あなたとのSomething Blue



「工藤君、私、ちょっと寄りたい所があるんだけど……」
灰原哀がそう口を開いたのは予定していた買い物を終え、米花駅前行きのバス停まで歩いていた時の事だった。
「何か買い忘れた物でもあったか?」
「そうじゃないわ。ただせっかく郊外まで来たからついでに買って行こうかなと思って。でも……」
意味ありげな視線で自分の手元を見つめる哀に江戸川コナンは「そんなに荷物が増える訳でもないんだろ?遠慮するなんてらしくないぜ」と肩をすくめた。
週末に少年探偵団とキャンプへ行く事になり、阿笠と三人で買い出しに来たのだが、買い物を終えて駐車場まで戻って来た時、阿笠の携帯へ発明品の販売を請け負っている営業マンからトラブル発生の連絡が入ってしまったのだ。取る物も取り敢えずペットボトルが入った段ボールと米袋を後部座席へ積み込んだものの、早々とトランクに収納していたキャンプ用品が仇となり、結構な量の食材をバスで帰る事になったコナンと哀が持ち帰る羽目になってしまったのである。
「じゃあお言葉に甘えさせてもらうわね」
そんな言葉と共に踵を返す哀の背中について行くと小規模のホームセンターへやって来た。園芸用品をメインに扱っているようで、客層は圧倒的に女性が多い。
「へぇ、こんな所にホームセンターがオープンしてたんだな」
「吉田さんが教えてくれたの。『種や球根がたくさん揃っててお勧めだよ!』って」
いつの間にか探偵団の中で一番の情報通になっていたのは歩美だった。寄られた情報が飲食店なら元太の「食ってみてえ!」の一言で阿笠が連れて行く羽目になるのも恒例となりつつある。哀としては阿笠のダイエット事情が気にならない事もないが、嬉しそうに引率する姿に制止するのも憚られ、結局いつも五人で出掛けていた。
「悪いけど少しだけ私の荷物も持っていてくれる?」
「花か……明美さんの墓参りでも行くつもりか?」
「バカね、お彼岸に行ったばかりでしょ?今日欲しいのは球根よ」
「球根…?」
「あと園芸用の土と肥料も買って行かなくちゃ。鉢と軽石は円谷君が昔使ってた物を譲ってくれるって言ってたから……」
「土とか肥料って……オイ、さすがにオレ達だけで持って帰るのは……」
「大丈夫よ。この店、二千円以上購入すると無料で配送サービスしてくれるの」
なるほど、女性に人気があるとはこういう事かと納得するコナンを後目に哀はさっさと店内へ入って行ってしまう。
「あの灰原がねぇ……」
真剣な表情で球根を選び、店員と会話する哀の様子にコナンは思わず目を細めた。出会ったばかりの頃は組織の影に怯え、自ら死を選ぶ事さえ躊躇わなかった彼女が花を育てようというのだ。わずか二年でここまで変わっている自分に哀自身は気付いているのだろうか。
そんな事を考えていると「お待たせ」という声と共に哀が店から戻って来た。
「何の球根買ったんだ?」
「秘密。育ってみてのお楽しみよ」
「お楽しみって……オレが知ってる花とは限らねーじゃねーか」
「あら、あなたらしくない台詞ね」
「花っつっても最近は色々あるからな」
「そんなマニアックな花じゃないわよ」
不満そうな表情のコナンに哀はクスッと笑うとふいに「ねえ」と真面目な声音で呟いた。
「一つお願いがあるんだけど……この花、あなたの家の庭で育てさせてくれない?」 
「あん?」
「博士に気付かれずに育てたいの。だから……」
「博士へのプレゼントって訳か。いいぜ、気にせず使えよ。大体始終掃除に入ってるオメーが許可なんて取る必要ねえと思うけど?」
「あの家はあなた一人の家じゃないでしょう?」
呆れたようにジトっと睨む哀にコナンは「んな事より大丈夫なのか?」と話を強引に捻じ曲げた。
「大丈夫って?」
「ここ最近、自分の研究に加えて博士の研究も手伝ってるんだろ?寝不足が続いてるって愚痴ってたじゃねーか。花なんか育てる余裕あるのかよ?」
「博士の仕事は時差が付きものだから仕方ないわよ。私としては誰かさんが厄介事を持ち込んで来る事の方がよっぽど心配だわ」
「……んな事言ってると手伝ってくれって頼んで来ても知らねーぞ」
「結構よ。この花はあなたの力を借りずに育てたいの」
サプライズ計画に自分の存在が全く組み込まれていないのは癪だが、長い栽培期間で哀が音を上げる事もあるだろう。コナンは自分にそう言い聞かせると「そういえばさっき高木刑事から電話があってさ」と話題を切り替えた。



「ほんで?そのうち頼って来るやろと高を括っとったら早半年ちゅう訳か」
目の前の大盛カレーライスを美味しそうに頬張り、からかうような口調で呟く服部平次にコナンは面白くなさそうに眉をしかめた。
時の流れは早いもので既に四月も中旬、コナンと哀は小学四年生になっていた。東京の大学へ進学して一年経った事もあって平次も生活が落ち着いたのだろう、最近は事ある毎にコナンを呼び出しては事件に巻き込んでくれる。
「ああ、感心するぐらいマメに世話してるぜ。お陰でオレん家の庭は随分立派になっちまった」
「お前の事や、どーせ小っさい姉さんが育てとる花が何なのかもう分かってるんやろ?」
「アイツが買った球根を見た時から百合科の植物だって事は分かってたぜ?色まではさすがに分からねえけど……あれはカサブランカだな。葉っぱの出方からして間違いねえよ。咲く頃合いを考えてちょうどいいと思ったんじゃねーの?」
「ちょうどいいって何がや?」
「六月に博士とフサエさんの結婚式があるんだ。まあ年齢も年齢だし、二人とも派手な事はしたくないからってオレ達しか参列しないんだけどさ。まぁ米花小学校近くの教会で挙げるって話だから元太達が押し掛けて来るかもしれねーけど……」
「新郎新婦へのプレゼントっちゅう訳か。姉さんらしいやないか」
「まあそうなんだけどよ……」
「そこまで分かってんのに一体何が気に食わんのや?」
「アイツ、オレには全く手伝わせないんだぜ?それどころか『工藤君は立ち入り禁止だから』って様子も伺わせねーんだ」
「大方姉さん一人で育てたいんやろ」
「オレだって最初はそう思ったさ。けど歩美達が手を出しても何も言わないし、光彦に至ってはアドバイスとかぬかして色々吹き込んでやがるみてーで……」
イライラを抑えるように目の前の珈琲を飲み干すコナンに平次はプッと吹き出すと「ほんま、コナン君は相変わらずお子様やな〜」と呆れたような視線を向けた。
「バーロー、オメーだってこの前和葉ちゃんが静香さんや紅葉さんと遊びに行ってばかりでたまに大阪帰ったところですっかり除け者扱いだって愚痴ってたじゃねーか」
「そらまあ……」
「大体、博士との付き合いはオレの方が長いんだぜ?祝ってやりたい気持ちはアイツに負けてないんだからよぉ……」
段々と萎んでいく親友の語気に平次は「……しゃあない、ここはこの服部平次様が探りを入れたる」とコナンの頭にポンッと手を乗せた。
「探りって……」
「な、何や、その目……」
「まさかとは思うが、直接アイツに『工藤が拗ねとるから手伝わせてやってや』なんてぬかすんじゃねーだろーな?」
「アホ、オレかて探偵やぞ?んな直球かますはずないやろ」
「まかしとき」と笑顔を向ける悪友にコナンは乾いた笑いを浮かべる事しか出来なかった。



用意してあった液体肥料を与え、表面の土の湿り具合を確認していると頭上から「そろそろ植え替えしても良さそうですね」という声が聞こえて来た。驚いて顔を上げた哀の目に歩美と光彦の笑顔が映る。
「ええ、今度の週末に庭へ移そうと思って」
「その時は元太君を引っ張って来ないと!」
「元太君は花より団子ですからね」
「そういえば小嶋君、今日は一緒じゃないのね」
「帰り道でコナン君のお師匠さんに呼び止められたんです。元太君、何でも奢ってくれるって言葉にホイホイついて行ってしまって……すみません、今日は灰原さんのお手伝いに来るって約束してたのに……」
「謝る必要なんてないわよ。私が好きでやっている事なんだし」
「でも!博士とフサエさんをお祝いしたい気持ちは歩美達だって一緒だもん!」
強い口調で言い切る歩美に「ありがとう」と微笑んだその時、「やっぱりあの爺さんの結婚祝いなんやな」というのんびりした声が聞こえた。いつの間にか件の関西人が元太と共に阿笠邸の庭からこちらを伺っている。
「江戸川君に頼まれて偵察に来たの?」
「人聞き悪い事言うなや。隣から元気な声が聞こえて来たから覗いただけやで?」
挑発するような哀の視線をスルーすると平次は「ほー、順調に育ってるようやな」と歩美が抱えている鉢を覗き込んだ。
「ええ、確実に育てたいから物騒な事件を呼び込む人は立ち入り禁止なの。勿論あなたもね」
「そら残念やな」
愉快そうに返事をする平次だったが、その探偵の目は哀の傍らにある物を見逃さなかった。チラッと見えているのは花束のイラストだろうか。
「何や、その大きなスケッチブック」
「これは……花の成長を記録してるのよ」
「ただのメモ書きにそんな大きなモン必要ないやろ?」
「わざと大きく描いてるの。これなら夏休みの自由研究に流用出来るでしょ?」
珍しく歯切れの悪い哀の様子にどうやらあのスケッチブックに彼女がコナンを花から遠ざけている事情が隠されているようだと推測するが、強引に見ようとすればどんな報復が待っているか分からない。悪友にはヒントだけ与えて謎解きは委ねた方が身のためだろう。
「小学生も色々大変なんやなあ」
平次は小さく肩をすくめると阿笠邸へと戻って行った。



偽りの小学生とはいえ日々の学校生活は何かと忙しい。事件に巻き込まれたり自ら厄介事に飛び込んで行くコナンにとって時の流れはまさに光陰矢の如しだ。
気が付けば明日は阿笠とフサエの結婚式、この日だけは予定を入れるなと半年も前から哀に釘を刺され続けたお陰なのかコナンは珍しくのんびりした一日を過ごしていた。
買い物を済ませ、リビングで父、優作からメールで送られて来たナイトバロンの新作を読んでいると玄関から「こんばんは。哀ちゃんいる〜?」という元気な声が聞こえた。
「江戸川君、悪いけど出てくれる?」
「あの声は歩美だろ?オレでいいのか?」
「頼んであった物を届けてくれただけだから。代わりに受け取ってくれない?」
キッチンから投げられた言葉に玄関へ向かうと歩美が小さな紙袋を手に立っていた。
「コナン君、これ哀ちゃんに渡しておいてくれる?」
袋を覗くと淡い黄色と水色のテープのような物が入っている。
「リボン…?」
「今日お母さんとデパートへ行く用事があったから代わりに買って来たの。じゃ、また明日ね」
それだけ言い残すと歩美はさっさと帰ってしまう。紙袋を手にしたコナンがリビングへ戻ると哀がキッチンから顔を出した。
「ごめんなさい、ちょっと手が離せなくて……」
「これ、歩美から預かったぜ」
「ありがとう。はい、珈琲」
「サンキュ。あれ?カップ二つしかねーけど……博士の分は?」
「今夜は早めに寝るからカフェインは控えておくそうよ」 
「博士の事だ、ゆっくり休んだところで明日は緊張しまくりだろうけどな」
「でしょうね」
哀はクスッと笑うと「ところで工藤君」と真面目な表情になった。
「私、今夜はやりたい事があるから邪魔しないでね」
「一生に一度の物だからってあんまり根詰めるなよ」
「え…?」
「作るんだろ?花嫁のブーケ」
「どうして……」
「服部が庭で大きなスケッチブックを見たって言ってたから何かデザインしてるんだろうなとは思っていたが、コイツを見てピンと来たんだ。育てたカサブランカを二色のリボンで束ねたブーケを作るんだってな。水色はサムシングブルー、黄色は博士とフサエさんの思い出である銀杏の葉っぱ……違うか?」
「こんな事まで推理の材料にするなんて……本当、探偵って物好きな人種ね」
「オメーが隠すから気になるんだろ?大体あの二人へのプレゼントならオレにも手伝わせてくれたっていいじゃねーか」
「あなたには内緒にしたかったから……」
「内緒も何もオレん家の庭貸してくれって言い出した時点で――」
「んな事無理に決まってる」というコナンの言葉を遮るように哀が「……そうね、コーディネイトもあるだろうし、前日に渡してあげた方が親切よね」と肩をすくめた。
「前日…?」
「工藤君、私の部屋へ来てくれる?」
「え?って、おい……!」



「このブーケ哀ちゃんが……?」
「花は頑張ったんですけど、デザインは自信なかったので……」
苦笑いと共にスケッチブックを広げる哀にフサエは「……私は本当に幸せ者ね」と穏やかに微笑んだ。どうやらブーケのデザインはフサエが抱えるスタッフに手伝ってもらったようで、そこに描かれたイラストからも彼女がいかに彼らから慕われているか推し測る事が出来た。
形だけの簡単な式にしたいという阿笠とフサエの要望で二人ともスーツ姿ではあったが、胸ポケットにコサージュを飾った阿笠とブーケを持つフサエは誰から見ても新郎新婦だ。
「嬉しい……何よりのプレゼントだわ」
フサエは笑顔と共にブーケを抱き締めると「あら、貴方達もお揃いなのね」と、コナンと哀の胸元に視線を落とした。
「このダリアのブローチも哀ちゃんの手作りなの?」
「はい。カサブランカの球根と一緒に購入して……何もかも主役の二人と一緒なのはおこがましいのでリボンの色だけお揃いにさせて頂きました」
「阿笠君と私の思い出に寄り沿ってくれるなんて光栄だわ。哀ちゃん達の時は私にプレゼントさせてね。勿論、ドレスも」
「そんな……」
「楽しみにしてます」
哀に代わって遠慮ない返事をするコナンにフサエは鮮やかにウインクしてみせると阿笠の傍らへ寄り沿って行った。
「……どうしてあなたが返事するのよ」
「白いダリアの花言葉は『感謝』『豊かな愛情』だったよな」
「え…?」
「オメーのサプライズに対する答えのつもりだけど?」
「……」
真面目な声で呟くコナンに哀が言葉を失ったその時、「博士、フサエさん、おめでとう!」という元気な声が聞こえた。
「やっぱ来たか……」
「いいじゃない。お祝いの席は賑やかな方が」
「そりゃ……って、おい!」
「何よ?」
「このブローチ……アイツらの分もあるのかよ!?」
「当たり前じゃない。あの子達も私にとっては恩人だもの」
「……」
思わずムスッと頬を膨らませるコナンだったが、よくよく見ると三人の分はイエローのリボンだけでまとめられている。
「……ったく、素直じゃねーヤツ」
コナンは苦笑いすると哀と三人組の背中を追って礼拝堂へ歩を進めた。




あとがき



ウェディングアンソロ先行公開作品です。今回再録にあたり少しだけ手直ししました。いや〜、書いてる最中って意外と言葉のダブリに気付かないものですね←
アンソロ名の通り「結婚」をテーマにした作品集だった訳ですが、主役2人の甘いお話は他の皆様が書いて(描いて)下さるだろうという事で、シルバー組の結婚を書かせて頂きました。拙宅は江戸川(工藤)がなかなかいい思いが出来ない事には定評があるので内容は皆様の想像通りかなと@笑
元々「先行」という形でアンソロに収録していたこの作品、サイトアップがすっかり遅くなってしまったのは私がサボっていたからです。大変申し訳ありません。