Perversed Equation



「……それじゃあ緑さん、新婚旅行、気を付けて行って来てね」
「はい。先生、今日は素敵なスピーチをありがとうございました」
深々と頭を下げる花嫁に穏やかに微笑むと妃英理はやって来たエレベーターに乗り込んだ。
一人になった途端、「素敵なスピーチ、か……」と大きく息をつく。溜息の原因はそのスピーチに他ならなかった。披露宴が終わり、列席していた弁護士仲間と挨拶を交わした時、そのうちの数人に「随分シビアなスピーチだったね」と笑われてしまったのだ。五年前、緑の前に勤めていた秘書の披露宴に列席した際、同じような指摘を受けた事もあり、今回こそ及第点のスピーチを心がけていただけにさすがの英理も落ち込まずにはいられない。
(やっぱり夫と別居してる人間が結婚式のスピーチなんてするもんじゃないわね……)
思わず苦笑したその時、エレベーターが一階に到着する。扉が開き、ホテルの玄関へと足を向けた英理はラウンジの隅に立つ女性の後姿に思わず足を止めた。
「有希ちゃん…?」
「えっ…?」
相手は相当驚いたのだろう。大きな瞳を更に大きく見開き茫然とした様子で英理を見つめている。が、それも束の間、「……ヤダ、信じられない!すっごい偶然!」とかつて世界中の男性を虜にしたという人懐っこい笑顔で歩み寄って来た。
「もしかして結婚式の帰り?」
「ええ、事務所の女の子の披露宴がこのホテルで行なわれたから」
「事務所の女の子って栗山さん?」
「ええ。彼がやっと司法試験に合格したからってね。ところでそういうあなたは?」
「……英理ちゃんならいっか。実はね、まだオフレコなんだけど今度優作が中心になって新しいミステリー文学賞を興す事になったの。で、その打ち合わせがここで行われるんだけど……」
「……締め切りを破って缶詰になっている優作さんに代わってあなたが来たって訳ね」
ずばり言い当てる英理に有希子は困ったような笑顔を浮かべると「……もう、英理ちゃんったら相変わらず鋭いんだから」と肩をすくめた。
「打ち合わせ何時から?」
「4時からなんだけど買い物ついでに回ったら早く着きすぎちゃって」
「そうなの。ねえ、立ち話もなんだし喫茶店にでも入らない?久し振りにゆっくりお喋りしましょうよ」
「え…?あ……」
「何?」
「……ううん、なんでもない」
有希子はブンブンと頭を振ると「せっかくだから眺めのいいお店にしよっv」と英理の腕を引っ張った。



カフェは予想以上の混みようで20分ほど待ってやっと席に着く事が出来た。
「私、レモンティーにミルフィーユ。英理ちゃんは?」
「エスプレッソを頂こうかしら」
「かしこまりました」とウェイターが去ると「それにしても……よく私に気付いたわね」と有希子が椅子から身を乗り出した。
「そのくせっ毛とサーモンピンクのブラウスで嫌でも気付くわよ。本当、相変わらず若作りなんだから……」
「いいじゃない、この色、大好きなんだもの」
「優作さんが初めてプレゼントしてくれた薔薇の色なんでしょ?分かってるわよ」
惚気は結構と言わんばかりの英理に有希子はクスッと笑うと「……その様子だと相変わらず小五郎君とは別居してるんだ?」と悪戯っ子のような視線を投げた。
「今更って気がしてね。あの人も何も言わないし……」
「小五郎君の事だもの。きっと照れ臭くて『戻って来い』って言えないのよ」
「そうね、格好つけな男だから」
「格好つけって……そりゃ確かに小五郎君、そういうところあるけど……」
「それに私達夫婦には今の距離がちょうどいいの。着かず離れずのこの距離がね」
「着かず離れずって……ラブラブなくせに二人とも本当、素直じゃないんだから」
コロコロ笑う有希子に英理は「素直……か」と呟くと、目を細め鋭い視線を彼女に投げた。
「な、何……?」
「さっきの反応、伝説の女優にしては随分素直だったなと思って」
「え…?」
「顔に書いてあったわよ。『会いたくない人に会っちゃったなー』って」
「……」
そんな事ないと否定しても無駄な事は百も承知で、有希子はフッと息をつくと「……やっぱり英理ちゃんには敵わないわね」と肩をすくめた。
「新ちゃんから聞いたわ。蘭ちゃんとの事……ごめんなさいね、裏切るような形になっちゃって」
「裏切る?」
「だって……『待っててくれ』なんて言っておいて結局……」
上目遣いに自分を見つめる有希子に英理は思わず苦笑した。
「大袈裟ね。別に二人が婚約していた訳でもあるまいし」
「そうだけど……」
「……仕方ないじゃない?人の気持ちなんて誰にも予測がつくものじゃないんだもの。いくら名探偵であってもね。おまけに新一君はコナン君になって色々苦労したせいか随分成長したみたいだし」
何でもない事のようにサラッと言う英理に有希子は驚きのあまり一瞬言葉を失った。
「英理ちゃん、コナンちゃんが新ちゃんだって気付いてたの……!?」
「最初はまさかと思ったけど小学校一年生にしては推理力も行動力も不自然だったもの。『コナン君=新一君』っていう方程式に辿り着くまでそんなに時間はかからなかったわ」
「じゃ、もしかして小五郎君も……?」
「多分ね。口には出さないけど気付いてるんじゃないかしら?でなきゃあの人があそこまで探偵なんて仕事に子供を連れ歩くはずがないから」
「……言われてみれば確かにそうよね。さっすが英理ちゃん、何もかもお見通しだったんだ〜」
感心したように呟く有希子に英理はコホッと小さく咳払いすると「とにかく……今の新一君には蘭じゃ役不足だって事は私達なりに承知しているわ。だからその事はあまり気にしないでちょうだい」と話を元に戻した。
「役不足だなんて……」
「事実よ。だって新一君の傍にはもう相応しい娘がいるじゃない」
「相応しい娘って……哀ちゃん?」
「ええ。新一君の知的好奇心を満足させるだけでなく彼に劣等感さえ抱かせる相手……蘭とはとても勝負にならないわ」
「英理ちゃん……」
複雑な表情の有希子に英理はフッと大きく息をつくと運ばれて来たばかりのエスプレッソを口に運んだ。
「こんな事を言ったら蘭には怒られるだろうけど……私ね、今回の事、蘭にとってはいい薬だったと思ってるの。親の私が言うのもなんだけど、蘭は本当に心根の優しい、いい娘に育ってくれたと思うわ。でも、あの娘には決定的に欠けているものがあったから」
「欠けているもの?」
「一言で言えばハングリー精神ね。何が何でも手に入れるっていう貪欲さみたいなもの……女がタフに生きていくためには必要不可欠なものよ。もし蘭にそういうものが少しでもあったとしたら新一君との事だって違う結果になっていたでしょうし」
「それは新ちゃんが『待っててくれ』って言ったから……」
「あら、男の『待っててくれ』なんて台詞ほどあてにならないものはないって事くらい有希ちゃんだって分かってるでしょ?そんな言葉を信じて何もしようとしなかった蘭の方が悪いのよ」
「……」
きっぱり言い切る英理にしばし返す言葉を失った様子の有希子だったが、ふいに「ふうん……」と頬杖をつくと彼女の顔をじっと見つめた。
「何?」
「昔っからそうだったけど……英理ちゃんって相手が大切な人であればあるほど厳しいのね」
「そんな事……」
「あるあるv」
満足そうに頷く有希子に英理はフッと苦笑すると「……子供達の話はこれでお終いにしましょ。それより有希ちゃんの近況を聞かせてくれない?」と、話の矛先を変えた。



女同士のお喋りというものは止まるところを知らないもので時刻はあっという間に3時50分を過ぎていた。
「長い時間引き止めちゃってごめんなさいね」
「ううん、すっごく楽しかった!英理ちゃんが時計を見なかったら、私、この後の事なんかすっかり忘れてたものv」
相変わらず無邪気な笑顔でとんでもない事を言う有希子に英理は思わず苦笑した。
「日本にはいつまでいるの?」
「今度の日曜日までかな?NYでテレビの仕事が入ってるからそれ以上は……」
「そう……じゃ、またしばらく会えないわね」
「……」
「有希ちゃん…?」
「私ね、今日はすっごく嬉しかったの。もう英理ちゃんとは昔みたいな付き合いが出来ないんじゃないかって覚悟してたから……」
「……バカね。確かに蘭は私にとって大切な娘よ。でも、私達はあの子達の親である以前に親友でしょう?」
「そうだけど……」
「いくら新一君と上手く行かなかったからってあの娘に私達の関係をとやかく言わせるつもりはなくてよ」
「……英理ちゃんったら。相変わらず男気が強いんだから」
「ええ、でなきゃ弁護士なんて商売やってられないもの」
英理の言葉に今度は有希子が苦笑する。
「それはそうと……お茶代いいの?」
「ええ、誘ったのは私なんだし」
領収書をしまおうと肩にかけたバッグを身体の前に引っ張った瞬間だった。バッグの角が引き出物が入った紙袋に引っ掛かったのか何かが足元に舞い落ちる。慌てて拾い上げようとする英理を制すると有希子が屈み込み、それを拾い上げた。
「綺麗な封筒ね。小五郎君へのラブレター?」
「バカな事言わないでちょうだい。スピーチの原稿よ」
「へぇ〜……英理ちゃん、昔は結婚式のスピーチは全部パスしてたのに」
「デリケートなスピーチは苦手だから本当は断りたいんだけどね。雇用主である以上そんな事は言ってられないし……って、ちょっと、有希ちゃん、勝手に見ないでよ!」
「エヘヘ、もう読んじゃったv」
「もう……」
「なかなかシビアな内容ね〜。さすが法曹界のクイーンって感じ」
「……悪かったわね」
「でも……素敵なスピーチだと思うわよ?」
「え…?」
「妃英理のひねくれた愛情の方程式に当てはめればっていう条件付きだけどねv」
「……それ、誉めてるの?けなしてるの?」
「もっちろん誉めてるに決まってるじゃないv」
有希子の笑顔に英理は「……本当、有希ちゃんには敵わないわね」と呟くとその手から封筒を受け取った。



あとがき



コ哀(新志、新哀もですが)が成立するという事はコナン(新一)と蘭の別れを意味しますが(原作では100%ないだろうけどね@爆笑)、果てさてこの二人が上手くいかなかった場合、有希子ママと英理さんの関係はどうなってしまうのかな?というところから思いついたお話です。年明け第一弾のテキストがこんなシビアな内容ってどうよ?と突っ込みが飛んで来そうですが、思い付いてしまったものは仕方ない(←待て)
個人的に英理さんは冷たいとかそういう次元の問題ではなく、『私以外は私じゃない人』という考え方をするタイプの女性だと思うのですがいかがでしょう?