――彼女は呆れたりしないだろうか
 ポケットに忍ばせた長方形の小さな箱を弄びながら、新一は今日何度目かの問いを自分に投げかけた。母、有希子に紹介してもらったアクセサリーショップは一見客を取らないせいか、クリスマスイヴだというのに客の姿はまばらだった。お陰で予定より随分早く阿笠邸に到着しそうである。プレゼントを受け取った時の恋人の反応に少々不安は残るが、会いたい気持ちは抑えられず、新一の足は自然軽くなった。
 平日とは言うものの、流石にクリスマスイヴだけあって人通りが多い。賑やかで陽気なクリスマスの喧騒は子供の頃から好きだった。サンタクロースがくれるプレゼントも含め、何か素敵な秘密が隠されているような雰囲気にワクワクした。もうサンタクロースは卒業したが、新一にとって今年のクリスマスは特別だ。生まれて初めて恋人と二人きりで過ごすイヴに嫌でも気分は高揚する。
 哀がクリスマスを誰かと過ごしたのはおそらく昨年が初めてだろう。探偵団のクリスマスパーティーの買い出しに二人で商店街に出掛けた時、賑やかな街の様子に「何かイベントでもあるの?」と聞かれ、最初は何の冗談かと思った。しかし、哀のあまりに驚いた表情にそれまでの彼女の環境を思い、それが本心だとすぐに理解した。
 博覧強記という言葉が似合う『灰原哀』という少女は一方で驚くほど世間知らずだ。知識と引き換えに失って来た経験を彼女が後悔しているとは思わないが、知らないなら教えてやればいいと昨年は阿笠と二人、思い付く限りのクリスマス行事を楽しめるよう画策した。「おかげで今年は戸惑わないで済む」――そう笑った哀の顔は新一にとって一足早いクリスマスプレゼントだった。
 少しずつ表情が豊かになり、変わっていく哀を見守る事が新一にとってどれほど嬉しい事かきっと彼女は気付いていない。ただの生意気な探偵坊主だった自分が名探偵と呼ばれるために必要なものを彼女はいつも教えてくれる。彼女を守りたいと思っているのにそれが叶わない無力な自分を痛感する度、新一に前進する力を与えてくれるのも哀だ。
 ――せめてもう少し君を守れるように
 阿笠邸に急ぎながら新一は少し前の出来事を思い出していた。


 「哀が怪我をした」という情報が新一の耳に飛び込んで来たのは、数日前に遭遇した事件の実況見分のため、白鳥警部と杯戸町へ出向いた帰りの事だった。米花町で起きた殺人事件について二人で意見を交わしていたところへその事件が解決したという内容の無線が入ったのである。「解決済みの事件に自分が呼ばれる事はない」――白鳥の応答を軽く聞き流していた新一は「協力者の小学生のうち一人負傷」という言葉に顔面蒼白になり、我知らず白鳥から無線機をひったくって「負傷者の名前はっ!?」と叫んでいた。
 噛みつかんばかりの勢いで白鳥を急かし、新出医院に着いた新一はその勢いのまま診察室へ駆け込んだ。乱暴に開けた扉の向こうで治療を受けている哀が驚いた顔でこちらを見つめる。
 「く、工藤君?どうしたの、そんなに慌てて」
 「おめーが事件に巻き込まれて怪我したっつーから急いで来たんだよ!」
 「そう……」
 自分の登場に全く無関心な哀の様子にムッとなったものの、今はとにかく彼女の怪我が心配で新一はズカズカと哀の側へ近寄り、包帯でテーピングされている足の様子を観察した。どうやら軽い捻挫のようでようやく安堵の息を吐く。
 「私の方が専門家なんだから。怪我の具合くらい自分で分かるわよ」
 心配された事が照れくさいのか、視線を逸らして強がる哀だが、赤みがかった茶髪からチラリと見える首筋が真っ赤に染まっていてはバレバレだ。無事を確認した安心感を伝えたくて黙って頭に手を置くと、哀も何も言わずただされるがままになっていた。
 治療を済ませた新出医師が席を立つと、新一は哀の向かいの椅子に腰を下ろし、来る途中に白鳥や捜査一課から仕入れてきた情報を哀に伝えた。
 「どうせ後で佐藤刑事達に色々聞かれるだろうけどさ、その前におめーから一通り事情を聞かせてくれねえか?」
 勿論、新一も事情聴取に同席するつもりだったが、その前に哀と情報を擦り合わせておきたかった。事前に自分に話す事で哀も記憶を整理できるだろうし、彼女の負担も軽くなると判断しての事だった。
 しばし、順を追って事の次第を話す哀に黙って耳を傾けていた新一だったが、子供達が闇雲に捜していた場所が全く偶然にも犯人の潜伏先だった事が分かったという説明に堪らず彼女の話を遮る。
 「――ちょっと待て、何でその時オレに連絡しなかったんだ?」
 「犯人は盗聴や盗撮の常習犯だったのよ?そんな人の側で携帯電話を使う訳にはいかないでしょう。その点、全く構造が違う探偵バッジなら安全じゃない」
 「だからっておめーがいきなり様子を見に中へ入る必要はなかっただろーが」
 「小嶋君達はすぐにでも飛び込む勢いだったのよ?それならあの子達を連絡役にして私が探偵バッジで情報を流す方が安全で確実でしょ?万一、移動させられたとしても探偵バッジには発信機能があるから位置は特定できるし、成り行きで人を殺せるような犯人じゃなかったしね」
 哀の言う事は充分理解できるし、彼女らしい合理的な判断だと思う。しかし、哀の言葉に何かがチクッと胸に突き刺さり、新一は無意識のうちに「そうじゃねえだろっ!」と怒鳴っていた。普段聞き慣れない新一の大声に哀が怯えたように首をすくめる。
 「子供だけで何ができる!?今までの探偵団じゃねーんだぞ!大体、人質になって何が『安全』だ!どうしてオレに連絡しなかったんだよ!」
 「あの子達にはきちんと手順を説明したわ!あなたがいた時にも始終あった事じゃない!第一、携帯が使えない状況でどうやってあなたに連絡しろって言うの!?探偵バッジじゃあなたに連絡できないのよ…!!」
 探偵バッジじゃあなたに連絡できない――その言葉に新一は愕然となった。同時に心臓を鷲掴みにされたような息苦しさに目の前の哀を直視できず、自分でも気付かないうちに視線を床の上に落とす。
 危険を承知でどうして自分に連絡しなかったのか、どうしてわが身を危険に曝す事を躊躇しないのか、哀に言いたい事は山ほどある。しかし、それ以上に自分が既に少年探偵団の一員ではないという疎外感が新一にショックを与えていた。『工藤新一』に戻る時、哀に探偵バッジを預ける事で『江戸川コナン』や『少年探偵団』とは決別したと思ってたのに…… 
 「あ……」
 急に黙り込んでしまった新一を気遣って哀が口を開こうとしたその時、診察室の扉が開いた。顔なじみの警官が顔を出し、新出医師に借りた部屋で事情聴取に付き合って欲しいと哀に告げる。頷いて立とうとした哀の身体を新一は半ば強引に抱き上げた。てっきり子供扱いするなと抵抗されると思っていたが、哀は素直に自分の肩に頭を預けて来る。まるで落ち込んだ自分を気遣ってくれているようで、そんな哀の不器用な優しさが新一の心に沁みた。


 事情聴取を済ませ、家まで車を回してくれるという高木刑事を哀と共に待っていた新一の目に証拠品として机の上に置かれた彼女の探偵バッジが映った。懐かしさに思わず手を伸ばす。
 「探偵バッジは『江戸川コナン』の物だもんな……」
 哀を通じて今でも交流はあるものの、探偵団の一員だった事が既に過去のものになっているという寂寥感に自嘲する新一の手を哀がそっと包み込んだ。思いがけない哀の行動に驚いて彼女を見ると、哀は新一の心の穴を埋めるような優しい微笑みを向けた。それはまるで『江戸川コナン』だった自分をも包み込んでくれるような暖かさで、新一は黙って苦笑するとその手を握り返した。
 

 それから数日後。神妙な表情で阿笠の研究室のドアを叩く新一の姿があった。
 「実は博士に頼みがあってさ」


 新一が哀に用意したクリスマスプレゼントは携帯電話のストラップ。小学生の哀がいつでも持ち歩ける物をと考え抜いて選んだ物だった。有希子が良く利用するオートクチュールのアクセサリーショップに注文したそのストラップの根元に埋め込まれているのは阿笠お手製の超小型探偵バッジ。究極まで小型化したそれは新一が持つ受信機としか繋がらない。それは『江戸川コナン』という過去と同じ立場ではいられないものの『工藤新一』だからこそできる繋がりがあるはずだと、そして哀や探偵団の子供達が危険な時はすぐに駆けつけるという新一の決意の表れだった。
 「今更」と呆れられそうな気もするが、クリスマスプレゼントに託したそんな決意を彼女は受け取ってくれるだろうか。
 

 この角を曲がれば阿笠邸が見える。哀に早く会いたいと気持ちばかりが先走り、新一はポケットの中のプレゼントを握り締めた。
 本当はこのプレゼントにもう一つ意味を込めた。
 ――オレとこれで繋がってるのはおめーだけなんだぜ
 そう告げたら哀はどんな顔をするだろう。悪戯っぽい笑みを口元に浮かべ、新一はようやく見えて来た阿笠邸の玄関に向かって駆け出した。



あとがき



2008年クリスマス作品です。
そして今回はなんと桜雪さんとのコラボというスペシャル企画となりました。せっかくイラストをつけていただけるなら幸せそうなところを描いてもらいたい!ということで、いつもより(かつてなくかも?)新一が美味しい想いをしていますw
付き合い始めて少し経ってまだお互いの距離感を図りあっているくらいの時期です。ver.哀とのお互いの受け取り方の違いを楽しんでいただければ嬉しいです。
自分の誕生日は忘れている新一ですが、クリスマスとかそういう行事ものは好きそう。博士のアメリカ行きに一番喜んだのは彼のはずです。


この後の二人の幸せなクリスマスの様子は桜雪さんの素敵なイラストでご覧ください。