「安心して……私、彼の事そういう対象として見てないから……」
幼い親友に言ったあの言葉は嘘ではなかった。そう、あの時点では……



Plastic Flower



「……ふう」
灰原哀はパソコンをシャットダウンすると思わず溜息をついた。
ドライブから取り出したメモリースティックにはここ三ヶ月ほど研究を重ねたAPTX4869の解毒剤のデータが入っている。
「本気で取り組めばもっと早く出来ていたかもね……」
哀は思わず苦笑した。そしてこの研究の成果を誰よりも待っている人物の事を考えると胸が苦しくなる。
データが手許になかった事は事実だったが、このインターネット時代、その気になればあらゆる情報が手に入る。ましてや宮野志保はアメリカですでにドクターを取得しているのだ。解毒剤が長らく完成しなかったのは自分が本気で研究に打ち込んでいなかったからに他ならない。
分かっているから……そう、解毒剤を飲んだら彼は迷う事なく彼女の元へ走るだろう。海のアイドル、イルカを思わせる明るい幼馴染の元へ……
それを目の当たりにするのが嫌で無意識に完成を引き伸ばしていたのだ。
しかし、あの真っ直ぐな性格の彼に嘘をつき続けるのは哀自身そろそろ限界だった。
(彼の方こそ私をそういう対象とは見ていないのにね……)
哀はフッと笑うとメモリースティックを引き出しの奥にしまった。



街中が赤や緑のリボン、金色の電飾でドレスアップするこの季節は元々あまり好きにはなれなかった。クリスマスといっても特に思い出もない哀にとって道行く人々の幸せそうな顔はかえって苦痛だった。
「今年はサンタさん、何くれるかな?」
「ボクは最新のゲーム機が欲しいですね!」
「ゲームなら博士が作ってくれるからよ、どうせなら美味いもん食わせてくれねえかな!」
少年探偵団の三人が無邪気に騒ぐ様子を哀は黙って見つめていた。
やがていつもの分かれ道までやって来るとコナンと二人きりになる。
「ったく、クリスマスクリスマスって浮かれやがって……」
コナンは小学生の仮面を捨てると思わず呟いた。
「あら?あなたでも小さい頃はサンタクロースを信じていたんじゃないの?」
「バーロー、記憶にあるのは母さんにサンタの仮装させられた博士だぜ?信じろっつーのが無理な話さ」
「なるほど?」
哀はサンタの格好をさせられた阿笠の姿を想像して苦笑した。
「でも……今年はあなたにもサンタクロースが来るかもね」
「あん?」
「……長い間待たせて悪かったわね、工藤君」
「おい、まさか…!?」
驚きのあまり言葉を失うコナンに哀は黙って頷いた。
「理論は完成したわ。後は薬を作るだけだから……そうね、一週間もあれば出来ると思う……」
「一週間か……ちょうどクリスマス・イヴじゃねえか」
「……」
コナンの嬉しそうな顔に哀の胸が痛んだ。



「……遅いわね」
時計を見ると哀は思わず呟いた。約束の午後七時はとっくに過ぎている。
あれだけ元の身体に戻りたがっていたコナンが約束の時間に姿を見せない理由はおそらく事件に巻き込まれたのだろう。
そう推測してテレビをつけた哀の目に『米花町で殺人事件』という字幕が映った。
「やっぱり……」
事件の概要は付き合っている恋人に二十代の男性が殺されたというワイドショーが飛びつきそうなものだった。
「……もうニュースが流れてんのか?」
いきなり背後から聞こえた声に驚いて振り向くといつの間にやって来たのかコナンがソファに座っている。
「本当、勝手知ったる他人の家ね」
「博士は?」
「昨日から学会へ出かけているわ」
「鍵くらい掛けとけよ。襲われても知らねーぞ」
「あら、心配してくれるの?」
「あのなあ……」
哀はクスッと笑うとシャーレに入った解毒剤をコナンの前に差し出した。
「マウス実験では100%成功しているわ」
「……」
「……工藤君?」
嬉々とした顔で薬を手にするものだとばかり思っていた哀はコナンの反応に戸惑った。
「……信用出来ない?」
「いや、そうじゃねえんだ。ちょっと……考えさせられる事件だったからな」
「え…?」
「オメーも見てただろ?」
「ニュースで言ってた付き合っている恋人に男性が殺された事件の事?」
「まあ……そう言っちまえばお終いなんだけどよ、被害者と加害者は確かに恋人同士だったんだが……幼馴染でもあったんだ」
『幼馴染』という単語に哀の脳裏に毛利蘭の姿が過ぎった。
「結局……幼馴染として付き合っていた頃には見えなかったお互いの素の姿が許せなかったんだろうな。自分自身の中で理想の恋人化しすぎちまって……」
「人の心なんてガラスの花みたいにもろいものよ。特に恋愛感情が絡むとね」
「オレはこんな身体になっちまったおかげで蘭の素の姿を見る機会も増えた。だからそんな事はねえと思うけどよ、アイツは……蘭はどうなのかなって思ってさ。実際、工藤新一はアイツの前ではいつも格好付けの頼りになる男だったからな。けどよ、オレだって人間だ。弱い部分だってある。そんなオレをアイツは受け入れてくれるのかな?」
「さあ?私にそんな事聞いても仕方ないでしょ?」
「……オメーはどうなんだ?」
「えっ…?」
突然、矛先を自分の方に向けられた哀は驚きを隠せなかった。
「な、何よ急に……私は別に……」
「オレだってずっと『まさか』と思って否定して来たさ。けど母さんに言われてふと思ったんだ。オメーがオレをそういう対象として見ているとするとオメーの今までの色んな行動も納得出来る事が多いんだよな」
「……」
「解毒剤だってその気になればもっと早く出来たんじゃねえのか?」
「……ごめんなさい」
「謝る事はねーよ。オレだってまだ蘭の事とかすぐ結論出せねえからな。ただ、一つだけ聞きたい。オレもオメーをそういう対象として見ていいのか?」
「工藤君……」
コナンの真剣な瞳に哀は視線を逸らす事が出来なかった。



「じゃあな、ちゃんと鍵掛けて寝ろよ」
コナンは玄関で靴を履くと言った。
「本当に……後悔しないの?」
「あん?」
「この解毒剤、私がいつまでも律儀に保管すると思ってたら大間違いよ」
「オメーの事だ。少なくともオレがはっきり結論を出すまでは保管すると思うぜ?」
「私だってそんなにタフじゃなくてよ。そうね、プラスチックでできた花ってところかしら?」
「プラスチックねえ……」
コナンは苦笑するとドアを開けた。いつの間に降り出したのか、辺り一面銀世界に包まれている。
「ホワイトクリスマスか……」
「綺麗ね……」
「人の心の闇も覆ってくれたらいいのにな」
「あなたみたいに強い人間ばかりじゃないのよ」
「バーロー、オレだって……」
「自分の弱さを認める事が出来る人は強い人だと思うわ」
「灰原……」
「それに……確かに人の心はもろいけどダイヤモンドみたいに強い意志を持つ事は可能だわ。あなたが彼等を潰そうとしてたみたいにね」
「……しっかしイヴの夜だっつーのに色気のねえ会話だな」
「ま、相手があなたじゃ仕方ないわね。でも、今年は私もサンタクロースからプレゼントが貰えたわ」
「プレゼント?何だよ?」
「さあ、何かしら?」
鈍感なあなたが私の気持ちに気付いてくれただけでも奇跡かもね……心の中でそう呟くと哀はクスッと笑った。




あとがき



この作品はlena parkさんという方の同名の歌からインスパイアされて書いた作品です。プロモーション・ビデオが個人的に……だったので@爆
副題が『恋わずらい』というこの歌はとてもドラマチックな歌で恋に落ちた女性の狂おしいまでの感情が表現されています。
(しかしクリスマス小説がこれじゃブーイングかしら^^;)