――彼は喜んでくれるだろうか
 右手に持った小さな紙片にチラリと視線を投げかけ、哀は今日すでに何度目になるか分からない疑問を心の中で呟いた。エレベーターを降りると、阿笠を通してフサエから紹介してもらったレザー商品を中心に展開している男性用アクセサリーショップに向かって歩き出す。いつもなら目的の店以外ショーウインドーにさえ目を配らない自分が、今日に限って途中の店のディスプレイについつい見入ってしまうのは気のせいだろうか。
 クリスマスを三日後に控えたこの杯戸町のデパートは日曜日という事もあり、多くの人で賑わっている。アメリカから帰国してもう何度目か分からない日本で迎えるクリスマスだったが、哀が街の喧騒を体感するのは今年でようやく二度目だった。
 昨年は探偵団のクリスマスパーティーの買い出しのため訪れた商店街。あまりに賑やかな街の様子に驚き、同行していたコナンに「何かイベントでもあるの?」と尋ね、苦笑された事も記憶に新しい。『シェリー』と呼ばれ単独行動には監視付きがお約束だった頃は、目の行き届き難い街中、しかも一年で一番賑わうと言っても過言ではない12月に外出許可など出るはずもなく、クリスマスといえば研究所で姉から送られて来たプレゼントを受け取るのがせいぜいだった。それをはっきりと口に出した訳ではないが、哀の様子から悟るものがあったのだろう。昨年のクリスマスにコナンと阿笠が一緒になって色々教えてくれたお陰で今年はそれほど戸惑う事もなくその独特の雰囲気に馴染むことができた。
 守られてばかりいる存在ではないと口では言っているものの、こんな雑踏の中でさえ彼に守られている事を実感する。
 ――それでもクリスマスくらいは素直に気持ちを返したいの
 目当ての店を前に哀は少し前の出来事を思い出していた。


 事の起こりは下校途中、少年探偵団が米花町で起きた殺人事件を捜査中の佐藤刑事と高木刑事に偶然出会った事だった。コナンが抜けて以来、すっかり意気消沈していた探偵団の子供達は久しぶりの事件に興奮し、哀の制止も聞かず事件に首を突っ込んだ。やる気まんまんの三人に哀一人で目を配る事は思った以上に困難で、途中、哀が犯人に人質にされるというハプニングに遭いながらも探偵バッジによる連係プレーで何とか事件を解決する事ができた。
 その後、人質にされた際、軽く捻挫した足を新出医院で治療を受けていた時の事だった。
 「灰原、大丈夫か!?」
 診察室の扉が乱暴に開けられ、目の前に汗だくの新一が立っているのを哀は驚いたように見つめた。
 「く、工藤君?どうしたの、そんなに慌てて」
 「おめーが事件に巻き込まれて怪我したっつーから急いで来たんだよ!」
 「そう……」
 哀の反応にムッとしたのか、ズカズカと彼女の側までやって来た新一は包帯でテーピングされている足の様子に「……どうやら大した事なさそうだな」と安堵の息を吐いた。
 「私の方が専門家なんだから。怪我の具合くらい自分で分かるわよ」
 心配をかけたと分かってはいるものの、ついつい憎まれ口をたたいてしまう。新一はそんな哀の内心など百も承知と言わんばかりに黙って彼女の頭を撫でた。
 治療を済ませた新出医師が席を外すと、新一は哀の向かいの椅子に腰を下ろし、捜査一課から仕入れて来たと思われる情報を彼女に教えてくれた。急いで来たと言いながらも情報収集を欠かさないあたりは名探偵と言われる所以だと、妙な感心をしながら彼の話に耳を傾ける。
 「どうせ後で佐藤刑事達に色々聞かれるだろうけどさ、その前におめーから一通り事情を聞かせてくれねえか?」
 どうやら新一はこのまま事情聴取にも同席するつもりらしい。過保護とも思えるその態度に半分呆れながらも哀は肩をすくめ、先程までの出来事を細かく説明していった。
 「――ちょっと待て、何でその時オレに連絡しなかったんだ?」
 子供達が闇雲に捜していた場所が全く偶然にも犯人の潜伏先と分かった事を説明した時、新一が険しい表情で哀の話を遮った。
 「犯人は盗聴や盗撮の常習犯だったのよ?そんな人の側で携帯電話を使う訳にはいかないでしょう。その点、全く構造が違う探偵バッジなら安全じゃない」
 「だからっておめーがいきなり様子を見に中へ入る必要はなかっただろーが」
 「小嶋君達はすぐにでも飛び込む勢いだったのよ?それならあの子達を連絡役にして私が探偵バッジで情報を流す方が安全で確実でしょ?万一、移動させられたとしても探偵バッジには発信機能があるから位置は特定できるし、成り行きで人を殺せるような犯人じゃなかったしね」
 「そうじゃねえだろっ!」
 更に続けた説明は新一に遮られた。あまりの大声に哀は思わず首をすくめる。
 「子供だけで何ができる!?今までの探偵団じゃねーんだぞ!大体、人質になって何が『安全』だ!どうしてオレに連絡しなかったんだよ!」
 哀からすれば冷静で合理的な行動を取ったつもりだったが、それが逆に新一の怒りを誘う事になったらしい。新一が自分を心配してくれる事は嬉しかったが、逆にそんなにも信用されていないのかと思うと頭にカッと血が上った。
 「あの子達にはきちんと手順を説明したわ!あなたがいた時にも始終あった事じゃない!第一、携帯が使えない状況でどうやってあなたに連絡しろって言うの!?探偵バッジじゃあなたに連絡できないのよ…!!」 
 怒りを込めて睨む哀の瞳に何かに刺されたような表情の新一が映った。視線を床に落とし、必死で何かに耐えている新一の姿に哀は驚きのあまり言葉を失ってしまう。
 「あ……」
 少々言い過ぎたと再び口を開きかけたその時、診察室の扉が開いた。顔なじみの警官が顔を出し、新出医師に借りた部屋で事情聴取に付き合って欲しい旨を彼女に告げる。頷いて立とうとした哀の身体を新一が黙って抱き上げ、歩き出した。いつもなら子供扱いするなと必死に抵抗するところだが、先程見た新一の表情が頭を過ぎり、哀は素直にその肩に頭を預けた。


 事情聴取が済み、哀は新一と共に高木刑事の車で送ってもらう事になった。待っている間、証拠品として机の上に置かれた哀の探偵バッジを懐かしそうに手に取ると新一がポツリと呟く。
 「探偵バッジは『江戸川コナン』の物だもんな……」
 コナンが新一に戻る時、「工藤新一が持っていたらおかしいでしょう?」と彼のバッジを預かったのは哀だった。そして少年探偵団の一員だった『江戸川コナン』は探偵団の良き兄貴分の高校生探偵『工藤新一』になった。コナンが居なくなり、探偵団の子供達が寂しい思いをしているように探偵団に居られなくなった新一もまた心に穴が開いたような寂しさを抱えていたのだろう。そんな新一の様子に哀は何も言えず、黙ってそっと手を重ねた。そんな哀の珍しい行動に驚いたのだろう、一瞬、目をしばたかせた新一だったが、フッと苦笑すると優しくその手を握り返してくれた。


 その夜。壁に大きなアドベントカレンダーを飾る阿笠の背中に両手でコナンの探偵バッジを握る哀の姿があった。
 「博士、お願いがあるの」


 店に入るとカウンターではなく奥のテーブルへと案内される。紙片を受け取った店員の「少々お待ち下さい」という柔らかい笑顔に緊張が少し和らいだ。椅子に座って綺麗にディスプレイされた店内を見渡し、小さく息をつく。
 クリスマスにプレゼントを用意する事がこんなにドキドキするなんて数年前には予想もできなかった事だ。私も変わったわね……思わず苦笑したその時、赤と緑を基調にセンス良くまとめられたウインドウのガラスに淡く歪んで写る自分と目が合う。我ながらその感慨に困惑した表情と見た目のギャップが可笑しい。
 店の奥から誰かが現れた気配に顔を向けると、「阿笠様ですね?お待ちしておりました」と、店長が哀にレザー製のストラップを差し出した。哀が阿笠に作ってもらった小さな金属塊をポケットから取り出すと店長は黙ってそれを受け取り、ストラップの根元部分にはめ込んでみせる。
 「……大丈夫そうですね。それでは固定させて頂きますので少々お待ち下さい」
 丁寧に頭を下げ、店の奥へ消えていく店長を見送り、哀は視線を彷徨わせた。
 送受信は自分としかできないし、デザインは少々変わってしまっているが、携帯ストラップならコナンだった時のように新一が持つ事ができるだろう。哀を通じていつでも探偵団の三人とも繋がることができる。
 確かに新一に戻って探偵バッジで彼らと繋がることはできなくなった。しかし、探偵団の子供達は『江戸川コナン』は今でも探偵団の仲間だと信じている。そして新一の中に『江戸川コナン』がいる限り彼も探偵団の一員だと伝えたかった。『江戸川コナン』と『工藤新一』を繋ぐ事は自分にしかできないから。
 綺麗にラッピングされた包みを受け取り、イルミネーションが美しい街の中を歩いて行く。恋人達が互いにプレゼントを選び合っている様子に哀は思わず右手に持った紙袋に視線を落とした。


 12月24日午後6時。もうすぐ新一が阿笠邸にやって来る。阿笠がアタッシュケースを手に慌ただしく出て行った後、半日かけて準備したクリスマスディナーも彼の到着を待っている。
 部屋で有希子が今夜のためにと送ってくれたドレスに袖を通しながら、机の上に置いてあるプレゼントにチラリと目をやった。
 本当はこのプレゼントにはもう一つ意味が込められている。
 ――あなたとこれで繋がっているのは世界で私だけなの
 その言葉を聞いたのは哀と机の上のプレゼントだけだった。



あとがき



2008年クリスマス作品です。
そして今回はなんと桜雪さんとのコラボというスペシャル企画となりました。桜雪さんのイラストなら二人の甘いシーンでないと!と思い二人っきりのクリスマスです。
付き合い始めて少し経ってまだお互いの距離感を図りあっているくらいの時期です。自分の気持ちに戸惑ったり、素直になりきれないそんな恋愛慣れしていない哀嬢を目指してみました。ver.新一とのお互いの受け取り方の違いを楽しんでいただければ嬉しいです。


この後の二人の幸せなクリスマスの様子は桜雪さんの素敵なイラストでご覧ください。