もしもあなたがいなければ……私は今、どんな人生を歩んでいたかしら?



ever after 〜高校3年生3月〜



コンコンッとドアを叩く音がして哀はキーボードを操作していた手を止めた。
「……哀君、ちょっといいかの?」
ドアが開き、現れたのはこの家の主、阿笠だった。
「博士ったら……あんまりフサエさん、放っておいちゃダメじゃない。忙しいスケジュールを割いてわざわざ来日してくれたのに……」
「まあそうなんじゃが……君がこの部屋で過ごすのも後わずかじゃからのう」
「大袈裟ね、遠くへ行く訳でもあるまいし」
哀は思わず苦笑する。
コナンとの結婚式まであと2日。とは言っても籍はコナンの18歳の誕生日に入っているし、式自体はコナンの両親である工藤夫妻、阿笠、フサエ、服部平次・和葉夫妻、歩美、元太、光彦を交えたガーデンレストランでの人前式だから準備にさほど手間がかかった訳ではない。しかし、久しぶりに帰国した工藤夫妻とディナーへ出かけたり、阿笠と有希子の強い要望により急遽ウェディングドレスが製作される事になったり、と、何かと時間が潰れてしまっていた。更に推薦で大学入学を決め、探偵業を本格化させたコナンの生活は食事以外は新居となる工藤邸へすでに移っていたものの、哀の身の回りの品を移す作業がここ3日ほど続いており、阿笠とゆっくり話をする時間がなかったのは事実だった。
「……ん?何をしておるんじゃ?」
阿笠が首を傾げると哀の傍へ近寄って来る。
「写真の整理よ。思ったよりたくさんあって……色々思い出しちゃうものね、つい手が止まって作業がなかなか進まないの」
「おお、懐かしいのう!」
阿笠も思わずパソコンの画面に見入ってしまう。
年中行事や学校行事といったお決まりの物もあれば、コナンと哀の今日までの心の揺れや、少年探偵団との友情を写した物もある。
「……ありがとう、博士」
「ん?」
「もし博士に出会わなかったら……ここに写っている思い出はすべてなかったわ。生きていたかどうかさえ分からない……生きていたとしても組織は潰れたし……一体どうなっていたか……」
哀の言葉を阿笠は黙って聞いている。
「お礼を言わなくちゃいけないのは博士だけじゃないわよね。歩美や小嶋君、円谷君、フサエさん……そして誰より……彼に……運命から逃げずに生きてこられたのも、生きる希望を取り戻せたのも彼のお陰だから……」
「確かに……人に感謝する気持ちは大切じゃ。じゃがのう哀君、人は誰も一人では生きていけない生き物ではないかの?わしだって君がこの家に来てくれたお陰でこの約十年、とても楽しい思いをさせてもらった。独身で一人暮らしのままじゃったらおそらくただの寂しい老人になっていた事じゃろう。何より……フサエさんとずっと交流があったのは君のお陰じゃ」
「えっ…?」
「男のわしではやはり女の子の事は分からんからのう。節目節目でフサエさんに協力してもらっておったんじゃ。じゃが、それが逆にわしとフサエさんの絆を今日まで支えてくれておった」
「……」
「歩美君達だって君との出会いで何かを得たじゃろう。そして何より……新一君にとって君との出会いは救いだったはずじゃ」
「救い…?」
思いがけない台詞に哀が目を丸くすると阿笠は穏やかに微笑んだ。
「本人は自覚しておらんかったじゃろうがあれだけの頭脳を持つ彼じゃ。幼い頃から周囲の同年齢の子達と話しておっても退屈じゃったに違いない。可哀想じゃが……蘭君も含めてのう」
「……」
蘭の名前が出て来るとやはりどうしても複雑な思いが隠せず、哀は押し黙ったまま阿笠の言葉を聞いていた。
「人が一番分からんのは自分の事じゃ。それは名探偵と言われる新一君でも同じだったようじゃの。じゃが君と出会い、脳細胞が刺激される生活が彼にとっていつの間にか当たり前になってしまった。そして、あの組織との戦いの中で君の命が危険にさらされる度、さすがの新一君も自分の気持ちに少しずつ気付いていったんじゃろう。自分にとってかけがえのない存在が哀君、君である事にのう」
「……」
「もしかしたら哀君、君も新一君と同じような気持ちを抱いておったのではないかの?」
確かに哀自身、宮野志保だった時は対等に話せる同世代の友人がおらず寂しい思いをしていた。コナンに出会い、周囲から見たら嫌味の応酬のような会話に刺激され、それと同時に少しずつ頑なな心を開けるようになっていった。ジンに殺されそうになる夢を見る度に一番守りたいと思った彼、そして気付いた己の想い……
「人は支え合って生きておるんじゃよ。『もしもこの人に会わなかったら』と思える相手がいるという事は幸せな事じゃ」
「そうね……」
長い人生とは言え出会いの数は限られている。そして出会ったとしてもそれが上手く活きるためには運やタイミングが重要な鍵である事は否定出来ない。あの日、あの時、あの場所でコナンに出会えた事に哀は感謝せずにいられなかった。
「ただ……これは老人からのアドバイスだと思って聞いてくれればいいんじゃが……新一君に礼を言うなら金婚式を迎えた頃にしなさい」
「え?」
「自信家の彼の事じゃ。哀君が素直に礼など言ったもんなら調子にのるわい」
「確かに…ね」
生まれた時からの隣人の鋭い読みに哀がクスッと笑った時だった。
「おーい、哀」
声が聞こえると同時に部屋のドアが開くとコナンが現れた。噂の主の登場に哀と阿笠は思わず顔を見合わせ吹き出してしまう。
「な、何だよ、人の顔を見るなり二人して……」
「何でもないわ。それよりどうしたの?」
「おめえを呼びに来たんだ。ドレスの仮縫いが出来たらしくてよ、『早速、哀ちゃんに試着してもらいましょv』って母さんが張り切っててさ」
「そう、今行くわ」
「お……懐かしい写真だな」
コナンがパソコンの画面を覗き込む。
「あなたが私にくれた一番の宝物よ」
「オレが?」
「ええ」
訝しげな表情のコナンにクスッと微笑むと哀はパソコンをシャットダウンし、部屋を後にした。



あとがき



「ever after」といえば某局ドラマ「ウェディングプランナー」の挿入歌でした。そんな訳でサブタイトル「もしもあなたがいなければ」から思いつき書いたお話です。お題50番目という事もあり、コナンと哀の一つの節目を書けたら、と思い書き出したのですが、人生を悟ったような博士の台詞に苦戦しました。自分がまだ人生全然悟っていないせいだろうな@爆