その椅子の後に



工藤新一と江戸川コナンの違いは何か?と問われ、真っ先に挙げられる事の一つは本屋へ通う回数だろう。
新一だった時は父、優作が問屋からまとめ買いしていたものをそのまま読んでいたし、出版社が新人の作品を持ち込み、優作の意見を仰ぎたいと山のような数の原稿を置いていく事も稀ではなかった。が、自分の作品の〆切すら平気で破る優作が新人の原稿に目を通す事などほとんどなく、新一が読んで感じた事をそのまま担当者に伝えていたのだから、単純に本を読破する量という話なら新一の方が父に勝っていたと言えよう。
そんな父が母、有希子と渡米してしまってからは、新一も本屋へ立ち寄るようになったものの、よほど発売を楽しみにしていた新刊以外はネット通販でオーダーしてしまう事がほとんどで、立ち寄るのはせいぜい月に一度か二度程度だった。
が、江戸川コナンとなってからは、いくら有希子の遠い親戚という事になっているとは言え、そう頻繁に父の名前で購入する訳にもいかず、自然、本屋へ足を向ける回数は多くなった。そんな訳で小学4年生となった今では近所の本屋の店長とはすっかり顔なじみの関係である。
その日もサッカー部の練習を終え、夕飯の買出しを終えた哀とともにいつもの本屋へと足を踏み入れたコナンを「やあ、コナン君」と店長が笑顔で迎えた。
「こんにちは」
「今日も推理小説ばっかりかい?たまにはタウン雑誌でも買って哀ちゃんとどっか遊びに行けばいいのに」
「悪ぃけど下手な所へ遊びに行くより家でコイツと会話してる方が刺激的でさ」
他人が聞けばノロケとしか思えない台詞も「……ま、出掛ける時間があったら家で本でも読んでいたいってところでしょうけど」という哀の冷めた台詞にあっさり本音を曝露され、乾いた笑いを浮かべる事しか出来ない。
「まったく……相変わらず仲がいいのか悪いのか分からないねえ」
愉快そうに笑う店長に代金を払い、店を出たその時だった。「あ、コナン君、哀ちゃん!」という元気な声にその方向を見ると歩美が小走りで駆けて来る。
「吉田さん…?」
「どうしたんだ?こんな所までわざわざ追い駆けて来るなんて……」
「あのね、部活を終えて帰ろうとしたらコナン君と哀ちゃんを訪ねて来たっていう女の人に会って……多分ここに寄ってると思ったから案内して来たの」
「オレ達に…?」
首を傾げるコナンに歩美の後ろから「久しぶりね、二人とも」と、一人の女性が顔を見せた。その明るい笑顔にコナンも哀も一年前、哀の姉、宮野明美が眠る墓の前で偶然知り合った彼女の親友だったという女性記者の事を思い出す。
「あなたは…!」
「五十嵐…双葉さん……」
「あら、一度会ったきりの私の名前を覚えててくれたなんて光栄だわv」
「お会いした場所が場所ですし……それに名刺を頂きましたから……」
何より哀にとっては数少ない姉をよく知る人物で、双葉にもらった姉のお下がりのスカーフは彼女にとって何よりの宝物だった。
「ところで今日は何か…?」
「実は二人に見せたい物があってね」
「ボク達に?一体何ですか?」
「えっと……」
コナンの問いかけに双葉は言葉を飲み込むと、歩美にチラッと視線を送った。その様子に自分がいては切り出しづらい話の内容であると察したのだろう。歩美は「五十嵐さん、ごめんなさい。私、ちょっと用事があるのでここで……」と頭を下げると、「コナン君、哀ちゃん、また明日ね!」と、手を振って走り去ってしまった。
「……へぇ、なかなか勘のいい女の子ね」
感心するように呟く双葉にコナンは「出会った頃から歩美の勘の良さにはボク達も驚かされっぱなしです」と思わず苦笑する。
「あまり他人に聞かれたくない話のようですね。だったらボク達の家へ来て頂いても構いませんか?」
「そうね、コナン君達の家なら盗聴対策もバッチリだろうし……お邪魔してもいい?」
双葉の口から出た『盗聴対策』という単語にコナンと哀は思わず顔を見合わせた。



阿笠邸へ到着すると、あいにく家主は留守らしく、玄関には鍵が掛かっていた。
「あれ?博士、出掛けるとか言ってたか?」
「特に聞いてないけど……」
首を傾げつつ鍵を開け、リビングへと入って行くとテーブルの上に何やら置き手紙らしき物がある。が、チラッと目を通した次の瞬間、コナンはそれを折りたたむとポケットの中へしまってしまった。
「江戸川君…?」
「心配ねえよ。知り合いの博士が出版した本が何やら賞を獲ったらしくてさ、大学に顔出して来るってよ」
コナンの台詞に哀は「そう……」とだけ呟くと、「あ……五十嵐さん、ちょっと散らかってますけど、どうぞ」と、双葉をリビングへと招き入れた。
「あら、これで『散らかってる』なんて言われたら私の部屋なんかカオスだわ」
双葉が苦笑するとソファへ腰を下ろす。
「コーヒーと紅茶、どちらがよろしいですか?」
「そうねぇ……せっかくだからコナン君お墨付きのコーヒーを頂こうかしら?」
「え…?」
「さっき歩美ちゃんって子が言ってたの。『コナン君ったら贅沢なんだよ。哀ちゃんが淹れたコーヒーじゃないと絶対満足しないんだもん』って」
(歩美のヤツ、余計な事を……)
どういう話の展開でそういう会話になったのか検討もつかないが、コーヒーにうるさい小学生などそうそうお目にかかれるものではなく、「その……阿笠博士に付き合ってたらコーヒーしか飲まなくなっちゃって……」と、笑って誤魔化す事しか出来ない。そんなコナンに哀は小さく溜息を落とすと、「それじゃあ私、ちょっと用意して来るから……」と、キッチンへ姿を消した。
「……それで?ボク達に見せたい物って何ですか?」
「コナン君達、今日はこの後予定でもあるの?」
「いえ、特に……」
「だったらそんなに急ぐ必要ないでしょ?話は哀ちゃんが戻って来てからにしない?その方が私も何度も同じ説明しなくて済むし」
「……」
双葉のどこか余裕ある態度にコナンは緊張を隠せなかった。



「……なるほど?確かにこれを毎日飲んでいたら下手なコーヒーは飲めなくなるわね」
双葉が納得したように呟くと、「コナン君も哀ちゃんも気になって仕方ないみたいだし……そろそろ本題に入りましょうか?」と、バッグの中から分厚い封筒を取り出した。
「実はこれ、今から本社へ戻って編集長に提出する予定の原稿なんだけど……」
「提出する予定って……そんな大事な物をボク達が先に読んでいいんですか?」
「あなた達にはその権利があると思うから」
「え…?」
「読めば分かるわ」
「……」
双葉の笑顔に促され、コナンは封筒から原稿用紙の束を取り出した。その瞬間、そこに書かれた題目に驚きのあまり自分の目を疑う。
「『十億円強奪事件の隠された真相』……これって…!?」
「ええ、例の事件を私なりに取材したの。その成果がこの原稿って訳」
その言葉にコナンは「……灰原、お前、先に読むか?」と哀を見た。
「あなたが先に読んで」
「いいのか?」
「あなたの事だもの。内容が気になって仕方ないんじゃない?」
「そりゃ……」
「大体、私、あなたほど大量の本を読む習慣ないし。読解力はともかく、スピードだけはとても敵わないから」
「……それ、誉めてんのか?けなしてんのか?」
「さあ?」
クスッと笑う哀に仏頂面を隠せないコナンだったが、原稿の内容が気になるのは事実で、はやる気持ちを抑えつつ、膨大な量の原稿を繰っていった。
約15分後、コナンは思わずふうと息をつくと、「……五十嵐さん、一体どうやってここまで調べ上げたんですか?」と、感心したように双葉を見た。
「実は某自動車メーカーの脱税事件を追っている途中で興味深いものを見つけてね」
そんな言葉とともに双葉が何やら書類の束をコナンに差し出す。
「これは…?」
「その会社の裏帳簿のコピーよ。蛍光ペンで塗ってあるところを見ていってくれる?面白い事に気付くはずだから」
双葉の言葉にコナンは黙って頷くとコピー用紙の束をめくっていった。見ると3年前まで毎月定期的に枡山グループへ巨額の資金が振り込まれている。
「枡山グループの会長って言えば3年前、国会議員を殺害した後、自らも何者に射殺されて話題になった人物じゃない?これは何かあるなと思ってあの事件を洗い直していたら、あの会長も例の組織の一員だった事が分かったの」
(杯戸シティホテルで黒ずくめの奴等とやりあった時の事か……)
あの日の事はコナンも決して忘れる事が出来ない。あと一歩遅ければ哀はジンかピスコと呼ばれた枡山会長に殺されていたのだから……
そんなコナンの複雑な思いに気付いているのかいないのか、双葉が「付箋が貼ってあるところを見てくれる?」と、コナンが持つコピー用紙の束に視線を投げた。
言われた箇所を目にした瞬間、さすがのコナンも驚きのあまり言葉を失う。
「これは…!」
「ええ。明美が殺された翌日、10億の金が動いているでしょう?多分、明美が強奪した10億が警察に押収されちゃったから枡山会長が急遽用立てしたんじゃないかしら?その証拠に警察が経理の人間をいくら尋問してもこの10億の流れは掴めなかったらしいし」
「……」
「で、その10億の行方を追った結果がこの原稿って訳」
双葉は一息つくようにコーヒーカップを手に取ると、「悔しい?工藤君」と、悪戯っ子のような目でコナンを見た。
「そりゃ……あの事件だけはこのオレの手で絶対解決したかった……!?」
その瞬間、コナンは双葉が自分の事を『工藤君』と呼んだ事に気付き、思わずその先の言葉を飲み込んだ。
「やーっぱり。コナン君、本当は工藤新一君だったのね」
「……」
してやったりと言いたげな双葉の表情に何も反応出来ない。そんなコナンに代わり「どうして彼の正体を…?」と、口を開いたのは哀だった。
「実はあの枡山って男、相当の狸でね。組織のトップに目を掛けられていながら、いざという時に自分の身を守る物をちゃんと用意してたのよ」
「自分の身を守る物…?」
「組織の秘密に係る諸々の物を韓国のサーバーにね。その中の一つに明美のお父さん、宮野厚司博士が研究していたという薬に関する記述があったんだけど、その一連の資料と一緒にこんな物があったの」
そう言って双葉が哀に一枚の色あせた写真をプリントアウトしたものを差し出す。そこに写っていたのは雑誌などでしか見た事のない哀の父、宮野厚司と母のエレーナ、そして幼い明美の姿だった。
「『もしこの研究が更に進んでいたとしたら……』って考えた時、この母親と小さい頃の明美を足して2で割ると誰かに似てる事に気付いたの。ねえ、哀ちゃん、あなた……本当は明美の妹なんじゃない?」
もはや誤魔化しは通用しないと腹を括ったのだろう。哀は小さく肩をすくめると、「……その通りよ」と一言呟いた。
「本当の名前は何ていうの?」
「志保です。宮野志保……」
「『志保ちゃん』かぁ、いい名前ね」
「五十嵐さん、灰原の事はともかく、どうしてオレの事まで…?」
やっとショックから立ち直ったのか、コナンが再び会話に加わって来る。
「哀ちゃんが志保ちゃんである事を知っていて、なおかつその秘密を共有しているとなると、あなたも同じ薬を飲んで幼児化した人間だって推測するのが自然でしょ?で、色々調べてるうちにあの頃、急に消息を絶った高校生探偵がいた事を思い出したの。日本警察の救世主とまで言われた名探偵の存在を、ね」
「そこまで掴んでいるなら逆にお尋ねしますが……だったら何故この記事にあの薬の事が全く書かれていないんですか?」
「えっ…!?」
コナンの言葉に哀が驚いたように双葉を見る。
「確かに私達記者の使命は真実を伝える事だわ。でも、だからと言ってすべてを伝える事が決して世の中にとってプラスになるとは限らないでしょ?それに……明美が命をかけて守った志保ちゃんを私も守りたいの。研究機関やマスコミの餌食になんか絶対させないわ」
「五十嵐さん……」
「そういう意味では今日から私もあなた達の共犯って事かしら?」
双葉の屈託のない笑顔に姉、明美の笑顔が重なり、哀は「ありがとうございます……」と頭を下げる事しか出来なかった。



「……いっけない!そろそろ本社に戻らないと締め切りに間に合わないわ!」と、双葉がソファから立ち上がったのはそれから約30分後の事だった。相変らず慌しい双葉に哀はクスッと笑うと読みかけの原稿を袋に戻し、黙って彼女に差し出す。
「ごめんなさいね、本当は志保ちゃんにも最後まで一通り目を通してもらいたかったんだけど……」
「いえ、記事が掲載される日を楽しみにしています」
「ありがとw……あ、そうそう。私、ドジだからこれからも志保ちゃんの事は『哀ちゃん』って呼ぶわね」
ペロッと舌を出す双葉に哀が苦笑したその時、会話を遮るように阿笠邸の電話が鳴った。
「博士かしら…?」
慌ててソファから立ち上がり、電話の方へと歩いていく哀を見送っていた双葉が「あ、そうだ。一つだけ聞いていい?」とコナンを見る。
「何ですか?」
「コナン君、哀ちゃんと付き合ってるの?」
「な…!?」
「だって……確かに見た目は小学生だけど精神的には二人とも二十歳前後なんだし……」
双葉の真っ直ぐな視線が照れ臭く、コナンは電話に出る哀に視線を向けると「一応……」と小声で呟いた。
「そう……ま、初めて会った時から何となくそんな感じはしたんだけど……」
ふいに双葉が真剣な表情になると、「幸せにしてあげなくちゃダメよ」と、コナンを見据えた。
「哀ちゃん、家族と暮らした記憶なんてないだろうし、唯一の肉親だった明美もあんな事になっちゃったんだもの。顔には出さないようだけど、ずっと辛かったはずだから」
「オレなりに……分かっているつもりです」
コナンの答えに双葉は満足したように微笑むと、「じゃ、またね」と、慌しく阿笠邸を後にした。
その双葉と入れ替わるように哀が受話器を置き、コナンの傍へ戻って来る。
「電話、誰だった?」
「博士。今夜は例の博士の家に泊まるから、って」
「そっか」
「そういえば……さっきはどうしたの?」
「あん?」
「博士の置き手紙、随分慌てて隠したじゃない?」
「……ま、結果的に隠す必要なかったけどな」
コナンは苦笑するとポケットからメモを取り出し、哀に差し出した。
「書き置きを残すのはいいが、相変らずオレの事は『新一君』だからな、博士は。おまけにおめえの事ばっか書いてオレの事なんか一言も……」
「……」
「……灰原?」
「ねえ、工藤君、私……こんなに幸せでいいのかしら?」
「あん?」
「博士が父親代わりになってくれているだけでも充分幸せなのに、一緒に暮らしていないとは言えフサエさんが母親代わりになってくれて……今度はお姉ちゃんの代わりになってくれる人が現れるなんて……」
しんみり呟く哀にコナンは不機嫌な表情になると、「……誰かもう一人忘れてねえか?」と彼女を睨んだ。
「もう一人…?誰の事かしら?」
「おめえ、分かっててわざと言わねえだろ?」
拗ねたようにそっぽを向くコナンに哀はクスッと笑うと、「博士もいない事だし……今日は少しボリュームのあるメニューにしようかしら?」と、キッチンへ向かった。



あとがき



第二回「宮野の日」企画様への投稿という事で、第一回に投稿させて頂いた作品「AMool for…」の続編にしてみました。(←結果、またしても浮きまくりでしたが@汗)
哀ちゃんにとって博士がお父さん代わりならお母さん代わりはフサエさん、じゃあお姉さん代わりは?というところから書いてみたのですが、そんなキャラが原作に存在するはずはなく(GOD青山は蘭にしたいみたいだけどさーー;)、だったら私の作品で明美さんの親友だった女性として登場させたオリジナルキャラ、五十嵐双葉をお姉さん代わりにしてしまえ!と(←単純)
それにしても江戸川さん、またしても立場が弱くなりましたね@爆笑