哀しい色……そう、太陽の断末魔 夕日 〜小学2年生8月〜 夏休みを満喫する学生達にとって8月も半ばを過ぎるとそろそろ山のような宿題を片付けねば……という問題が現実味を帯びて来る。 「哀ちゃん、一緒に宿題やらない?」 そんな台詞とともに吉田歩美が阿笠邸に押しかけて来たのは8月も25日を過ぎようかという頃だった。 「一緒にって……」 哀が困惑するのも無理はない。小学校2年生レベルの宿題など7月の終わり頃にはとっくに済ませ、8月に入ってからはAPTX4869の解毒剤の研究に没頭していたからである。 コナンによるとこの長い休みのお陰で組織をかなり追い詰める事が出来たようだ。 解毒剤の研究は組織を潰し、データを手に入れてからでいいとは言われたものの、薬の開発者であり彼から『工藤新一』を奪った哀としては何もしないままではいられなかったのである。 「まさか哀ちゃん、もうほとんど終わっちゃったとか?」 「え、ええ……残っているのは日記と自由研究一つくらい……かしら?」 「すっごーい!!」 コナンと哀の事情など知る由もない歩美は無邪気に目を丸くしている。 「歩美もね、今年は早めに全部終わらせようと思ってたんだ。去年の8月の終わり頃はとっても辛い思いしたから……でも、やろうと思うと『仮面ヤイバー』が始まる時間になっちゃったり、急に友達から電話がかかってきたりして……」 自分でも言い訳だと分かっているのだろう。歩美の声は段々小さくなっていく。 その様子に暑い中わざわざ訪ねて来た彼女をこのまま追い返すのも忍びない気がしてきた。 「だったらここでやっていけば?少なくともあなたの家より誘惑は少ないはずよ」 哀の言葉に歩美の顔がパッと明るくなる。 「いいの?」 「ええ、私は自由研究用に買ってきた本でも読む事にするわ」 「本当?じゃ、分からないところがあったら教えてね!」 相変わらずちゃっかりしている歩美に哀は思わず苦笑した。 「……ったく、この暑さ何とかならねえのかよ」 コナンが阿笠邸にやって来たのは、ちょうど午後三時を回ろうとする時間だった。 「……名探偵さんは鼻も利くようね」 「あん?」 「ちょうどお茶にしようと思ってたところに現れるなんて」 「べ、別に狙って来た訳じゃねーよ、追跡眼鏡のバッテリーが切れちまったから……」 「おあいにく様、博士は留守よ。出直して頂戴」 「出直せって……ここで待っててもいいじゃねーか」 「今……吉田さんが来てるのよ」 「別に歩美がいたって構わねえよ、どうせ充電はリビングではやらねえしな。邪魔するぜ」 「ちょ、ちょっと……」 コナンは止めようとする哀を無視して勝手知ったるといった様子でどんどん上がって行ってしまう。 「本当……分かってないんだから」 おそらくコナンの顔を見れば歩美は宿題そっちのけ状態になってしまうだろう。歩美の想いには気づいているものの色恋沙汰に鈍いコナンにそれ以上考えろというのは無理な注文だった。 「あ、コナン君!」 案の定、リビングから歩美の嬉しそうな声が聞こえてくる。 哀は一番の誘惑がやって来る可能性を想像出来なかった自分を恨めしく思う事しか出来なかった。 結局、午後六時すぎに阿笠が帰宅しコナンがリビングを出て行くまで歩美の宿題は一歩も進まなかった。 「そろそろ帰らないと……あ〜あ、宿題、ほとんど出来なかったなあ。でも、コナン君や哀ちゃんとゆっくりお喋り出来て楽しかった!」 歩美はにっこり笑うと持ってきた宿題の束を一つにまとめ玄関へ向かった。 ドアを開けた瞬間、夕日が二人を赤く染める。 「うわ〜、きれいな夕焼け!明日もいいお天気だね、きっと」 「そうね……」 世界を血に染めるこの哀しい色を見る度、果たして組織を壊滅させ、幸せな未来を掴める日が来るのか不安になる哀としては曖昧に返答する事しか出来なかった。無邪気な子供相手にさすがに『太陽の断末魔みたいで好きじゃないわ』とは言えない。 ところが歩美の口から出た言葉は哀の予想外のものだった。 「……でも、歩美は夕日って嫌い」 「え?」 幼い親友が漏らした一言に哀は驚き、彼女の方に振り返った。 「だって……暗くなるから早く家に帰りなさいって言ってるみたいでしょ?歩美にとって夕日の色は楽しい時間とさよならしなくちゃいけない悲しい色なの」 「吉田さん……」 あまりに自分とは異なる『かなしい』に哀は思わず苦笑した。その様子に歩美が首を傾げる。 「歩美……何か変な事言った?」 「言ってないわよ。あなたの『かなしい』は私の『かなしい』と違ってとても愛らしいから……ちょっと羨ましいなって思っただけ」 「……ひょっとして、哀ちゃんも夕日の色って嫌い?」 「嫌いっていうか……そうね、『好きじゃない』っていうのが適切かしら?」 「そっかあ……良かった!」 「え…?」 「歩美のお母さんは夕日の色、好きって言うから……歩美って変わってるのかなって思っちゃって……でも、哀ちゃんも好きじゃないって聞いてホッとしたの」 同じものを見ても人によって感じ方は様々だという事は大人なら当たり前のように理解していても幼い歩美にとっては難しく、むしろ周囲の人間と異なる思いを抱く自分に不安を抱いたのだろう。そんな純真さが愛しく哀は思わず微笑んだ。 「それじゃ、歩美帰るね!」 「気をつけて」 「うん」 夕日が小さな身体を包み込んでいく様子を哀は穏やかな気持ちで見つめた。 あとがき 「夕日」といえば灰原ファンにはあの台詞でしょう。あそこから推察する限りでは、彼女は夕日の色が好きではないと思われます。原作では哀の考え方に修正を与える役割が多い歩美ですが、たまには同じ気持ちに歩美の方が救われる事があってもいいのでは?と思って書いたお話です。いかがでしょう? あ、原作では夕陽だよ、という突っ込みは了解していますので念のため^^;) |