君に捧げる調べ



「プレゼント…?」
中学二年生2学期の始業式の朝。すでに幼馴染と言っても過言ではない吉田歩美が切り出した話にコナンは顔をしかめた。
「うん。もうすぐ9月10日、哀の誕生日でしょ?コナン君、毎年どんな物をプレゼントしてるのかなと思って」
中学に入学し、哀を狙う男子生徒が目に見えて増えて来たせいか歩美は何かとコナンと哀の関係に世話を焼くようになった。入学したばかりのコナンの誕生日直前には「コナン君はもうとっくに売約済なんだから!」と、押し寄せる女子生徒達を一蹴し、帝丹中学校に新たな伝説を作ってしまった程である。
「どんな物って…欲しい物はアイツの方から請求して来るからな。いちいち何をやったかなんて覚えてねえよ」
正確に言えば哀から知恵を拝借した際、催促された物を誕生日プレゼント扱いにしてもらっているといったところだが。
「えっ!じゃあコナン君、哀にプレゼントを選んだ事ってないの!?」
「あ、ああ…悪ぃか?」
「『悪ぃか?』ってあのねえ……」
歩美は信じられないと言いたげに大きな溜息をつくと、「……どーしてそれに何かプラスしようと思わない訳?」と、コナンをジッと睨んだ。
「いいじゃねーか。本人が欲しいって言ってる物をプレゼントしてるんだから一番効率的だろ?」
「そういうのはプレゼントって言わないの!プレゼントにはサプライズがなくちゃ!」
「サプライズねえ……」
あまり関心なさそうなコナンの様子に「これだからコナン君はダメなのよね〜」と、歩美は手を広げて見せると、
「……仕方ないなあ。今度の週末、一緒に選んであげるから」
ブツブツ言いながら手帳を取り出し、勝手に予定を決めようとする。こんな提案にイエスと答えれば女の子でごった返す店を次から次へと引っ張り回されるのは必至で、コナンは「……し、心配すんなって。それくらい自分で選べるからさ」と、笑顔を取り繕うと慌てて教室の外へ走り去った。



「……何かあったの?」
サッカー部の練習を終えた帰り道。会話が途切れるのを待っていたかのように哀がコナンをジッと見つめる。
「別に何もねえけど?」
「……」
平静を装うコナンだったが、内心、相変らず鋭い哀に舌を打った。
二人がそれまで交わしていた会話はおよそ中学生レベルのものではない。大方この手の話題の場合、コナンと哀の意見は最終的には一致するのだが、今日は珍しく真正面から衝突し、つい先程まで白熱した議論を展開していたのである。が、すれ違ったカップルの口から聞こえた『プレゼント』という単語にいつの間にかコナンの意識は歩美との会話に引っ張られていたらしい。
「オレ、何か変か?」
「変って言うか……あなたにしては珍しく反論が甘いから」
「バ、バーロー、んな事ねーよ。大体、化学分野でオレがおめえに敵う訳ねーじゃねーか」
「確かに私と本気で議論したかったらもう少し勉強してもらわないとね」
遠慮ない物言いにプイと視線を逸らす。そんなコナンに哀はクスッと笑うと、「見た目通りの悩み多き年頃でもあるまいし。あんまり考え込むと禿げるわよ」と、悪戯っ子のような視線を投げた。
「べ、別に悩みなんか……」
「さすがに名探偵さんだけあって素知らぬ振りはお上手だけど。私、あなたと何年付き合ってると思ってるの?」
「……」
ここで正直に事の顛末を話してしまえば楽になるのは確実だが、そんな事をしたら歩美に「女の子にプレゼントの一つも選べないなんて…!」と責められるのがオチである。何か話題はないものかと周囲を見回したその時、コナンの視界に前方から歩いて来る帝丹高校の生徒の姿が映った。
「そういえば……灰原、お前どうすんだ?」
「どうするって…?」
「高校だよ。このまま帝丹に進むのか?それともどこか他の進学校にするのか?」
我ながらいい話題を見付けたと自己満足するコナンに対し哀の表情が曇る。
「……灰原?」
「博士に世話になっている身としては推薦で帝丹に進学するのが一番なんでしょうけど……」
「なんだ、どっか行きたい所でもあるのか?」
きょとんとした表情のコナンに哀は寂しげに微笑むと、「……何でもないわ。それより今夜のおかず、何にしようかしら」と、さっさと話題を切り替えてしまった。



夕飯を終え、自室へ戻るとコナンはロスに住む両親の家を携帯で呼び出した。ハウスキーパーに取り次いでもらった途端、「新ちゃんの方からこっちに電話して来るなんて……明日は大雨かしら?」という母、有希子の悪戯っ子のような声が耳に飛び込んで来る。
「バーロー、こっちだって好きでかけてんじゃねえよ」
「何よ、可愛くないわね。そんな態度取るんだったら来月の生活費あげないわよ」
「誰が金なんか……」
「あら、仕送りが足りなくて泣きついて来たんじゃないの?」
「悪いけどオレ、父さんや母さんと違って金銭感覚狂ってねえから」
「あ、そ。だったら何の用?」
「その…ちょっと母さんに相談したい事があってさ」
「どうしたの?急に改まって」
「灰原にプレゼント買おうと思ってるんだけど……何にしたらいいか分からなくて困ってんだ」
「何にしたらって……新ちゃん、今まで哀ちゃんにプレゼントあげた事ないの?」
「ある事はあるけど選んだ事はねえんだ。プレゼントする前に毎回請求されてるからな」
「なるほどね〜。でも新ちゃん、昔、蘭ちゃんにプレゼントあげてたじゃない。プレゼント選びで悩むなんて……」
「蘭と灰原じゃハードルの高さが違うだろーが。大体蘭の場合、幼馴染のプレゼント交換の延長線上だったし……」
モゴモゴと口篭るコナンに有希子は「……優作も昔はダメダメだったけど男ってどうしてこういう事に疎いのかしらね〜」と、電話の向こうでハーッと盛大な溜息をつくと、「好きな女の子のプレゼントくらい自分で選びなさい。じゃね」と、さっさと通話を切ってしまった。
「何だよ!自分の愚痴には散々付き合わせるくせに…!」
叫んでも後の祭りで、通話口からはツー、ツーという虚しい音しか返って来ない。コナンは携帯の電源を切ると、深い溜息をついた。



月日は薄情にも過ぎ去り、哀の誕生日は2日後に迫っていた。結局何も買えず、溜息を繰り返していたコナンが、哀が歩美とサッカーグラウンドの隅で会話しているのを耳にしたのは本当に偶然の出来事だった。
「ええっ!哀、中学卒業したら留学するの!?」
「ええ。ドイツに3年間……お金の方は奨学金で何とかなりそうだから……」
哀の口から出た思わぬ『留学』という言葉にコナンは足を止めた。
「そりゃ…哀の頭脳を持ってすればどこだって大歓迎してくれると思うけど……私、高校も五人一緒だと思って楽しみにしてたんだけどなあ」
残念そうに呟く歩美に哀は「ごめんなさい。でも、やらなくちゃいけない事があるから」と、きっぱりと言い切った。
「やらなきゃいけない事…?」
「私と江戸川君の事情は前に話したわよね?」
「うん、あの時は本当、びっくりして最初は声も出なかったけど……逆に哀とコナン君の天才ぶりが納得出来てホッとしたよ」
「でしょうね」
「でもそれが留学とどういう関係があるの?」
「組織にいた時と違って日本で『灰原哀』として生きている以上、義務教育を終えるまでは動けなかったの。私、過去に自分が犯した罪にけじめをつけなくちゃいけないから……」
「けじめ?」
「意図しなかった事とはいえAPTX4869が多くの人の命を奪った事は事実だわ。そして江戸川君の時間と蘭さんとの関係も…ね。でも、あの薬の理論を応用すれば色々な病気の特効薬を開発する事が出来ると思うの。自己満足に過ぎない事は分かってるわ。ただ、それで一人でも多くの人の命を救う事が出来れば……少しは私も赦されるんじゃないかと思って……」
「……」
哀の言葉に歩美はしばらく黙っていたが、「……ねえ、哀、コナン君はこの事知ってるの?」と彼女の瞳を覗き込んだ。哀は黙って首を横に振ると、「言ったら決意が鈍りそうだから……」と寂しそうに微笑んだ。
「それってやっぱりコナン君の事が好きだからでしょ?本当は離れたくないからでしょ?」
「……」
「勉強なら日本に居ても出来るじゃない。もう一度考え直した方がいいよ」
「確かにそうかもしれないわ。でも……」
「でも?」
「……これ以上望むのは贅沢よ。自分がまずすべき事をしないと」
「哀……」
(灰原のヤツ……)
コナンは二人に気付かれないよう静かにその場を離れた。



9月10日、午後7時。賑やかな席が得意ではない哀の事を配慮したのか、彼女の誕生日パーティーは少年探偵団の五人だけで開かれた。場所は米花駅前の小綺麗なイタリアンレストラン。『博士はフサエさんに会いにパリへ行ってるから遠慮はいらない』というコナンの意見は『自宅でパーティーなんか開けば主役である哀が結局あれこれ気を遣う羽目になる』という歩美の主張に却下された。
さすがに年頃の女の子が選んだ店だけあり、雰囲気も味も満足のいくもので楽しい時間が流れて行く。前菜に続きスープ、サラダが運ばれて来ると、歩美が「哀、誕生日おめでとう!これ、私と元太君と光彦君からのプレゼント」と、小さな紙包みを差し出した。
「ありがとう……開けてもいいかしら?」
「もっちろんv」という歩美の笑顔に包みを開くと緋色の皮の腕時計が現れる。
「これ……」
絶句する哀に光彦が「選んだのは歩美ちゃんです。結構いい線いってると思うんですけど、灰原さんの目に敵うかどうか……」と苦笑する。
「そんな事……嬉しいわ、大切に使わせてもらうわね」
「良かった〜、哀、センスいいから自信なくて」
ペロッと舌を出す歩美の脇腹を元太が「やったな、歩美」とからかうように突く。
「けどよお、この携帯が氾濫する時代になんで腕時計なんか……」
「普通の中学生だったコナン君はともかく、話を聞く限り哀が昔、今の私達の年頃だった時ってあんまりいい思い出がないんでしょ?だから今度はとびっきり素敵な思い出をたくさん作ってもらいたいなと思って。一秒一秒時を刻む時計にしたの」
歩美のこの台詞に哀が「……どうやらいつの間にか三人に精神年齢まで抜かれたようね」と、コナンに皮肉めいた視線を投げる。
「うっせーな……」
「ほら、今度はコナン君の番だよ」
歩美の催促にコナンは「その…今回はとりあえずこれで……」と紙袋を取り出した。中から現れたフサエブランドの布製ポーチに哀は「……どうやら私との約束、忘れていなかったようね」と肩をすくめると、「ありがとう。で?残りのつけはいつ頂けるのかしら?」と悪戯っ子のようにクスッと笑う。
「残りって……おめーな、中学生探偵のバイトでいくら貯金が溜まると思ってんだよ?」
「まあそうね。お父さんのカードを使うのは禁止って言ったのは私だし。気長に待たせてもらうわね」
「……」
二人の夫婦漫才に歩美が不満そうに「ちょっと」と立ち上がると、コナンを店の奥へと引っ張って行く。
「何だよ?」
「私のアドバイスを完全スルーするなんて……いい根性してるじゃない」
「別にスルーした訳じゃねえよ。ただ、ここじゃちょっと……な」
「ちょっと何?」
「それは……」
言い淀むコナンを歩美はジトッと睨むと、「……明日、哀の口からどんな話が聞けるか楽しみにしてるから」と、挑戦するような口調で呟き、さっさと席へと戻って行ってしまった。



歩美を送って行くという元太と光彦と別れ、コナンと哀が阿笠邸に辿り着いたのは夜の9時30分を回っていた。
「博士が留守じゃなかったら怒られてたな」
見かけは中学生という事もあり、阿笠は哀が夜出歩く事にあまりいい顔をしない。過保護とも思える愛情に苦笑しながらもコナンも阿笠の心中を思い、彼女を夜遅くまで引っ張り回すのは極力控えていた。
「でしょうね」
キッチンで二人分の珈琲を淹れて来るとカップをテーブルに置く。そんな哀にコナンは「……せっかくの淹れたての珈琲を飲むのが後になっちまうのは申し訳ないんだけどさ」と口を開いた。
「何?」
「その……今年はもう一つお前にプレゼントしたいものがあるんだ」
「もう一つ…?」
「あ、ああ……部屋でちょっと準備して来っから待っててくれないか?」
「え、ええ……」
怪訝そうに首を傾げる哀を残し、コナンが自室へと向かう。が、5分、10分と経っても戻って来る気配はなかった。
(……どうせ読みかけの推理小説にでもはまってるんでしょうけど)
肩をすくめ、二人分のコーヒーカップを片付けようとしたその時、バイオリンで奏でられる聴いた事のあるメロディーに哀は思わず手を止めた。
「この曲…『Amazing Grace』……」
決して上手な演奏ではなかったが、何故か心が癒される優しい音色に目を閉じてソファに深く腰掛ける。心地良さにそのまま寝入ってしまいそうになったその時、バイオリンを手にコナンが戻って来た。
「久しぶりに聴いたわ、この曲」
「ああ、オレも久しぶりに弾いたよ」
「……そういえば誰かさんはバイオリンが弾けるんだったわね」
「ホームズの真似でしょうけど」と毒づく哀にコナンは「うるせー」と返すと、「なあ、灰原」と彼女を正面から見据えた。
「お前が自分の罪を贖罪出来ずに苦しんでる事は分かってる。ずっと重い十字架から逃げずに必死に生きて来た事もな」
「工藤君…?」
「医学が進んだドイツでAPTX4869の理論を応用して新薬を開発したいっていうのは一刻も早く自分の罪を償いたいからなんだろ?」
「……歩美に聞いたのね」
「アイツが言う訳ねーだろ。偶然お前らの会話を聞いちまったんだよ」
「そう……」
「お前の気持ちは充分理解出来るし、お前らしい選択だとも思う。だけど……逃げるなよ」
「え…?」
「人が人として生きている以上、幸せを求めるのは当たり前の事だ。いくら過去に色々あったとは言え、その権利はお前にだってあるはずだろ?だから今の生活から……『灰原哀』という普通の女の人生から逃げるんじゃねーよ」
「でも……」
「人間、生きていれば誰だって多かれ少なかれ過ちは犯すもんだ。だからこそ『赦す』って事も必要なんじゃねえか?大体、APTX4869で起きた被害はほとんどお前の咎じゃねえだろーが」
「……」
コナンは哀の手を握り締めると、「新薬の開発なら大学に入ってからでも遅くねえだろ?他の誰が非難してもオレがおめえを受け止めてやっから。オレの気持ちからも逃げるなよ」と、手にしていた楽譜を彼女に差し出した。
「『Amazing Grace』……赦しの歌だったわね」
哀はコナンから楽譜を受け取り、その胸に抱き締めると、「……工藤君、素敵なプレゼントをありがとう」と、ニッコリ微笑んだ。



「ふうん…その演奏がプレゼントだったって訳かぁ」
学校からの帰り道。行きつけのクレープ屋で大好物のダブルベリークレープを口に頬張ると歩美が感心したように呟いた。
「気障なコナン君らしいね」
「でしょ?」
「……で?哀、ドイツ行きはどうするの?」
「迷いがないって言えば嘘になるけど……とりあえず帝丹高校に進学する事にしたわ。これ以上彼に何度もバイオリンを演奏されるのは敵わないし」
「え?コナン君、歌はともかくバイオリンも音程外すの?」
「音程は合っているんだけどね、癖があるの」
「癖?」
「メロディが変調する時にちょっとだけ間が開くのよね。本人は全く気付いてないみたいなんだけど……」
「分かった!その間が気になってイライラするんでしょ?」
「そうなの。有名な曲だから尚更ね。でも、あんまり気持ち良さそうに演奏してるもんだからさすがに言えなくて……」
「コナン君、プライド高いもん。言わなくて正解だよ」
うんうんと頷く親友に哀は苦笑すると、晴れやかな表情で頭上に広がる青空を見上げた。



あとがき



「コナンが哀にプレゼントを選ぶ」というテーマで書き出したコメディが結果としてこんな形になってしまいました(←いいのか悪いのか) おまけに映画でコナン(新一)がバイオリンを弾く時の癖が明かされなかったので勝手に決めてしまったという@爆
久々に仕上げたリハビリテキストという事でご勘弁下さい。