妙な話だとは思ったんだ……
自分の半歩前をご機嫌な様子で歩く七槻の背を恨めし気に眺めつつ、浅倉は小さな溜息を落とした。
事の始まりは昨夜。仕事を終え、寮の自室でテレビを見ていた浅倉の携帯に入った一本のメールだった。
「『至急連絡されたし』…?」
事件絡みで七槻からメールが来る事はしばしばあるものの、幸いこの週末は何も起こっていない。残る可能性は警察が関与する前に七槻が事件に首を突っ込んだパターンだが、それなら一言そう書いて来るはずだ。
嫌な予感に一瞬電話するのを躊躇うが、だからと言って無視する訳にもいかず、浅倉は登録してある電話帳から七槻の携帯番号を呼び出した。2、3回のコール音の後、「浅倉?」という聞き慣れた声が応答する。
「また事件でも呼び込んだか?名探偵」
「失礼だなあ。ボクを疫病神みたいに言わないでくれる?」
「仕方ないだろ?君からメールを寄越すなんて事件が起きた時くらいなんだから」
「アハハ、確かにそうだね」
「で?事件じゃないなら一体何の用だ?」
「あのさあ、浅倉、明日の昼って空いてる?」
「明日の昼?特に予定はないが……」
「良かった!ね、お昼一緒しない?」
「は?」
「浅倉にはいつも世話になってるし、たまには一緒に美味しいものを食べるのもいいかなと思って」
「俺は別に構わないが……」
「……な〜んか煮え切らない態度だなあ。ひょっとして先約あり?」
「そういう訳じゃないが……」
「もうっ!ハッキリ言いなよ。男らしくないんだから…!」
「その……給料日前だからな。あんまり豪華なものは驕ってやれないぞ」
言いにくい台詞を口にした瞬間、電話の向こうで大爆笑が起こった。
「そんなに笑う事ないだろ…!」
「アハハ……ゴメン、ゴメン。心配しなくても浅倉の懐なんて最初からあてにしてないからさ。じゃ、10時にワオンモール西口玄関で待ち合わせって事で」
「お、おい…!」
さっさと切られてしまった通話に浅倉は茫然と携帯を見つめる。
(まさかあの名探偵が奢ってくれる…ってか?)
いつもいつも奢らされているとは言え、お返しとも考えにくい。大体、昼を食べる約束にしては待ち合わせ時刻がやけに早くないだろうか……?
結局、社会人が女子高生に奢ってもらう情けない図を想像するに耐え切れず、金曜日に貯金を崩し、待ち合わせ場所へとやって来た浅倉は七槻の第一声を聞いた途端、思いっ切り脱力する羽目になる。
「今日さ、ハチが通ってる料理教室で無料体験やるんだって!試食会もあるって言うし覗いてみようよ!」
「覗いてみるって……試食会だけ参加する訳にはいかないだろ?まさかとは思うが……作るのは専ら俺で自分は食べるだけのつもりか?」
「さっすがボクのワトソン君。よく分かってるv」
「……」
あまりと言えばあまりな話に「帰る」と踵を返そうとした瞬間、強い力で腕を掴まれる。
「まだ時間早いし、ちょっと買い物付き合ってよ」
「は?」
「ここ最近、休みと言えば事件だって駆り出されてたんだもん。たまにはボクの用事に付き合ってくれても罰は当たらないと思うけど?」
どうやら自分に断る権利はないようで、浅倉はガクッと肩を落とすと大人しくショッピングモールの中へ引っ張られて行った。



「ラッキーだったなあ。バーゲンなんかとっくに終わってるのにこ〜んないい物がたくさん残ってるなんて…!」
鼻歌交じりに戦利品を袋から取り出しつつ、烏龍茶のペットボトルを口に運ぶ七槻の横で浅倉は言葉を失くした。Tシャツ3枚、ジーパン2本、サングラス、スニーカー、バッグ……さすがに探偵を名乗るだけあり、普通の人間が見落とすような場所に陳列された商品に目が届く様はただただ茫然とする他なかったが、それにもまして小一時間で両手が一杯になるとは思ってもいなかった。
(それにしても……)
浅倉は七槻が購入した商品に目を向けると思わず苦笑した。さすがにサングラスは一見して女性物と分かるデザインだが、他はすべて男の自分が使用しても全く違和感ないと思われる代物ばかりである。
そんな浅倉の視線に気付いたのか、七槻が「……な〜んか言いたそうな顔してるけど?」と、悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「いや、別に何も……」
「ハチならともかくボクにフリルやレースが似合うと思う?」
どうやら相手は自分の心の内などお見通しのようで、浅倉は黙って「ノーコメントって事で」と肩をすくめた。
「浅倉ってば……段々ボクの追求から逃げるのが上手くなるんだから…!」
「伊達にお抱え運転手やってないぜ?」
「アハハ、確かにここ最近、一緒にいる時間が一番長いのは浅倉だもんね」
「不本意だけどな」
浅倉の返答を無視するように七槻は腕時計に視線を落とすと、「さて!そろそろ移動すっかあ」とベンチから立ち上がった。
「で?その料理教室とやらはどこなんだ?」
「ん?歩いて5分もかからないはず……」
ふいに言葉を切り、立ち止まる七槻に浅倉は慌てて彼女の元へ引き返した。
「可愛いなあ〜、このピアス……」
「……名探偵でもこういう物に興味あるんだな」
「失礼だな。これでも一応女子高生なんだけど?」
「そんなに高い物でもないし、欲しいなら買えばいいじゃないか。気に入ったんだろ?」
「気に入ったって言うか……ボク、耳たぶ薄いからイヤリングしても取れちゃうんだよね。だから前々から興味はあるんだけど、あの学校に通ってちゃピアスなんて出来ないし……」
「だったら……」
「え…?」
「……い、いや。何でもない」
「『耳たぶが薄いと金持ちになれないぞ』ってか?別にお金持ちになりたくて探偵になりたい訳じゃないし」
小さく肩をすくめ、歩き出す七槻にどうやら自分が本当に言おうとした事は感づかれなかったようだと浅倉はホッと胸を撫で下ろした。
(……ったく。柳田のヤツが変な事言うから……)
「浅倉ーッ!何ボーッと突っ立ってんの?置いてくぞ!」
数メートル先で自分を呼ぶ声に浅倉は慌ててその後を追った。



七槻の案内で辿り着いたのは商店街から一本入った通りに面する洋館だった。立派な建て構えではあるが、どう見ても普通の民家にしか見えない。
「おい、ここがその料理教室か?」
「住所はここで間違いないんだけど……」
八生からのメールを確認しようと七槻が携帯を取り出したその時、「どうされました?」という声が聞こえた。振り向くと日本人と外国人のハーフと思われる若い女性が立っている。
「『橘料理教室』って所を探してるんですけど……」
「ああ、その教室ならここですよ」
「え!?どう見ても普通の家じゃ……」
「以前、老舗料亭で働いてみえたこちらの奥さんが個人的に開いてる教室ですからね」
「へえ……」
それだけ言うと女はさっさと屋敷の中へ入って行ってしまう。その後ろ姿を茫然と見つめていると「ナナったら……まさか本当に来るなんて」という声が聞こえた。いつの間にか八生が呆れたようにこちらを見つめている。
「美味しい料理がお腹一杯食べられるせっかくのチャンス、このボクが逃すと思う?」
「確かに試食会はあるけど、その前に体験教室に参加しなくちゃいけないのよ?」
「んな事ボクだって分かってるって」
ウインクとともに浅倉の腕を引っ張る七槻に八生も彼女の思惑を察したのだろう。「いつもいつもナナが迷惑かけてすみません」と苦笑する。
「ちょっと、ハチ、迷惑かけられてるのはボクの方なんだけど?」
「はいはい。さ、それより先生に紹介するから」
抗議する親友を軽くあしらうと八生は二人を屋敷の中へ促がした。



to be continued...