優しいウソ



その夜、工藤邸の居候、服部平次と黒羽快斗が揃って外泊するとあって新一は志保と久し振りに甘い時間を過ごそうと早めに帰宅した。
「お帰りなさい。今日は早いのね?」
志保は新一の思惑にまったく気付いていない様子である。
「ん?ああ、せっかくアイツらがいねえからな」
新一は悪戯っ子のような笑みを浮かべるといきなり志保を抱き寄せた。
「ちょ、ちょっと…!」
「いいだろ?せっかく二人きりなんだからさ」
そのまま奪われる唇に最初は戸惑っていた様子の志保だったが、やがてその細い腕が新一の背を優しく包んだ。
「今夜は寝かせねーからな」
「……バカ」
二人が甘い雰囲気に包まれていたその時だった。ピーンポーンと鳴る玄関のチャイムに現実へと引き戻される。
「……んだあ?」
新一は明らかに不愉快な顔をすると志保を放して玄関へ向かった。
「はい、どちら様ですか?」
「自宅に帰って来た人間にどちら様はないんじゃないの?」
「ゲッ、母さん!?」
そこに立っていたのは母親の有希子と弟のコナンだった。
「なあに、その顔。久しぶりに帰って来たのに」
「あのなあ、事前に連絡くらいくれたっていいだろ?」
「ウフv新ちゃんをびっくりさせようと思って」
「……」
「あ……こんにちは」
いつの間にか志保も玄関にやって来ていた。
「あら、志保ちゃん、元気そうね」
「お陰様で。コナン君、随分大きくなりましたね」
「もう6歳だもの。新ちゃんが小さくなっていた頃とそっくりでしょ?」
「……で?急になんだってんだよ?」
志保と二人きりの時間を邪魔された新一はすこぶる機嫌が悪かった。
「今日ね、実は優作と私の結婚記念日なのvせっかく日本へ帰って来たから思い出のレストランでディナーでもと思って」
「ああ、あの米花センタービルの展望レストランか。でも、ディナーって……コナンとかよ?」
「バカね、優作とに決まってるでしょ。優作、仕事の関係で空港から出版社に直行したの」
「あ、そ。けど、あそこじゃコナンのお子様ランチはねえんじゃねえか?」
「何言ってるの?あそこにコナンちゃん連れていく訳ないでしょ?」
「連れて行く訳ねえって……それはちょっと可哀想なんじゃねーか?」
「だ・か・らvお願い、新ちゃん」
有希子はにっこり微笑むと手を合わせた。
「ディナーの間だけでいいの。コナンちゃん預かってくれない?」
「な!アポなしで突然押しかけて来てなんだよ!?」
「あら、可愛い弟と一緒に過ごすのがそんなに不満な訳?」
有希子がぷうっと頬を膨らませる。
「不満って訳じゃねーけど……」
「どうせならお邪魔虫の服部や黒羽がいる時にしてくれよ」という言葉をやっとの思いで飲み込む。
「じゃあ新ちゃん、頼んだわねv」
有希子は極上の笑みを浮かべると工藤邸を後にした。



「……ったく、相変わらずなんだからな」
溜息をつく新一の横で志保の方はクスクス笑っている。
「折角だから夕食、コナン君向きのメニューに変えるわね」
それだけ言い残すとさっさとキッチンへ向かってしまった。
「ほら、上がれよ」
「……」
「居間はこっちだぜ。久しぶりに来て忘れちまったか?」
新一の問いにコナンは答えず、黙って靴を脱ぐと後について来る。居間に入ってテレビのスイッチを入れるとちょうど日売テレビで仮面ヤイバーが始まったところだった。
「お、ちょうどいいじゃねーか、コナン」
「……」
「どうした?」
「ボク、悪いけどこういうの興味ない」
「あ……そっか、アメリカじゃさすがに放送してねーだろうからな」
「……ねえ、お父さんの書斎へ行ってもいい?」
「ん、ああ。来いよ」
新一はコナンと父、優作の書斎へ入って行った。
「何か読みたい物でもあるのか?」
「いいよ、勝手に探すから」
5分くらい経っただろうか。膨大な書物の中からコナンが引っ張り出したのはコナン・ドイルの『四つの署名』だった。
「おめえもそれが好きなのか?やっぱオレの弟だな」
「……」
「ホームズが退屈な日々に耐えられなくてコカインで気を紛らわせていた時に持ち込まれた事件なんだよな。メアリ・モースタンっていう女性の元に毎年のように差出人不明の宝石が送られて来て……」
「ボク、まだ読みかけなんだ。頼むからネタバレしないでくれる?」
ホームズの話になると新一の口が止まらないのを見透かすようにコナンが言う。
「あ、悪ぃ、でもそれ原語版だぜ?大丈夫か?」
「ボク、一応アメリカ育ちなんだけど」
「……」
(可愛くねえガキ!誰に似たんだよ!?)
本人を前に言う訳にもいかず新一は心の中で毒づくしかなかった。



「久し振りの再会なのに随分静かだったわね。何してたの?」
普段、工藤邸には決して並ばないようなカラフルな夕食を並び終えると志保が口を開いた。
「ん……オレもコイツも本読んでたからな」
「そう、あなた達らしいわね」
仏頂面で答える新一に志保は笑いを堪えているようだ。
「お姉ちゃん、このハンバーグ美味しいね」
「そう?ありがとう、コナン君」
「お母さんのハンバーグも悪くないんだけどいつも焦げているから…」
「ま、あの母さんなら仕方ねえな。電話でもかかって来ようものならフライパンの存在すら忘れるからよ」
「確かに……」
「お、珍しく意見が一致したな」
「……」
新一がニヤッと笑うとコナンはそっぽを向いてしまった。
「……ご馳走様でした。美味しかったよ、お姉ちゃん」
「あら?コナン君、あまり食べてないじゃない」
「ごめんなさい。ボク、ちょっと食欲なくて……」
「具合でも悪いの?」
「機内食食い過ぎただけじゃねえか?」
「……」
「意地悪なお兄ちゃんね。コナン君、無理に食べるのは良くないわ。居間でゆっくり休んでなさい」
「うん」
コナンは志保にぺこりと頭を下げるとキッチンを出て行った。



時計の針は午後9時を指していた。
「……ディナーだけにしては遅いんじゃねーか?」
「まだ9時じゃない。今頃デザートじゃないかしら?」
志保の反応に新一は自分の思いがまったく理解されていない事を悟った。
「でも、あんまり遅くなるとコナン君には良くないし……そろそろお風呂に入れてあげた方がいいわね」
「風呂!?」
「今から入れば10時には寝れるもの」
「けどよ、母さん達が迎えに来たら起こさなくちゃなんねーぜ?」
「今日日本へ来たばっかりなんでしょ?一度寝ちゃったらそう簡単に起きないんじゃないかしら?」
「……」
「ほら、私もそろそろ入りたいから」
「……分かったよ」
「おい、風呂入るぞ」という新一に最初は断っていたコナンだったが「志保が順番待ってるからよ」という言葉に大人しくついて来た。
「日本式の風呂は久しぶりじゃねーか?向こうはユニットバスだろ?」
「……」
コナンは相変らず沈黙を守っている。
(……ったく、ガキの相手は服部や黒羽の方が上手いからな)
今日、何度目かの溜息をつく。
「ほら、身体と髪が洗えたら湯船に浸かって……」
新一の声に返事はなかった。気が付けばいつの間にか小さな弟は浴槽の中で意識を失っている。
「お、おい!どうした!?」
新一は慌ててコナンを抱きかかえると風呂場を飛び出した。
「志保!!」
「どうしたの?」
「コナンが急に…!!」
「凄い熱…!とにかく湯冷めしないように早く身体を拭いて横にしないと!」
「じゃあ、オレ、二階の寝室へ連れて行くから……」
「……私がやるから。あなたはせめて下着だけでも身に着けて頂戴」
志保の言葉にはっと我に返った新一は自分が一糸纏わぬ姿でいる事にようやく気が付いたのだった。



「どうだ?」
新一が寝室へ入って行くと志保が点滴の用意をしていた。
「コナン君、あんまり食べてないから飲み薬よりこっちの方がいいと思って」
「そうだな」
「……ごめんなさい」
「あん?」
「コナン君が食欲ないって言った時に気付くべきだったわ」
「バーロー。普段一緒に暮らしている人間ならともかく2年振り……か?分かる訳ねーよ」
「……」
「とにかく母さん達に急いで連絡取らねーと……」
新一が手近にある子機に手をかけた時だった。
「……ないで」
眠っていると思っていたコナンが新一の服を引っ張る。
「……連絡取らないで。お母さん、今日のお父さんとのディナー、とっても楽しみにしてたから……」
「そんな事言ってる場合じゃねーだろ?」
「……お願いだから……お兄ちゃん……」
「コナン、お前……」
「……本当、兄弟揃って気障ね」
クスッと笑う志保に新一は苦笑すると子機を戻した。その様子に安心したのかコナンがスーッと眠りに落ちて行く。
「んじゃ日本一の名医に後は任せるぜ」
「ええ」



弟を志保に任せ、新一が居間へ戻って来た時だった。
「新ちゃん、ただいま〜v」
有希子が少し赤い顔で帰って来た。後ろに優作の姿も見える。
「やっとお帰りかよ?」
「あら、ご機嫌斜めね。志保ちゃんと喧嘩でもしたの?」
「バーロー、コナンが熱出して倒れたんだよ!」
「あら?やっぱり?」
「やっぱりって……気付いてたのかよ!?」
「当たり前でしょ?これでも母親なんだもの」
「じゃあどうして?」
「コナンちゃんの嘘に騙されてあげたのよv」
「嘘?」
「体調悪いのに強がって『ボクはお兄ちゃんのところへ行きたいからお母さんはお父さんとデートでもして来たら?』なんて言うのよ。きっと私がロスからレストランの予約を入れようとした電話を聞いてたのね」
「じゃ、じゃあ……」
「ええ、あいにく満席で断られちゃったの。でもコナンちゃんがそこまで言うならと思って騙された振りをしたって訳。誰に似たのか本当、おませなんだから」
「そうだったのか……じゃあ夕食は?」
「ウフvダメもとで電話したらドタキャンがあったらしくてね。本当、私って運いいわよね〜v」
「あ、そ……」
「じゃあコナンちゃんの様子見てくるわね」
有希子は新一にウインクすると二階へ上がって行った。



「どうしてそういう話になるんだよ!?」
「静かにして。コナン君が起きちゃうじゃない」
時間は夜の11時。今、この工藤邸にいる人物は新一と志保、二人きりのはずだった。
予定外の人物が一人。そう、コナンである。
「せっかく母さん達が迎えに来たのになんで引き取らせなかったんだよ?」
「病人を動かすのは良くないわ。それに経過も診たいし……医者として当然の事をしただけよ」
「……」
「悪いけどあなたは今夜客間のベッドで寝てくれる?私はここで論文でも書きながらコナン君を診てるわ」
「志保、おめえ……」
「分かってるわ。でも……結婚記念日の今日は優作さんと有希子さんに甘い時間を過ごしてもらうのも悪くないでしょ?」
「……ったく、分かったよ。んじゃコナンの事頼むな」
「ええ」
新一が寝室を出て行くと志保はクスッと笑って呟いた。
「今夜はあなたじゃなくてコナン君が寝かせてくれそうもないわね」



後日。
元気になったコナンを連れてトロピカル・マリンランドへ出かけた新一と志保の前で事件が起こった事、兄弟探偵初の大推理バトルが勃発した事はまた別のお話にてv



あとがき



弟コナン君第一弾作品です。江戸川コナンまんまって気がしなくもないですが、設定は新一より素直で寂しがりやなんです、実は@笑  それにしても有希子ママは書いていて楽しいですね。



絢女さんより



当サイトのオリジナル設定、弟コナンのパラレル小説を書いて下さいました。
ほたるさんありがとうm(__)m
弟コナンって私の中では赤ちゃんの状態のイメージしかないので純粋に楽しめました。
こんな生意気だけどかわいい弟コナンっていいですね。
でも、今のところ兄弟探偵推理バトルは何も考えてませんので、あまり期待して待たないで下さいね。