Buddy



「なあ、この家、ペーパークリーナーの予備ってどこにあるんだ?」
「玄関の横にある棚の中よ。取って来てくれる?」
「へいへい」とリビングから出て行くコナンに哀は思わず苦笑した。長年我が物顔で居座る事が多かったものの、実際に住むとなると勝手が違うようで、オレ様気質な名探偵が借りて来た猫のように大人しく従う姿はある意味貴重かもしれない。
コナンが毛利探偵事務所を出て阿笠邸に転がり込んでから3日目。今日は夕方から『コナン君の引っ越し祝い』と称して探偵団の子供達が遊びに来る事になっている。「散らばっている荷物を片付けた方が……」という哀の一言から思いがけず大掃除となってしまった原因は新たな同居人が持ち込んだ大量の推理小説に他ならなかった。
(博士といい工藤君といい……どうして男の人って片付けが苦手なのかしらね?)
心の中で思わず愚痴をこぼす哀だったが、「おい、もう一枚しか残ってねえぞ」というコナンの声に現実へと引き戻された。
「え?」
「オメーが消耗品切らすなんて珍しいじゃん」
空になったパッケージをヒラヒラと手で弄ぶコナンに哀の表情が渋くなる。
「仕方ないでしょ?買い出しへ行こうと思っていた水曜日に誰かさんのせいで事件に巻き込まれちゃったんだから」
「あ……」
恨めしげに呟く哀にコナンが思わず言葉を失ったその時、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。
「アイツらもう来たのかよ…!」
「バカね、約束の時間まで2時間もあるのよ?そんなはずないじゃない」
「けど今日他に客なんか来る予定……」
「どうせセールスか何かでしょ?適当に追っ払って来るからあなたは大人しく掃除を続けてて頂戴」
「見かけは一応小学2年生の女の子なんだ。オレが応対する方が安全なんじゃねえの?」
「玄関を開けたら死体が倒れて来たなんて事になったら洒落にならないもの。遠慮させてもらうわ」
「んな事ある訳……」と言いかけたコナンだったが、そういえば蘭達とスキーへ行った時にそんな事件があった事を思い出し、誤魔化すような笑顔を浮かべる事しか出来ない。
「……どうやら心当たりがおありのようね」
コナンの反応に哀はやれやれと言いたげに小さく肩をすくめると玄関へ向かった。



ドアを開けた瞬間、目の前に現れた色黒の顔に今度は盛大な溜息が出る。
「よ!久し振りやな。元気やったか?」
「お陰様で……」
「工藤とはちょこちょこメールのやり取りしてるけどいっつも事件の話になってまうからなぁ。本当は例の組織のその後の話とか工藤自身の事とか色々聞きたい事はあるんやけど……」
賑やかに関西弁で捲し立てる平次を華麗にスルーすると、哀は「……ったく。居候先が変わったっていうだけでわざわざ様子を見に来るなんて。あなた、本当に工藤君が好きなのね」と呆れたような視線を投げた。
「居候先って何の事や?」
「何って……あなたの事だから探偵事務所の彼女から工藤君の居候先が変わったと聞きつけてここまで押し掛けて来たんでしょ?」
「聞きつけるも何も……そんな話初耳やで?」
「え…?」
噛み合わない会話に平次と哀が目を瞬かせたその時、「おい、灰原、どうかしたのか?」と話題の人物が顔を出す。
「服部…?」
「よ、よぉ、元気そうやな」
「そういうオメーもな。で?今日はどんな厄介事を運んで来たんだよ?」
「アホ、受験や、じゅ・け・ん!小学2年生のお子様と一緒にすんなや」
「オメー、本気でこっちの大学受ける気かよ?」
「そら西の高校生探偵と名高いこの服部平次様を失うんは地元大阪にとって大きな損失やろうけど、将来の事考えたら一度東京で暮らしてみるのも悪くないやろ?」
したり顔で主張する平次に「ハハ……」と乾いた笑いを浮かべる事しか出来ないコナンを他所にふいに哀が「ちょうどいい所に来てくれたわ」と会話に割り込んだ。
「服部君、お願いがあるんだけど」
「何や?」
「ちょっと買い物に行きたいんだけど付き合ってくれない?」
「ペーパークリーナーか?んなもんオレが一人で……」
「工藤君には引き続き掃除をお願いするわ。せっかく荷物持ちになってくれる人が来た事だし、ついでだから洗剤やら石鹸やら重たい物を買って来たいの」
有無を言わせないように言う哀にコナンと平次は黙って顔を見合わせた。



米花駅前のドラッグストアで日用品を買い込み、阿笠邸へと戻る途中、ふいに足を止める哀に平次もつられて立ち止まった。
「どうしたんや?」
「ここでいい?」
「へ…?」
「私に話があるんでしょ?」
「そ、それは……」
「工藤君の居候先が変わった事を知っていたならともかく、あなたが博士の家へ来る理由なんて他にないじゃない」
哀の指摘に平次は後頭部をポリポリ掻くと「……ったく。姉ちゃんには敵わんなあ」と困ったような笑顔を浮かべた。
「そやったら少し時間かかるって工藤に連絡せな……」
「その必要はないわ。私があなたを買い物に連れ出した時点で彼は気付いてるはずだから。『いつもならオレを使い走りにする灰原がおかしい』ってね」
「ハ、ハハ……」
頬を引きつらせる平次に哀はクスッと笑ってみせるとカフェのドアを開けた。時間が時間だけあって店内は幾分空席が目立つ。ウェイトレスに案内され、一番奥の座席に腰を下ろすと哀は早速メニューへ手を伸ばした。
「ここのカフェ、前から一度来てみたかったんだけど……さすがにこの姿で一人は無理だから諦めてたの」
「お茶くらい阿笠のじいさんに頼めば……」
「博士に奢ってもらうには少々お値段がね」
クスッと笑う哀に慌ててメニューへ視線を落とした平次はそこに書かれた金額に思わず絶句した。
(飲み物が……最低で800円!?)
「私、オレンジペコとイチゴタルトで。あなたは?」
「オ、オレは珈琲でええわ」
「あら、このお店、ケーキが美味しいって評判なのよ?」
「そら食ってみたいけど……」
「ケチな男はモテないわよ」
「ケチちゃうわ。こっちにも予算っちゅうもんがあるやん」
平次がきっぱり言い切ったその時、ウェイトレスが「お決まりですか?」と遠慮がちにやって来る。
「珈琲とオレンジペコとイチゴタルトを……」
「2人分お願いします」
「な…!?」
「あなたの分のケーキは私が奢るから。それで問題ないでしょ?」
小学生らしからぬ哀の言葉にウェイトレスが目を白黒させると「か、かしこまりました」と慌てて立ち去って行く。その様子に平次は思わず「ハハ……」と乾いた笑いを浮かべた。



「このケーキ、ほんま美味いなぁ!」
「頼んで正解だったでしょ?」
オーダーしたイチゴタルトを口に含むや否や満足そうな笑みを浮かべる平次に哀は思わず苦笑すると「それで?」と彼を正面から見つめた。
「あん?」
「私にどんな話があるっていうの?」
ストレートに切り込む哀に平次は肩をすくめると「確認したい事があんねん」と真面目な顔で呟いた。
「ここ最近、和葉のヤツが妙にベタベタして来よるから昨日遂に『らしくない真似すんなや!』ってブチ切れてしもてん。そしたらアイツ……『平次とあたしも工藤君と蘭ちゃんみたいになったらどないしょう……?』って涙目で訴えるんや」
「彼女とは幼い頃からずっと一緒に過ごして来たんでしょ?あなたが東京へ出て来る事になって不安なんじゃない?」
「オレも最初はそう思たんやけど……東京の大学へ進学したいゆうオレの希望にあんまりええ顔せえへんかったオレのおかんを説得してくれたのは和葉なんや。『静おばちゃんが寂しいのは分かるけど平次の希望叶えたって』言うてな」
「あなたを応援したい気持ちはあっても日が経つにつれあなたが離れて行く実感が染みて寂しくなった……違うかしら?」
「そりゃ多少はあるかもしれへん。そやけどつい2、3日くらい前まで『東京での生活が落ち着いたら色々案内してや……あ、勿論全部平次の奢りやでv』なんて調子こいてた人間の口から突然『あたしは蘭ちゃんと違って待ってばかりいられへん!』なんて台詞が飛び出して来たらいくら鈍感でも気付くやろ?工藤と毛利の姉ちゃんの間に何かあったってなぁ。案の定工藤にメールしても歯切れの悪い返事しか返って来んし……そやから姉ちゃんに会いに来たんや」
「……そこでどうして私に繋がるのか分からないんだけど」
「クールな振りしても無駄やで。姉ちゃんの工藤に対する気持ちはベルモットっちゅう女とやりあった事件だけ見てもハッキリしとるからなぁ。ま、それだけやったら姉ちゃんの片思いで済んだんやろうけど……姉ちゃんとおる時の工藤見とると何や楽しいて仕方ないいう顔しとるし。正体隠してるからええようなもんやけど、もし毛利の姉ちゃんが工藤と姉ちゃんの正体知った上であの顔見たら絶対嫉妬するで」
「……」
「なあ、工藤のヤツ、毛利の姉ちゃんと姉ちゃんの間で揺れてるんちゃうか?」
いつになく真剣な表情で尋ねる平次を誤魔化す訳にもいかず、哀はテーブルの上のティーカップを手に取ると「……本当、工藤君もバカよね」と自嘲するように呟いた。
「そやったら……」
「ええ、昨年のクリスマスに起きた事件が原因でね。幼馴染だった恋人同士がお互いにお互いを理想の恋人化し過ぎて素の姿が許せなくなっちゃったらしいんだけど……確かに工藤君と彼女は同じような関係かもしれないわ。でも……『同じ』と『同じような』はイコールじゃないのに……せっかく解毒剤が完成したっていうのに元の身体に戻る事さえ躊躇うなんて本当、バカとしか言いようがないじゃない」
「姉ちゃん……」
押し黙ってしまった哀に平次もしばし沈黙を守っていたが、やがて「姉ちゃん、意外に見えてへんなぁ」と呟くと目の前のケーキを口に放り込んだ。
「見えてない?私が?」
「工藤のヤツ、自分に言い訳してるんや。あれだけ大事にしとった毛利の姉ちゃんとの関係を捨ててまで姉ちゃんを選ぶ事が果たして正しいんかどうかって悩んでる自分に対してなぁ」
「そんな……工藤君はそんなずるい人じゃ……」
「解毒剤が出来たっちゅうのに飲まへんのがその証拠や。元の身体に戻ったら待ったなしで以前の生活に連れ戻されるからな。小学生の『江戸川コナン』でおる事で結論を先送りしてるんや。答えはもう出とるようなもんやのにハッキリせえへんねんからズルイとしか言いようがないやろ?」
「答えが出てる……?」
「以前の工藤やったら取るもんもとりあえず元の身体に戻ったはずや。試作品を散々要求されとった姉ちゃんなら嫌でも分かるやろ?」
「それは……」
「それにや、よく工藤が姉ちゃんの事『相棒』言うてるけどあれは姉ちゃんとの対等な関係が楽しくて仕方ないからや。探偵なんて人種を気取ってる人間がそれを大事にしたいと思うようになるのは自然な流れやし」
「でも……私は……」
「APTXの事で姉ちゃんが悩むんも分かるけどな、工藤は同情で女を選ぶほどお人好しやないし、自分がこうしたいて思ったらとことん突っ走る我儘な男や。工藤に選ばれたからっちゅうて姉ちゃんが毛利の姉ちゃんに罪悪感抱く必要はないと思うで?」
「……」
「ところで……姉ちゃんの方はどないやねん?」
「え…?」
「もし工藤が姉ちゃんを選んだ場合、自分の気持ちに正直になれるかて聞いてんねん」
「正直になるも何も……工藤君に私の気持ちはバレてるもの」
「なんや、あの鈍感な工藤にしては上出来やないか」
心底意外そうな表情になる平次に哀は苦笑すると「工藤君が彼女の元に戻ったとしても……」と遠くを見るような視線で呟いた。
「彼と出会って私の風が変わったの。絶望しか知らなかった私に彼は優しい世界を教えてくれたわ。だから今度は私が彼に追い風を送りたい……『相棒』と呼ばれるに相応しい存在でありたい……そう思ってるわ」
「姉ちゃん……」
「ま、工藤君の事を色々心配するのはあなたの勝手だけど……あれだけ一途に彼女を思っていた人なんだもの。一時の気の迷いだと思うわよ?ほとぼりが冷めたら何事もなかったかのように解毒剤を飲んで元の生活に戻るんじゃないかしら」
「そんな身も蓋もない事言わんでも……」
「大体人の心配をしてる暇があったらポニーテールの彼女との事を考えた方がいいんじゃなくて?あなたにとって大切な存在なんでしょう」
それ以上の会話を断ち切るように言うと哀はレシートを手にソファから立ち上がった。



思いがけず長居してしまったようで、阿笠邸に帰り着いた二人を迎えたのは「おかえり〜!」という少年探偵団の元気な声だった。
「博士の家へ来たらコナン君が一人で掃除してるんだもん。びっくりしちゃった!」
「ごめんなさい、ちょうど荷物持ちになってくれそうな人が来たから……」
しれっとした顔で答える哀に平次は自分の頬がピクピクするのを感じた。そんな平次の様子に全く気付いていないのか歩美が「平次お兄さん、こんにちは!」と満開の笑顔を向ける。
「おう、元気そうやな」
「西の名探偵も灰原さんにとっては荷物持ちなんですね」
「うっさいわ」
「なあ、兄ちゃん、それより何か美味い土産ねえのかよ?」
「相変わらず食い気だけは一人前な奴やなあ……」
「あなた達、あんまり江戸川君のお友達を困らせちゃダメよ」
たしなめるような哀の台詞に「はーい!」と答え、キッチンへと姿を消した三人に替わってコナンが平次の傍へやって来る。
「……ったく。アイツ等にとってはオメーもいいオモチャだな」
「ハハ……」
「それはそうと……随分遅かったけど何を話し込んで来たんだ?」
「ここじゃいつあの賑やかな連中に邪魔されるか分からへんし……工藤、場所変えようや」
真面目な顔でそう呟く平次にコナンは黙って頷くと隣に建つ自宅へと彼を案内した。



「悪ぃな、これだけ寒いと下のリビングじゃ温まるまでに30分かかっちまうから……」
2階の自室へとやって来るとコナンは暖房のスイッチをオンにした。
「普段誰も住んでないねんから仕方ないやろ。その割に随分綺麗やけど……」
「灰原が定期的に掃除してくれてるからな」
「ほーう、毛利の姉ちゃんやないんか?」
棘のある物言いにコナンはしばし黙っていたが、「……やっぱその話かよ」と床に座る平次をジトッと睨んだ。
「なあ工藤、親友のオレにくらい本音晒して楽になれや」
コナンは平次を無視するようにベッドに横になると「何が『楽になれ』だ、他人事だと思って……」と苦々しげに呟いた。
「確かに……蘭はオレにとって大切な存在だ。何があっても守りたいと思ってる。けどよ、正直、蘭が期待する『工藤新一』を考えると辛くなっちまってさ。アイツの口から『新一なら』とか『新一だったら』って言葉が出て来る度に追い詰められているような気がして……博士が家を改築する事になってこれ幸いとばかりに引っ越しちまったんだ」
「工藤……」
「自業自得だって事くらい分かってるさ。けどこの姿になって散々歯がゆい思いを経験して……自分のダメな部分や弱い部分を思い知らされた。そして……」
「自分を丸ごと受け入れてもらえる心地良さを知ってしもた……そういう事やろ?」
「ああ。おまけに灰原がオレの事を憎からず思ってくれてると知っちまったら……」
コナンはフッと苦笑すると「結局……オレは蘭にも灰原にも甘えてるんだよな」と視線を天井へと投げた。
「『待っててくれ』なんて都合いい事言って縛り続けて来た蘭を悲しませる事に対して覚悟が出来てねえんだ。蘭を裏切った自分を肯定出来なくてさ……そのくせ灰原には解毒剤の保管を強いて……本当、ずるいよな」
「工藤、お前、小っさい姉ちゃんの事どう思ってるんや?」
「正直……恋愛感情があるかどうかって聞かれると微妙なんだ。同情と勘違いしてるんじゃないかと疑う時もある。けどよ、アイツが傍にいてくれたらどんな難事件でも解決出来るような気がするんだ。何が待ち受けていても飛び込んで行ける、何が起ころうと立ち上がれる……そんな気がしてさ。ま、凶悪犯相手に顔色も変えず拳銃ぶっ放す女なんてそうそうお目にかかれねえだろうから仕方ねえけど……」
面白そうに呟くコナンに平次は「……あーあ、アホらしいて聞いてられんわ」と溜息を落とすと床から立ち上がった。
「何だよ、人に強引に喋らせて『アホらしい』はねえだろ?」
「アホらしいもんはアホらしいとしか言えんわ、ボケ」
さすがに今のコナンに先程の哀の言葉を聞かせてやる気にはなれず、平次は心の中で「何やお前と姉ちゃんの関係が羨ましいわ」と呟くと一人さっさと工藤邸を後にした。



あとがき



サイト8周年記念企画フリリク、「ほたるさんも平志(平哀)を!!」という事で挑戦させて頂きました。残念ながら「平哀タッグでコナンをぎゃふんと言わせるようなコメディチックなお話」にはならなかったのですが、普段素直になれない灰原がボソッと本音を漏らす相手としてアリかな?と。事情を全部知っている同年代の登場人物って考えてみたら平次だけのような気もしますし、ここは一つシリアス平次をお楽しみ下さい。
タイトルの「Buddy」は坂本真綾さんの楽曲。「相棒」をテーマにしたスピード感ある楽曲に萌えを頂き、一気に書き上げたという@苦笑
最後になりましたが、リクエストありがとうございました。