シリウス 〜小学4年生11月〜



「ホームパーティー……ですか?」
有希子の突然の誘いに哀は戸惑いを隠せなかった。
「ええ、独身時代に私がお世話になった人達が集る事になったんだけど哀ちゃんにも是非来て欲しいと思って。明日の夜って空いてる?」
「空いてはいますけど……」
工藤君はともかくどうして私まで……?という台詞は有希子の「良かった〜!」という歓喜の声に遮られる。
「何分急な話だし、明日は金曜日だから新ちゃんとデートの約束でもしてるかと思って声掛けるの迷ったんだけど……ウフ、私ってやっぱりついてるわv」
「あ、あの……」
「場所は家のリビングだしドレスコードの指定もないから気楽に来てね。6時からだからよろしくv」
断ろうとする哀の言葉を遮るように用件だけ伝えると有希子はさっさと電話を切ってしまった。
「……どうかしたのか?」
黙って受話器を戻す哀にコナンが声をかけて来る。
「明日のホームパーティー、私も誘われたの」
「ああ、何かやるって言ってたな」
「……驚かないのね?」
「母さんが何か企んでる事くらい第一声を聞いた時から簡単に予想出来たからな。ま、たまには気付かない振りをしてやるのもおもしろいかと思ってさ」
「……」
「心配すんなって、あんまり無理難題言うようなら断っちまえばいいんだからよ」
出来ればパーティー自体欠席したかったが、コナンにその気はないようで哀は思わず溜息をついた。



翌日午後5時50分。
工藤邸のリビングには芸能界関係者と思われる人物が8名ほど集っていた。
「……で?ここにいる人にオレの事は何て紹介してあるんだ?」
ニッコリ笑って近付いて来る有希子にコナンは小声で囁いた。
「心配しなくてもいつも通り『祖父の兄の娘のイトコの叔父の孫にあたる子』って言ってあるわよ」
「あ、そ……」
しかし、その場に集った人間の関心はコナンではなく哀の方に向かっているようだ。
「お、有希子ちゃん、その子かい?」
「ええ、私の若い頃みたいで可愛いでしょv」
「息子の新一君の彼女って訳じゃないのが残念ってところかな?」
「まあねえ、でもあの子にはもうそっちの方は期待してないから。向こうで好き勝手に事件を追わせるつもり」
極上の笑みでさらりと言う母親にコナンは思わず苦笑した。
「それじゃ……早速準備しようか?」
「そうね、酔いが回っちゃう前に撮っておいた方が賢明だし」
「おい、母さん、準備って何だよ?それに『撮る』って……」
話が見えないと抗議する息子に「ナ・イ・ショv」とだけ言うと、哀に「ちょっといい?」とウインクする。
「私……ですか?」
「ええ、ちょっとお願いがあってね」
無下に断る事も出来ず、黙って頷くと哀は有希子とともにリビングを後にした。



案内された部屋は工藤夫妻の寝室の隣の部屋だった。
「あの……」
困惑する哀に有希子は黙って微笑むとクローゼットから一枚の服を引っ張り出す。まるで人形に着せるようなレースとフリルとリボンで彩られた可愛らしい淡い藤色のワンピースドレスだった。
「この服、私が女優としてデビューする前、モデルの仕事をしていた時に着た物なの。その仕事が縁で今日ここに来ている人達と知り合って女優の仕事がもらえるようになったっていう……ちょっとした記念の服ってところかしら」
「……」
有希子の意図が読めず哀は黙って話の続きを待った。
「実はね、再来週の金曜日、私のデビュー25周年なの。ある雑誌で特集が組まれる事になってインタビューも兼ねて古くからの知り合いに集ってもらったんだけど……やっぱり私のデビューにはこの服は欠かせないから是非写真に収めたくてね。ただ、当時の写真はさすがに残ってないし、かと言って今の私にはとても着られないでしょ?で、あなたに着てもらおうかな、と思った訳v」
「私がこのドレスを……?」
「正直、あなたの好みとは正反対の服だと思うわ。でも、フサエブランドの服をあれだけ着こなすあなたですもの、きっと素敵だと思うんだけど……やっぱりダメ?」
「……」
しばし哀は無言でそのドレスを見つめた。



「やっぱり私の目に狂いはなかったわねv」
「……」
満足げに微笑む有希子とは対象的に鏡に映った別人のような自分が恥ずかしく哀は思わず言葉を失った。そんな哀の心に気付いているのかいないのか有希子が「こんな形で夢が叶うなんてね」と嬉しそうに呟く。
「夢…?」
「優作や新ちゃんには内緒だけど……私、本当は女の子も欲しかったの。でね、いつかこの服を着せるのが夢だったわ」
「それなら……」
哀の言おうとする言葉は有希子に先回りされた。
「英理ちゃんの手前、蘭ちゃんに着てもらう訳にはいかないじゃない?やっぱり母親って自分の娘には特別な想いがあるし……」
「……」
「ウフ、新ちゃん、あなたのこの姿にきっと惚れ直すわよv」
有希子は悪戯っ子のような笑みを浮かべると「じゃあ、みんなが待ってるから行きましょ」と哀の肩に優しく手を回した。



撮影は順調に終わり、哀もドレスから開放された。着替えを済ませて戻るとリビングの片隅のテーブルで有希子と今回の企画の立案者と思われる女性編集者が何やら真剣に話し合っている。
「やっぱり『スター』だから『伝説の星』でいいんじゃないの?」
「う〜ん、なんかいまいちピンと来ないなあ……有希子ちゃんの明るさを伝えるには『太陽』くらい明るい表現じゃないと……」
女性編集者が渋い顔で考え込む。
「でも『伝説の太陽 藤峰有希子』っておかしくない?」
「そうだよね……何かいい案ないかしら?」
「……どうかしたの?」
退屈そうに眺めるコナンに哀は話しかけた。
「特集のキャッチコピーが決まらないみてえだな。ま、オレ達には関係ない話だけど」
「ちょっと、新……じゃなかった、コナンちゃんも少しは考えてくれたっていいじゃない」
「そんなに悩まなくてもいいんじゃねえか?所詮、今は口うるさいただのオバサンなんだからさ」
「『ただのオバサン』はないでしょ?この美人に向かって」
「あの……」
仲良く親子漫才するコナンと有希子に遠慮がちに口を挟んだのは哀だった。
「『シリウス』はいかがですか?」
「え…?」
「大犬座のα星です。『太陽以外では最も明るい』とよく言われますが絶対等級で言ったら1.4等級……全天で最も明るい恒星です」
「『伝説のシリウス』か……有希子ちゃん、いいんじゃない?」
女性編集者が嬉々とした様子でペンを走らせる。
「何だか……さすがに恥ずかしい気もするけど……」
一瞬、躊躇った様子の有希子だったが「そうね、それっくらいの方が私らしいわよね」とニッコリ微笑んだ。
「ありがとう、哀ちゃん」
「いえ……」
「モデル兼コピーライターのお嬢さん、本が出来たら送るから楽しみにしててね」
「ありがとうございます」
哀は女性編集者に頭を下げるとリビングを出て行ってしまう。
「お、おい、灰原!」
コナンは慌てて彼女を追いかけた。



「……夕飯、何にしよっか?」
階段に一人腰掛ける哀にコナンは優しく声をかけた。
「どうせ博士は留守だし帰って適当に食おうぜ」
「『帰って』って……まだパーティー始まったばかりじゃない?」
「無理すんなよ。おめえがこういう席苦手なのは分かってるから……悪かったな、ちょっと親孝行したくてさ」
「え…?」
「一昨日、母さんがあのドレスを大切そうにクローゼットから出してるところ偶然見ちまって……何となくピンときて今日のパーティー出席する事にしたんだ。まさか雑誌のインタビューとは思わなかったけどな。オレにはあの役は出来なかったし……感謝してる」
「工藤君……?」
「母さんが女の子欲しかった事くらい知ってるさ。昔、オレがおめえに変装した時、滅茶苦茶嬉しそうだったしな」
「……本当、あなたって人の心を見透かす人ね」
「バーロー、オレは探偵だぜ?」
コナンは苦笑すると哀を玄関へ促した。
外へ出ると南の空にシリウスが輝くのが見える。
「シリウスってギリシア語のセイリオスからきたんだったよな?確か意味は『輝くもの、焼き焦がすもの』……」
「ええ、それがどうかした?」
「オレ、母さんの女優時代をリアルタイムで知ってる訳じゃねえけど当時の人気ぶりは凄かったみてえだし……伝説の女優を表現するにはぴったりだと思ってさ。よく思い付いたな。コピーライターの才能あるんじゃねえか?」
「才能なんかないわ。今でも南天に輝くシリウスを見る度に思い出すだけの話だから」
「思い出すって……何を?」
「さあ、何かしら?」
暗闇の中にいた頃の私にとってあなたはシリウスのような存在だったから……心の中でそう呟くと哀はクスッと笑った。



後日。送付されてきた雑誌の表紙には青い文字で『伝説のシリウス 藤峰有希子』と書かれていた。発売されるや否やマスコミで話題となり、なかでも哀に関する問い合わせが集中した。しかし、この件に関しては有希子との約束で哀のプライベートは明かさない事になっていたので、せいぜい帝丹小で注目を浴びる程度で済んだ。
二人が一番手こずったのは「哀君のドレス姿、わしも生で見たかったのう……」と嘆き、「もう一度着てみてくれんかのう」と懇願する阿笠をなだめる事に他ならなかったのである。



あとがき



コミックス42巻「雨中の刻印」で哀に変装したコナンを見つめる有希子ママを見ていて思いついたお話しです。有希子ママって絶対女の子が欲しかったと思うんですよね。
せっかくなので普段の哀だったら絶対着ないであろうフリフリのドレスを取り上げてみました。ちなみに有希子ママのデビューが15歳で、女優以前にモデルをやっていたという設定は原作にはないオリジナル設定です。