危険信号!?



阿笠博士とコナン、哀、そして少年探偵団の三人が事件現場となった米花ニューホテルを出て近くのファミリーレストランに入ったのは午後8時を回った頃だった。
「……それにしても予定より随分お粗末なバイキングになっちゃったわね」
テーブルの上に並んだ料理を見てチラリと嫌味を言う哀に「ま、でも、殺人事件が解決出来たんだからいいじゃねーか」とコナンが誤魔化すように笑う。
「そういえば珍しく元太君もお昼ごはんより事件に夢中だったね!」
「すぐ傍で殺人事件があったんだ。少年探偵団団長として当然だろ?」
得意げに胸を張る元太に渋い顔で「騙されちゃいけませんよ、歩美ちゃん」と光彦が口を挟む。
「元太君はしっかり三皿ほど平らげてから現場に移動したんですから」
「う…うっせーな!お前だって一緒だったじゃねーか!」
「ボクは元太君を一緒に連れて行こうと必死だっただけです。一緒にされるのは心外ですね」
歩美を巡る幼い恋の火花が導火線となり、今にも喧嘩が始まりそうになるのを「これこれ、せっかくの食事じゃ。楽しく頂こうじゃないか」と阿笠が必死になだめる。
「……ったく」
自分が三人組と同じ年齢だった頃はここまでませていたとは思えず、コナンは思わず溜息をついた。



元太の「オレ、もう満腹……」という台詞を合図に会計を済ませ、幼い三人を順番に自宅へ送り届ける。最後の小嶋酒店を後にする頃には時計の針は午後10時を過ぎていた。
「……なあ、博士」
元太の姿が自宅に消えた途端、コナンが思い出したように呟く。
「なんじゃ?」
「今夜は博士ん家に泊めてくれねえか?今から帰ってもどーせ蘭に怒られるだけだからな」
「ハハハ……相変わらず蘭君には頭が上がらんようじゃのう」
「うっせーな……」
顔をしかめると携帯を取り出し蘭の携帯を呼び出す。案の定、凄い剣幕で怒られたが、元太達も一緒だという嘘に蘭は渋々といった様子で了承してくれた。
「彼女、何ですって?」
「『ゲームばっかりやってないで早く寝なさいよ!』だとさ。……ったく、ガキ扱いしやがって……」
「まるでお母さんじゃな」
愉快そうに笑う阿笠の横からすかさず哀が「お母さんじゃなくて恋人でしょ?」と皮肉な突っ込みを入れて来る。普段なら嫌味の応酬が始まるところだが、『恋人』という言葉に赤井と明美の姿が脳裏に浮かびコナンは思わず言葉を失った。
「工藤君…?」
怪訝そうな声にハッと我に返ると哀が珍しいものを見るような目でコナンを見つめている。
「何よ、急にボーっとしちゃって……彼女と何かあったの?」
「べ、別に何もねえよ……」
コナンは誤魔化すように哀から視線を逸らすと「さ、オレ達も早く帰ろうぜ」と、一人さっさと夜道を歩き出した。



「疲れた〜!」
阿笠邸へと到着するや否やコナンはリビングのソファへゴロリと身を横たえた。そんなコナンを無視するように哀がキッチンからよく冷えた麦茶が入った冷水筒を持って来ると、テーブルの上に伏せてあったグラスをひっくり返し注いでいく。
「それにしても新一君と出掛けると決まり事のように事件に巻き込まれるんじゃから不思議じゃのう」
最後に阿笠がリビングに入って来ると哀からグラスを受け取り、麦茶を口に含んだ。
「本当、偶然とは思えないわよね。工藤君には一度御祓いに行ってもらった方がいいんじゃないかしら?」
二人の会話にコナンは身体を起こすと「へぇ……」と興味深そうな視線を哀に投げる。
「何よ?」
「おめえの口から『御祓い』なんて言葉が出て来るなんてな」
「悪い?」
「別に。ただ意外だなと思ってさ」
「私はただあなたにこれ以上その死神ぶりを発揮して欲しくないだけだけど?」
「死神ぶりって……」
コナンが思わず絶句したその時、電話のベルの音が鳴った。
「誰じゃ?こんな時間に……」
渋い顔で電話に出た阿笠の表情が一瞬にして嬉々としたものになる。その様子に電話の相手をてっきり彼の初恋の女性と思っていたコナンは「電話じゃよ、新一君」と受話器を手渡され、「オレ?」と思わず聞き返した。
「まさかまた蘭が掛けて来たんじゃねーだろーな?」
「バカ言うでない。いくらわしでも相手が蘭君だったら『コナン君』と呼ぶじゃろ?」
「……」
哀ほどとは言えないが阿笠は平次と違って無闇に自分を『工藤』とは呼ばない。然るに電話の相手はコナンの正体を知る人物という事になる。
「もしもし…?」
嫌な予感を押し殺し、電話に出たコナンは「ヤッホー、新ちゃん、あ・た・しw」という弾けた声に疲れがどっと押し寄せるのを感じた。
「母さんか……何なんだよ?こんな時間に一体……」
「こんな時間って……何度電話しても出なかったのはそっちでしょ?大体何よ、久し振りに電話したっていうのにそのツッケンドンな態度は〜!」
「……悪ぃけどオレ、事件解決して帰って来たばっかで疲れてんだ。父さんの愚痴ならまたにしてくれねえか?」
「失礼ね〜、最初から愚痴と決め付けないでくれる?」
「失礼も何も母さんからの電話は99.9%父さんの愚痴なんだから仕方ねーだろ?」
コナンと母、有希子のやりとりに電話が長くなると察したのだろう。哀が「私、先にお風呂に入って来るわね」と言い残すとリビングから出て行った。
「……で?愚痴じゃないって言うなら一体何の用なんだよ?」
「実は3日後から優作とロンドンへ行く事になってね、何かあった時のために連絡先を博士に伝えておこうと思ったの。そしたら新ちゃんがいるんだもの。びっくりしたわ」
「博士がタダ券当てたっていうから米花ニューホテルのランチバイキングに行ったんだよ。そしたら事件が起こって……遅くなっちまったから今夜はここに泊めてもらう事にしたんだ」
「新ちゃんの事だもの、どーせ豪華なバイキングを放り出して事件に夢中になっちゃったんでしょ?あ〜、勿体無い!優作もそうだけど美味しい料理より血なまぐさい事件を優先させるなんて私には考えられないわ」
「よく言うぜ、闇の男爵夫人とか言われていい気になってるくせによぉ」
「うるさいわね!大体、新ちゃんだって小さくなる前は……」
いつもなら更に漫才が続くところだが、さすがに丸一日子供の振りをして疲れたのか今夜はそんな気になれない。有希子の台詞を遮るようにコナンは小さく溜息をつくと「それはそうと…一体何だってんだ?」と話を切り換えた。
「え…?」
「バーロー、いつも思い立ったが吉日とばかりにフラッと出掛けちまう母さんがわざわざ連絡を入れてくるなんて何かあるとしか思えねえだろ?」
「ピンポーン!さすがねv」
悪びれもなく電話の向こうで明るく笑う母にコナンはやれやれと肩をすくめる。
「ロンドン行きが決まったのは日売テレビから優作を案内人にコナン・ドイルのドキュメンタリー番組を作りたいっていうオファーがあったからなの。イギリスの放送局と共同で制作するらしくて結構時間をかけた本格的なものらしいわ」
「ドキュメンタリー番組ねぇ……」
「優作ったら最初は渋い顔だったくせに企画の内容を聞いた途端張り切っちゃって……本当、子供なんだから」
父、優作が子供だったら自分は赤ん坊だろうか?コナンは複雑な心境にハハ…と苦笑するしかなかった。
「で?オレが羨ましがると思ってわざわざ電話して来たって訳か?」
「バカね、そんな筈ないでしょ?ここからが本題よ。実はインターポールが新ちゃんの身体を薬で小さくした組織の情報を掴んだらしくてね、リヨンにいる優作の友人が情報をくれるって言うの。だからついでにそっちに回ってみようって事になって」
「……やっぱりインターポールも動いてたのか」
「え…?」
「最近分かった事なんだけどよ、こっちじゃFBIだけじゃなくCIAも動いてやがったんだ。だからひょっとしたら……とは思ってたんだけどよ」
コナンの言葉に有希子は何でもない事のように「あら、そうだったの」と言うと「良かったじゃない。この分だと新ちゃんが無理しなくても例の組織、そのうち勝手に潰れてくれるかもv」と、勝手に都合のいい解釈をしてくれる。
「あのなぁ……そう簡単に潰れてくれりゃ苦労しねえってーの」
「苦労って……何かあったの?」
「実はちょっとまずい事になっててさ……」
コナンは阿笠に聞こえないよう声のトーンを少し落とした。



FBI捜査官、赤井の過去、そして哀の姉、宮野明美との関係を話すとさすがの有希子も驚いたのか電話の向こうでしばらく考え込んでいる様子だった。
「……って訳でさ、ちょっと困ってんだ。灰原のヤツ、赤井捜査官に興味を持っちまって……まさか姉さんを利用し死にまで追いやった男に会わせる訳にいかねえし……アイツのコネクションで組織に潜り込んだんだから当然、顔は知ってるだろうしな」
「確かに……忌々しき問題ね」
「……なあ、母さんならこんな場合どうするか聞かせてくれねえか?」
「うーん……」
珍しく黙り込む有希子にやはり難しい問題だよなと心の中で溜息をついたその時、「……いいじゃない、会わせちゃえば」というあっけらかんとした答えが返って来た。
「『会わせちゃえば』って……」
「だって新ちゃんが例の組織を追っている以上、この先いつ哀ちゃんと赤井って人が顔を合わせてもおかしくないじゃない。だったら下手にバッタリ会うよりあらかじめきちんと説明した上で会う方が哀ちゃんだって心の準備が出来ると思うけど?」
「そりゃまあ……」
確かに母の言い分にも一理ありコナンが言葉を飲み込むと、ふいに有希子が「それはそうと……新ちゃん、そんなに呑気に構えてていいの?」と問い詰めるような口調で尋ねて来る。
「な、何の事だよ?」
「哀ちゃん、その赤井って人に興味津々なんでしょ?放っておいちゃダメじゃない!」
「は?」
「分かってないわね〜。日頃、他人に興味を抱かない哀ちゃんみたいなタイプの女の子が『一度会ってみたい』だなんて口にするなんて危険信号以外の何物でもないでしょ!?」
「へ…?」
「しかもその赤井って人、お姉さんの元カレだなんて……姉妹で同じ男性を好きになるのはありがちなパターンなのよ?ウカウカしてると哀ちゃんの気持ち、新ちゃんからその人に移っちゃうから!」
「ちょ、ちょっと待てよ、別に灰原はオレの事なんか……」
「バカね、前に言ったでしょ?女の子が男の子の顔を見つめるのはその子の顔に何か付いてるかその子が好きな時だって」
「それっくらい覚えてるけどよぉ……アイツの態度からしてとてもオレをそんな対象として見てるとは思えねえんだよな。第一、オレは別に灰原の事……」
すでに有希子はコナンの言葉など全く聞いていない様子で「あ〜、普段は憎らしいくらい他人の心を見透かすくせにどうして自分の事となるとこうも鈍感なのかしら?信じられない…!」と、一人勝手に盛り上がっている。
このままではロンドン行きをキャンセルして日本に押し掛けて来そうな勢いに焦りを感じ始めたその時、ドアが開く音が聞こえたかと思うと哀が濡れた髪をタオルで拭きながらリビングへ入って来た。それを合図にコナンは「……んじゃ、オレ、そろそろ風呂に入っから。ロンドン、気をつけて行って来いよ」とだけ言い放ち、さっさと通話を切ってしまった。
受話器をテーブルに置き、ふうと大きな息をつくと哀がクスッと悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「……何だよ?」
「変ねえ、長電話は女の特権だと思ってたんだけど……」
「仕方ねえだろ?相手が相手だぞ。今日なんか短い方だぜ?」
コナンは肩をすくめると「博士、オレも風呂入って来っからよ」と言い残しリビングを後にした。



あとがき



コミックス58巻の哀ちゃんの「赤井さんに会ってみたい」発言を受けての捏造話。この後、コナンがこの問題を有希子ママあたりに相談したら相手が相手なので恋バナになっちゃうだろうなーという想像から生まれたネタです@爆笑 
原作ではどうせヤツの事なのでどうせまた一人で抱え込むんでしょうね^^;) 最後になりましたが、赤井は絶対生きてるよね、うん。