最後の伏兵



「なあコナン、今度の週末、博士ん家で勉強会やろうぜ!」
元太にそう誘われたのは、期末試験を一週間後に控えた放課後の事だった。
「今度の週末…?悪ぃけどオレはパス」
「ぱすぅ?」
「ああ、金曜の夜から2泊3日で京都へ行く事になってるからな」
「京都…!?」
「試験直前に京都旅行とは……随分余裕ですねえ〜」
驚きのあまり絶句してしまった元太に代わり光彦が会話に割り込んで来る。
「余裕っつーか……フサエさんが仕事で来日する事は随分前から決まってた話だからな。オレも灰原も試験勉強は早めに済ませたんだ」
実際は試験勉強などやった試しがないのだが、さすがに「試験勉強なんかやらなくても〜」と言うのは憚られ、コナンは曖昧な笑みを浮かべると適当な答えを返した。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ。『オレも灰原も』って事はまさか……」
「ああ、アイツもパス」
「アイツもパスって……おい、お前ら二人揃って仲間のピンチを見捨てる気かよ!?」
「優秀な家庭教師が二人揃っていないなんて、ボク達、一体どうすればいいんですか!?」
掴みかからんばかりの勢いで迫って来る元太と光彦にさすがのコナンも閉口した。中学校入学以来、中間や期末といった大きな試験がある度『勉強会』と称して泣きついて来る三人を辛抱強く面倒みてきたが、どうやらいつの間にかそれを当たり前に思われているようだ。
「なあ光彦、こうなったらオレ達も京都行こうぜ!」
「京都行くって……元太君、交通費や宿泊費はどうするつもりですか?いくら人のいい博士でもそこまで面倒みてくれませんよ?」
一人勝手に盛り上がる元太と違いさすがに光彦は現実的だ。
「それに京都なんか行ったら勉強どころじゃなくなるのは火を見るより明らかですし……」
「そ、それは……」
もっともな意見に反論出来ず、言葉を詰まらせる元太にコナンはホッと息をついた。どうやら今回は三人組に邪魔される事なく、哀と二人きり秋の京都を満喫出来そうである。
「やべえな……オレ、今度赤点取ったら母ちゃんに勘当されちまう……」
「ボクだってピンチですよ。今度の試験、社会の試験範囲が滅茶苦茶広くて……灰原さんだけが頼りだったんですから……」
「……ま、土産くらい買って来てやっから。おめえらは試験勉強頑張れよな」
目の前に迫った危機に茫然とした様子の親友達に勝ち誇ったような笑顔を向けるとコナンは教室を後にした。



「もうすぐだね、京都」
弾んだ声に振り向くと、いつの間にか背後から歩美が哀のスケジュール帳を覗き込んでいた。
「ええ」
「彼と二人っきり、秋の京都で紅葉狩りかぁ、ロマンチック〜v」
「二人っきりって……博士やフサエさんも一緒よ?」
「あれ?初日は別行動って言ってなかった?」
「え、ええ、まあ……」
言葉を濁す哀に歩美がにんまり笑うと肘で脇腹を突付いて来る。
「いーい哀、せっかくのチャンス、これで何も進展なかったなんて言ったら怒るからね!」
「怒るって言われても……」
「正直、ずっと心苦しかったんだ。哀達が出掛けるっていうと元太君と光彦君、一緒に行くって聞かないじゃない?そうなると私だけパスって訳にもいかなくて……お邪魔虫以外の何者でもない事は百も承知だったんだけどねぇ〜」
「お邪魔虫だなんてそんな……」
「哀はともかく、コナン君は思ってるよ、絶対」
うんうんと頷く歩美に思わず苦笑する。男の子に比べて女の子の方がませているのはいつの時代も変わらないようだ。
「……ま、私としては彼と一緒にいて事件が起こらない事を祈るのみね。せっかくの旅行が台無しになっちゃうもの」
「確かに……その可能性が一番厄介なのよねぇ」
ハァと大袈裟に溜息をつく親友に哀はクスッと微笑んだ。



11月28日、午前9時。阿笠、コナン、哀が待ち合わせ場所に指定されたホテルのロビーに着くとすでにフサエの姿があった。
「阿笠君」
三人の姿を認めるとフサエが艶やかな笑顔を見せる。
「わざわざ京都まで足を運んで頂いて恐縮だわ」
「なあに、フサエさんのためならワシは地球の裏側でも飛んで行きますぞ」
半ば冗談でもない阿笠の台詞にコナンと哀は思わず苦笑した。
「コナン君と哀ちゃんもありがとう」
「いえ、オレ達も久しぶりの京都を楽しみにしていましたから」
「修学旅行とは季節が違いますし」
「そう?それならいいんだけど……あ、紹介が遅くなっちゃったけど、こちら京都の着物メーカーの大須賀様。今回のデザインのお話を企画された方なの」
フサエの正面の椅子に座っていた男が立ち上がると「『京都小町』の大須賀と申します」と阿笠に名刺を差し出す。籍こそ入っていないものの阿笠とフサエが夫婦同然の関係である事はファッション界ではすでに常識として知れ渡っていた。
「初めまして、発明家の阿笠です」
「おや?そちらのお嬢さんは……」
大須賀の目が哀に止まる。
「以前何かの雑誌でモデルをされていませんでしたか?」
どうやら有希子のデビュー25周年企画の記事に掲載された哀の写真を覚えているようで「『NON−AN』だったかな?いや…『Can Can』だったか……」と、有名女性ファッション誌の名を挙げてはしきりに首を傾げている。
「実はワシの遠い親戚の子でして……」
「そうだったんですか!いやぁ、あの当時、『どこの事務所にこんな綺麗な娘がいるんだ?』って話題になりましてね。私も随分探したもんですよ」
「それはどうも……」
孫娘を褒められ嬉しくて仕方がない老人のように阿笠が照れ笑いを浮かべる。
「そうだ!フサエさん、今回の企画、そちらのお嬢さんにも協力して頂きませんか?新時代の着物のモデルにピッタリじゃありませんか!」
「え、あ……」
「申し訳ないんじゃが、その話はお断りさせて頂きたい」
困ったような笑顔を浮かべるフサエに代わり、阿笠が彼にしては珍しくきっぱりとした口調で言い切った。
「この娘にその気があれば何も言う気はないんじゃが、本人はあれ一回きりと言い切っておるんでの」
「そうですか……」
実の父親よろしく自分達のプライベートな生活を守る阿笠にコナンは心の中で感謝した。
「……それじゃあ博士、オレ達は適当に市内を散策すっから」
「あんまり帰りが遅くならんようにするんじゃぞ」
「分かってるって」
コナンと哀は大須賀に頭を下げるとホテルを後にした。



「さて、どっから回るかな」
駅前のバス乗り場までやって来るとコナンは地図を取り出した。
「ま、どこも人で一杯でしょうけど……」
この季節の京都は平日でも人が溢れる。ましてや今日は週末だ。人がいない場所を探すなど不可能だと言っても過言ではないだろう。
「お前、どっか行きたい所あるか?」
「商売繁盛の神様だけ避ければいいんじゃない?博士はともかく、あなたが儲かるのはこの国の平和のためにどうかと思うし」
「ハハ……」
もっともな意見にコナンとしては苦笑するしかない。
「せっかくの秋の京都だし……紅葉の名所として有名な永観堂あたりから回るか?」
「そうね」
ちょうどバスが発車するところのようで係員の案内が聞こえて来る。慌てて飛び乗った次の瞬間、二人を乗せたバスは京都の街を滑らかに走り出した。



永観堂に続き南禅寺の拝観を終えると午後一時を回っていた。門前の湯豆腐の店には長蛇の列が出来ているが、どこの店へ行っても似たような状況だろう。一時間は待つ事を覚悟して並んだ二人だったが、ちょうど客の入れ替わりの時間だったのか30分余りでテーブルにつく事が出来た。
「それにしても……相変わらず混んでるな、この店」
注文を取りに来た女性店員が立ち去るとコナンは懐かしさに店内を見回した。
「ここ、来た事あるの?」
「ああ。おめえ、七年前に起こった源氏蛍の事件、覚えてるか?」
「当たり前でしょ?あんな無茶をされれば嫌でも忘れないわよ」
溜息とともに哀が呟く。事件解決のため哀が開発した風邪と同じ症状を引き起こす薬と白乾児(パイカル)を飲んで工藤新一の姿に戻った事は今となっては懐かしい思い出だが、当時彼女がどれだけ自分の身体を心配してくれていたか改めて思い知らされ、コナンの胸が熱くなった。
「あの事件の捜査の最中に服部と寄ったんだ。そういえば……確かあの時聞かされたんだよな、アイツの初恋話」
「初恋話って……西の名探偵さんの初恋の相手は遠山さんでしょ?」
「結果的にはそうだったんだけどよ……」
コナンは悪戯っ子のような笑みを浮かべると、『和葉には絶対内緒やで』という前置きとともに聞かされた平次の初恋話を哀に切り出した。
「……ふうん、そんな逸話があったの。それにしてもよくあの鈍い彼が気付いたわね、その少女が遠山さんだって」
「何でも和葉ちゃんが手毬歌の歌詞を一箇所間違えてたから分かったらしいぜ」
「手毬歌?」
「京都の通りを覚えるのに歌われる童歌さ。『ま……』」
「お願いだから止めておいてね、せっかくの料理が台無しになるから」
「……」
『音痴だから歌わないでね』と言わないのは哀なりの配慮だろう。そう自分を納得させるとコナンは慌てて「初恋って言えばさ、おめえの初恋の相手ってどんなヤツだったんだ?」と話の矛先を変えた。
「……気になる?」
「そりゃ……オレの初恋の相手はおめえにバレバレだからな」
「確かに不公平ではあるわね」
拗ねるようなコナンの口調に哀はクスッと笑うと懐かしい思い出を手繰り寄せるような視線を庭に投げた。
「彼は……そうね、年下のくせに生意気で……」
「……いきなり罵倒かよ」
「カッとなったら後先考えずに行動する危なっかしいところがあって……」
「……」
「おまけに人の気持ちなんかお構いなしに真っ直ぐ飛び込んで来るはた迷惑な人だったわね」
「それってまさか……」
「オレの事かよ?」と喉まで出かかった次の瞬間、「……な〜んてね」と小悪魔のような笑顔ではぐらかされガクッと肩を落とす。
「『はた迷惑な人だった』って過去形で話すって事は……どうやらそいつも少しは成長してるみてえだな」
苦虫を噛み潰したような表情でそれだけ呟くとコナンは運ばれて来たばかりの料理に箸を延ばした。



「ねえ、良かったらこのお寺へ行ってみない?」
会計を終え、店の外へ出ると哀がハンドバッグから一枚の紙をコナンに差し出して来た。インターネットで取り出した情報のようで、『善峯寺』という大きな文字とともに美しい紅葉の写真が紹介されている。
「ちょっと市内から離れてるけど、ここだけに絞ればゆっくり見られると思うし」
「……犯人は歩美か?それとも光彦か?」
「え…?」
「おめえが観光名所の情報を熱心に調べるとはとても思えねえからな」
面白くなさそうに呟くコナンに哀がクスッと微笑む。
「円谷君よ。なんでもCMに使われているそうで、お姉さんが行きたいって騒いでるらしいわ」
特に行きたい場所が決まっている訳ではないし、話の種にもなるだろうと、二人はその寺へ向かう事にした。
地下鉄蹴上駅から山科駅へ出てJR線に乗り換え、向日町駅からバスに乗り約30分、立派な山門へ辿り着く。有名企業のCMに使われた事もあり、寺は結構な人で溢れていたが、約三万坪という広い境内があまりそれを感じさせなかった。山腹に建てられた数多くの堂塔伽藍の隙間は紅葉の艶やかな色に埋め尽くされ、参道は落ち葉ですっかり紅い絨毯と化している。
いくつもの堂宇を巡り、大書院へ辿り着くと、ちょうど展覧会をやっているらしく、『仏教美術展』と書かれた看板が立てられていた。仏教美術に特別興味がある訳ではなかったが、光彦に貰った紙に書かれた『大書院から望む屏風山は素晴らしい』という記事に歩を進め、縁側へ出た途端、絵巻のように美しい紅、黄、緑のコントラストが目の前に広がり二人は思わず息を飲んだ。
「見事だな……」
「ええ……」
「……さすがに罪悪感を感じるな」
「え…?」
「アイツらが今頃必死になって試験勉強やってると思うとさ」
「じゃあ、せめて紅葉狩りのお裾分けでもしましょうか?」
哀がクスッと笑うとデジカメを差し出して来る。ファインダーに映る鮮やかな色彩に二人はしばし時を忘れた。



京都駅前へ戻った時にはすでに午後七時を回っていたが、街は相変わらずたくさんの人で賑わっていた。
「ここ、寄ってもいい?」
ホテルへ戻る途中の道で哀が立ち止まったのはいかにも老舗という感じの京菓子店の前だった。
暖簾をくぐり店内へ入ると紅葉や銀杏を模った色鮮やかなゼリーや栗を材料にした生菓子が二人を歓迎する。
「綺麗……食べちゃうのが勿体ないわね」
「目でも楽しめるのが京菓子の良さだからな」
哀は店員のアドバイスを参考に、てきぱきと購入する菓子を決めていった。
「フサエさんには帰国する直前に渡した方がいいわよね?」
「甘い物好きの博士には目の毒だからな。けどよお、せっかくの京都なんだ。一個くらい食わせてやったらどうだ?」
「そう思って私達の分と一緒に少し買ったけど?」
気が付くといつの間にか哀の手には包みが三つ抱えられている。
「……三つに分けたって事は一つはアイツらの分か。しっかし、光彦と歩美はともかく、元太には勿体ないんじゃねえか?」
顔をしかめるコナンに哀がクスッと笑う。
「な、何だよ?」
「どうやらあなたにとってあの子達は西の名探偵さんと同じくらい大切な存在のようね」
「あん?」
「歩美があんまり発破を掛けるもんだから、今日一日、なるべくあの子達の話はしないようにしてたんだけど……まさかあなたの口からこんなに彼らの話題が出るとはね」
(ゲッ…!)
しまったと思っても時すでに遅い。邪魔者がいない旅行を楽しみにしていたくせに、よりによって自分の口からあの三人の名前を出すとは何という失態だろう。
「その……悪かった、オレ、全然……」
「気にしないで。あなたと一緒にいて事件が起きなかっただけでもラッキーだと思ってるし。それに……何だかんだ言ってもあなたにとって彼らが大切な存在だって分かって嬉しかったわ」
「……」
すっかりご機嫌な様子の哀にコナンは黙って笑顔を取り繕う事しか出来なかった。



「いっただっきまーす!」
昼休み。屋上で土産の京菓子を広げると、元太と光彦が嬉しそうに手を伸ばして来た。
「お、美味いな!」
「元太君、そんなにたくさん持って行かないで下さいよ!」
「うるせーな、こういうのは早い者勝ちに決まってるだろ!」
すでに元太の左手には八つ橋も握られている。
「早い物勝ちって……歩美ちゃんと灰原さんの分、ちゃんと残しておいて下さいよ」
「アイツらどこ行ったんだよ?」
「近くのコンビニですよ。京菓子には日本茶が合うからって」
「飲めれば何でもいいじゃねえか、なあ」
「……ったく」
相変わらず食いしん坊の元太に溜息をついた時だった。光彦が思い出したように「そういえば……」とコナンの方に振り返る。
「コナン君、歩美ちゃんと何かあったんですか?」
「あん?」
「二時間目が終わった時、灰原さんと話しているのを偶然聞いてしまったんですけど『コナン君ったら本当にダメなんだから!』って……なんだか随分怒っている様子でしたから」
「……」
「コナン、お前、歩美に頼まれてた土産、買い忘れて来たんじゃねえのか?」
「ハ、ハハ……」
真実を話す気にもなれずコナンは曖昧な笑みを浮かべると紅葉を模ったゼリーを口に運んだ。



あとがき



名探偵コナン私作小説総論の管理人、くっきー様の「中学生コ哀、秋の京都、邪魔者なし」というリクを元に書いた作品です。単純に二人のデートを書いても面白くないので、リクを逆手に取り「確かに邪魔者はいなかったけど……」というテーマで書いてみました。コナンの腹黒さや男の子と女の子の温度差のようなものを表現しようと頑張ったつもりですが、想像以上の難産に完成がすっかり遅くなってしまったという@爆 (おまけに行き先を地蔵院から善峯寺へ変更したせいで一度脱稿した原稿を書き直す羽目にーー;)
それにしても私の作品って江戸川さんが本当に可哀想ですよね@爆笑