dream scape



帝丹小学校の秋の恒例行事の一つに意見発表会がある。学年ごとに与えられたテーマで作文を書き、クラスメートによって各クラスの代表一名が選ばれ全校生徒の前で発表するというものだ。
そして今日、コナン達少年探偵団も学級活動の時間を利用してそのための作文を書かされる羽目になった。
「今年の3年生のテーマは……」
3年B組の担任、小林澄子はもったいぶるようにそこで言葉を切ると黒板に『僕の夢、私の夢』と大きな字で書いた。
「皆さんが将来、どんな職業に就きたいか、どんな事に挑戦したいか、どんな人になりたいか、色々な夢があると思います。今日はその夢を自由に書いてみて下さい」
クラスメイト達が「はーい!」と元気に返事をする中、灰原哀は一人、目の前の真っ白な原稿用紙に黙って視線を落とした。



「ねえ、今日の作文、みんなはどんな事を書いたの?」
下校途中、興味津々な様子でその話題を切り出したのは歩美だった。
「ボクはノーベル賞を取るような学者になりたい、って書きました」
真っ先に答えたのはやはり自分の将来にはっきりしたビジョンを持っている光彦である。
「コナン君は?」
「オレはJリーガーになってワールドカップに出場したい、って感じかな?」
コナンの答えに歩美が「あれ?コナン君の夢って探偵になる事じゃなかったっけ?」と首を傾げる。
「探偵なんて言葉を出したら乱歩マニアの小林先生がうるさいだろ?」
「なるほど……確かにそれは言えますね」
光彦が納得したようにうんうんと頷くと、「そういう歩美ちゃんは何て書いたんですか?」と、話題を歩美に振った。
「歩美はね、スチュワーデスになって色んな国へ行って、たっくさんお友達を作りたいって書いたんだ」
「スチュワーデスですか、歩美ちゃんらしい素敵な夢ですね」
「そっかな?」
歩美ははにかんだように頬を赤らめると、「そういえば元太君、小林先生に『お家で書き直してきてね』って言われてたけど、どんな事を書いたの?」と、珍しく会話に加わって来ようとしない元太の方に振り返った。
「オレはオレの夢をちゃんと書いたんだぜ。それなのに書き直しだなんて……酷いと思わねえか?」
不満を隠せない様子の元太に光彦が「元太君、まさか日本中のうな重を食べまくる事なんて書いたんじゃないでしょうね?」と怪しげな視線を投げる。
「光彦、お前、オレがそんな小さい夢しか持ってないと思ってんのか?」
「い、いえ、決してそういう訳では……じゃあ一体何て書いたんですか?」
「そんなの、『世界中のうな重を食いたい』に決まってんだろ!」
「……」
きっぱりと言い切る元太にすっかり脱力してしまった光彦にコナンは思わずハハッと乾いた笑いを浮かべると「書き直しって言えば……」と、思い出したようにそれまで黙って四人の会話に耳を傾けていた哀の方に振り返った。
「灰原、おめえもじゃねえか?」
「え、ええ…まあね」
歯切れの悪い哀の返事に歩美が「哀ちゃん、具合でも悪いの?」と心配そうに彼女を見つめる。
「え…?」
「だってテストはいっつも100点だし、読書感想文だって最優秀賞だったじゃない?それなのに……」
その言葉に哀は「バカね」と苦笑すると「途中まで書いたんだけど上手くまとまらなかっただけよ」と肩をすくめた。
「大体、私だって苦手なものはあるし……」
「そういえば国語が一番苦手だって言ってたっけ?」
「ええ。でも、大丈夫よ。多分、今日中には書けると思うから……」
小さな親友を安心させるような台詞とは裏腹に、今ひとつ表情の晴れない哀の様子をコナンは黙って見つめていた。



「ふわ〜」
思わず出た大欠伸に枕元の時計を見ると午前1時30分を過ぎている。
(ヤベッ!いい加減眠らないと……)
気ままな一人暮らしをしていた工藤新一だった頃は夜更かしをしても遅刻ギリギリの時間まで寝て朝食を抜いていたが、毎朝7時には問答無用とばかりに布団を剥しにやって来る同居人がいるこの阿笠邸ではそうはいかない。
「仕方ねえ、続きは明日だな……」
自分に言い聞かせるようにそう呟くとコナンは読みかけの推理小説を閉じ、枕元の読書灯を消した。その瞬間、ドアの隙間から隣の部屋の明かりが差し込んで来る。
(灰原のヤツ、まだ起きてるのか……?)
解毒剤の開発に夢中になっていた頃は哀が徹夜するのも珍しい話ではなかったらしいが、ここ最近は午前0時を回る頃には彼女の部屋は真っ暗になっている。
こんな夜中に部屋を訪ねればどんな嫌味が返ってくるか知れないが、昨日の下校時の哀を思うと放ってもおけずコナンはベッドから起き上がると自室を出た。ぐっすり眠っているであろう阿笠を思い、控え目に哀の部屋のドアをノックすると、返事の代わりに中からドアが静かに開けられる。
「工藤君……どうしたの?こんな夜中に……」
「それはこっちの台詞だ。おめえ、こんな時間まで何やってんだよ?」
「何って……あなたも知ってるでしょ?小林先生に言われた作文の書き直しよ」
「んなもん、適当に書いてさっさと寝ろよ」
「適当にでも書ければ気楽なんだけどね……」
苦笑する哀にコナンは真面目な表情になると、「おめえ……相変らず自分には夢を見る資格なんかないだなんて思ってるんじゃねえだろうな?」と、彼女を睨んだ。
「確かに……一昔前の私だったらそんな台詞を吐いていたかもしれないわね。でも、心配しないで。今はそこまで自虐的じゃないから……」
「じゃあ一体何をそんなに…?」
「静かにして。そんな大声を出したら博士が起きちゃうじゃない」
「あ……」
慌てて口を噤むコナンに哀はやれやれと肩をすくめると「このままじゃ明かりが漏れるし、中へ入らない?」とドアを少し大きく開いた。
「中って…いいのかよ?」
「この身体じゃ心配いらないでしょ?大体、あなたに女を襲う度胸があるとも思えないし」
「……」
果たして信用されているのか、すっかり安全牌と思われているのか…?複雑な心境を隠せないものの、このまま黙って部屋へ戻る気にもなれずコナンは彼女の部屋へと足を踏み入れた。



相変わらず必要な物しか置かれていない哀の部屋は、本の山でグシャグシャになっているコナンの部屋と同じ広さとは思えないほど広く感じられた。
そんな彼女の部屋にここ最近、木製のテーブルと二脚のフロアチェアが付け加えられた。パソコンの前ばかりでは身体に悪いと、阿笠が半ば強引に置いたものである。テーブルの上には真っ白い原稿用紙が数枚広がっており、その横に鉛筆と消しゴムが転がっていた。
「へぇ……」
「何よ?」
「手書きなんておめえらしくねえなと思って」
「小学生の作文にパソコンはないでしょ?」
コナンの台詞に哀は苦笑すると、テーブルとお揃いのフロアチェアに腰を下ろした。コナンも自然、哀の正面のチェアに腰を下ろす。
「……で?何をそんなに苦労してんだ?」
「え…?」
「原稿用紙は真っ白にも関わらず随分何かを書いた跡が残ってる。おまけにゴミ箱に捨ててある紙の枚数も半端じゃねえからな」
「……相変らずの観察眼ね、探偵さん」
哀は感心したように両手を広げてみせると、「実は……書ける事がなくて困ってるの」と、肩をすくめた。
「だって……私の一番大きな夢はもう叶っちゃったから……」
「……組織の事か?」
コナンの言葉に哀が黙って頷く。
「物心ついた頃から私にとっての夢は組織を抜け、大切な人達と穏やかに暮らす事だったわ。残念ながらお姉ちゃんは殺されてしまったけど、今の私には実の娘のように可愛がってくれる博士がいる。本来通うべき場所じゃないけど、小学校に行けば私を友人と思ってくれる仲間がいる。そして……誰より私を支えてくれるあなたがいる……」
「灰原……」
「私にとっては今の生活そのものが夢なのよ。もし……私に夢があるとしたら、今のこの夢を覚ます目覚まし時計が鳴らない事、って事になるんでしょうね。でも、そんな内容、小学生が書く作文じゃないでしょ?だから何とか適当に書こうと頑張ってるんだけど、なかなかしっくり来なくて……」
哀の言葉にコナンはしばし黙っていたが、やがて小さく肩をすくめると、「……目覚まし時計か。んなもん、おめえが生きてる以上、鳴らねえんじゃないか?」と彼女を見た。
「え…?」
「人間なんて元々欲深い生き物なんだ。一つの夢が叶ったらすぐ次の夢を見る。今のおめえはずっと抱いてた大きな夢が叶っちまって次を考えられない状態かもしれねえが、そのうちきっと見付かるさ。人間だったら誰でも夢の花茎を持ってるんだからよ」
「夢の…花茎……?」
「ああ。夢の先にあるものは夢さ。だから人間は辛い事や苦しい事があっても生きていけるんだ」
きっぱりと言い切るコナンに哀は考え込むように口を閉ざしたが「……それじゃあ聞くけど」と、彼を正面から見据えた。
「工藤君、あなたの夢って探偵になる事だったわよね?」
「ああ」
「その夢が叶ったら……あなたはその先、どんな夢を抱くって言うの?」
哀の疑問にコナンは「ホームズを越える事に決まってんだろ?」と、さも当たり前だと言わんばかりに苦笑した。
「ホームズを越えるって……小説の中の人物をどう越えるって言うのよ?単純に考えれば事件を解いた数って事になるんでしょうけど……」
「勿論、それもあるさ。けどよ、オレはそんな事よりホームズに欠けていてオレにあるものを増やしていきたいと思ってるんだ」
「ホームズに欠けているもの…?」
「ああ。工藤新一だった時はオレ自身もそういう面があったから偉そうな事は言えねえけど……ホームズって真実の探求に対しては冷酷非情とも思える側面があるだろ?」
「まあ…そうね」
「確かに真実に辿り着く事は探偵にとって一番重要な事だ。けどよ、それじゃあ警察がやってる捜査と何も変わらねえだろ?一つ一つの事件の背景には複雑な糸が絡まってる訳で、加害者も含めてそれらすべてを解したいって言うか……上手く言えねえんだけどさ、パズルを解くみたいにトリックや犯人を突き止めるだけじゃ満足出来なくなっちまったんだ。勿論、だからと言って犯罪を許せる訳じゃねえんだけど……」
「それって…もしかして私の事がきっかけで……?」
「多分な。そういう意味でもオレにとっておめえとの出会いは大きな転機だったんだろうな」
「……」
コナンの言葉にしばし沈黙を守っていた哀だったが、「……本当、あなたって探偵になる事以外、興味がない人なのね」と、呆れたように呟いた。
「あん?」
「『ホームズに欠けているもの』っていうから、私、てっきり女嫌いなところかと思ったわ」
「おめえな……」
苦虫を噛み潰したような表情で自分を見つめるコナンに哀はクスッと笑うと、「『夢の花茎』……いい言葉ね。ありがとう、工藤君。何だか書けそうな気がしてきたわ」と笑顔を見せた。
「頑張れよ」
「ええ。でも、小学3年生で『花茎』なんて難しい言葉は使えないわね。少し表現を変えないと……」
「この前の読書感想文で最優秀賞だった誰かさんには朝飯前なんじゃねえのか?」
悪戯っ子のように微笑むとコナンは「じゃあな」と哀の部屋を後にした。



後日。3年B組の意見発表会の代表として哀の作文『夢を探す私へ』が選ばれた。が、大勢の前で演説するなんてとんでもないと当日ズル休みしてしまった彼女のせいで代読する羽目になるとは、さすがのコナンにも想像出来なかった事だろう。



あとがき



トキカラリ様宅の音楽祭に投稿しようと思って大好きなこの曲をお題に書き出したのですが、どん詰まり@爆、結局その約一ヵ月後に完成した作品です。「dream scape」は勿論、私が大好きな歌手、織田かおりさんの曲。
歌詞の内容が難しい上に、哀ちゃんが夢について語るというのは今の段階では想像もつかないので、結局このような形となりました。
ただ、コナンに言わせたように私は誰でも夢の花茎を持っていると思います。それを育てるかどうかはその人次第だとは思いますが……