バレンタイン・ラプソディー



「……らしくない」
灰原哀は思わず自分で自分の行動に突っ込みを入れた。
ショーケースの中はピンクや赤のリボンで飾られた箱がこれでもかといわんばかりに陳列されている。もうすぐ2月14日。デパートもコンビニも、そして雑貨店までもがバレンタイン商戦真っ盛りだ。哀の周囲にいる女の子達は果たして本命チョコなのか義理チョコなのか、皆必死に商品を見比べては考え込んでいる。
(やっぱり欲しいのかしら…?)
いくら何でも本人に面と向かって「欲しいの?」と尋ねるのはさすがに気がひける。
「はあ……」
哀は大きくため息をつくと、結局何も買わないままその店を出た。



『なーにがバレンタインだ……くっだらねー……お菓子業界の企業戦略に乗せられてるだけじゃねーか……』
二年前。バレンタインのチョコを買っている女の子達を尻目に、彼が呟いた言葉は忘れない。そしてそんな彼に思いっきり同意してしまった自分の事も。
ただ、『あの時』と『今』では哀自身の立場が違う。当時、彼の想い人は幼馴染の毛利蘭であり、哀は彼にとって同じ目的を持つ人間でしかなかった。しかし今は……『好きだ』とか『付き合ってくれ』と、はっきり言われた訳ではないが、一応恋人同士と言える間柄だ。哀がチョコレートをプレゼントしないという事は、すなわちコナンは本命チョコが貰えないという事になってしまうのである。歩美をはじめ、彼にチョコレートを渡そうと思っている女の子はたくさんいるだろう。しかし、男の子にとって、本命から貰う事にこそ意味があるという事は、さすがの哀も二年間の日本での生活を通して感じるようになっていた。
(せっかく吉田さんにも内緒で来たのに……)
コナンに無邪気に好意を寄せる歩美を思うと心が痛んだが、外見的には小学校三年生という事もあり、付き合っている事は周囲には内緒にしていた。知っているのは二人の保護者である阿笠、コナンの両親である工藤優作、有希子夫妻。そして何かと言うと大阪から押しかけて来る服部平次。
もっとも、平次の場合は、コナンの様子を見て二人が付き合っている事を見抜いたと言った方が正解だった。その一方で平次自身は幼馴染の遠山和葉とは友達以上、恋人未満なままである。相変わらず二人揃って他人の心は読めても自分の事は見えないようだ。
(……人の事をとやかく考えている場合じゃなかったわね)
思わず苦笑いした哀の目にそれは飛び込んで来た。



バサバサバサッ…!!
下駄箱を開けた瞬間、よそ見していたコナンを何かが直撃した。
「痛ぇっ!!」
可愛らしくラッピングされた包みが15個はあるだろう。「何だあ?」と首を傾げるコナンに、「あっ!今日はバレンタイン・デーですよ、コナン君」と光彦が声を掛ける。
「バレンタイン?……ハハッ、相変わらず……」
日本は平和だよな、と言いたげにコナンは苦笑すると、床に散らばったチョコレートを拾い上げた。さすがに放ったらかしにする訳にはいかない。
「あ!コナン君、歩美もちゃんと持って来たよ!」
歩美が負けじとランドセルからチョコレートを取り出す。
「あ、アハハ……ありがとう、歩美ちゃん」
元太と光彦のブリザードのような視線を横目に、コナンは歩美からチョコレートを受け取った。一年生の時は父親に『まだ早い』と言われていた歩美だったが、昨年からはしっかり渡して来るようになった。どうも女の子の方がそういう点は成長が早いようだ。
「元太君と光彦君にもあるよ」
無邪気に差し出す歩美だったが、明らかに大きさが違う。歩美の本命はコナンだという事は明白だ。
「サ、サンキュー……」
「ありがとう…ございます……」
『友情チョコ』とは分かっていても、歩美が本命である元太と光彦にとっては貰えないよりマシなのだろう。複雑な表情を浮かべつつ、包みを受け取る。
「お母さんに教えてもらって頑張って作ったんだよ!感想聞かせてね、コナン君」
「あ、ああ……」
ふいにコナンの視線が哀を捉えた。
「……ほらほら、早くしないと遅れるわよ」
「おめえはくれない訳?」とでも言いたげなコナンを無視するかのように、哀はさっさと教室に向かって歩き出した。



「ふ〜、やっぱり哀君の手料理は最高じゃの」
二泊三日の学会から帰り、夕食を終えると、阿笠は満足そうに呟いた。
「あら、『久しぶりにカロリーを気にせず色々食べられるわい』って電話でフサエさんに言ってたのは誰だったかしら?」
「は、はは……」
まさか聞かれていたとは思っていなかったのだろう。阿笠の顔が引きつっているのを見てコナンは苦笑した。
「いつも通り食後はコーヒーでいいのかしら?」
「すまんのう」
哀がキッチンに向かうと、「これ、新一君」と阿笠が肘で突付いてくる。
「何だよ?」
「哀君にはどんなチョコを貰ったんじゃ?」
「はっ…アイツがチョコなんかくれる訳ねえだろ?」
「変じゃのう、ネットで調べておったようじゃが……」
「え?」
「一週間ほど前の話じゃが、哀君がパソコンの画面を開いたままうたた寝してしまった事があっての、風邪をひくといかんと思って傍へ行ったら、どうやら手作りチョコのサイトを見ておったようなんじゃが……」
「……」
その時、「お待たせ」という声とともに哀が戻って来た。トレイにコーヒーカップが三つ乗っているのはいつも通りだが、その他にケーキ皿とナイフ、フォークが乗っている。
「デザートでもあるのか?」
「あなたの好きなレモンパイじゃないけどね」
そんな言葉とともにテーブルに乗せられたケーキは一見パウンドケーキのようなものだった。
「偶然街で見かけたから作ってみたの。『オレンジチョコレートブラウニー』……フランス人に言わせるとオレンジにはチョコレートが一番合うんですって。まあ、あなたの口に合うかどうかまでは保証しないけどね」
ぶっきらぼうに言いながらケーキを切り分ける哀にコナンは苦笑した。
「な、何よ?」
「……ったく、相変わらず素直じゃねえヤツ」
「……」
今日ばかりは明らかに哀の方が分が悪い。バレンタインに好きな男の子にチョコレートを送るなんて、一体誰が考えたのかしら?などと恨めしく思いつつ、哀はコナンの反応を伺った。
「……おっ、なかなかいけるな、これ」
コナンの笑顔に哀はホッと胸を撫で下ろした。
「どれ、わしも頂こうかのう」
コナンに続いて阿笠がケーキを食べ始める。
「……じゃ、一ヵ月後、楽しみにしているから」
「えっ?」
「そうね……二年前に貰ったフサエ・ブランドの財布とお揃いのキーケースなんか嬉しいかもね」
「……何倍返しだ、それ?」と言いたげなコナンの表情にクスッと笑うと、哀はケーキを口に運んだ。



あとがき



珍しく哀嬢の方が立場が弱い作品です。ラストに苦労しましたが原作に助けられました@自爆
チョコレートとオレンジが相性がいい、というのは昔、ケーキ店でバイトしていた経験から何となく知っていました。(パッションとかも合いますよね)
『オレンジチョコレートブラウニー』は実在するケーキです。気になる方は検索してみて下さいませw