Flower of Thanks



「……君達、そろそろ帰らんと親御さんが心配するんではないかの?」
阿笠の言葉に少年探偵団の三人組は初めてテレビゲーム画面から視線を外し、壁際の時計を見た。
「えっ?もう7時!?」
「やべっ!早く帰らねえと母ちゃんに怒られる!」
「今日は宿題もたくさんありますからね。急がないと……」
いつの間に3人の間で役割分担が決まったのか、歩美が飲んでいたオレンジジュースのグラスを片付け、光彦がゲームデータをセーブし、元太が散らかっていた部屋を片付ける。子供達の成長著しい様子にキッチンで一人、ファッション雑誌を繰っていた哀は思わず微笑んだ。
(……いつの間に出来るようになったのかしらね)
ついこの間まで散らかった部屋を阿笠と二人、文句を言いながら片付けていたのに。同じ事は阿笠も感じているようで、三人が部屋を右往左往する姿をニコニコ見つめている。
哀は座っていた椅子から立ち上がると、グラスを洗い終えた歩美に「はい」と、布巾を差し出した。
「ありがとう、哀ちゃん」
「どういたしまして」
「それにしても……コナン君、結局帰って来なかったね」
「あの色黒ミステリーマニアさんと一緒なんだもの。当分帰って来ないでしょ」
阿笠邸でランドセルを降ろすや否や現れた服部平次に「事件や!」と連れ出されて早3時間。もしかしたら今夜は帰って来ないかもしれない。
「平次お兄さんは大学生だからいいけど、コナン君はまだ小学3年生なんだもん。もう少し考えてくれないと……」
コナンの事情を知らず、まるで母親のように心配する歩美に哀としては苦笑するしかない。
グラスを戸棚に片付け、キッチンからリビングへと戻ると「歩美ちゃん、灰原さん、見て下さい!」と光彦が興奮した様子でテレビ画面を指差した。
「うわー!ヒマワリ畑だ〜!」
歩美が一瞬で表情を輝かせると、元太と光彦を押しのけ、テレビの前に陣取ってしまう。
「ここどこ?北海道?」
「いえ、千葉県の成田市だそうです」
「成田?」
光彦の口から出た意外な答えに哀も思わず会話に加わった。
「『成田ゆめ牧場』という所にあるヒマワリで出来た巨大迷路だそうじゃ。今年は7月25日から開催されるようじゃの」
阿笠の説明に歩美の目が更に輝いた。
「ねえ博士、ここって車でどれくらいで行けるの?」
「そうじゃな、2時間もあれば余裕じゃと思うが……」
「歩美、こんなに大きなヒマワリ畑って見た事ないから行ってみたい!」
歩美のこの発言に元太と光彦が加勢しないはずがない。
「いいですね!もうすぐ夏休みですし」
「さっき美味しいケーキやアイスクリームもあるって言ってたよな!オレも行きてー!」
相変わらず花より団子の元太に阿笠は苦笑すると、「そうじゃな、いつも海や山ばかりじゃったからたまにはこういう観光スポットもいいじゃろう」と、視線を再びテレビ画面に投げた。
「哀ちゃんも行きたいよね?ヒマワリ畑!」
ここで哀の同意を得れば成田行きは決定すると確信しているのだろう。無邪気な笑顔を向ける歩美に哀は内心溜息をついた。テレビ画面の様子からも日差しが強いのは明らかで、肌が日焼けてしまう事は必至だが、幼い親友のこの笑顔には敵わない。
「そうね……都会じゃなかなかこれだけのヒマワリは見られないし。いいんじゃない?」
哀の返事に歩美は「そうだよね!」と、うんうん頷いてみせると、「博士、夏休みになったら連れてって!」と、阿笠の方に振り返った。
「哀君までそう言うんじゃ仕方ないのう……じゃったら30日の土曜日でどうかの?夏休みと言っても月曜から金曜は君達もプールや補習授業があるじゃろうし」
「うん!」
「ボクもその日なら大丈夫です!」
「じゃ、30日で決定だな!」
「あ…でもコナン君の予定を聞かないと……」
「いいんじゃない?どうせ江戸川君の予定って言えば推理小説の発売日くらいだろうし」
コナンの意思を無視するような哀の発言に阿笠は苦笑すると「いい天気になるといいんじゃが……」とカレンダーに赤い丸印を付けた。



「ヒマワリ畑〜?」
深夜。高木刑事の車で帰宅したコナンは阿笠と哀の話を聞いた途端、渋い表情で手にしていたコーヒーカップをテーブルの上に置いた。
「ヒマワリ畑というより正確に言えばヒマワリで出来た巨大迷路じゃがの」
「迷路って……何年前に流行った代物だよ」
「まあそう言うでない。他にも色々楽しめる施設があるようじゃし、たまには趣の違う場所へ遊びに行くのも悪くないじゃろ?」
「そりゃまあ……」
「……ま、あなたにとって一番楽しいのは事件を解決する事でしょうけど」
哀の嫌味にコナンはムッとした表情になると、「そういうおめえはまた『私パス』かよ?」と、からかうような視線を哀に投げた。
「そうね、正直あんなに日差しが強そうな場所には行きたくないけど……そんな事、吉田さんが許してくれるはずないでしょう?」
「……おめー、本当、歩美には甘いよな」
「その分誰かさんに手厳しくしてるからバランスは取れているはずだけど?」
しれっと答える哀にコナンは深い溜息をつくと「……わーったよ。行けばいいんだろ?行けば」と、再びコーヒーカップを手に取った。



7月28日、午後4時。そろそろ夕飯の支度でもしようと哀が地下の自室から上がって来ると、まるで彼女を待っていたかのように電話が鳴った。
「はい、阿笠……え?」
思いがけない電話の内容にさすがの哀も返す言葉を失う。
「はい……はい、分かりました……お大事に」
「どうかしたのか?」
リビングのソファに寝転がって推理小説を読んでいたコナンは冴えない表情の哀に思わず身体を起こした。
「今の電話、吉田さんのお母さんからだったんだけど……」
「歩美の?」
「何でも部屋の片付けをしていて脚立から落下したんですって。今、米花総合病院で手当を受けているらしいわ」
「脚立から落下って……骨折でもしたのか?」
「まだそこまで分からないみたい……」
言葉を飲み込む哀にコナンは読みかけの本を閉じると「……ここでじっとしてても仕方ねえ。病院まで行ってみようぜ」と、ソファから立ち上がった。
「え…?」
「歩美の容態が気になるんだろ?」
「べ、別に…命に別状がある訳じゃないし……」
「バーロー、おめえにとって歩美が特別な存在だって事くらいオレじゃなくても分かるってーの」
「……」
しばし考え込むように黙り込んでいた哀だったが「……そうね、どうせ夕飯の材料を買いに行かなくちゃいけないだろうし」と肩をすくめる。
「相変わらず素直じゃねーの」
「あなたにだけは言われたくないわね」
いつもの自分達らしい会話にコナンと哀は思わず苦笑した。



いつの間に話が伝わったのか、病室へ入るとすでに元太と光彦の姿があった。
「おせーぞ、お前ら!」
「そう言うなよ。博士がちょうど出掛けててさ、この暑い中歩いて来たんだぜ?」
元太と光彦の相手をコナンに任せると、哀は足に包帯を巻かれ、ベッドに腰掛ける歩美の傍へと移動した。
「足はどう?」
「ん〜……動かすと痛むけどジッとしてれば大丈夫だよ」
さすがにこの姿で医師に詳しい症状を聞く事は出来ず、哀は小さな溜息を落とすと病室の隅に立っている歩美の母親に「あの……お医者さんは何て言ってみえるんですか?」と尋ねた。
「幸い骨は折れていなかったんだけどね、ひびが入っているから少しの間入院した方がいいでしょう、って……」
「そうですか……」
「ごめんね、心配かけて……本当、この子ったらおっちょこちょいなんだから……」
母親の言葉に歩美が「どーせドジだもん」と頬を膨らませる。
「まあまあ、大事にならなかっただけ良かったじゃないですか」
光彦がとりなすような笑顔を浮かべると「それはそうと……明後日、どうしましょう?」とコナンと哀の方に振り返った。
「どうせなら少年探偵団5人揃って遊びに行きたいですし、ボク達だけ行くっていうのは……」
「そうだよな、一番行きたがってたのは歩美だし……」
躊躇する元太と光彦に「歩美抜きで行って来てよ」ときっぱり言ったのは当の歩美だった。
「せっかく予定立てたんだもん。それに歩美の怪我、ヒマワリが咲いている間に治るかどうか分からないよ?」
「でも……」
「怪我をしたのは歩美が悪いんだし。来年絶対連れてってもらうから。ね?」
ここまで言われて予定を変更するのはかえって歩美を傷つけると察したのだろう。
「そう…だな。これっきり行けない場所って訳じゃないんだもんな」
「お見舞いにヒマワリ畑の写真、いっぱい撮って来ましょう」
互いに顔を見合わせ、頷きあう元太と光彦に歩美が「楽しみにしてるね」と笑顔を向ける。
「……あの子達、いつの間に相手を気遣う事を覚えたのかしらね?」
三人のやりとりに小さな声で呟く哀にコナンは苦笑すると、「オレ達も負けてらんねーな」と肩をすくめた。



7月31日。歩美が入院する米花総合病院5階の談話室は果たしてここが病院かと疑ってしまいたくなるような歓声に包まれた。
「ほらほら、この写真の時間!見て下さいよ!ボクが一番にゴールに辿り着いたんですよ!」
「光彦君が?へえ、てっきり一番はコナン君か哀ちゃんだと思ってたのに……」
「オレと灰原は途中で事件に巻き込まれちまったからな」
「迷路という迷宮の中でも事件を呼び寄せるんだから……本当、あなたって人は救いようがないわね」
「ひでーな、灰原、あれが事故じゃなく事件だって最初に見抜いたのはおめえじゃねーか!」
「あら、そうだったかしら?」
「ねえ、それはそうと元太君の姿が途中から全然写ってないんだけど……」
「ああ、小嶋君は『やってらんねー』って途中でリタイアしちゃったから……」
「仕方ねえだろ?どこをどう回っても黄色一色で訳分かんなくなっちまったんだからよお……」
「というより元太君は迷路なんかさっさと切り上げて原乳アイスが食べたかったんじゃないですか?」
「そ、それは……」
いつもの少年探偵団のやりとりに歩美はアハハと楽しそうに笑うと「お天気良くてよかったね」とデジタルカメラの中に広がるヒマワリ畑を見つめた。
「きれいだなあ……歩美もこの目で見てみたい……」
「来年は歩美ちゃんも一緒に行きましょう!」
「そうだな、まだ食ってないものもあるしよ!」
「もう…元太君はいつも食べる事ばっかりなんだから……」
苦笑する歩美に「……この写真ほどたくさんは見せてあげられないけど」と独り言のように呟くと、ふいに哀が花束を差し出した。
「えっ?哀ちゃん、これ……」
「牧場で切り花を売ってたの。そこに写ってるヒマワリと違ってミニサイズだけどね」
「シロタエヒマワリか…おめえ、いつの間に……」
「あなたが事件を解くのに夢中になっている間退屈だったから」
「……」
哀の返事に苦虫を噛み潰したような表情になるコナンに対し、「ありがとう哀ちゃん……すっごく嬉しい…!」と、歩美が満面の笑顔で花束を抱き締める。
「……100枚の写真より実物ですね」
「灰原、お前汚ねーぞ!」
明らかに落胆の色を見せる元太と光彦に哀と歩美は思わず苦笑した。



それから数ヶ月後。登校した哀に「おはよう哀ちゃん!これお土産!」と歩美が何やらビニール袋を差し出した。
「ああ、そういえば家族旅行でハウステンボスに行くって言ってたわね……」
「うん!すっごく楽しかったよ!」
「ありがとう。開けてもいいかしら?」
「もっちろんv」
歩美の笑顔に受け取ったビニール袋を開けると何やら花の球根が詰められている。
「歩美の家はマンションだからダメだけど博士の家なら植えられるでしょ?」
「そうね。これ、何の花の球根なの?」
「なんか可愛らしい片仮名の名前だったよ。イラストで書いてあったお花の形が可愛くって真っ先に『哀ちゃんのお土産はこれ!』って決めちゃったんだ」
そう言って歩美がペロッと舌を出した瞬間、元太と光彦の羨ましそうな視線に気付く。
「あ、勿論みんなにもお土産あるから……」
「ボ、ボクは別にお土産をねだるつもりなんか……」
「そうだぞ!花より食いもんがいいなんてそんな事……」
真っ赤になって答える二人に歩美は「はいはい」と苦笑すると自分の席の方へと歩いて行った。
「……桜とハナミズキだな」
入れ替わりにやって来たコナンが哀の手元の球根を見て独り言のように呟く。
「え…?」
「おめえも知ってるだろ?有名なワシントンの桜の話」
「ええ、明治42年に尾崎行雄がタフト大統領夫人に桜の苗木を贈った話でしょ?そしてそのお礼にアメリカから30本のハナミズキの苗木が贈られた……それがどうかしたの?」
「歩美ちゃんは知らねえと思うが、フリージアには『返礼』っていう意味の花言葉もあるんだ」
「……なるほど?あの時のヒマワリのお礼って言いたい訳ね」
「そういう事」
手にしたビニール袋をランドセルに大切にしまうと哀は教室の後ろの方で騒いでいる三人組に視線を向け、穏やかに微笑んだ。



あとがき



「灰原の日」企画投稿作品という事で哀ちゃんメインは当たり前なんですが、果たしてどんなテキストを書こうかと迷っていた時、単純な私は「ネタがないなら歴史的に8月18日に何があったか調べてみよう!」という結論に達したという@爆  そこで辿り着いたのが「ワシントンの桜の話」でした。「桜とハナミズキ」を季節的に「ヒマワリとフリージア」にしてみたのですがいかがだったでしょうか?
ちなみにテキストに出て来る観光スポットは実在しますが、果たして切り花や球根を売っているかは定かではないので念のため^^;)