たまにはこんな幸せを……



「ごめんなさいね、あのデザイン、実はワンシーズンものだったの」
電話の相手は心底申し訳なさそうに言った。
「えっ……?」
思ってもいなかった事態にコナンは一瞬言葉を失ってしまう。
「えっと……つまりね、いつもある商品じゃなくて二年前だけ生産された商品って事なの」
フサエはコナンが『ワンシーズンもの』の意味を知らないと思ったのだろう。慌てて説明を付け加えてくれる。
「あ……意味は分かります。ファッションにはうるさい人間が周りに多いので」
「そういえばあなたのお母様は伝説の女優さんだったわね」
「今では口やかましいただのオバサンですが」
オバサンじゃなくてお姉さんでしょ!と頬をふくらませる有希子を思い出し、コナンは思わず苦笑した。
「……在庫はもう一点もないんでしょうか?」
「ええ。本当に申し訳ないんだけど……」
「いえ、気にしないで下さい。じゃ、博士に代わりますから」
コナンは受話器を阿笠に返すと思わず溜息をついた。



「そうね……二年前に貰ったフサエ・ブランドの財布とお揃いのキーケースなんか嬉しいかもね」
バレンタインデーの哀の台詞を本気に受け取った訳ではない。しかし、考えてみれば付き合ってから彼女に何かプレゼントした事は一度もなかった。一番自然にプレゼントが贈れたであろうクリスマスも少年探偵団を招いてのパーティーだったため、五人でのプレゼント交換で終ってしまった。
(ちょうどいい機会だよな……)
コナンなりに哀への最初のプレゼントはフサエ・ブランドの物にしようと決めていたのだから、彼女の台詞は渡りに船だった。決して安い買い物ではないが、事件解決の報酬としてプレゼントした財布を哀が大切に使っているのをイヤでも毎日見ているせいか他に何も思い浮かばなくなってしまったのである。
ところが、せっかくフサエにコンタクトが取れたかと思ったら『ワンシーズンもの』という回答が来てしまった。
(くっそー、こんな事になるなら定番買っておくんだったな……)
高校生探偵として事件解決に奔走出来なくなった二年前からは専ら両親の仕送りを頼りにしているコナンとしては定番は手が出ない存在だった。おまけに品選びに店へ同伴した阿笠が店員の薦めたその財布をいたく気に入ってしまい、コナンに選択の余地はなかったのである。
「そういえば…!」
コナンはおもむろに受話器を取った。



「イ・ヤ」
コナンが用件を告げると電話の相手は彼の要求をばっさり一言で斬り捨てた。
「いいだろ?母さん、フサエ・ブランドの物たくさん持ってるじゃねーか。一つくらい譲ってくれよ」
「そんな事言われても私もあのデザイン気に入ってるんだもの。仕方ないじゃない」
「仕方ないって……」
「うふ、それにしても新ちゃんが女の子へのプレゼントの事で私に電話してくるなんて……何だか不思議な気分ねv」
「……切るぞ」
「あ、ちょっと待ってよ!久しぶりに電話くれたのに相変わらずつれないんだから〜!」
「あのなあ……」
コナンは思わず溜息をついた。
「母さんが譲ってくれねえなら他を当たらなきゃならねえんだからよ。じゃあな」
「『じゃ』って……一体どうする気よ?」
「ネットオークションや質屋でも当たってみるさ」
「あ、そ。でもねえ……あの年のデザインはいつも以上に人気あったし……色も色でしょ?果たしてお目当ての品があるかしら?」
確かにそこを突かれると痛い。品はあっても色がない可能性は100パーセントに近いと言っても過言ではなかろう。
「じゃ、どうしろって言うんだよ?」
「そうねえ……ま、たまには事件以外の事で頭使うのもいいんじゃない?応援してるから頑張ってねv」
有希子はそう言うとさっさと電話を切ってしまった。



母、有希子が女優時代からしばしば利用していた信頼出来る質屋に何件か電話しても見事にすべて空振りだった。最後の望みで訪れた大手のインターネットオークションサイトに一点だけあったものの、目が飛び出るほどの高価な価格が設定されている始末。本物という保障もない。
「……ったく、八方手詰まりかよ」
思わず愚痴がこぼれる。
「どうじゃ?新一君」
阿笠が苦い顔をしているコナンの横からパソコンのモニターを覗き込むと目を丸くした。
「なんと……!定番の新品が二つ買える値段じゃのう。あの財布を選んだわしの目もまんざらではなかったようじゃ」
得意げに微笑む阿笠の言葉にコナンはハッとした。
「おい、博士、今、何て言った!?」
「何って……『わしの目もまんざらではなかったようじゃ』と言っただけじゃが……」
「その前!!」
「『新品が二つ買える値段』……じゃったかのう?」
「……博士、悪ぃけどもう一回フサエさんに連絡取ってくれねえか?」
「それは構わんが……君が欲しい物はフサエさんの手許にももうないんじゃろ?」
訳が分からないと言いたげな阿笠にコナンは「ああ。さっきまで欲しかった物はな」とニヤッと笑ってみせた。



3月14日。夕食の片付けを終え、ファッション雑誌片手にコーヒーを飲んでいる哀の横へコナンは腰を降ろした。
「なあ、今日何の日か知ってるよな?」
「西暦270年頃……ローマ皇帝が発した結婚禁止令に背いて兵士と恋人の結婚を執り行ったバレンティヌス司教が捕えられ処刑された……その一ヶ月、結ばれた男女はあらためて二人の永遠の愛を誓い合った……この日を記念したのが『ホワイトデー』……ま、バレンタインデーと同じく日本じゃただのイベント化してるけどね」
「おめえな……」
コナンの渋い顔に哀は「冗談よ」と言うとクスッと笑った。
「で?キャンディでもプレゼントしてくれるのかしら?名探偵さん」
「バーロー、自分から請求したくせによく言うぜ」
コナンは苦笑すると隠し持っていた包みを哀に差し出した。
「ちょっと!この包装紙にリボン……これ、フサエ・ブランドじゃない!あなた、まさか私が言った事本気にしたの?」
「本気って……二年前に貰ったフサエ・ブランドの財布とお揃いのキーケースが欲しいって言ったのはおめえじゃねえか」
「あれは……ワンシーズンもので買えっこないから言った冗談よ」
「まあ、確かに買えなかったけどな」
「?」
「とにかく開けてみろよ」
コナンがニヤッと笑ってみせる。哀は一瞬躊躇したが、突き返すのも大人げないと判断し包みを開けた。中に入っていたのは銀杏色のキーケース。フサエ・ブランドの定番商品だ。
「ごめんなさい……こんな高価な物もらうつもりなかったのに……」
「謝るなよ、クリスマスもプレゼントなしだったからな。これでも気にしてたんだぜ?」
「でも……」
「それに『お揃い』が別の意味になっちまったしな」
「えっ?」
きょとんとする哀の目の前にコナンがポケットからそれを取り出した。
「フサエ・ブランドって紳士物も扱っていたんだな、せっかくだからオレも買ったんだ。さすがに色は黒にしたけどよ」
「……」
「何だよ、その顔?」
「別に」
お揃いのキーケースに同じ家の鍵……たまには素直に幸せに浸るのも悪くないだろう。「あなたって本当に気障ね」と心の中で呟くと哀はクスッと笑った。



あとがき



最初は有希子さんのお古を譲ってもらう話にしようか、と思っていたのですが、それではありきたりな話になってしまうので変更しました。久々登場の有希子ママ、相変わらず勝手に動いて下さりとても助かります@爆 
それにしてもフサエ・ブランド、洋服の次は紳士ものまで作っちゃったよ。ま、いっか(←をい)