万華鏡 〜中学1年生4月〜



その日、米花町のスーパーで特売がなければおそらくそんな偶然はなかっただろう。
「哀ちゃん……?」
ふいに背後から名前を呼ばれ、振り向いた哀の目に毛利蘭の姿が映った。
以前ほどの長さではないものの、美しいストレートの黒髪にスレンダーな身体、そして向日葵のような笑顔。出会った当初やコナンが彼女に別れを告げた直後ほど抵抗は感じないものの、哀にとって苦手な相手には違いなかった。
そうは言っても同じ町内に住んでいれば時々顔を合わせる事もあり素知らぬ振りは出来ない。哀は感情を押し殺した声で「……こんにちは」とだけ言うと頭を下げた。
そんな彼女のぎこちない態度に無邪気な蘭は気付いていない様子だ。
「本当、すっかり綺麗になっちゃって……博士が心配する訳ね」
ニッコリ笑うと傍へ寄って来る。
「え…?」
「この前、お父さん達とディナーへ行ったレストランで偶然会ったの。その時色々聞かせてくれたから」
「そう……ですか」
そういえば一週間ほど前、来日したフサエと行ったレストランで毛利親子と会ったと阿笠が話していたような気がする。夕食の支度をしながらだった事もあり、半分聞き流していたせいかすっかり忘れていた。
「ねえ、時間ある?」
「え?」
「久し振りに哀ちゃんとゆっくり話したいなと思って。コナン君や歩美ちゃん達の最近の様子も知りたいし」
拒否する理由もなく哀は黙って頷くと蘭とともに歩き出した。



蘭に案内された喫茶店は大通りから少し奥に入ったところに建つ小さな店だった。オープンしたばかりなのか、店の片隅に『祝・開店』と書かれたカード付きの花束がいくつか見受けられる。下校途中に歩美に付き合う事はあるものの、スーパー以外ほとんど立ち寄る事などない哀が知らないのも無理はなかった。
ウェイトレスにオーダーを告げると蘭が早速「中学校はどう?楽しい?」と尋ねて来る。
「そう……ですね」
「他の小学校から来た子もいるから新鮮でしょ?新しい友達は出来た?」
「ええ、まあ……」
「部活は何をやってるの?」
「サッカー部のマネージャーを……」
哀としては中学校に入学したら帰宅部に切り替えるつもりだった。コナンのサッカーの実力はすでにプロからも注目を浴びているせいか都内では有名になりつつある。わざわざ自分が名乗り出なくてもマネージャー希望者は殺到するだろうと思っていたし、実際その通りだった。しかし「やってくれるよな?」と、さも当たり前のように言われ、結局続ける事になってしまったのである。
「そっか、相変わらずコナン君と仲いいんだ」
「仲いいって言うか……同居人ですから……」
「あら?哀ちゃん、コナン君の事、そういう対象として見てあげてないの?」
可笑しそうに笑う蘭だったが、ふいに「もっとも……私も中学の頃はアイツの事、そんなふうには見てなかったけど……」と言葉を切った。
「……蘭お姉さん?」
「あ……ごめんね、ちょっと新一の事思い出しちゃって……」
「……」
コナンが蘭に別れを告げてから4年の歳月が流れようとしているせいか、彼女が『工藤新一』の名前を口にしても以前のような悲しい表情を見せる事はなくなっていた。が、哀の方はやはり蘭がその名を出す度に胸が苦しくなってしまう。
「……っと、いつまでもアイツの事なんか気にしてちゃダメだよね」
蘭は気を取り直すようにニッコリ微笑むと「実はね……私、結婚する事になったの」と頬を赤くした。
「え…?」
「新出先生と来年の6月に。結婚式、哀ちゃんも出席してくれるよね?」
「は、はい……」
反射的に肯定の返事を口にした哀は慌てて「おめでとうございます」と付け加えた。
「ありがとう」
その時、「……お待たせいたしました」と声がしたかと思うとウェイトレスがオーダーした紅茶とケーキを運んできた。
「ここのケーキ、なかなか美味しいのよ」
蘭が早速シフォンケーキをフォークで一口サイズに切ると口に運ぶ。
「新出先生、シフォンケーキが好きでね、そのせいか私も最近はもっぱらシフォンケーキなの。前は決まってレモンパイだったのにね」
「……」
「今だから話せるけど……私、新一に振られた直後は人間不信になっちゃってね、もう誰も信用出来ない!って殻に閉じこもってた時期もあったの。でも……人の心は万華鏡みたいなものよってお母さんに言われて……やっと立ち直る事が出来たわ」
「万華鏡…?」
「万華鏡ってその名の通り同じ模様にはならないでしょ?人の心も同じだわ。人間関係や環境によって変わって当然なのよね。なのに私、新一に変わらない事を求め続けてた……本当……子供だったわ……」
「……」
「医者という新出先生の職業柄かしら、彼と付き合い始めてから色んな事情を持つ人達と知り合う機会が増えたわ。好きな男の子がいるのに別の男の子が頻繁にお見舞いに来てくれた事でその子を好きになっちゃった女子高生とか、足を切断する事になって本当は好きなのに彼女の幸せを考えて婚約解消を決心した男の人とか……そんな人達の話を聞いてるうちに人間の心って変わるんだなってつくづく実感したの」
「……」
「本当、新出先生のおかげで私も少しは大人になれた気がする……って、ヤダ、最後は何かのろけ話になっちゃった。ごめんね」
「いえ……」
「それより歩美ちゃん達は元気?」
蘭の複雑な胸中の方が気になったが中学生の姿の自分が立ち入るのも不自然だろう。
哀は紅茶のカップを口に運ぶと「歩美も後の二人も相変わらずですけど……」と会話の流れに身を任せた。



「……何かあったのか?」
夕食の片付けを終えた哀が自室でパソコンのモニターに向かっているとコナンが話しかけて来た。
「別に……蘭さんと偶然会ってお茶しただけよ」
「蘭と?」
「新出先生と結婚が決まったんですって」
「……そっか」
「……ホッとした?」
「ああ……アイツには幸せになって欲しいとずっと思ってたからな」
「やっぱり……気になってたのね」
「そりゃまあ……色々あったしよ」
「……」
「……で?」
「え…?」
「誤魔化すなよ。蘭と会ったくらいでオメーがそんなに難しい顔して考え込む訳ねーだろ?」
「……本当、あなたって人の心を見透かすわね」
「バーロー、オレは探偵だぜ?」
拗ねたような表情を見せるコナンに哀はフッと一息つくと「……人の心は万華鏡と同じだって言ってたわ」と呟いた。
「万華鏡…?」
「それって私達の間にも言える事じゃないかなって考えたら不安になっちゃって……今の幸せな生活にすっかり溺れてる自分を反省してたの」
「……?」
「そんな事分かってたはずなのに……一度幸せを噛み締めちゃうとダメね。臆病になっちゃったみたい……」
最初は合点がいかないと言いたげに首を傾げたコナンだったが、「……オメーだけじゃねえよ」と呟くと哀の手近にある椅子に腰を下ろし、彼女の手をそっと握りしめた。
「オレだって不安になるさ。いつかオメーが事件ばっかにかまけてる男なんか見切っちまうんじゃねえかってな。半ば強引にサッカー部のマネージャーを押し付けたのだって少しでも一緒にいる時間が欲しかったからだし……」
「工藤…君……」
「博士とフサエさんみたいにずっと変わらない関係でいられる場合もあるが……そんな事は稀だよな」
「……そうね」
「けど……人間の心がまったく変わらないものだったらつまんねえとも思うんだ。実際、オレとオメーだって初対面の時のままだったら未だに敵同士だっただろうし……」
「……」
「それに……」
「え…?」
「探偵なんて人種……要らなくなっちまうだろ?」
悪戯っ子のように笑うコナンに哀は思わず苦笑した。
「……本当、あなたって根っからの探偵なのね」
「まあな。けど、どんなに優秀な探偵でも未来の事は推理出来ねえよ。唯一はっきり言えるのは今のオレにとってオメーはかけがえのない存在って事だ。それじゃ……ダメか?」
「充分よ。私だっていくら可能でも心変わりしなくなる薬なんて作りたくないもの」
「……オメーなら作れそうな気がするから怖いな」
「そう?」
哀はクスッと笑うとコナンの肩に頭を預けた。



あとがき



「心変わり」はすべてが是でもなければ非でもないと思います。なのでコナンと哀にも結論めいた事は言わせていません。
当初の原稿は私が万華鏡を「一回転したら同じ模様になるもの」と思い込んでいたため、台詞が違っていました。改稿しましたが話の内容は変わっていませんのであしからず^^;)博識な絢女姐さんには頭が下がりっぱなしです@汗
ちなみに私は「人の心は変わるからこそ救われる」と思っていますがいかがでしょう?