コトノハ



「それじゃコナン君、行って来るね」
「行ってらっしゃい」
4月の第1土曜日早朝。親友、鈴木園子と肩を並べて出掛ける蘭の姿にコナンはフウと溜息をついた。当初はコナンも同行する予定だった京都一泊二日の花見旅行。直前になって大阪の遠山和葉が現地で二人と合流する事になったためコナンが遠慮する形となったのである。
(蘭もいねー事だし……今日は一日、溜まったミステリーでも読むとすっか!)
鼻歌まじりに3階へと戻り、玄関を開けたコナンの目にスポーツ新聞片手に出掛ける準備をしている毛利小五郎の姿が映った。
「……おじさんは競馬?」
「い、いーじゃねーか、せっかくうるさい蘭がいねーんだからよぉ……」
コナンのジトッとした視線に一瞬ギクッと動きを止めた小五郎だったが、開き直ったように「ほれ」と財布から千円札を差し出して来る。
「……?」
「夕飯代だ。俺は雀荘仲間と飲みに行くからオメーはこれで何か適当に食っとけ」
「いいか、蘭には黙ってるんだぞ」と釘を指すと小五郎はさっさと出て行ってしまう。
(……ったく。オレが元の姿に戻ったらこの事務所どうなるんだ?)
思わず乾いた笑いを浮かべるが久し振りに過ごす一人の時間は今の自分にとっても貴重なものには違いなく、コナンは玄関に鍵をかけると押入れに隠していた本の山を取り出しリビングの真ん中を陣取った。



午後5時。丸一日夢中になって推理小説を読み漁っていたコナンだったが、さすがに空腹感を覚えた。考えてみれば昼食も満足に採っていない。
(飯か…どうすっかな……)
ポアロで簡単に済ませるのも悪くないが、普段、子供の姿ではなかなか有り付けない料理を食べたい気もする。
コナンは携帯の電源を入れると阿笠を呼び出した。2、3回のコール音の後、「阿笠ですが……」という聞き慣れた声が耳に届く。
「博士?オレだけど……」
「なんじゃ、新一か。どうしたんじゃ?」
「実は今夜、蘭もおっちゃんも留守でさ。夕飯一緒に食わしてくれねーか?」
「そんな事急に言われてものう……」
阿笠の珍しい反応にコナンが眉をしかめたその時、「そういう事はもっと早く連絡して欲しいんだけど」というきつい声が聞こえた。おそらく哀が阿笠から携帯を奪ったのだろう。
「そんな事言うなよ。ちょっと材料の量を増やすだけじゃねーか」
「そりゃ……あなたが食べる分くらい何の問題もないわよ。ただしこの家で食べる分にはね」
「『この家で』って……ひょっとしてディナーの予約でも入れてあるのか?」
「そういう事。悪く思わないでね」
「お、おい、ちょっと待てよ。予約なんて2人を3人に変更してもらえばいいだけの事だろ?」
「簡単に言わないでくれる?ファミレスに行く訳じゃないんだから。予約人数の変更なんて出来るかどうか分からないわ」
「……随分敷居の高い店に行くんだな。予約人数の変更も出来ねえなんて」
「仕方ないでしょ?フサエさんがゴールデンウィークに日本へ来るからその前に味見したいって博士が言うんだもの」
倹約家の哀が外食するなど普通では考えられずその言葉にようやく納得する。同時にフサエを招待するのに相応しいと彼女が判断した店に興味もあり、コナンは「……そういう話なら尚更オレを連れてった方が賢明だと思うぜ?」と挑戦するような口調で呟いた。
「え…?」
「ガキの頃から父さんや母さんに三ツ星レストランを連れ回されてたからな。博士より味にはうるさいぜ?」
「その割に料理の腕はいまいちだと思うけど?」
「うっせーな……」
拗ねるコナンの様子を想像したのか電話の向こうで哀がクスッと笑う。
「……ま、2人より3人の意見の方が確かなのは事実ね。お店の人に掛け合ってみるわ。結果はメールするから」
「おう」
それから約10分後。哀から届いた店の名前と住所にコナンは毛利探偵事務所を後にした。



メールに書かれていた『歌を璃』という店は米花グランドホテルから徒歩5分ほどの場所に位置する小さな京風懐石料理割烹だった。先に到着した阿笠と哀の姿がなければ見落としていたかもしれないと思うほど小さな看板にさすがのコナンも「いつの間にこんな店が……」と我知らず呟く。
「哀君が読んでおる雑誌に載っておったんじゃよ。なんでも有名な女流作家お薦めの店だそうじゃ」
「へえ……」
その哀は彼女にしては珍しくソメイヨシノを思わせる淡いピンク色のワンピースを着ている。
「何…?」
「や、別に」
「……」
敏感な哀の事、コナンの興味が自分の服に向かっている事などお見通しだろう。それでも敢えてその話題に触れないのは何か訳があるのかもしれない。
そう自分に言い聞かせ、目の前に出されたお茶に口をつけるコナンに「それにしても……珍しい事もあるものね」と哀が口を開いた。
「あん?」
「いつも小判鮫みたいに彼女の行く所どこへでも付いて行くあなたが今日は一体どうしたの?」
「蘭は直前まで渋ってたけどな。桜目当ての観光客で溢れる京都の宿に直前の空き部屋なんてあるはずねーだろ?」
「それでも付いて行くのがあなたでしょ?」
「それは……」
まさか女同士の会話を聞くのが恥ずかしいとは言えず、コナンは「園子のヤツに『たまには家の事なんか忘れて女同士楽しもうよ!』って押し切られたみてーだぜ?」と肩をすくめた。
「そう……」
「……何だよ?」
「別に……」
「……」
腹の探り合いのような会話に険悪な空気が流れそうになったその時、「お待たせいたしました」という台詞とともに前菜が運ばれて来た。美しい3種類の小鉢の横には桜の花が上品に飾られている。
「早速頂くとするかのう」
せっかくの豪華な食卓に仏頂面は大人気ない事くらいコナンも哀も承知している。
「……何だか食べるのが勿体ないわね」
「そんな事言いながら一口で食っちまうんだろ?」
「失礼ね。小嶋君と一緒にしないでくれる?」
「元太って言えば思い出したけどよ、知ってっか?アイツこの前また小林先生に……」
三人組の話題に流れるコナンと哀の様子に阿笠はフッと笑うと二人に続いて箸を手に取った。



「なあ、今夜は博士ん家に泊めてくれねーか?」
阿笠邸の前でタクシーが止まると、コナンは家主のイエスという答えを聞く前に車からさっさと降りてしまった。そんなコナンに阿笠も何か感じたのだろう、「別に構わんが……」とだけ言うと玄関の鍵を開ける。
勝手知ったる他人の家とばかりにリビングへ入り、テレビを見ていると目の前に黙って湯飲みが置かれた。
「……この家で緑茶が出て来るなんて珍しいな」
「和食の後にコーヒーを出すほど野暮じゃなくてよ」
素っ気なく言う哀に黙って湯呑みを口に運ぶと「……それで?何があったっていうの?」と、鋭い口調で尋ねて来る。
「あん?」
「彼女と一緒に京都へ行く予定だったんでしょう?また喧嘩でもしたの?」
「別にそういう訳じゃねえけど……」
二人の会話の様子に阿笠が黙ってリビングを出て行く。ドアがパタンと閉まる音にコナンは小さく息をつくと「何て言うか……苦痛なんだよ」と苦笑した。
「苦痛?」
「考えてみろよ、あの三人が集まれば出て来る話題はオレや服部の事に違いねえだろ?」
「なるほど?彼女があなたの事を色々話すのが横で聞いてて恥ずかしいって訳ね」
「あ、ああ…勿論それもあるんだけどよ……」
「『それも』って…?」
「あのなあ……これでも結構凹むんだぜ?蘭や園子がオレの事『推理オタク』呼ばわりする度によぉ……」
「ま、事実なんだから否定出来ないわよね」
「悪かったな……」
拗ねたようにそっぽを向くコナンだったが、「そういえば……おめーには言われた事ねえな」と思い出すように呟いた。
「え…?」
「『推理フェチ』って言われた事は1回だけあるけどよ、あれも確かおめーとの約束を破ってオレが『工藤新一』として人前に現れた時だし……」
「……」
「おめーに言われた事がないなんて……本当、意外だよな」
しみじみと呟くコナンに哀が「……前に話したわよね?私、アメリカにいた時、嫌がらせを受けた事があるって」と苦々しげに口を開く。
「あ、ああ」
「組織の手前何でもないように振舞ってたけど……正直、辛かったわ。東洋人っていうだけで自分を否定されたような気がしてね」
「灰原……」
言われてみれば彼女の口から他人を否定するような言葉を聞いた記憶はない。改めて気付かされた事実にコナンは「そういえば……」と我知らず呟いた。
「前に事件を解決した時、犯人の和尚が言ってたな。『言葉は刃物、使い方を誤ると質の悪い凶器に変化する』って……」
「相手が親しい人であればあるほど傷も大きいしね。ま、彼女の場合、照れ隠し以外の何物でもないんだからそんなに気に病む必要ないんじゃない?」
「んな事分かってっけど……」
なおも不満そうなコナンに哀はやれやれと言いたげに肩をすくめると「工藤君、私ね、ずっと淡いピンク色が嫌いだったの。日本の花として親しまれている桜を思わせるこの色が……」と着ているワンピースの裾を抓んだ。
「店に入った時、私をジロジロ見てたのはこの服が原因なんじゃない?」
「あ、ああ。おめえにしては珍しい色の服着てっから……」
「で?その謎は解けたのかしら?」
「謎って……あのなあ、いくらオレが探偵だからって女が服を選ぶ基準なんて分かる訳ねーだろ?」
どんな難事件より厄介な女心という謎にコナンが顔をしかめたその時、ふいに哀が一枚のカードを差し出した。美しい字で『哀ちゃんが哀ちゃんらしく生きられるようにこの服を贈ります』と綴られている。
「フサエさんがおめえに……?」
「ええ。私と同じような経験をしたフサエさんのこのメッセージに勇気をもらったの。日本人であろうとイギリス人であろうと私は私なんだって……言葉に傷つけられた私が言葉に救われるなんて皮肉だけど……」
「……『刃物』って言うより『諸刃の剣』って言った方が正しいのかもしれねーな」
「ま、元の姿に戻ったら彼女に正直にお願いするのね。『推理オタク』とだけは呼ばないでくれって」
「……」
ぶっきらぼうな口調に背中を強く押されたような気がしてコナンは「……そうだな」と呟くと手にしていた湯飲みを飲み干した。



あとがき



「コナンって自分の取り柄をオタク呼ばわりされて傷つかないのかな?」とふと疑問に思い出来上がったテキストです。(←男の人って単純ですから@爆) 『XXX HOLiC』4巻においてClamp先生も取り上げておられますが、『言葉』って本当にやっかいな代物ですよね。
ちなみに「言葉に傷つけられた私が言葉に救われる」という哀嬢の台詞は私の実体験だったりします。