いつかの風景



12月31日。
阿笠邸では住人二人が多くの家では既に終えているであろう年末の大掃除にやっと取り掛かっていた。もっとも主に動いているのは居候の灰原哀であり、主人である阿笠博士は彼女の指示に従っているだけである。
「まったく……日頃からもう少し片付けておけばいいものを」
本来ならもう少し早く片付けに入る予定だったのだが、初めて作るおせち料理に苦戦してしまい、哀が阿笠に声をかけるのが大晦日になってしまったのだ。
「ハハハ、ついつい後回しにしてしまってのう」
「とにかく早く終わらせましょ。夜には工藤君が来るんでしょ?」
今夜コナンの居候先である毛利探偵事務所の住人は二人とも出かける事になっていた。小学一年生が一人で留守番する訳にもいかず、阿笠邸へ泊まりに来る事になっている。
「ああ、そうじゃったな。取りあえず新一君の寝床だけでも用意しておかんと……」
「一人暮らしが長かったから仕方ないわね……」と溜息とともに呟くと、哀は書庫周辺の雑巾がけを始めた。
床の近くまで手を進めた時、ふいに何か書類のような物に触れた。引っ張り出してみると随分埃を被っているがアルバムのようだ。
「博士、これ大事な物なんじゃない?」
「おお、失くしたと思っておったがそんな所に落ちておったか」
「……」
阿笠の無邪気な顔に哀は怒る気も失せてしまった。
「もう十年くらい前の写真ばかりじゃがのう」
懐かしそうにアルバムをめくり出す。その表情に哀もつい掃除の手を休めて阿笠の横からアルバムを覗き込んだ。
「十年前っていっても博士はあまり変わってないのね」
「そうかのう?」
十年後の顔をコンピューターが予測してもあまり変わっていなかった事を思い出し、哀は思わず苦笑した。
「あら?この写真、工藤君の……?」
その写真には当たり前ではあるがコナンそっくりな少年とその両親、阿笠が写っていた。
「新一君の小学校入学式の写真じゃな。優作君も有希子さんも若いじゃろ?」
「……」
「どうしたんじゃ?」
「あ……何でもないわ」
自分にはこんな思い出のアルバムがない事を寂しく思ったのだが、阿笠に余計な心配はかけたくない。
「さ、懐かしい気持ちは分かるけど見るのは後にして先に掃除してちょうだい」
哀は阿笠からアルバムを取り上げると雑巾を差し出した。



「……で?初詣に出かけるのはいいけどよ、明日あいつらとどこで待ち合わせるんだ?」
パジャマに着替え、歯磨きを済ませるとコナンは阿笠に声をかけた。
「歩美君達とはこの家の前で待ち合わせじゃ」
「時間は?」
「10時じゃ」
「そっか。じゃあゆっくり寝ていられるな。探偵事務所だとおっちゃんのイビキがうるさくてよ」
「悪いが明日は6時起きじゃ」
阿笠が有無を言わさないかのようにきっぱり言い切る。
「6時!?4時間も前に起きてどうすんだよ?」
「そ、それは……初日の出を見るためじゃよ」
「明日の午前中は曇りって天気予報で言ってたぜ?」
「ま、まあ細かい事はいいじゃろ?第一、せっかく哀君が作ってくれたおせち料理じゃ。ゆっくり味わいたいしのう」
「……博士、何か企んでねえか?」
「わ、わしは別に……」
「バーロー、何年付き合ってると思ってんだよ?」
一瞬、返答に詰まった様子の阿笠だったが、「まあたまにはわしの企みに乗ってみるのも一興じゃろ?」と言うとさっさとベッドに入ってしまった。
「……ったく」
コナンは肩をすくめるとベッドに潜り込んだ。



一夜明けて元旦。
阿笠の言葉通りコナンは6時に目覚ましで起こされた。カーテンを開けるとやはり空は曇っている。初日の出は無理のようだ。
「ふあ〜」
欠伸を噛み殺しながら洗面所へ向かうと哀とすれ違った。
「あら、随分早いのね」
「何だか知らねえけど博士が6時に起きろって言うからよ」
「文句言いつつ付き合うあなたも律儀よね」
「うっせーな」
哀はクスッと笑うと「じゃあ朝食の準備するから」と言ってキッチンの方へ行ってしまった。あの様子だと哀も阿笠の企みは知らないようだ。
「……博士、一体何企んでやがるんだ?」
コナンは思わず独り言を呟いた。



哀が作ったおせち料理と雑煮を食べ、テレビのニュースを見ていると阿笠が何やら風呂敷包みを持って来た。
「新一君、そろそろ出かけるぞ」
「ん?それ博士が灰原にプレゼントした着物か?」
「哀君の着物はとっくにトランクの中じゃ」
「じゃあ何だよ、それ?」
「せっかく哀君が晴れ着を着るんじゃからのう……」
阿笠がニヤッと笑ってみせると風呂敷包みを解く。中身はコナンが子供の頃着せられていた着物だった。
「な…!こんな物どこから出して来たんだよ!?」
「君の家のタンスじゃよ。昨日有希子さんに何処にしまってあるか国際電話で聞いておいたんじゃ」
「灰原が着るからってオレまで着物着る必要ねーだろ?」
「まあそう言うな、着付けの予約もしてしまったしの」
「……」
阿笠の思惑と最初から自分に選択権がない事を知ったコナンは絶句するしかなかった。



「うわー、哀ちゃん綺麗!」
「う、美しすぎます……」
午前10時。約束の時間ぴったりにやって来た歩美と光彦は哀の姿を見て口々に叫んだ。哀は阿笠からプレゼントされた緋色の総絞りの着物に金色の帯を身につけている。
「ありがとう。あなたも素敵よ、吉田さん」
歩美は綺麗な赤色に大きな桜の花びらが描かれた着物を着ていた。
「でもまさかコナン君まで着物を着て来るとは思いませんでした」
「一張羅を着て来て言うのも何ですが……」と光彦が不満そうに呟く。
「しゃーねーだろ、博士に無理矢理着せられたんだから……」
「おや、元太君はまだ来ておらんのか?」
「どーせ餅の食い過ぎで動けなくなってんじゃねえか?」
噂をすれば何とやらで元太が遠くから走って来るのが見えた。元太は一張羅どころか普段着のままである。
「元太君、新年早々遅刻は良くないですね」
「仕方ねえだろ?母ちゃんが起こしてくれるの遅かったんだからよぉ」
「おお、揃ったの。じゃあ五人ともそこに並ぶんじゃ。新……じゃなかった、コナン君は車の斜め前、哀君と歩美君はその両脇にな。光彦君と元太君はその後ろじゃ」
阿笠がてきぱきと指示を出す。いつの間にか五人の前に三脚とデジカメがセットされていた。
「セルフタイマーで撮るからの」
「へいへい」
阿笠がタイマーをセットするとコナンの斜め後ろに駆け寄る。次の瞬間シャッターが切れた。
「どれ、哀君、撮れておるか見て来てくれんかの?」
「はいはい」
哀は三脚の側まで歩いて行くとデジカメの画像を見た。その瞬間ハッとなる。
自分と歩美がコナンの横にいる点を除くと昨日見た工藤新一の入学式の日の写真と構図が瓜二つだったからだ。工藤夫妻の位置には元太と光彦がいる。そして阿笠は変わらない位置でVサインをしていた。
「……」
「灰原…?」
デジカメを持ったまま動かない哀を心配したのかコナンが近寄って来る。
「どうかしたのか?」
「あ……何でもないわ。はい」
「お、綺麗に撮れてるじゃねえか」
「馬子にも衣装って言いたいのかしら?」
「……ったく。新年早々素直じゃねえな」
コナンは苦笑いすると哀の手からデジカメを受け取り阿笠へ手渡した。哀の視線が阿笠を捉えると下手なウインクをしてみせる。
(ありがとう、博士)
哀はクスッと笑うと「哀ちゃん、歩美と二人で撮ってもらおうよ!」と叫ぶ幼い親友の方へ歩いて行った。




あとがき



何となく思いついた小ネタです。皆様、よいお年をお迎え下さい。