「いい加減、研究ばっかりしてないで恋人の一人くらい作りなさいよ」
姉の明美に初めてこんな台詞を投げられたのは一体いつの事だったろう…?



手にするものは……



「あ、志保…!」
喫茶店の自動ドアが開くや否や姉の元気な声が聞こえ、志保の表情も自然和らいだ。
「遅れてごめんなさい。ちょっと出掛けにゴタゴタしちゃって……」
「大袈裟ね、15分遅れただけじゃない。それより……少し顔色悪いみたいだけど大丈夫?」
「ちょっと研究中の新薬の事で揉めててね……」
志保はふうと息をつくと、「……せっかく月に一度、お姉ちゃんと会える日なんだもの。こんな話、もう止めましょ」と、笑顔を取り繕った。そんな志保に明美が「……ごめんね、志保」と独り言のように呟く。
「お姉ちゃん…?」
「あなたばっかり嫌な思いをさせて……」
「そんな事……大体、お姉ちゃんだって監視付きの生活じゃない」
「それはそうだけど……」
「それにね、今、私がやっている研究は昔、お父さんとお母さんが関わっていたものらしいの。もしその目的がとんでもないものだとしたら、娘の私が責任持って開発を阻止すべきでしょ?」
「確かに……それは志保にしか出来ない事よね」
やっと笑顔を見せる姉に志保は「それより手紙に書いてあった事だけど……」と、話題を切り替えた。
「恋人が出来たって話だけど、監視の目は大丈夫なの?」
「ええ、下手に一般人に手を出すほど彼らも莫迦じゃないみたい」
「それならいいんだけど……」
志保は運ばれて来たアイスティーに口をつけると、「それで?一体どんな人なの?」と姉を見た。
「あら、志保が恋愛事に興味を持つなんて珍しいわね」
「他人の事なら全然気にしないわよ。でも、お姉ちゃんの話となると無関心ではいられないわ」
志保の言葉に明美が「……本当、これじゃどっちが姉でどっちが妹か分からないわね」と苦笑する。
「年は私より5歳上になるのかしら?うちの会社に出入りしてる商社に勤めてて、仕事で日本とアメリカを頻繁に往復してるんですって」
「いわゆる『エリートビジネスマンタイプ』って訳ね。お姉ちゃんの相手としてはちょっと意外だけど」
「そう?」
「ええ、おっとりした優しいタイプの男性が好きだとばかり思ってたから……」
「確かに私自身もずっとそう思っていたわ。実際、彼の第一印象は決していいものじゃなかったしね。無口だし、ぶっきらぼうだし……正直、苦手なタイプだと敬遠したくらい」
「それがどうして…?」
「半年くらい前だったかしら?米花ホールであったジャズのコンサートで彼と鉢合わせしたの。どうやら私と同じジャズピアニストのファンらしくて……それから時々プライベートでも会うようになったんだけど、やっぱり同じ趣味の人って話が合うじゃない?何度も会ってるうちに何となく、ね」
「そう……」
「でも……まさかここまで彼を好きになるとは思ってもいなかったから自分でもびっくりしてるけど」
「え…?」
「気が付いたら音楽だけじゃなく、いつの間にか彼の好きな作家の本を手に取っていたり、一緒に食べる訳でもないのに彼の好きなものを作っていたり……笑っちゃうでしょ?」
クスッと笑う姉に志保は「良かったわね、いい人に巡り会えて」と、穏やかに微笑んだ。
「いい人って言えば、志保、あなたはどうなのよ?」
「私?」
「誰かいないの?出入りしてる製薬会社とか研究所に『いいな』と思う男の人」
「いないわよ、そんな人」
あっさりと否定する志保に明美は「志保の理想、高そうだからなあ〜」と、悪戯っ子のように微笑むと、「ね、どんな人がいいの?」と身を乗り出した。
「どんな人って言われても……」
「じゃ、具体的に聞こうか?志保は年上の人がいいの?それとも年下でも構わない?」
「絶対、年上ね。しかもかなり上。組織の英才教育のせいか、同い年や年下は子供にしか思えないから……」
「じゃ、どんなタイプの人が好き?『俺について来い』って志保をグイグイ引っ張ってくれる人?それとも優しく包み込んでくれる人?」
「私、こんな性格だから主導権を取ろうとするタイプは駄目ね。余程尊敬出来る相手でないときっと反発しちゃうと思うわ。『偉そうに命令しないで!』って……」
「フフッ、確かにそうね」
明美は愉快そうに笑うと、「じゃあ、次は……」と考えを巡らすように視線を宙に泳がせた。その様子に志保は慌てて「お姉ちゃん、もういいから」と姉の思考を遮る。
「今の私は組織の中である程度の地位に就いて、お姉ちゃんの監視を止めさせる事しか考えてないの。恋人なんて二の次だわ」
「志保の気持ちは嬉しいけど、私ばっかり彼と穏やかな時間を過ごすのも気が引けるし。それに……」
「お姉ちゃん…?」
「志保、あなた、自分でも自覚しているとは思うけど、結構寂しがりやでしょ?お姉ちゃんね、そんな自分から目を背けて強がってばかりいる今のあなたが心配で仕方ないの」
「……」
自分の中のあまり認めたくない部分を正面から指摘する姉に志保は黙ってアイスティーを飲む事しか出来なかった。



「……さすが哀ちゃん、いい目してるねえ」
その声にハッと我に返ると、馴染みの果物店の店主がニコニコ笑って哀を見つめている。
「それ、尾道産だよ。今朝仕入れたばかりの新鮮そのもの」
「でしょうね。凄く美味しそう……」
あれはサッカー部の試合の前日だっただろうか?この店の前でコナンが『今度の試合、オレが3ゴール以上決めたら久しぶりにレモンパイ作れよな』と言っていた事を思い出し、どうやら無意識にレモンを手に取っていたらしい。
(でも……さすがにちょっとお値段がいいわね)
レモンを籠に戻そうとする哀に店主が「特別だ、まけてあげるよ」と微笑む。
「え…?」
「コナン君、約束通り3ゴール決めたんだろ?作ってやりなよ」
「……」
店主の言葉にしばし黙ってレモンを見つめていた哀だったが、「……年下の生意気な男なんて一番興味なかったはずなのにね」と苦笑した。
「哀ちゃん…?」
「聞こえなかった?『おじさんがいくらまけてくれるかによって買うか買わないか決める』って言ったのよ」
「まったく。哀ちゃんには敵わないねえ。じゃ、100円引きでどうだい?」
「150円なら手を打つわ」
「こりゃ参った」と肩をすくめる店主に哀はクスッと微笑むと、ビニール袋に入れられたレモンを受け取った。



あとがき



トキカラリ様のサイト、「ホシウタゲ(旧「ニジノウタ)」の音楽祭に投稿させて頂いた作品です。お題にした曲は宇徳敬子さん(あのシルキーボイスが好きだ〜!)の「光と影のロマン」。2番の「年下とわかっていても 生意気と知ってても 手にするものはすべて あなたへと繋がってく」(JASRAC無許可@をい)という下りから書いてみました。この曲がEDだった頃はまだ哀ちゃんは登場していなかったと思うのですが、個人的に1番→蘭、2番→哀のイメージがあります。
白状すると実はこの話、ストックネタで本当は他の曲で書いていたんです。でも、そちらではとても間に合いそうもなかったので急遽こちらを仕上げたという@爆
今回、日の目を見られなかった作品もなるべく早く公開したいと思っています。