ロンドンといえば曇り空が定番だが、アレス・アシュレイとミネルバ・グラスの結婚式当日は嘘のような快晴だった。
新婦たっての希望で式が行われる30分前にセント・ブライド教会控室へ呼ばれたコナンと哀は美しいウェディングドレスに身を包んだミネルバの姿に感嘆のあまり一瞬言葉を失った。
「どーだ?姉ちゃんの一生一度の晴れ姿」
得意げな顔のアポロに「ああ、すっげー綺麗だ」とコナンは素直な感想を述べた。
「本当は姉ちゃん、20代で結婚したいって言ってたんだけどさ、アレスが『キングになるまで結婚しない』なんて言い張るもんだから……ま、姉ちゃんは今やクレーコートでも負けなし、正真正銘のテニス界の女王だからな。アレスの気持ちも分らなくはないけど……」
「お互い納得したタイミングで結婚するのが一番だもの。仕方ないわ」
ミネルバはクスッと笑うと「それにしても……あの小さかったホームズの弟子もすっかり大きくなったものね」とコナンを見た。
「そりゃそうですよ。あれから8年も経っているんですから……」
「あの時は母さんの命を救ってくれて本当にありがとう。今日、この日を迎えられたのも君のお陰だわ。本当はあの子、ランにも会いたかったんだけど……看護師さんじゃなかなかお仕事休めないわよね」
「蘭姉ちゃんも残念だって言ってました。『お幸せにと伝えてね』だそうです」
「ええ、昨日メールを貰ったわ。もっともご主人とのツーショットで逆に幸せをアピールされちゃったけど」
コナンとミネルバの会話にいたたまれなくなり、「江戸川君、私、博士のところに行ってるから……」と哀が控室を後にしようとしたその時だった。「ねえ、ホームズの弟子と一緒にここへ来てくれたって事はあなたが彼のステディ?」とミネルバが哀に視線を向ける。
「え、ええ……ステディという言葉が似合うとは思っていませんけど……」
「なるほど?ラブラブというより熟年夫婦っていう訳ね」
「そういう訳じゃ……」
思わず顔を赤らめる哀にミネルバは悪戯っ子のような笑みを浮かべると「OK、任せて!」とコナンの方に振り返った。
「それじゃボク達は式場の方に移動しますから。灰原、行くぞ」
さっさと控室を出て行くコナンに哀はグラス姉弟に慌てて頭を下げると彼の後を追った。



パイプオルガンの荘厳な響きとともに式場の扉が静かに開く。チェスのような模様の中央通路に敷かれた白布の上をアポロにエスコートされ、ゆっくりと祭壇へと進むミネルバの姿はテニスコートで見る彼女とは別人のようだった。祭壇の前で待つアレスの緊張する様子も普段の彼からは想像もつかない姿だろう。
賛美歌が合唱され、司祭による祈祷、聖書朗読と式次第に則って結婚式は滞りなく進行して行く。普段は何かと軽口を叩き合うコナンと哀も厳かな式に自然と無口になり、幸せそうな二人を静かに見守った。
そんな二人を現実へと引き戻したのは「おい、ブーケ・トスだぞ!」というアポロの声だった。
「そういえばブーケ・トスって14世紀頃のイギリスの風習が起源だそうね」
「受け取った独身女性が次の花嫁になるってアレだろ?オメーも参加したら……」
「私はパス」
さっさと踵を返す哀に苦笑しつつ式場の外に出ると参列者は勿論、二人の友人やファン、マスコミで小さな教会の前のストリートはごった返している。
「さすがテニス界のキングとクイーンの結婚式……おい、灰原、大丈夫か?」
「え、ええ……」
やっとの思いで人混みをすり抜けて辿り着いたのは教会から3メートルほど離れたビルの谷間だった。「Ready?」というアポロの大きな声が聞こえて来る。3、2、1とカウントダウンが行われた次の瞬間、哀の頭上に何かが降って来た。
「え…?」
自分でも気付かないうちにキャッチしていたそれはミネルバの手につい先程まで握られていたブーケだった。
「……『私パス』じゃなかったっけ?」
「だって……ブーケとは思わなかったし……まさかこんな所まで飛んで来るなんて……」
「さすがテニス界の女王、飛距離は半端ねえな」
バツの悪そうな顔で言葉を失う哀とは対照的にコナンは愉快そうに呟くと「なあ、灰原」と再び口を開いた。
「このままデートしないか?」
「え…?」
「お互い普段着ないような格好してんだし。どうせならロンドンのお洒落なスポット回って豪華なディナーでも食おうぜ」
「……」
手の中のブーケにしばし黙り込む哀だったが、「……そうね、せっかく来たロンドンだし。ホテルへ戻ったり着替えたりする時間も勿体ないわよね」とコナンの方に振り返った。
「全部あなたの驕りっていうなら手を打つけど?」
「ああ、歩美の土産は除くって事で」
遠くの方でアレスとミネルバが祝福するファン達に笑顔で手を振っている。コナンはアポロに明日会う約束のメールを打つと哀の手を取りその場を後にした。



この時期のロンドンは夜を迎えるのが遅い。大英博物館の中を足が痛くなるほど歩き回り、アフタヌーン・ティーを楽しみ、リージェントストリートで少年探偵団へのお土産を購入し、フレンチレストランでディナーに舌鼓を打った二人が見上げた空はまだ夕暮れとまでは呼べなかった。
「いい気になって遊んでたけどもうこんな時間なのね。そろそろホテルに戻らないと……」
ハンドバックの中の携帯を取り出しそう呟く哀にコナンは「ああ、明日でロンドンともお別れだしな」と名残惜しそうに呟いた。
「それにしてもさすがミシュラン3つ星レストランね。美味しかったわ」
「父さんがロンドンへ来た時現地の編集さんが紹介してくれたんだってさ」
「なるほど?お父様のセンスなら間違いないわよね」
「放っとけ。それはそうと……ロンドン最後の夜だ。せっかくだから散歩がてら夜景を堪能しないか?」
「夜景って……まだ明るいけど?」
「後30分もすればみるみる暗くなるからさ」
「……」
「何だよ?」
「何か変な事企んでないでしょうね?」
「バーロー、オレだって命は惜しい」
大袈裟な仕草を見せるコナンに哀はクスッと笑うと「そうね、腹ごなしに少し歩きましょうか?」と肩をすくめた。
レストランが入っているホテルを出てロンドン・アイを左手に見ながらテムズ川を南へ向かう。やがてウェストミンスター・ブリッジを挟んでロンドンの象徴とも言うべきビッグ・ベンが現れた。
「灰原、一つ聞いていいか?」
ふいにコナンが立ち止まると真剣な表情で哀を見る。
「何?」
「オメー、まだ蘭の事拘ってるのか?」
「え…?」
「今回のロンドン行きにオメーが前向きになれなかったのはロンドンがオレにとって蘭に告白した思い出の場所だから……そうだろ?」
「……!」
まさか見透かされているとは思わず、さすがの哀も「そ、そんな事……」と口を濁す事しか出来ない。コナンはそんな彼女を半ば強引に抱き寄せると「んな事気にするならさ……」と悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「オメーが上書きしてくれよ」
「上書き…?」
「確かにオレにとってロンドンは蘭に告白した事が一番の思い出だ。だったらそれ以上の思い出をオメーがくれればいいじゃねーか」
「どういう意味?」
「オメー……意外と鈍いな」
「失礼ね。持って回った言い方するあなたが悪いんじゃない」
「だからさ……その……」
「男でしょ?はっきり言いなさいよ」
呆れたような視線で自分を見つめる哀にコナンは顔を逸らすと「男だから我慢出来ねえんだよ……」と独り言のように呟いた。
「え…?」
「だから……オメーが欲しいんだよ!中学入ってからどんどん綺麗になるし……言い寄る男は後絶たねえし……オレだって男だ!好きな女を独り占めしたいと思うのは当然だろ!?」
「……!」
半ば自暴自棄になって叫ぶコナンの姿に絶句したのも一瞬、哀が堪え切れない様子でクスクス笑い出す。
「な、何だよ……」
「ご、ごめんなさい。いつも気障でカッコつけなあなたがまさかこんなストレートに要求して来るなんて思ってもいなかったから……」
「……」
なおも笑いが収まらない様子の哀にコナンは「……で?」と顔をしかめた。
「何?」
「オレは今夜オメーの部屋へ行ってもいい訳?」
「悪いけど答えはノー。私、今生理なの」
「何だよ、それ……」
明らかにガクッと肩を落とすコナンに哀は「なるほど?これが四つ目の策略だったのね」と肩をすくめた。
「あん?」
「祖母のお墓参り、ミネルバさんのブーケ、ドレスアップしたロンドン市街デート、そして最後の夜。あなたが大好きな小説『四つの署名』にあやかって四つの作戦を立てていたんでしょうけど……最後は残念だったわね」
「ブーケとデートの事……やっぱり気付いてたのか」
「あらかじめグラス選手と私を引き合わせたのは彼女に私の顔を覚えさせるためだったんじゃない?テニス界のクイーンと呼ばれる彼女だったら顔さえ分かればその相手目がけてブーケを投げるなんて簡単な事だったでしょうからね」
「……」
「そしてこの靴。一見したところフォーマルだけど履いてみると足にとても優しい作りになっているのが分かるわ。多少歩き回っても靴ずれしないように中のクッションは最高だし、おまけにドレスとは少々不釣り合いなローヒール……博士が私にパーティードレスを用意している事を嗅ぎつけて『結婚式が終わったらそのままデートしたい』ってフサエさんに我儘な注文つけたんじゃない?」
「……本当、可愛くねえ奴」
「その可愛くない女に迫ったのはどこのどなた?」
「……」
「『策士、策に溺れる』って……そういえば昔、円谷君にも言った事があったわね」
先程の出来事を思い出したのか、再びクスクス笑い出す哀にコナンは憮然とした表情になると「そろそろ帰るぞ」とその手を引いた。



「あれ?コナン君、歩美ちゃんと灰原さんはどうしたんですか?」
「『今日の昼食は女同士気ままにさせてもらうから』だってよ」
「そうなんですか。まあ女性の会話には男が入れない世界がありますからね」
分かり切ったような事を呟くと光彦はコナンから受け取ったロンドン土産の封を解いた。
「これ……ダックスのシステム手帳じゃないですか!コナン君、いいんですか?」
「ああ」
「おい、コナン、さすがのオレもこんなに一杯食えねえぞ!」
光彦の隣で同じく土産を開けた元太の目の前にはスコーンだけでなくクッキーやジャム、キャンディー、チョコレートと色んなお菓子が積み上げられている。
「別に一度に食えって言ってねーだろ?」
「そりゃそうだけどよぉ……」
「あの……コナン君、一つ聞いてもいいですか?」
「何だよ?」
「ロンドンで灰原さんと何かあったんですか?」
「別に何もねえよ」
「本当か?コナン」
「バーロー、何かあったらオメーらにこんなにたくさん土産買って来てねーっつーの」
拗ねた顔で独り言のように呟くとコナンは訳が分からないと言いたげに顔を見合わせる元太と光彦を無視して読みかけの推理小説を枕に寝転がってしまった。



あとがき



「ロンドン編でGODが描きたかったのは『ビッグ・ベンの前で告る工藤』、これだけだったんだよな〜」と斜めな見解をしていたら降って来たのがこのロンドンネタでした。しばらくテキストを書いていなかった事もあって筆が鈍っているかな?と心配だったのですが、シーンを追って行くだけのストーリー、そして相方曰く『相変わらず報われない江戸川ネタ』だったためか案外スルスルと書け、想像以上に長い作品になってしまったという@爆  行った事のない場所が舞台だったり、キリスト教の知識がなかったりで苦労はあったのですが、そこはGoogle先生に頑張って頂きましたv
ちなみにこの作品、最初の謀は3つだったのですが、相方のアドバイスを元に4つにしました。やはり江戸川と言えば『四つの署名』って事で。
それにしても「たまにはちょいアダルトに挑戦してやろっかな?」と書き出したものがいつの間にかこんな展開に。どうやらウチの江戸川はとことん不遇のようです^^;)