ボーダーライン




「ええ、明日の10時50分着で帰るわ。迎え?いいわよ、タクシーで帰る……え?ついでに美味しいランチでも?うん、うん……じゃ、甘えちゃおっかな♪ありがとう、優作、愛してるv」
すっかりご機嫌な様子で携帯の通話を切る母、有希子にコナンは「……ったく、いい年して『優作、愛してるv』なんてよくやるぜ」と呆れたような視線を送った。
「あら、新ちゃんったら中身二十歳過ぎたっていうのにヤキモチ?カ〜ワイイv」
「バ、バーロー、誰がヤキモチなんか……!」
小悪魔のような笑みを浮かべて近寄って来る有希子にコナンは慌てて顔を背けた。こういう笑顔を浮かべるのは何かを企んでいる時だという事は嫌というほど分かっている。当の本人はそんな息子の反応を楽しんでいるのだから性質が悪い。
「だったら教えてくれる?」
「な、何をだよ?」
「何って……やぁね、決まってるじゃない。新ちゃんが女の子から初めて『愛してる』って言われたのはいつ頃の話だったの?」
興味津々な様子で迫って来る母にコナンは「そ、それは……」と言葉を濁した。
江戸川コナンとなってしまい常に探偵団とつるんでいる現在はともかく、工藤新一だった時は蘭を含め何人かの女の子から好意を伝えられた事がある。しかしそれは常に『好き』という言葉だった。
(オレとしては『愛してる』でも『好き』でも変わんねーと思うんだけど……)
ハァと溜息を落としたその時、コナンの脳裏に父、優作と交わした会話が浮かんだ。



「それじゃあ優ちゃん、新ちゃんの事お願いね♪」
「シャロンと会うのは久し振りなんだろ?こっちの事は心配いらないから楽しんで来るといい」
「ありがとっ!愛してるv」
チュッと投げキッスを送る妻に笑顔で手を振ると「……それで?さっきから未来の名探偵は何がそんなに不機嫌なのかな?」と幼い新一の方へ振り返った。
「何がって……父さんは気付いてないのかよ?」
「何の事だ?」
「母さん、父さんは『愛してる』って言っとけば何でも我儘聞いてくれると思ってるぜ、絶対」
ムスッとした顔で呟く息子に優作は「お前の母さんはそこまで莫迦な女じゃないと思うぞ?」と苦笑した。
「けど母さん、ファンの人にもよく言ってるじゃねーか。『応援してくれてありがとう!愛してるv』って。オレにはあの営業スマイルと父さんに『愛してるv』っていう時の笑顔、どう見ても同じに見えるけど?父さんには違いが分かるっていうのかよ?」
新一の指摘に優作は「ふむ……」と考え込むように顎に手をかけたが、「それでは尋ねるが……新一、お前は『愛してる』と『好き』の違いが分かるか?」と幼い息子を正面から見据えた。
「『愛してる』と『好き』?そんなの意味は大体同じようなもんだろ?」
「確かに好意を抱くという意味では同じだな。だが私が尋ねたいのはお前ならこの二つの動詞をどう使い分けるかという事なんだが?」
「え…?」
悪戯っ子のような笑みを浮かべる優作に幼い頭脳をフル回転するものの、はっきりとした答えを導き出せず、新一は「……んなのどっち使ってもいーじゃねーか」とイライラしたように父を睨んだ。
「さすがに今のお前には難し過ぎたか」
「だったら正解を教えてくれよ」
「残念だが正解なんてものは存在しないんだ。この二つの言葉をどう使い分けるか……それは人それぞれだろうからな」
「はぁ?」
「だがな、新一。母さんはきちんと使い分けているぞ。だからこそ私も彼女に『愛してる』と返せるんだ」
きっぱりとした口調で言う父に新一は「正解のない問題なんてあるのかよ?」と頬を膨らませた。



「新ちゃん?もしも〜し、聞こえますか〜?」
目の前をヒラヒラする大きな手にコナンはハッと我に返った。
「どーしたの?何やら考え込んじゃって……ハハーン、さては新ちゃん、愛してると言われた事なんてないって答えるのが恥ずかしいんでしょ?」
「バ、バーロー、オレだって……!」
「オレだって?」
「その……」
「ん〜?」
「一応……蘭に『好きだよ』って言われた事はあるし、知らない女の子からいきなり『好きです』って告白された事はあるぜ?けど『愛してる』とは……」
しどろもどろに答える息子に有希子はニマッと笑うと「そっかそっか」と納得したような様子である。
「あの哀ちゃんがストレートに『愛してる』なんて言う訳ないわよね〜。そもそも新ちゃんから言ってあげた事もないみたいだし。中学生になったらサッカー部のマネージャーやってくれってお願いしたんだっけ?それでよくお付き合いに至ったものだと逆に感心しちゃうわ」
信じられないと言いたげな有希子にコナンはしばしの間黙り込んでいたが、我知らず「なあ母さん、『愛してる』と『好き』の違いって何だと思う?」と幼い頃父、優作に投げられた質問を呟いていた。
「何よ、急に改まって」
「昔、父さんに言われたんだ。『愛してる』と『好き』の違いに正解なんてない、ただこの二つの言葉をどう使い分けるかは人それぞれだって。だけど母さんはきちんと使い分けてるって断言してて……だから母さんがどう使い分けているのか知りたくてさ」
「『愛してる』と『好き』ねえ……そんな事急に聞かれても答えられないわよ。だって私、意識してないもの」
「ええっ!?」
「それに優作、どう使い分けるかは人それぞれだって言ってたんでしょ?新ちゃん自身が答えを見付けなくちゃ意味ないんじゃないかな〜?」
ニヤニヤ笑って余裕な視線を向ける母に言葉を失うコナンだったが、ポケットの中の携帯が鳴る音に意識を取られた。
「はい……なんだ、灰原か。何かあった……えっ?」
無言で通話を切るコナンの様子に「どうかしたの?」と有希子が顔を覗き込んで来る。
「買い物帰りに足を挫いたらしいんだ。米花公園で少し休んでから帰るから有希子さんによろしくってさ。ったく、どーせセール品を山ほど買い込んだに違いねえぜ」
「新ちゃんったら、哀ちゃんが一生懸命節約してるっていうのに愚痴言ってる場合?さっさと迎えに行ってあげなさいよ」
「迎えに行けって……見送らないと文句言うくせによく言うぜ」
「失礼ね、私だって優先順位くらい分かるわよ。こんな夕刻に小学四年生の女の子が一人でポツンとしてたら危ないんじゃない?ホラ、さっさと行った行った」
もう用はないと言いたげにシッシッと手を払う有希子にコナンは「くれぐれも鍵、掛けてってくれよな」と肩をすくめるとリビングを後にした。



夕暮れ時という事もあり米花公園は人もまばらで、追跡メガネを使う事もなくコナンは無事哀を見付ける事が出来た。
「おい、大丈夫か?」
「工藤君……」
哀は驚いたように目を丸くすると「私は大丈夫だからって言ったのに……」と苦笑した。
「オメーの大丈夫はあてにならねーからな」
「心外ね。あなたほどじゃないと思うけど?」
遠慮なく辛辣な言葉を返す哀にコナンは「母さんの事は気にするな。スーツケースはタクシーの運転手が運んでくれるだろうし、オレとしてもいい加減子離れして欲しいからな」と彼女の心配を先回りするように呟いた。
「男の子だものね、気持ちが分からなくもないけど……子離れなんて贅沢言ったらバチが当たるわよ?」
「かもな」
「あら、随分素直なのね」
「オメーの境遇を思えば贅沢な悩みだって一応理解はしてるからな。あんな親でもオレにとってはかけがえのない――」
自分の口から出た『かけがえのない』という単語にコナンはハッと言葉を切った。
(なるほど、そういう事か)
何かを悟ったような笑みを浮かべるコナンに哀は「ちょっと、何一人で納得してるのよ?」と不機嫌そうな声を出した。
「なあ、灰原。オメー『愛してる』と『好き』の違いって何だと思う?」
「『愛してる』と『好き』の違い?」
「ホラ、オレの母さんって何かっていうと『愛してる』って口にするだろ?」
「有希子さん、愛情表現がストレートですもんね」
「オレ、ガキの頃から母さんが言う『愛してる』は都合がいい時に使う決まり文句だと思ってたんだけど……そうじゃなかったんだな。母さんは自分にとってかけがえのない存在に対して『愛してる』って言ってたんだ。それも無意識に」
「だからこそあなた自身も小さい頃から散々言われて来たんじゃない?」
「さすがにこの年になると時々うっとうしいと感じる事もあるけどな」
コナンは苦笑すると「けどその言葉、オレにとってはかけがえのない存在ってだけじゃ足りねえんだ」と真面目な表情になった。
「この姿になって初めて気付いたんだけどさ、『工藤新一』だった時、オレは無意識に自分のダメな所や情けない姿を他人に見せないようにしてたと思うんだ。常にかっこ良く頼れる男を演じてたっつーか……」
「かっこいい云々はともかく私からすればあなたは充分強い人だと思うけど?」
「幸か不幸かこれまでは自分の中で消化出来たってだけの話さ。けどオレにだっていつか限界は来る。所詮ちっぽけな人間に過ぎないからな」
いつになく真剣な口調のコナンに哀はしばし沈黙を守っていたが、「で?それがあなたにとっての『愛してる』とどう関係があるっていうの?」と肩をすくめた。
「いちいち言葉で言わなくてもオメーなら分かってくれてるとは思ってる。けど……一度ははっきり伝えておくべきだと思ってさ」
「え…?」
「探偵なんてやってると人間の醜い部分や脆い部分を嫌って程見せられるだろ?」
「でしょうね」
「オレさ、オメーの前では何故か素のままの自分でいられるんだ。虚勢を張った所で見破られちまうのがオチだしな。けどそれが妙に心地良くて……蘭相手に自分を曝け出せなかったのはオレにとってアイツが異性としては『好き』に過ぎねえ存在だったって事だと思う。オレにとって『愛してる』って言葉を贈りたい女は灰原……オメーだけだって事をな」
「工藤君……」
思いがけない正面からの告白に哀は思わず視線を逸らしてしまう。コナンはそんな彼女の頬を優しく包み込むとそっと顎に手をかけ、触れるだけのキスを落とした。
「……本当、気障ね」
「……で?」
「え…?」
「オメーはオレの事どう思ってくれてる訳?」
「なによ、その『オレは言ったんだからお前も言え』って言い方。一体何の罰ゲーム?」
「うっせー」
「そうね、あなたは……私にとって『愛してる』って言葉じゃ足りないくらい大切でかけがえのない人……ってところかしら?」
「え……」
いつにない哀の素直な言葉に感激のあまり言葉を失うコナンだったが、「……博士の次にね」と悪戯っ子のような笑みと共に一言付け加えられ一気に力が抜けてしまった。
「オメーな……最後の一言が余計だっつーの!」
「仕方ないでしょ?事実だもの」
「だからって……このシチュエーションで言う事じゃねーだろーが!」
「嘘ついたところでどうせ見透かすでしょ?名探偵さん」
「……」
言い返したくても下手に言い返せば墓穴を掘るだけで、コナンは哀の傍らに置かれたエコバッグを手に取ると「ホラ、肩貸してやっから。帰るぞ」とベンチから立ち上がった。
「肩貸すって……もう一つ荷物あるんだけど」
「あん?」
「珍しくお米が安かったから……」
「……さすがにこの身体じゃ無理だな。仕方ねえ、公園出た所に行きつけの本屋があるから預かってもらうか」
エコバッグを持ち上げて初めて視界に入った米10キロの袋にコナンは盛大な溜息をついた。




あとがき



サイト8周年記念企画フリリク「やっぱり志保ちゃん、的なやつ」より。
プロット的に志保さんでは無理だったので哀ちゃんになってしまいました。申し訳ありません@土下座
単純にオチから思い付いた作品でしたが、『愛してる』と『好き』の違いという妙に哲学的なテーマに筆がすっかり鈍り、ちょうど立ち上がったアンソロ企画をいい事にしばらく放置プレイしていたという←
とりあえず普段より江戸川が少しは報われているのでいいという事にしておきます@爆