13



ミラクルランドへ戻ったコナンを出迎えたのは悪友の「遅いやんけ」という容赦ない突っ込みだった。
「仕方ねえだろ?入口の係員がなかなか通してくれなかったんだからよぉ……」
「『通してくれなかった』って……自分、ID持っとるやろ?」
「光彦の悪知恵に踊らされて園内のロッカーに預けちまったんだ。蘭に連れ戻されたら満足に捜査も出来ねえしな」
「そんなこと言うて、ど〜せ得意のお子様演技ですり抜けたんやろ?」
「こういう時ガキの姿を利用しない手はねえからな。『中に忘れて来ちゃった』って泣くような声で訴えれば融通してもらえるんだからよ」
「探偵のくせに確信犯か。いやなヤツやな〜」
「うっせーな……」
憮然とした表情で自分を睨むコナンに平次はニカッと笑うと「ほれ」とハンカチに包まれた携帯電話を差し出した。
「もう見付けたのか。さすがだな」
「あんだけピンポイントで場所特定されたらアホでも見付かるわ。どーせ小っさい姉ちゃんに頼んで警備会社のホストコンピューターに侵入したんやろ?この携帯、電源入ってない状態でも追跡出来るGPS機能あるみたいやし」
「……」
平次の口から出た『小っさい姉ちゃん』という言葉にコナンはスイートルームを後にした時の事を思い出した。自分本来の姿である工藤新一と小学一年生の哀が並んでパソコンに向かう姿は年齢差を全く感じさせないもので、まさに相棒と呼ぶに相応しい光景だった。
(灰原を『相棒』って呼んだのはこのオレなのに……)
どうにもムシャクシャして髪を掻き毟ったその時、「コラ、聞いてるんか!?」という平次の怒鳴り声に現実へと引き戻される。
「服部……?あ、で?どうだった?」
「『どうだった?』やないやろ。何ボーっとしとんねん?」
「別にボーっとしてなんか……」
「ほんならオレが今挙げたこの携帯のおかしい点言うてみい」
「そ、それは……」
実物を見ていない状態でそんな事が言えるはずもなく、コナンはフッと息をつくと「……悪ぃ、ちょっと考え事しててさ」と正直に謝った。
「捜査の真っ最中に雑念入るなんてお前らしいないやん。さすがのお前も自分が二人おるなんてありえん現実に参ってるんか?」
「それもあるが……とりあえず今は事件が先だ」
コナンは平次から携帯を受け取ると通話履歴や受信メールをチェックしていった。どうやら誰かに故意に消されたり書き換えられた形跡はなさそうだ。
「……思った通りだな。犯人はこの携帯に残った記録を残したかったんだ」
コナンの言葉に平次が「普通ならまず携帯を取り上げて壊すからなぁ」と満足そうに呟く。
「犯人はあの父親に間違いねえな」
「しっかし分からんな。なんであの医者、実の子供を殺さなあかんのや?」
「そいつは調べてみないと分からねえけど……ひょっとしたら奥さんと離婚した事と関係があるのかもしれねえな」
「実の息子や思とった光輝君が実は嫁はんとその浮気相手の子供やった……ってか?」
「それなら奥さんが光輝君を引き取っただろ?」
「せやなぁ……」
コナンの鋭い突っ込みに考え込む平次だったが、「こんな所で考えとってもしゃあないわ」と呟くと一人さっさと歩き出した。
「お、おい、服部、一体どこ行くつもりだ?」
「横浜港病院や。総合病院やったら24時間年中無休のはずやし……上村っちゅう医師の事知っとる人間も誰かしらおるやろ?ここからやったらそんな遠ないしちょっと探り入れて来るわ」
「探り入れて来るって……オメー、まさかID持ってるのか?」
「アホ、親父のカード自由に使える自分と違うてあんな高いもん買うはずないやろ」
「だったら……」
「どうやって園内に戻るつもりだ?」というコナンの台詞を遮るように平次が小さな紙片を彼の鼻へ押し付けた。
「1dayフリーパス……?」
「この半券持ってたら今日一日は出入り自由らしいわ。和葉のアホに踊らされてこんな高いチケット買うたんやけど……まさかこないに役立つとはなぁ」
ニヤッと笑う平次にコナンは携帯を操作して行った。
「横浜港病院……アクセス……と。確かに距離的には近いが電車で行くとなると面倒だな。クソッ、スケボーがあれば簡単に行けるのに……」
「誰かに車出してもらうのが一番なんやけどあの横溝っちゅう刑事じゃ話にならへんし……」
「それならオレに任せろ」
「あん?」
コナンは上着のポケットから蝶ネクタイ型変声機を取り出すと不敵な笑みを浮かべた。



「『探偵なんて人種信用出来るはずがない』が決まり文句の横溝警部にしては珍しい指示と思ったんだけど……お父さんが大阪府警本部長と聞いて納得したよ」
「ハ、ハハ……そうでっか?」
「それにしても横溝警部、どうして服部君の携帯番号を……?」
「前にミラクルランドで事件があった時に連絡先聞かれたんですわ。『後で何か聞きたい事が出て来るかもしれないから教えろ』って言うてはりました」
「そういえば僕が港署に配属になる前にミラクルランドで大きな事件があったって先輩が言ってたけど、その時居合わせた高校生探偵って……」
「ああ、オレの事ですわ。ホンマはもう一人……痛ッ!」
「服部君…?」
脇腹に強烈な肘鉄を食らい作り笑いを浮かべる平次にコナンは「気にしないで、お巡りさん。平次兄ちゃん、お昼御飯食べ過ぎてお腹壊してるだけだから」と子供らしい笑みを浮かべた。
ミラクルランドのメインゲート前に駐車していたパトカーの運転席でどうしたものかと首をキョロキョロ動かしていたのがこの石田という制服警察官だ。平次の携帯から聞こえてきた「悪いがその坊主二人を横浜港病院まで連れて行ってくれ」という命令を横溝本人のものと思い込んでいる。言うまでもなく電話の向こうで喋っていたのはコナンであり、横溝に携帯番号を聞かれたというのも出まかせだった。
さすがに地元地域課の巡査だけあり、裏道を知り尽くしている石田のお陰でそれから約15分後、コナンと平次は横浜港病院へと辿り着いた。
「ほならオレらちょっと聞き込みに行って来ますし……悪いけど駐車場で待っとって下さい」
「オレ達って……服部君、まさかコナン君も一緒に……?」
「このガキはオレの助手みたいなもんですねん」
キョトンと目を丸くする石田を無視するようにさっさとパトカーを降りる平次の後姿を不服そうに見つめるコナンだったが、「早よせえや」という声にその後姿を追い掛けた。



同じ頃。
ホテルレッドキャッスルのスイートルームで哀はディスプレイに映し出されたとある論文にキーボードを打つ手を止めた。
(これってまさか……)
以前、哀が注目していた医師グループによる物だった。組織を抜けて以来その存在すら忘れていたが、いつの間にか研究は最終段階に進んでいるようで時の流れを感じずにはいられなかった。
(これもAPTXと同じ、諸刃の剣よね……)
APTX4869のデータと共に保存されていた大量のデータの中にはAPTX本来の目的にまつわる文書もあり、それによると開発当初のメンバーの目的は決して非人道的なものではなく、むしろ人類に寄与するものだった。それが組織に目を付けられた事で歪曲してしまい、様々な悲劇を生み出したのである。哀自身はAPTXの研究に携わった時からずっと毒薬を作っている意識など全くなかったが、自分が作った薬が原因で亡くなった命が存在する事も事実で、初期メンバーの志しを知る事がなかったら迷う事なく宮野志保に戻り自らの罪を償う道を選択しただろう。勿論、江戸川コナンを元の姿に戻し、APTX4869の存在を消し去った後の話ではあったが……
そんな事を考えながら論文を読んでいた哀は「おい、灰原!」という声にハッと我に返った。気が付けば新一が苦虫を噛み潰したような顔でこちらを睨んでいる。
「何よ、不機嫌な顔しちゃって」
「あのなぁ……オレが何回オメーを呼んだと思ってるんだ?」
「え…?」
新一の指摘に改めて論文を見ると半分近く読み終わっている。どうやら自分が思っていた以上に目の前の論文に没頭してしまったようだ。
「ごめんなさい、ちょっと懐かしい物を見付けてつい……」
「どーせオメーの事だから小難しい化学文献でも読んでたんだろ?」
「あら、血生臭い殺人事件の資料に興味を持つよりよっぽどマシだと思うけど?」
「放っとけ」
面白くなさそうにブスッと顔をしかめる新一に哀は悪戯っ子のような笑みを浮かべると「APTX開発の参考になるかと思って動向を追っていた研究チームの論文なの。メンバーの一人に横浜港病院の副院長が名を連ねててね」と肩をすくめた。
「APTX開発の参考……?」
「APTXは細胞の再生に関する研究だったでしょう?」
「クローン技術……細胞の複製か」
まるで今の自分達の事を指しているようで新一としては複雑な心境にならざるをえない。
「で?その副院長が今回の事件とどう関係があるんだ?」
「関係があるかどうかは分からないけど副院長の北条って男、上村医師と同じ米花医科大学出身で、どうやら二人は学生時代から犬猿の仲だったみたいね。横浜港病院でもトラブルが度々起きていたみたいだわ。上村医師はクローン技術その物に否定的な立場のようだし」
「ライバル関係だったって訳か。けどよ、本人を殺すならともかくその息子を殺害するとは考えにくくねーか?」
「確かにね」
新一は考え込む時の癖で顎に手を掛けると「動機といえば離婚した奥さんはどうなんだ?」と話の矛先を変えた。
「例えば離婚の原因が上村医師の浮気で、にも関わらず一人息子の親権まで取り上げられたとしたら恨んでるんじゃないか?光輝君を上手く誘い出したまでは良かったが父親の元へ戻ると言われてカッとなっちまったとか……」
「だとしたら光輝君を誘い出してから殺害するまでの時間が短すぎるんじゃない?最初から無理心中しようとしてたっていうならまだ分かるけど」
「だよな……」
「それに残念だけど上村夫婦は院内でも有名なおしどり夫婦だったそうよ」
哀の言葉にパソコン画面に視線を向けると横浜港病院の院内誌だろうか、『夫は心臓血管外科、妻は皮膚科のエキスパート』と仲良さそうな写真入りで紹介されている二人の姿が映し出されていた。
「おしどり夫婦か。そのおしどり夫婦が何故離婚に至ったか……謎を解く鍵はそこにあるかもしれねーな。こーなったら直接横浜港病院に……」
「その必要はないんじゃない?」
「あん?」
「江戸川君と色黒探偵さん、どうやら今その病院にいるみたいよ」
哀の言葉にディスプレイを見ると追跡眼鏡が地図の一点で反応している。
「ったく、アイツらオレに一言もなく……」
「そんなのいつもの事じゃない」
「いつもの事……そりゃそうなんだけどよぉ、何つーか……」
「工藤君?」
「いや……何でもねえ」
平次の親友でありライバルであるのは工藤新一だったはずなのに今その場所にはコナンがいる。『コナン=自分』と分かってはいても取って代わられたかのような複雑な心境に新一の心は晴れない。そんな新一の心境をどう解釈したのか、ふいに哀が「心配しなくても大丈夫よ」と小さく肩をすくめた。
「江戸川君の事だもの。何か掴むまで意地でも帰って来ないはずよ」
「ハハ……確かにそうだな。手ぶらで帰って来たらぶん殴ってやる」
「そんな事より……彼女の事は放っておいていいの?」
「彼女って……蘭の事か?」
「他に誰がいるっていうのよ?」
「蘭の事だ、事件解決までオレには構ってもらえねえ事くらい百も承知してるさ」
「百も承知ねえ……」
「な、何だよ、その目」
「別に」
「んな事より灰原、横浜港病院に上村医師と同じ大学出身者がいないか調べてくれねえか?」
こちらの心配を他所にさっさと推理モードへ頭を切り替える新一に哀は小さく肩をすくめるとディスプレイへ視線を戻した。



to be continued...