欲張りな選択



「……和葉、和葉て!」
自分を呼ぶ親友の声に遠山和葉はハッと我に返った。
「なんや?急に黙ってしもて……」
「……ご、ごめん、ボーっとしてたわ」
「……ほんまに。せっかく久し振りに会うたっちゅうのに……」
向かいの席に座る大岡千秋が頬を膨らます。
土曜日の午後3時という事もあってか喫茶店はどこも満席で、和葉と千秋も30分待ってようやく席につく事が出来た。やっとゆっくり話が出来ると思っていた矢先、相手が考え事に耽っていては会話にならない。これで怒るなという方が無理な話だ。
「どうせ服部君の事考えてたんちゃうの?」
「えっ?そんな事ないて……」
「とぼけてもアカンで。あんたらと何年付きおうてると思てんの?」
「……」
和葉と千秋は中学校時代、合気道部で一緒になって以来の親友だ。千秋に言わせると和葉が平次の事で悩んでいる時は明らかに普段と様子が違うらしい。そんな訳で昔から相談しようとする度、話すより先に「どないしたん?」と尋ねられる事が常だった。
「服部君とは相変わらずなん?」
「うん……一ヶ月に一度会えるか会えんかって感じ」
「東京の大学やとなあ……交通費もバカにならへんし。あたしもそうやけど遠距離恋愛ってしんどいなぁ」
「そやね……」
「……ほんで?」
「へ…?」
「それだけちゃうやろ?わざわざあたしに電話して来たんやから」
「う、うん……」
「何かあったん?」
「実は……ちょっと迷ってんねん」
和葉は目の前の紅茶を一口飲むと重い口を開いた。



「……ほんま、綺麗やね」
目の前に広がる宝石のような東京の夜景に和葉は感嘆の声を上げた。
「人も少ないし最高やろ?」
「うん。けど平次、ようこんな隠れスポット知っとったな」
「工藤が教えてくれてん。姉ちゃんらと来た言うとったわ」
「工藤君、元気なん?」
「ああ、もっともアイツとは相変わらず事件現場で会う事の方が多いけどな」
高校を卒業し平次は東京の大学へ、和葉は大阪の短大へ進学した。幼い頃からずっと一緒だった和葉としてはこれをきっかけに平次との関係をはっきりさせたいと思ってはいたものの、『好き』の一言が言えず、友達以上恋人未満の関係のまま早一年が過ぎようとしている。
「……和葉、寒ないか?」
「平気、このセーターあったかいし」
「せやけど風邪ひいたらあかんからな」
二カッと笑うとブルゾンを脱ぎ肩にかけてくれる。
「……なんや気色悪いなぁ」
「あん?」
「今日の平次、妙に優しいんやもん」
「どういう意味や?」
「言葉通りや」
いつものボケと突っ込みの会話が始まったと思ったのも束の間、ふいに平次が黙りこくってしまった。
「……平次?」
「ええ加減……オレらもはっきりさせなあかんなぁ」
「え…?」
「和葉、オレ……」
もしかして告白?という期待に和葉の胸が高鳴った。同時に過去何度も肩透かしをくらった事を思い出し、下手な期待はしない方がいいと自分に言い聞かせる。そんな和葉の心境を知ってか知らずか、平次はその先の言葉をなかなか口にしようとしない。珍しく口ごもる幼馴染にしびれを切らし、「……なんやねんな、平次らしくない。はっきりさせるって何やの?」と突っ込もうとしたまさにその時だった。
「オレ……お前が好きや……」
「平次……」
突然訪れた瞬間に和葉は何も言えなくなってしまった。すぐにでも「あたしも平次の事好きや」と告白し、晴れて二人は両思い!というシナリオをずっと頭に思い描いてきたにも関わらず、自分を見つめる平次の真剣な瞳に胸が熱くなり、涙がポロポロ零れて来る。
「ア、アホ、何泣いてんねん!?」
「そやかて……またいつもみたいにすぐ『冗談や』って言うんとちゃうの?」
我ながら可愛くないと思ってもつい憎まれ口を叩いてしまう。
「お前、オレの事何やと思うてんねん?」
苦虫を噛みつぶしたような平次の表情に和葉はやっと落ち着きを取り戻した。
「嬉しい……あたしも……あたしも平次の事ずっと……好きやってん……」
「……」
しかし、和葉の告白にも関わらず平次は浮かない様子だ。
「お前もオレの事好きや思ってくれてるんは嬉しい。せやけど……」
「けど……何なん?」
「大学入ってオレは東京、お前は大阪や。なかなか会えへんのは仕方ない思てる。せやけど……和葉、お前警察官になりたいんちゃうんか?」
「そ、そうやけど……?」
「ただでさえなかなか会われへんのにお前が大阪府警に就職したらもっと会えへんようになってしまう。それに……オレ、警察庁受験しよう思てるねん。現場がもっとスムーズに動ける組織にしたいゆう親父の夢、親父一代では無理やったしなぁ」
「そやね……」
「分かっとる思うけど……警察庁に受かれば全国転勤や。このまま付き合うて将来的にオレと結婚いう事になったら……お前、仕事辞めなあかんようになる」
「それは……」
「小さい頃から合気やっとったんも警察官になりたいゆう夢のためやろ?オレ……お前の夢、潰したないねん。せやから……」
「……」
「オレは卒業までまだ時間あるけど……お前は短大やからそろそろ進路決めなあかん頃やろ?これからの人生一度真剣に考えてみて欲しいんや」
「……」
今まで聞いた事がない平次の真面目な口調に和葉は何も言えなくなってしまった。



「へえ……あたし、服部君の事、見直したわ」
和葉の話を聞き終えると千秋が目を丸くした。
「へ…?」
「なんでて……結婚まで視野に入れて考えてるやなんて。それだけ和葉の事大事に想うてる証拠やん」
「それは…嬉しいんやけど……」
「要は恋を取るか夢を取るかで悩んでるて事やんな?」
さすがに同じ遠距離恋愛をしている者同士だけあり話が早い。
「う、うん……」
「ほんま、男の人はこういう事で悩まんでもええのに……女は損やな」
千秋は頬を膨らますと珈琲を口に運んだ。
「あたし……どないしょう?」
「両思いになれたいうても先の事は分からへん話やし、とりあえず付き合うて今後の様子で考えるではあかんの?」
「それも勿論考えてん。けど……」
「けど…?」
「平次、『愛想尽かした訳でもないのに別れる事になるんやったらこのまま友達でおった方がええんやないか』って言うねん」
「……変なとこ律儀な男やな」
「平次がそこまで覚悟決めてるんやったらあたしも中途半端な返事は出来へんし……」
和葉の言葉にしばし考え込んだ様子の千秋だったが、「和葉……悪いけどあたしには何も言われへんわ。だってあたしはあんたの夢もあんたの服部君への想いもイヤちゅうほど知ってるから。無責任なアドバイスはしたない」と、荷が重いと言いたげに肩をすくめてみせた。
「千秋……」
「辛いかもしれへんけどこればっかりはあんた自身が結論出さなあかんのちゃう?」
「……」
親友のもっともな意見に和葉は何も言えなくなってしまった。



「ただいまー」
千秋と別れ、自宅へ戻った和葉を玄関で迎えたのは見慣れない二足の靴だった。
(お父ちゃんにお客さんでも来てはるんやろか?)
今日客が来るとは聞いていない。
(お茶くらい出したんやろなあ……)
あまり気が利くとは言えない父を思いキッチンへ直行すると何とかお茶だけは淹れた痕跡は伺えたものの、お茶菓子らしき物は何も用意した様子はなく、和葉は慌てて買い置きしてあった和菓子を皿に並べると客間へ向かった。
「……失礼します」
襖を開けた瞬間、和葉は驚きのあまり自分の目を疑った。そこにいたのは東京、大阪、京都で起こった連続殺人事件の時に知り合った刑事だったのである。
「君は…服部君といつも一緒にいる……」
相手も驚いたように目を丸くしている。
「ご無沙汰してます」
挨拶の言葉と共に頭を下げるものの肝心の名前が思い出せない。「どちら様でしたっけ?」と尋ねる訳にもいかず、困り果てていると「和葉、お前なんで白鳥君の事知っとるんや?」と、いいタイミングで父、銀司郎が口を挟んでくれた。
「ほら、お父ちゃんも覚えてるやろ?源氏蛍ちゅう盗賊団の連続殺人事件。あの時京都で会うてん」
「そういえばそんな事件あったな……」
和葉にとっては忘れられない事件だが、日々凶悪犯罪を数多く目の当たりにしている父がおぼろげにしか覚えていないのも無理はないだろう。
「……で?どうして白鳥さんが家に来てはるんですか?」
「3月25日付で警視庁から大阪府警に来る事になったんですよ。本日はご挨拶を兼ねてお邪魔しました。紹介が遅れましたが、こちらの女性は私の婚約者で小林澄子さん。帝丹小学校で教師をしています。もっとも……今月末で退職しますが」
「はじめまして、小林です」
はにかんだような笑顔を向ける澄子に和葉は「は、はじめまして」と慌てて頭を下げた。



「……突然お邪魔した上夕食までお世話になる事になっちゃってごめんなさいね」
和葉が一人、台所で支度をしていると澄子がやって来た。
「いえ……大したもてなしも出来しませんし気にせえへんで下さい」
「私にもお手伝いさせてくれる?」
「お客さんにそないな事……」
「気にしないで、四人分の夕飯を用意するのは大変だと思うし」
穏やかな笑顔を向ける澄子に和葉も「ほな、お願いします」と笑顔になった。
「帝丹小学校にお勤めなんですよね?ひょっとしてコナン君の事ご存知なんと……」
「あら、和葉さん、コナン君の事知ってるの?」
「実は平……じゃなかった、あたしの友人と仲良くて……」
「本当、世の中狭いものね」
澄子は独り言のように呟くと「江戸川コナン君……ある意味私のクラスの問題児だけど私にとっては恩人でもあるのよね」と天井を仰いだ。
「恩人?」
「教師としての自分に自信をなくしていた私を救ってくれたのも白鳥さんと私の関係が拗れてしまった時、さりげなくフォローしてくれたのもコナン君達少年探偵団だったの。あの子達がいなかったら私……あの子達に受けた恩を思うと本当は仕事を辞めたくないんだけど……」
寂しそうな横顔で呟く澄子に和葉は「あの……失礼な事伺ってもいいですか?」と菜箸を動かす手を止めた。
「退職されるのは大阪に来る事になったから……ですか?」
「教員はあくまで地方公務員。都道府県の違う学校で働きたかったら余程の事がない限り採用試験を受け直すしかないから。一度で済む話ならチャレンジするのもありだけど……白鳥さんは転勤族だからまたいつ異動の話が出てもおかしくないし……」
澄子の話に嫌でも平次と自分の姿が重なり、和葉は「それでも白鳥さんとの結婚を選択しはったんですよね?なんで……」と素直な疑問を口にした。
「正直……白鳥さんにプロポーズされた時凄く迷ったわ。結婚相手が転勤族じゃなかったら私が退職する必要はないんだもの。でも……私にとって彼は大切な人だし。それに夢を託すのもいいんじゃないかと思って」
「夢を……託す?」
「私、昔警察官に憧れた事もあったの。だから……」
「……」
「それに……完全に教師を引退しちゃうつもりはないし」
「え…?」
「非常勤講師とか臨時採用なら求人もあると思うの。出来る範囲で私は私のやりたい事を続けて行くつもりよ」
晴れやかな顔で自分の未来を語る澄子に和葉は「やりたい事……そうですよね!」と満面の笑みを浮かべた。



3月も最後の土曜日になると東京にも桜前線が到達したようで平次と和葉が訪れたその公園も満開だった。
「造幣局の通り抜けほどやないけど綺麗やなあ……」
「せやな……」
公園の中央にある池を眺めるベンチに並んで腰を下ろすと行き交う人々をぼんやり眺める。お弁当を広げる家族連れや若いカップル、散歩するお年寄り……そよ風に時々舞う桜吹雪の中皆幸せそうだ。
「なあ、平次……」
「何や?」
「あたし……警察官になろう思ってる」
きっぱり言う和葉に平次は「……そうか」とだけ答えた。
「小っさい頃からの夢やし……簡単に諦められへん」
「せやな……」
「せやけど……ずっと好きやった平次とせっかく両思いになれたんや。あたし、平次と付き合うていきたい」
「へ…?」
てっきり別れを宣言されたと思っていた平次は思わず間抜けな声を出してしまった。
「ちょー待て!和葉、お前、自分の言うてる事分かってんのか!?」
「そりゃ…遠距離恋愛が続くんはあたしかて辛いけど……電話もするしメールもする。休みの日には会いに来るし、会いに来て欲しい思ってる……それじゃあかん?」
「そうやのうて……」
「平次があたしの夢、大切に思うてくれてるんは嬉しいよ。せやけど一度きりの人生やもん。欲張らなあかん気ぃするんや」
「欲張る?」
「うん。だからあたし、まず夢やった警察官になる。それから……」
「それから…?」
「平次があたしの夢、きちんと託せる男やと確信出来たら仕事辞めて平次を支える。もしあかん思ったらそん時はさよならや」
「な…!」
「それに警察辞めても少年補導の嘱託員になったりして夢を追い続ける事は可能やって気付いたんや。結婚しても完全引退は絶対せえへんで」
「……」
和葉の台詞に一瞬言葉を失った様子の平次だったが、「……お前、オレを試そういうんか?」と苦笑した。
「上等や。その賭け、乗ったろうやないか。せやけど……オレもお前がオレの夢、一緒に追ってくれる女やないと分かったらさっさと切るで」
「望むところや」
いつもの調子に戻った幼馴染に和葉がホッとした時だった。平次の大きな手が和葉の頬を優しく包み、彼の唇が彼女のそれにそっと触れる。
そんな二人を祝福するように穏やかな春風が桜吹雪を舞い踊らせた。



あとがき



お初で書いた平和テキストです。ネタを思いついたはいいものの平次×和葉以外では不可能な話だったので、連載の大阪弁監修をして下さったくっきー様に「お礼」と称して押しつけていました@爆笑  桜の季節に設定したのは『迷宮の十字路』に合わせて。
当初は白鳥×由美で書いた話でしたが、チュウ吉登場に伴ってリライトしました(羽由美が美味しすぎていつか書きたいという自己中な理由です@爆)それにしても白鳥刑事もすっかりキャラが丸くなりましたよね@遠い目