狡猾な遺伝子



『天災』というものがある日突然やって来るように工藤優作・有希子夫妻は相変らず何の連絡もなく帰国しては息子を驚かせていた。日本とアメリカに別れて暮らすようになって早4年が経つが、コナンにとっては何度経験しても心臓に悪い事この上ない。特に幼児化してしまった当初は冷や汗をかかされた事も一度や二度ではなかっただけに、久しぶりの我が家にくつろぐ両親に思わず憎まれ口を叩いてしまうのも仕方ない事かもしれなかった。
「……ったく、国際電話しかなかった時代ならともかくメールくらい寄越せよな」
そんな息子の愚痴にも「だって〜、新ちゃんが驚く顔見るの楽しいんだもんv」と母、有希子はまったく反省の気配すら見せない。
「しかし、今回の我々の帰国はお前にも想像出来たはずだが……?」
心外そうに呟く父、優作にコナンは「あん?」と眉をしかめた。
「ようやくあの組織を壊滅させる事が出来たんだ。そろそろ今後の事も決めないといけないだろう?いつまでも毛利家の世話になる訳にもいくまい」
「そりゃ…まあそうだけどよお……」
「江戸川文代の出番があるなら早めに言って欲しいしねv」
無邪気にウインクする有希子にコナンは「はは……」と苦笑した。
「でも優作、明日は私に付き合ってくれるわよね?」
「ん?」
「言ったじゃない、LAじゃなかなか手に入らない着物とか磁器とか色々買いに行きたいって」
「ああ、そういえば……」
思い出すように顎に手を掛ける優作だったが「……有希子、すまないが明日はちょっと仕事の予定を入れてしまったよ」と肩をすくめた。
「え〜っ!?」
途端に仏頂面になる母に身の危険を感じ、リビングから立ち去ろうとしたコナンだったが時すでに遅し。
「それじゃ新ちゃん、荷物持ちよろしくv」
極上の微笑みを浮かべ有無を言わせない口調でそう告げる有希子にコナンはガクッと頭を垂れた。



阿笠邸の玄関の呼び鈴が鳴ったのは午後5時を過ぎた頃だった。
「……どちら様ですか?」
ドアを開けた瞬間、さすがの哀も驚きのあまり言葉を失う。そこに立っていたのはコナンの父、工藤優作だった。
「久しぶりだね」
「はい……あ、博士は6時くらいまで留守にすると言ってましたけど……」
「構わないよ。私は君に用事があって来たんだから」
「私に…?」
「博士には今夜君を借りて行く事は伝えてあるしね」
「……」
今朝、阿笠が出掛ける際、「今日は家を空けないように」と言い残していった理由はこれだったのか……と今更ながら哀は納得した。
「門の前にタクシーを待たせてある。付き合ってくれるかな?」
口調は穏やかだが断る自由はなさそうだ。
哀は覚悟を決めるように一息つくと「……分かりました。戸締りだけ確認しますから少しお時間を頂けますか?」と返した。



途中、立ち寄ったブティックで黒のカクテルドレスに着替えさせられた事からディナーに招待される事は予測がついたものの、案内された店に哀は複雑な心境に駆られた。米花センタービルの展望レストラン『アルセーヌ』。約一年前、コナンが一時的に工藤新一の姿に戻り、毛利蘭に告白しようとした場所だけに嫌でもあの時の想いが蘇る。果たしていつものクールな自分を保つ事が出来るか哀には自信が持てなかった。
「これは工藤先生、いらっしゃいませ」
優作の姿に支配人が現れ頭を下げる。
「突然無理を言ってすまなかったね」
「とんでもございません。それより……てっきり奥様とご一緒だと思ったものですからいつもの席をご用意させて頂いたんですが……」
「ははは、心配は無用だよ。もっとも私があと20歳くらい若かったらアプローチしてもおかしくないお嬢さんだがね」
「それではお席の方へ……」
窓際の席に座り、メニューを開くと「何にするかね?」と尋ねられる。
「あ……」
記載された桁違いの値段に面食らってしまいメニューに視線を泳がせる事しか出来ない。そんな哀の様子に優作はフッと微笑むと「今日のお薦めは何かな?」と、やって来たギャルソンに尋ねた。
「本日はブルターニュ産オマール海老とボルドー産アニョーが入っておりますが……」
「じゃあそれを二人前お願いしよう」
「お飲物はいかがなされますか?」
「シャトー・ラフィット・ロッシルトを頂こうか。彼女にはグラピヨンを用意してくれたまえ」
「かしこまりました」



「……口に合わなかったかな?」
優作にそう尋ねられたのはオードブル、スープ、魚料理に続き肉料理が運ばれて来た直後の事だった。
「いえ……凄く美味しいです……」
「それにしては浮かない顔だが?」
「……」
返答に困る哀の心を見透かすように「息子が蘭君に告白しようとした場所は君には辛いかな?」と優作が微笑んだ。
「どうしてそれを……?」
「目暮警部から新一がここで事件を解決した事を聞かされてね。アイツがこんな店へ理由もなくやって来るとは考えられないし、私達夫婦のゲンを担いだ事は容易に想像がついたという訳さ」
「ゲンを担いだって工藤君が……ですか?」
「ああ。実はこのレストランは私が有希子にプロポーズした場所でね。席もちょうどこのテーブルだったんだよ」
「そう……だったんですか……」
「それにしても……私の代理で有希子が帰国した時、『灰原さん、どうやら新ちゃんの事、意識し始めたみたいよv』と言ってはいたが……その様子だと君がアイツに好意を寄せてくれたのは私達夫婦が想像していたより遥かに前のようだね」
「……」
次々と自分の心の内を暴く優作に何も言えずにいた哀だったが「それで……今日は私に何のお話でしょうか?」と、やっとの思いで言葉を口にした。
「君に直接お願いしたくてね。組織は壊滅したとは言えこれからもアイツの事よろしく頼むよ。探偵としても人間としてもまだまだ青いからね」
「何故……ですか?」
「ん?」
「何故私にそんな事……私は工藤君をあんな身体にした張本人です。解毒剤を早く作れと責められるならともかく……それに……頼む相手が間違っています。私なんかじゃなく蘭さんに頼むべきじゃありませんか?」
「私はそうは思わないな」
「どうして……?」
「新一の心に君が占める割合が大きくなっているからだよ」
自分を真っ直ぐ見つめ、きっぱり言い切る優作に哀は「そんな……工藤君は別に私の事……」と思わず視線を逸らせた。
「確かに……今はまだ新一の心は蘭君にあるかもしれない。しかし男というのは奇妙な生き物でね。女性に母親を求めるタイプと刺激を求めるタイプ、この二つが存在する。アイツはあの通り好奇心の塊のような人間だろう?有希子には言わなかったが私はいずれアイツと蘭君では釣り合いが取れなくなるのでは、とずっと懸念していたんだ。実際、幼い頃からあの二人の会話は新一が一方的に喋るばかりで蘭君はずっと聞き役だったからね」
「……」
さすがに世界屈指の推理小説家だけあってその分析は哀が口を挟めるものではない。
すっかり黙り込んでしまった哀に自分の推測が間違っていない事を確信したのだろう。優作は穏やかに微笑むと「……それにしてもアイツも私達夫婦と同じパターンになるとはな」と話題の矛先を変えた。
「え…?」
「私が有希子と知り合ったのは私の小説がドラマ化された事がきっかけだったんだが、当時の彼女は人気絶頂のアイドル女優。ろくな挨拶はないし、彼女の一言でシナリオを担当していた私の予定は散々狂わされるしで、当初、私の彼女に対する印象は決していいものではなかったんだ」
「それって……」
「そう、君と新一の出会いと同じく好感度最悪の状態から私達の関係はスタートしたんだよ。しかし、一緒に仕事をするうちに彼女が私のシナリオに意見するのは原作者である私以上に役を理解しているからだという事が分かってきてね、何より役を完璧に捉えようという姿勢に圧倒されてしまったんだ。深夜まで議論する事も頻繁だったよ。私にとってその刺激は非常に心地良いもので、撮影が終わる頃にはすっかり彼女しか目に入らなくなってしまっていた。ああ見えて結構頭はいいし、気配りも上手いし……っと、最後はすっかりのろけ話になってしまったな」
優作は苦笑すると「さ、せっかくの料理が冷めてしまう。頂こう」と、ナイフとフォークを手に取った。
工藤夫妻のプライベートな話を聞いた事で少し気が楽になったのだろう。哀は次第に料理の味を堪能出来るようになっていた。
「美味しい…!」
「それは良かった。普段は君も博士と同じ献立かい?」
「はい、材料の関係で何かと都合がいいですし……」
「しかし、それでは君にはちょっと物足りないんじゃないかな?」
「……たまにそう思ってしまう事は否定しません」
「可哀想だが今夜のメニューは博士には毒だね」
悪戯っ子のように呟く優作に哀は「そうですね」と微笑んだ。



「……遅かったな」
帰宅するなりそう言って自分を睨むコナンに優作は「その様子だと母さんに大分振り回されたようだな」と苦笑した。
「ああ。本当、女の買い物なんて付き合うもんじゃねえな。じゃ、オレ、そろそろ探偵事務所へ戻るぜ。あんまり遅くなると蘭が怪しむからな」
コナンはヘトヘトだと言わんばかりに肩をすくめると自宅を後にした。
「……随分楽しかったみたいね〜、哀ちゃんとのデート」
玄関が閉まると有希子が顔を見せる。
「やっぱり気付いていたのか」
「夫婦だもの、当たり前でしょ?新ちゃんの手前昨日は上手く合わせてあげたんだから感謝してよね?」
「ああ、お陰で久しぶりに素敵な時間を過ごせたよ」
「あら、言ってくれるわね〜」
「もっとも……肝心のアイツはまったく気付いていないようだが……」
「新ちゃんに見抜かれるほど演技力は衰えていないつもりよ。ね、それより収穫は?」
「そうだな……殊に恋愛方面に関しては思っていたより遥かに純情なお嬢さんだな。まあ、あんな組織で育ったせいだろうが……」
「新ちゃんもそっちの方は疎いし……困ったもんねえ」
「まあしばらくは我が息子のお手並みを拝見するさ」
「ウフv新ちゃん、今頃夜道でクシャミしてるわよ、きっと」
「そうだな」
優作は愉快そうに笑うと有希子が差し出したウイスキーのグラスを口に運んだ。



「よぉ」
勝手知ったる人の家と言わんばかりに地下の研究室のドアが開けられたのは哀が帰宅して10分くらい経った後の事だった。
「……工藤君、レディの部屋に入る時はノックくらいしてくれないかしら?」
「あん?」
「あなたに覗きの趣味があるなら言うだけ無駄かもしれないけど、私、ちょうど着替えを済ませたところだったのよ?」
「おめえな……」
相変らず手厳しい台詞に思わず言葉を失うコナンだったが、「……父さんが帰って来た時間から計算して着替えくらい終わってると思ってたさ」と肩をすくめた。
その瞬間、哀の表情が強ばる。
「やっぱり……あなたも知ってたのね」
「知ってたって……?」
「今夜の事よ。知ってたならせめて一言くらい言ってくれれば良かったじゃない。そうすれば私だって心の準備が出来たわ。それなのに……博士にまで口止めするなんて……!」
哀の迫力に一瞬呆然となったものの、昨日からの出来事にようやく合点がいき「……そういう事か」とコナンは苦笑した。
「灰原、おめえ、誤解してねえか?」
「誤解…?」
「オレ、父さんと母さんから何も聞いてないぜ?」
「え?じゃ、じゃあどうして……?」
「あの父さんが自分から積極的に仕事の予定を入れるなんて考えられねえからな。オレに内緒で母さんと何か企んでる事はすぐにピンと来たさ。さすがにオレ抜きでおめえと話をするつもりだとは思わなかったけどよ」
「でもあなた、着替えって……」
「父さんが帰宅した時のスーツがフォーマルだったし……それに、今日、買い物の途中で母さんが行きつけのブティックの店長に電話してるのを偶然聞いちまったんだ。『いつもの店』『八歳くらいの女の子のカクテルドレス』……これだけキーワードが揃えば推理するのは簡単だろ?もっとも、二人ともオレがまったく気付いてないと思い込んでるみてえだからこっちも気付いてない振りを通して来たけどな」
得意げに話すコナンに哀は「……どうやらあなたのその狡猾なところもご両親譲りのようね」と肩をすくめた。
「それはそうと……父さんが言った事、気にすんなよな」
「え…?」
「どうせ解毒剤の完成を催促されたんだろ?おめえが精一杯頑張ってくれてるのは分かってっからさ」
「……」
「何だよ?」
「別に……」
どうやら優作との会話の内容までは読まれていないようだ。『探偵としても人間としてもまだまだ青い』という優作の言葉を思い出し、哀は思わずクスッと微笑んだ。



あとがき



「CandleLight」管理人、ぐり様に当サイトの素敵バナーを作って頂き、お礼として書かせて頂いた作品です。リクエストは「哀ちゃんと工藤(最強)夫妻の絡み」でした。優作・有希子夫妻が一方的に一枚上手な話にしようかとも思ったのですが、「狐と狸の化かし合い」みたいな話も面白いだろうと思いこんな内容に。コナンにも少しは逆襲させてあげないと可哀想ですし。(ただし、相変わらず恋愛方面はダメダメという@爆笑)
それにしても高級な料理やワインを調べるのに「フランス料理 高価 食材」などとキーワードを入れて検索している自分が情けなかったりーー;)