手と手の温度



日本警察の救世主と呼ばれた頭脳には小学校3年生の授業などあまりに退屈すぎる。おまけに一番後ろの窓際の席では教師の目が届くはずもなく、真面目に授業を受ける振りを装う必要などあるまい。
そう自分を正当化すると、コナンは机の中から読みかけの推理小説を取り出し、教科書に重ね合わせた。
(続き、気になって仕方なかったんだよな〜)
いつもなら一晩で簡単に読破してしまうところだが、昨夜は突然押しかけて来た親友に邪魔されてしまい、読みかけになっていた。東京の大学へ進学し、一人暮らしを始めた事もあり、平次は時々ブラッと阿笠邸へやって来ては一緒に夕食をとっていく。平次と過ごす時間が本来だったら彼と同じ年齢であるコナンにとっていかに大切なものか、阿笠や哀も分かっているようで、いきなり押しかけて来ても嫌な顔一つせず迎えてくれるのは有難い事だった。
挟んだ栞を取り出した瞬間、本の間から何やらチケットのような物が落ちる。
「あ……」
平次に貰ったトロピカルランドのスターライトチケットだった。この週末、大阪から和葉が遊びに来る事になり、金券ショップで購入したものの、どうやらドタキャンされたらしい。不愉快そうに自分にチケットを寄こした平次を思い出し、コナンは苦笑した。
(トロピカルランドか……しばらく行ってねえな)
城の絵が書かれたチケットに昔よく訪れたテーマパークを思い出す。探偵事務所を出てから一度も行ってないのは、やはり蘭との思い出が多い場所だからかもしれない。
(それに……)
トロピカルランドはジンにAPTX4869を投与された場所でもある。
(やっぱまずいよな……)
コナンはフッと微笑むと、チケットを教科書に挟み、推理小説を読み始めた。



「なあ、コナン、確か今日だったよな?」
放課後。いきなり元太に声をかけられたコナンは何の事か分からず首を傾げた。
「今日って……一体何の話だよ?」
「博士の新作ゲームですよ。金曜日に完成するって言ってたじゃないですか」
光彦の言葉にああ、と思い出す。
「コナン君、相変わらずゲームに興味ないんだね」
歩美の指摘は事実だけにコナンとしては乾いた笑いを浮かべるしかない。
「ちょっと待ってろ、無事に出来てるか聞いてみるからよ」
携帯電話を取り出し阿笠にかけると、ついさっき完成したという答えが返って来る。それを伝えた途端、三人はパッと目を輝かせた。
「早速行こうぜ!」
嬉しそうに音頭をとる元太にコナンはやれやれと溜息をつくと、机の中から教科書を取り出した。
「コナン君、何か落ちましたよ」
「え?」
光彦の声に床を見たコナンだったが、時すでに遅く、それは歩美に拾い上げられていた。
「トロピカルランドのスターライトチケット!いいな〜!」
「何っ!?」
「コナン君、またボク達に黙って自分だけ楽しもうとしてたんですね?」
「んな訳ねえだろ?」
もっとも、このチケットがトロピカルランド以外のものだったらその可能性は高いだけに、あまり強く否定も出来ない。
「ね、明日みんなでトロピカルランド行かない?このチケット、大人は2人までだけど子供は5人までいいみたいだしv」
「まじかよ!?」
「ボク達5人ですからちょうどいいですね!」
歩美のとんでもない提案に元太と光彦はすっかり乗り気だ。
「お、おい、おめえら、勝手に盛り上がるなよな!大体、オレは行く気なんか……!」
「え?せっかくチケットあるのにコナン君行かないつもりだったの?」
歩美が摩訶不思議なものを見るような目でコナンを見つめる。
「そ、それは……」
コナンは思わず哀を見たが、哀は黙って本を読んでいる。そんなコナンに追い撃ちをかけるように、歩美が「哀ちゃんも行きたいよね?トロピカルランド!」とニッコリ笑って哀に話しかけた。
(最悪……)
頭を抱えるコナンだったが、哀の反応は意外なものだった。
「そうね、夜7時から行われる花火が綺麗らしいし……いいかもね」
「え……?」
「よし、決まりだな!じゃ、明日午後3時、トロピカルランド正門前で待ち合わせだ!」
きょとんとして言葉を失うコナンをよそに、元太の号令で歩美と光彦が「オーッ!」と元気に拳を上げる。クスッと笑って再び本に目を落とす哀をコナンは複雑な思いで見つめた。



約束の午後3時少し前に着くと、歩美が待ちきれない様子で「コナン君、哀ちゃん、早く!早く!」と大きく手を振ってみせる。
「灰原さん、いい天気になって良かったですね」
光彦がそう言ったのは昨日哀が花火の事を口にしたせいだろう。そんな気遣いに哀はニッコリ微笑むと「ええ、そうね」とだけ答えた。
「あれ?元太は?」
「ちょっと遅れるってさっき携帯に連絡が入りました」
「……ったく。全員揃わないと中に入れねえぞ」
相変わらず時間にルーズな元太にコナンは顔をしかめた。そんなコナンの様子に構うことなく、歩美はインフォメーションカウンターから園内ガイドブックを2冊持って来ると、そのうちの1冊を哀に手渡す。
しばらくガイドブックにおとなしく目を通していた歩美だったが、「ねえ、今日からスケートリンク営業開始だって!」と、興奮したように叫んだ。
「ここの花火、リンクの上から見るのが最高なんですよね」
「光彦君、スケートやった事あるの?」
「ええ、姉に誘われまして」
「歩美、やった事ないんだよなあ……」
「じゃあボクが……」と言いかけた光彦の意気込みは「コナン君、教えてくれる?」という歩美の笑顔に玉砕した。
「い、いいけど……」
光彦の刺すような視線にコナンは曖昧に笑ってみせる事しか出来なかった。



それから15分後、無事元太も合流し、5人はトロピカルランドへ入園した。
午後5時。花火が始まる前に滑れるようになりたいという歩美の希望でスケートリンクへ移動する。しかし、最初のうちこそリンクの端で練習に付き合っていた哀だったが、「……私、コーヒーでも飲んでるから」と言うと、突然踵を返してしまった。
「え〜、哀ちゃんも一緒に練習しようよ」
「ごめんなさい、スケートやると思ってなかったから薄着で来ちゃったの。風邪ひくといけないから……」
「そんなの練習してるうちに感じなくなるぜ!」
「運動神経のいいあなたや吉田さんならともかく……私には無理だわ」
元太の誘いを拒絶するようにきつい口調で言い切ると、哀はリンクを出て行ってしまった。
「……チェッ、付き合い悪いな」
「スケートやるのは急に決まった話ですし、無理は言えませんよ」
頬をふくらませる元太をなだめるように言うと、光彦は「じゃ、頑張って花火が始まるまでに滑れるようになりましょう!」と、その大きな身体をリンク中央へと引っ張って行った。
「ま、待てよ」
思わずへっぴり腰になる元太を苦笑して見ていたコナンだったが、「歩美にはコナン君が教えてくれる?」という無邪気な声に「あ、ああ」と手を差し出した。歩美がニッコリ笑うとコナンの手を取る。
その様子を複雑な表情で見つめる哀にコナンは気付かなかった。



さすがに子供は飲み込みが早く、二時間も経たないうちに歩美も元太も何とか転ばないようになっていた。
「よーし、じゃ、もっとスピード出して滑ってみようぜ!」
嬉しそうに言う元太に「止めとけ」と言ったのはコナンだった。
「なんでだよ?」
「周りをよく見ろよ。混んできただろ?」
「あ……花火目当ての人達ですね」
「こんな状況で初心者のおめえがスピード出したらどうなるか……分かるよな?」
「チェッ、こんな事ならもっと早く練習始めるんだったぜ」
面白くなさそうに呟く元太にコナンは苦笑した。
「ねえ、コナン君」
ふいにそれまで黙っていた歩美が口を開いた。
「哀ちゃん、あのまま放っておいていいの?」
「あん?」
「だって……哀ちゃん、花火楽しみにしてたでしょ?あそこからじゃほとんど見えないよ」
確かに哀がいるオープンカフェからは大人でも満足に見る事は出来ない。少々躊躇いはあったが、コナンは三人に「いいかおめえら、リンクから出るんじゃねえぞ」と言い残すとカフェにいる哀の元へ向かった。ファッション雑誌でも読んでいるらしく、コナンが近付いても全く気付かない様子だ。
「灰原」
遠慮がちに声をかけると、「どうかしたの?」というぶっきらぼうな返事が返って来る。視線は相変わらず雑誌に向けられたままだ。
「その……もうすぐ花火始まるからおめえもリンクへ来ないか?」
「……」
「楽しみにしてたんだろ?歩美も心配してるぜ」
「別にいいわ。花火なんて口実だから……」
「え?」
ふいに哀が振り返るとコナンを真っ直ぐ見つめる。
「今日、私がここへ来たのはあなたに一度きちんと謝っておきたかったからなの。あなたから『工藤新一』を奪ってしまったこの場所で……ね」
「灰原……」
「博士に保護されてから何度か来たけど……あなたがAPTX4869を投与されたこの場所を訪れるのは私には辛かったわ。正直な話……最近は来る事もなくてホッとしてたの。でも……けじめはつけないと、とずっと思ってたから……」
「……」
「本当にごめんなさい……工藤君……」
哀の真剣な表情にコナンは「本当……オレって自分の色恋沙汰はダメだな」と思わず苦笑した。
「え……?」
「実はさ、服部にチケット貰った時、本当はおめえと二人で来ようと思ったんだ。デートらしいデートってした事ねえし。ただ……ここは蘭との思い出が多い場所だし、何よりジンにAPTX4869を投与された場所だからな。おめえが気にすると思って……誘えなかった」
「工藤君……」
「けど……そういう事ならもう遠慮する必要ねえな」
コナンは悪戯っ子のような笑みを浮かべると、哀の腕を掴みリンクへと引っ張った。
「ちょ、ちょっと……!?」
「今までアイツらの相手してたんだ。少しはデート気分を味わってもバチ当たらねえだろ?」
「でも私……スケートなんて……」
「心配すんな、手、繋いでてやっから」
「……」
「どうした?」
「私……吉田さんと違うもの……」
「あん?」
「手を繋ぐなんて……恥ずかしいから……」
「この姿なら滑れなくても恥ずかしくねえだろ?」
「そういう意味じゃなくて……その……」
顔を赤らめる哀にコナンは「たまには普通のカップルみたいな事するのも悪くねえんじゃねえか?」と手を差し出した。しばし、黙って考え込むような仕草を見せた哀だったが、「……いきなり放したら許さないからね」と言うと手を預けてくる。二年前の冬、風邪をひいた彼女に手を差し出した時は「車くらい一人で降りられる」と突っぱねられてしまった。当時を思うと今のこの穏やかな関係が信じられない。
「あ、コナン君、灰原さんも!」
リンクへ戻った二人を美しい花火と幼い親友達の明るい笑顔が迎えた。
「ちょうど始まったところだよ、花火」
歩美が心配そうに「寒くない?」と付け加える。
「大丈夫よ、ありがとう」
そんな彼女の視線が繋いだ手に注がれ、哀がコナンの手を振りほどこうとする。歩美を大切に思い、彼女のコナンへの想いを充分すぎるほど理解している哀だけに、コナンにもその行動の意味が推測出来た。が、手と手が触れ合う温度の心地よい温もりに、己の欲望を抑えきれない。
(ちょっとずるいが……仕方ねえか)
思いついたように「あっちの方が花火もっと綺麗に見えるぜ」と言うと、コナンはいきなり哀の手を放し、リンクを滑り出した。
「あ……!」
突然の事に転びそうになった彼女の身体を元太が慌てて支える。
「コナン、危ねえじゃねえか!」
「灰原さんはまだ滑れないんですから……きちんと手を繋いでてあげて下さいよ」
狙い通り元太と光彦が文句をつけてくる。
「……ったく、またオレが初心者のお守りかよ」
「そんなに不満なら代わりましょうか?」
「いや……元太が転んだ時の方が大変そうだからな。遠慮する」
溜息とともに哀の手を取るコナンの様子に歩美がニッコリ笑うと、「ねえコナン君、花火、どこが一番綺麗に見えるの?」と尋ねてくる。
「え?あ……もうちょっと城の正面だな」
「それじゃ、早速移動しましょう」
光彦が滑り出すと元太と歩美がそれに続く。その様子を黙って見つめていた哀だったが、ふいに溜息をつくと「本当、あなたって……」と呟いた。
「あん?」
「……何でもないわ」
その瞳が「相変わらず大人げないんだから……」とでも言っているようで、コナンは思わず苦笑した。



あとがき



当初はお題「手を繋ぐ」として書き出した作品だったのですが、あまりに長くなってしまい、短編扱いになってしまいました@自爆   ただ、せっかくお題から思いついた話なので、お題はこの短編とリンクするものにしたいと思っています。
それにしても、江戸川視点の話は初めてですね。サイト開いて1年半にして、ですか。なはは、笑って誤魔化すしかないな@爆