非にて似たる異色コンビ



「それでは哀君、行って来るからの」
「気を付けてね、博士」
「しつこいようじゃが……」
「『家にいる時も必ず鍵はかけておく事』でしょ?子供じゃないんだから大丈夫よ」
自分の言葉を先回りされ、閉口する阿笠にクスッと笑うと哀は玄関で家主を見送った。
明日から3日間、長崎で開催される学会に阿笠が出席する事になったのは昨日突然決まった話である。招かれていた発明家が持病で倒れ、急遽彼の後輩にあたる阿笠に白羽の矢が立てられたのだ。
パタンという音とともにドアが閉まると哀はふうと息をついた。この家で一人留守番する事に最近までは何の抵抗もなかったが、得体の知れない隣人が住むようになってからは極力阿笠に同行するようにしていた。しかし、さすがに今回はあまりに突然過ぎる話だったし、そして何より自分が同行すれば阿笠に何かと気を遣わせてしまう。
夕飯の支度に取り掛かるまで地下に籠って解毒剤の研究を進めようかとも思うが、怪しげな人物を自分の周囲に近付けたコナンを思うとそれもバカバカしく感じられ、哀はリビングのソファへ身体を沈めた。
(『あの人を追い出さない限り解毒剤の研究を中断する』って脅してやろうかしら…?)
我ながらいい案に思わず笑みを浮かべるが、久し振りに誰にも邪魔されない時間をぼんやり過ごすのは惜しい気がする。さて、どうしたものかと頭を巡らせた哀の目にそれは飛び込んで来た。
「あら…?」
見覚えのない背表紙に一冊の本を手に取ると何やらシールが貼ってある。どうやら阿笠が米花図書館で借りて来た本のようだ。
(そういえば一ヶ月くらい前、図書館で借りて来た本が見当たらないって騒いでたわね……)
当然、返却期限はとっくに過ぎているだろう。
(仕方ないわね……)
哀はフッと苦笑するとソファから立ち上がった。どうせ阿笠がいなければこの家で集中して研究など出来ない。米花図書館は割りと大きな図書館で、蔵書の数も多く、組織で研究員として働く以前から目を通していた薬学関連の雑誌も一通り揃っている。たまには気分転換に場所を変えて調べ物をするのも悪くないだろう。
手早く支度を済ませると哀はまだ少し夏の暑さが残る街を米花図書館へ向かった。



ちょうど下校時間と重なったためか米花図書館は学生の姿が多かった。
玄関を入ると哀は真っ直ぐ貸し出しカウンターへ向かった。探偵団に付き合って何度か訪れた事もあり、館内の様子は大体把握している。「すみません」と声を掛けるとカウンターの中の女性司書は哀に「はい?」と柔らかな笑顔を向けた。
「これ……おじいちゃんが借りていた本なんですけど……」
差し出した瞬間、女性司書が「あら、この本……」と目を丸くする。
「多分、返却期限は過ぎていると思うんですが……」
「覚えてるわ。あなたのおじいさん、『お借りした本を無くしてしまったんじゃがどうしたらいいかのう?』って随分焦ってみえたから」
阿笠の性格を考えるとその様子は手に取るように想像がつき、哀は思わず苦笑した。
「偶然見付けたので返却します」
「わざわざありがとう。おじいさんによろしくね」
ニッコリ笑って本を受け取る司書に軽く頭を下げると哀は階段を上がって行った。専門書が並ぶ2階は1階に比べかなり閑散としている。薬学関連の本が並んでいる辺りは哀の他に人影はなかった。ぼんやりと棚を眺ると以前は毎日のように使っていた本が数冊ある事に気付き、自分でも意外な事に懐かい感覚に捉われる。自覚している以上に化学を愛しているのは父母からの遺伝だろうか…?
(そういえば……お姉ちゃんは理数系は苦手だって笑ってたわね……)
化学方程式が並ぶ本を眺めている自分に「研究熱心なのもいいけど将来彼が出来た時のためにこういう本にも興味を持ちなさいよ」と、恋愛小説や料理雑誌を勧めて来た姉を思い出し、思わず苦笑したその時だった。「あれ…?」という声にその方向を見ると工藤新一や毛利蘭の同級生、鈴木園子が珍しいものを見るような目で自分を見つめている。
「どうも……」
軽く頭を下げる哀に園子は「……さては眼鏡のガキんちょ達とかくれんぼでもしてるんでしょ?」とからかうように声を掛けて来た。
「え…?」
「ホラ、行った行った。お子ちゃまが読むような本はこの辺りにはなくってよ」
どうやら園子は自分がコナン達と図書館で遊んでいて迷子になったと勘違いしているようで、哀は「……悪いけど私、あなたと彼女みたいにいつもあの子達と一緒にいる訳じゃないから」と肩をすくめた。
「彼女…?ああ、蘭の事?」
園子の口から出たあまり顔を合わせたくない相手の名前にプイっと顔を背けた瞬間、哀の耳に「園子…?」という聞き覚えのない声が飛び込んで来た。視線を向けると20代前半と思われる大人しそうな女性が立っている。
「随分遅かったわね。お目当ての本は見付かった?」
「え、ええ……それよりその女の子、園子の知り合いなの?」
「蘭の家に居候してる眼鏡のガキんちょの同級生よ」
「はじめまして、灰原哀です」
頭を下げる哀に女性が言葉を発するより早く園子が「あ、私の姉キで綾子。見ての通りのんびりした性格でね」と紹介してくれる。控え目に「どうも……」と頭を下げる姿に容姿だけでなく性格も随分違うようだと哀は心の中で納得した。
「で?借りてくんでしょ?」
「その予定だったんだけど……想像してたより薄い本だし、運転手さんに何度も来てもらうのも悪いでしょ?ここでレポート完成させちゃおうと思って……」
「じゃ、姉キがレポート書いている間どっかでお茶でもしてよっかな……っつっても私一人じゃつまんないし……」
しばし考え込むように宙を仰いでいた園子だったが、ふいに哀の方に振り向くと「そうだ!一緒に行かない?」と笑顔を見せた。
「考えてみればお礼がまだだったしね」
「お礼…?」
「アフロディーテ号で襲われた時、助けてもらったでしょ?」
「そういえばそんな事件もあったわね。でも……あなたの居場所に気付いたのは私じゃないわ。江戸川君よ」
「そりゃそうかもしれないけど……あの時、私のSOSを受信してくれたのはもう一人の鬼だったあんたじゃない」
「それは……」
「……ったく、相変わらず可愛くない子ね。この園子様が美味しいケーキを驕ってあげるって言ってんだから黙ってついて来ればいいの!」
押し切るように言う園子に哀は「……分かったわ。付き合えばいいんでしょ?」と肩をすくめた。
「そうそう、最初っから素直にそう言えばいいのよ。じゃ姉キ、適当に戻って来るからレポート頑張ってねv」
ニコニコと姉に手を振り、自分の手を掴んでさっさと歩き出す園子に哀は思わず溜息をついた。



園子に連れられてやって来たのは図書館から10分ほど歩いた所に建つ隠れ家のような喫茶店だった。ショーケースに並ぶ見覚えのあるケーキにそういえば時々購入しているファッション雑誌で紹介されていた店だと思い出す。一度食べてみたいと思ってはいたものの、元の身体ならともかくこんな小学生の姿では無理だと諦めていた哀にとっては嬉しい誤算だった。
さすがに珈琲を注文する事は憚られ、ピーチムースとハーブティーをオーダーする。そんな哀の様子に園子が「ここのハーブティー、私も好きなのよね〜」と笑顔を見せた。
「ちょっとお値段張るだけあってすっごく美味しいんだから」
「……」
「な、何よ?」
「鈴木財閥ご令嬢の口から『値段が張る』なんて言葉が出て来るなんて意外だなと思って」
「失礼ね。これでも節約すべきところはきちんと節約してるのよ」
「みたいね。わざわざ図書館まで本を借りに来るくらいだし……」
「手元に置いておきたい本ならともかく、一度読んでおしまいなら借りる方が賢いってもんでしょ?お小遣いだって浮くし」
「まあそうね」
哀に同意され、満足したようにニカッと笑う園子だったが「その点、姉キはダメなのよね〜」と溜息交じりに呟いた。
「必要に迫られるとすぐ買おうとするんだから……」
「そういえばあなたとお姉さん、あんまり似てないのね」
「姉キ、典型的な箱入りお嬢様って感じでしょ?大人しいし経済観念ないし。ま、パパもママもそれが分かってたから幼稚園から大学院までエスカレーター式の学校へ通わせたんだろうけど」
「……なるほど?あなたのご両親はあなたを後継者にしようとしてるのね」
「え…?」
「前から疑問だったのよね。確かにこの辺りではそこそこの学校だけど、どうして鈴木財閥令嬢ともあろう人が帝丹高校を選んだのか……」
哀の言葉に園子は普段見せた事のないような大人びた笑みを浮かべると、「あんたみたいなガキんちょでもそう思うって事は……どうやら私の予感、まんざら外れでもないのかなー……」と窓の外に視線を投げた。
「小さい頃から薄々感じてたんだけど……姉キには結構厳しいママも私には全然干渉しなかったし、将来の事や結婚について何も言わなかったもんなあ……」
監視下とは言え普通の女性として育った姉、明美と組織に英才教育を受けさせられた志保……自分達姉妹とどこか似ている園子と綾子の関係に哀は我知らず「お姉さんが羨ましいの?」と切り返していた。
「そうねえ、小さい頃はパパやママに構ってもらえる姉キが羨ましかったけど……」
「けど…?」
園子は哀に視線を戻すと「姉キは姉キで私の事、羨ましいと思ってるんじゃないかな?」と、悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「姉キはあの通りのんびりした性格でしょ?妹の私が言うのも何だけど経営者には向かないわ。パパとママが姉キを富沢財閥に嫁がせる事にしたのも一生何の苦労もなく暮らしていける奥様にしたかったからだと思うし。もっとも……哲治おじさまが殺されちゃったから将来的に富沢財閥は我が鈴木財閥に吸収される事になると思うけど」
「……」
さすがに鈴木財閥令嬢だけあり、見るべき所はきちんと見ているものだと哀は黙って話の続きを待った。
「世間の荒波に揉まれる事なく純粋無垢な奥様として生きていくのも悪くないとは思うけど私には似合わないわ。そんなの退屈すぎる……こんな私の性格を分かっているからこそパパとママは私を後継者に選んだんだと思うの。今や日本経済の中枢を担っていると言っても過言じゃない鈴木家の未来を任せてくれるのよ?これって凄い事だと思わない?」
きっぱり言い切る園子の瞳は強い光を放っている。その眩しさに哀はもしかしたら明美は明美で両親から化学者の遺伝子を受け継いだ自分を羨ましく思っていたのかもしれないと今はもういない姉に思いを馳せた。
「確かに…そうかもしれないわね」
「何だか随分実感こもった言い方だけど……ひょっとしてあんたにも姉キがいるとか?」
「さあ、どうかしら?」
怪訝そうに首を傾げる園子に哀は黙って窓から見える青い空に視線を投げた。



それからどれくらいの時が経っただろう。
「園子ったら……やっぱりここにいたんだ」
聞き覚えのある声に視線を向けると毛利蘭が呆れたような目で親友を見つめていた。横にはおそらく二人の居場所を推理したと思われるコナンの姿もある。
「あれ?蘭、どうしたの?」
「図書館で園子のお姉さん困ってたよ。『園子が近くの喫茶店へ行ったきり戻って来ないの』って……」
「ヤバッ!姉キの存在すっかり忘れてた…!」
園子の言葉に時計を見るとこの店に入ってからすでに2時間が経過しようとしていた。思いがけず話に花が咲いてしまったようでさすがの哀も驚きのあまり言葉を失う。
「で、姉キは?」
「運転手さんに迎えに来てもらって先に帰るって言ってたよ」
その言葉に園子はにんまり笑うと、「んじゃもう一個ケーキ食べてっちゃおうかなv」とメニューに手を伸ばした。
「ちょっと園子、そんな悠長な事言ってる場合じゃないんじゃない?」
「姉キは無事に帰ったんでしょ?だったらいーのいーの。あ、せっかくだから蘭も一緒に食べようよ」
「もう……」
これ以上何を言っても無駄だと判断したのだろう。園子の正面に座ろうとした蘭だったが、その時初めて同席している哀に気付いたようだ。
「あれ?哀ちゃん…?」
「どうも……」
小さく頭を下げる哀にさすがの蘭も驚いたように目を瞬かせる。
「んじゃここからはオトナの時間って事で……あんた達二人はあっちのテーブルで待ってなさい。飲み物もケーキも適当にオーダーしていいから」
その言葉に哀は「ご馳走様」と言うと大人しく席を移動した。園子に追い払われ、不機嫌そうな表情でコナンが後に続いて来ると彼女の正面に腰を下ろす。
「よく分かったわね。私達がここにいるって」
「前に園子が騒いでたからな。『すっごく美味しそうなケーキ見付けた!』って……」
「そう……」
「それにしても……おめーと園子でよく2時間も会話が続いたな」
「あら、私達、意外と似てるのよ」
「似てるって……おめーらの一体どこが似てるっつーんだよ?」
「あなた探偵でしょ?それくらい自分で考えなさいよ」
仏頂面になるコナンにクスッと笑うと哀はメニューを手に「すみません」とウェイトレスに声を掛けた。



あとがき



コナンに言わせれば「異色コンビ」の哀と園子ですが、よくよく考えてみれば2人とも「妹キャラ」で姉とタイプが違うよな……そんな発想から出来あがったテキストです。(「そういえば園子にお姉さんなんていたな」と思われた方も多いのでは^^;?) 姉、綾子さんが天然な女性なのでおそらく鈴木財閥は園子が後を継ぐんでしょうね。
園子を本格的に書くのは初めてでしたが、男前な彼女は結構書きやすかったです。機会があればまた書いてみたいですね。