコナンに用があってさ」
「だったら連絡してくれれば良かったのに……光彦君、『ひょっとしてまた寝坊してるんじゃないですか?』って言って、今、元太君のお家に行ってるんだよ?」
不満そうに歩美が呟いたその時、「なんだ、元太君、もういるじゃないですか〜」という台詞とともに光彦が交差点の向こう側から駆けて来た。
「オ、オレだって寝坊ばっかすっかよ!」
拗ねたように口を尖らす元太を尻目にコナンが「なあ、光彦」と口を開く。
「なんですか?」
「おめえ、やっぱ学習塾、行く事にしたのか?」
いきなり核心をつくコナンに焦ったのか、元太が金魚のように口をパクパクさせる。
「そうですね、先生の話は面白いですし、何よりレベルの高い環境で勉強するのは非常に刺激的ですし……」
意気揚々と喋る光彦にコナンも彼がやはり塾へ通う事にしたのかと思ったその時、「でも、止めました」という言葉がその口から出た。
「大分迷ったんですけど……ボクにとっては探偵団のみんなと事件を解決する事の方がもっともっと刺激的ですから」
晴れやかに言う光彦に元太が「な、何だよ、だったら昨日の夜の電話でそう言えよな!」と食ってかかる。
「何言ってるんですか?人の話を最後まで聞かずに電話を切っちゃったのは元太君の方じゃないですか!」
「そ、それは……」
反論の余地を奪われ、オロオロする元太に歩美がニッコリ笑うと、「元太君、歩美もバレエ教室通うの止めたんだよ」と口を開く。
「歩美ね、どうしても自分がやりたい事だったら哀ちゃんが一緒じゃなくても絶対やると思うんだ。だから今はきっとバレエより探偵団のみんなと一緒に遊んだり事件解いたりしたいんだって気付いたの」
親友達の口から出た結論に元太の顔からやっと笑顔がこぼれる。その様子に「……どうやらあなたの苦労はまだまだ続きそうね」と哀がクスッと笑った。
「……みてえだな」
コナンは苦笑すると、いつも通りの賑やかな会話に戻った三人組を穏やかな視線で見つめた。



あとがき



キリ番を踏んだ訳でもないのに素敵ナッキ−イラストをプレゼントして下さったナナタキワサビ様のリクで「温かい雰囲気の少年探偵団もの」。イラストはこのテキストをイメージしてナナタキ様が描いて下さったものです(これじゃお礼になってないですよねえ^^;)
この五人、今時の子供にしては珍しく一人も習い事をしてないなーと気付き、書いてみたお話ですが、ラストはお約束通りリセットしています。
ちなみにこの頃の歩美ちゃんは私の作品でも原作どおりのキング・オブ・女の子って事で@苦笑