紅葉 〜小学校2年生11月〜



「あれからもう一年かぁ……」
歩美が思い出したようにそう呟いたのは掃除の時間、コナン達少年探偵団が校庭の枯葉を掃いていた時の事だった。
「『あれから』って?」
「分かりました。博士の初恋の人の暗号をみんなで解いた時の事ですね?」
光彦の回答は正解だったらしく、歩美は「うん」と笑顔を見せると掻き集めた落ち葉の中から大きな銀杏の葉っぱを拾い上げた。
「ねえ哀ちゃん、あれからあの二人、一体どうなってるの?」
「さあ……一応、メールの交換だけは続いてるみたいだけど。逆に言えばそれ以上発展してないって事になるわね」
哀の分析に歩美は「そうなんだ……」と盛大な溜息をつくと「本当、博士もそういう所疎いんだから……」と、意味ありげな視線をコナンに投げた。
「『博士も』って……歩美ちゃん、他にもそんな鈍い男が歩美ちゃんの周囲にいるのか?」
「……」
思い人の自覚ない台詞にすっかり意気消沈してしまった歩美に哀がクスッと微笑むと「でも、あの時の台詞、博士にしては上出来だったんじゃない?」と肩をすくめる。
「オレ、覚えてるぞ。『今でも銀杏は大好きですよ!』ってヤツだろ?」
「金髪を銀杏に例えるなんて博士も憎い所ありますよね」
「ええ。コンプレックスだった髪がたった一言で思い出になるなんて素敵よね」
哀の口から出た『髪』『思い出』という単語にコナンはあの日の出来事を思い出し、ホウキを動かす手を止めた。
(そういえば杯戸シティホテルで奴らとやり合った時、ジンの野郎に見付かったのは灰原の髪が原因だったんだよな……)
なぜ哀の行動があそこまで組織に読まれたのか、そしてなぜ髪の毛一本でジンは哀の存在を確信したのか……当時聞きそびれてしまったその答えが気になって仕方がない。哀とジンが特別な関係だったというなら納得も出来るが、なぜかそれを認めたくない自分にコナンはクソッと頭を掻き毟った。
そんなコナンの様子に驚いたのか歩美が「コナン君…?」と目を丸くする。
「あ……」
「何苛々してんだよ?」
「もしかして素敵な初恋を実らせた博士にやきもちですか?」
「バーロー、んな訳ねーだろ?」
心外な突っ込みにコナンは顔をしかめると「それより掃除なんかさっさと済ませてサッカーでもやろうぜ」と、幼い親友達の興味を別の方向へ促した。



翌日。新たに組織絡みの人物が逮捕されたとあってコナンは再び警視庁の事情聴取に付き合わされた。組織壊滅後、警察が必死に行方を追っていた人物だっただけにその取調べは長時間に渡り、気が付いた時には既に夜の9時を回っていた。
「疲れただろ?家まで送るよ」
高木の申し出は嬉しかったが、さすがに疲れたのか毛利家に戻って子供の振りをする気にはなれない。
「……それじゃあ博士の家へ送って頂けませんか?」
「え?」
「今夜、毛利探偵と蘭は妃先生とディナーへ出掛けているはずなんです。今ボクが帰ったらせっかくの家族団欒の邪魔になってしまいますから……」
咄嗟についた嘘だったが、人の好い高木は全く疑っていない様子で「へぇ……君も色々大変なんだね」と感心したように呟いている。
車のキーを取って来ると言い残し、高木が立ち去るとコナンは携帯を取り出した。毛利探偵事務所をコールすると待ちわびていたように蘭が出る。
「コナン君?こんな時間まで一体どこで何やってるのよ?」
「博士の家だよ。新作ゲームを試して欲しいって頼まれてさ。蘭姉ちゃん、ボク、今夜はこのまま泊まるから」
「あ、ちょっと…!」
半ば強引に通話を切るとコナンはフッと息をついた。



阿笠邸に到着したのはそれから約30分後の事だった。勝手知ったる他人の家とばかりに上がり込み、リビングのドアを開けたものの家主の姿が見当たらない。
「コンビニにでも出掛けてるのか……?」
家の中を探し回る気にもなれずリビングのソファにドカッと身体を沈めた瞬間だった。「……不法侵入」という声に振り返るといつの間にか哀がドアの側で自分を見つめている。風呂上りらしくパジャマ姿で髪も濡れているようだ。
「博士は?」
「知り合いの博士の奥さんが亡くなったそうでお通夜に出掛けたわ。今夜は帰らないんじゃないかしら?」
「え…?」
「急ぎの用だったの?」
「いや、そういう訳じゃ……」
いくら子供の姿とはいえ哀と二人きりの状況で泊まるのは憚られる。こうなっては自宅で寝るしかないと溜息をつくと、疲れているとでも思われたのか哀が「コーヒーでも飲む?」と尋ねて来た。
「へえ……」
「何よ?」
「おめえにしては親切だなと思ってさ」
「誤解しないでくれる?あなたの分はついでよ。要らないって言うなら自分の分だけ淹れるわ」
「要ります、淹れて下さい」
慌てて下手に出るコナンに哀が苦笑する。
「ブラックでいい?」
「いや、出来ればオレの分はカフェ・オレにしてくれねえか?」
「カフェ・オレ?ごめんなさい、牛乳切らせちゃったの。この格好じゃ外に出られないし……」
濡れた髪を肩にかけたタオルで拭く哀の仕草にコナンは思わず「髪……か」と呟いた。
「え…?」
「一つ聞きたいんだけどよ……おめえ、組織にいた頃、ジンと何があったんだよ?」
「な、何よいきなり……」
「アイツのおめえに対する執着は半端じゃなかったからな。大体、詳しい鑑定をしたならともかく髪の毛一本で誰のものか分からねえだろ?普通」
問い詰めるようなコナンの口調に哀が「……本当、探偵って嫌な人種ね」と呆れたと言わんばかりに両手を広げる。
「組織を壊滅させるための情報はすべて提供したつもりよ。それ以上のプライベートな事まであなたに話す必要ないと思うけど?」
「それは……」
「大体、今になってどうしてそんな事聞くのよ?組織は壊滅したんだし、ジンと私の間に何があったとしてもあなたには関係ないじゃない」
「んな事オレだって……」
「分かってるならこれ以上詮索しないで頂戴」
切り捨てるように呟く哀にここは大人しく引いた方が賢明だと頭では分かっていてもなぜか行動が伴わず、コナンは無意識のうちに「……ムカつくんだよ」と呟いていた。
「えっ…?」
「最近、妙にあの時の事が気になって仕方ねえんだ。おまけになぜかムカついてよぉ……」
「工藤君……」
驚いたように自分を見つめる哀に「何なんだろうな、一体」と苦笑するとコナンはソファから立ち上がった。自分の中のモヤモヤした感情を吐き出してしまったせいか少しだけ心が軽くなったようだ。
「おめえに愚痴るなんてらしくねえよな。悪ィ、今の話は忘れてくれ」
「……」
「それより……牛乳ねえなら仕方ねえな。アメリカンで我慢するとすっか。灰原、おめえも飲むだろ?」
「……」
「灰原…?」
すっかり押し黙ってしまった哀に彼女の方に振り返ったコナンは「どうして……」という震えた声に思わず立ち止まった。
「え…?」
「あなたには彼女がいるじゃない。なのに……どうしてそんな期待させるような事を言うのよッ……!」
「……!?」
そのままリビングを飛び出して行ってしまう哀にあっけにとられ、追い駆ける事もかなわずその場に立ち尽くす。
「一体……?」
哀の過去に不用意な詮索をした事に対し彼女が怒るのは理解出来る。しかし、なぜそこに蘭の存在が絡むのかが分からない。
見えない答えに苛々が募り再びソファに身を沈めると、ちょうどニュースの時間らしく今日逮捕された人物の事を報じている。
「次のニュースです」というキャスターの声にチャンネルを変えようとした瞬間、見覚えのある顔にコナンはリモコンを持つ手を止めた。どうやら以前自分が関わった事件の二審判決が出たらしい。
(マジシャンの星河童吾だっけか?確かこの事件の時、服部と和葉ちゃんも一緒だったんだよな……)
何の気なく記憶の糸を手繰り寄せるうち、マジシャンの前で笑顔を見せる和葉に苛々し「何でやろ?」と首を傾げる平次の姿を思い出す。
(服部もガキだよな。あれっくらいの事で嫉妬するなんて……)
思わず苦笑したその時、『嫉妬』という二文字がコナンの中で引っ掛かった。
(オレ、まさかアイツの事……)
同じような状況に嫌でもその可能性に気付かされる。同時に以前は右から左へ否定出来たそれを否定出来なくなっている自分に愕然となった。
蘭の元にあると信じて疑わなかった自分の想いは果たして今どこにあるのだろう……?
(探偵のくせに自分の事が分からねえなんて……情けねえな)
コナンはフッと苦笑するとソファに横になり瞳を閉じた。



キッチンから漂って来る美味しそうな匂いに覚醒を促される。
(朝か……)
そろそろ起きないと蘭の怒鳴り声が聞こえて来ると分かってはいるものの、心地良いまどろみから抜け出す事が出来ずにいたコナンは「目が覚めた?」という声にハッとなった。慌てて起き上がると哀が呆れたように自分を見つめている。
「あ……」
「こんな所で布団も被らずに寝るなんて……あなた、風邪でもひきたいの?」
気が付けばいつの間にか毛布が身体に掛けられている。
「お前が掛けてくれたのか?」
「他に誰がいるって言うのよ?」
「……だよな。悪かったな、面倒かけちまって……」
「博士には内緒にしておいて欲しいものね。自分の留守にあなたが泊ったなんて言ったら黙っていないでしょうから」
「あ、ああ……」
「朝食、準備出来てるわ。キッチンへ来て」
それだけ言うと哀はさっさと身を翻してしまう。いつもと変わらない彼女の口調に昨夜の出来事が夢のように感じられ、コナンは思わず哀を呼び止めた。
「な、なあ、灰原」
「何?」
「その……」
「……?」
自分を真っ直ぐ見つめる哀に話を蒸し返すのも憚られ、コナンは「……いや、何でもない」と呟くとソファから立ち上がった。
キッチンへ移動し、向かい合ってテーブルを囲むものの二人揃って黙々と箸を進める。元々哀との間にそんなに会話がある訳ではなかったが、いつもは心地良いとさえ感じる沈黙が重く感じられて仕方ない。
思わず溜息をついたその時、テーブルの上に飾られた小さな写真立てがコナンの注意を引き付けた。
「へぇ……フサエさんの写真を飾るなんて博士も隅におけねえな」
「今頃気付いたの?」
コナンの言葉に哀が呆れたように呟くと「ま、写真って言っても雑誌の切り抜きだけどね」と肩をすくめる。
「雑誌?」
「『フサエさんのインタビューが載ってたから』って博士が買って来たの。『フサエブランドが銀杏に拘るその理由』って見出しだったかしら?」
「……」
思い出すように呟く哀にコナンは一昨日、校庭の枯葉を掃いていた時の探偵団の会話を思い出した。
「フサエさんか……あの人が銀杏なら灰原、おめえは紅葉だな」
「え…?」
「髪だよ、髪。おめえのその赤みがかった茶髪の事さ」
「……いくら名言とはいえ二番煎じはどうかと思うけど?」
「二番煎じって……」
「ま、血に例えられなかっただけ良しとするべきかしら?」
「……」
次々並べられるもっともな意見に反論出来ず、黙って食事を口に運んでいたコナンは「でも……お陰で新しい思い出が出来たわね」という哀の苦笑に箸を動かす手を止めた。
「新しい思い出…?」
「ええ。私自身、自分の髪にはいい思い出がなかったから……ジンに見付かった事も含めてね。正直、何度黒く染めようと思ったか分からないわ。でも……」
「染められなかったのはその髪が母さん譲りだからだろ?」
「気付いてたの?」
「まあな」
コナンの反応に哀が驚いたように目を瞬く。
「……何だよ?」
「珍しい事もあるのね。今日の午後は大雨かしら?」
「あん?」
「あなたの事だからてっきり『オレを誰だと思ってんだよ?』っていう自信満々な台詞が返って来ると思ったのに……」
「バーロー、今のオレがそこまで自信過剰になれるはずねえだろ?」
「『今のオレ』って……何かあったの?」
「あ……」
彼女への見えかけた想いを口にする勇気は持てず、コナンは「……いや、こっちの話」とだけ呟くとテーブルの上の料理に再び箸を進めた。



あとがき



「フサエさんが銀杏なら〜」という台詞から思いついたお話ですが、今までで一番難産でした。当初は「哀がジンに追われる悪夢にうなされ、髪を黒くするかどうか迷っているところを探偵団orコナンに励まされる」という内容で、脱稿までしていたのですが、「なーんかどっかで読んだ事あるような話になっちゃうな」という思いを拭い切れず、全面破棄を決行。結果、完成がすっかり冬にずれ込んでしまったという@爆
実力もないのにプロット変更なんてやっちゃいけませんね……